- 販売開始日: 2011/06/03
- 出版社: 新潮社
- ISBN:978-4-10-108401-5
蟹工船・党生活者
著者 小林多喜二 (著)
海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策”の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、...
蟹工船・党生活者
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商品説明
海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策”の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、帝国主義日本の一断面を抉る「蟹工船」。近代的軍需工場の計画的な争議を、地下生活者としての体験を通して描いた「党生活者」。29歳の若さで虐殺された著者の、日本プロレタリア文学を代表する名作2編。
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リアルな情景描写
2017/07/17 18:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
蟹工船の労働環境の描写がリアルで驚いた。擬音や比喩が多用され、リズミカルでスピーディーな文体になっている。
時代錯誤の絶対窮乏史観
2008/07/31 23:19
43人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、ある新聞で内田樹が書いた記事を読んだ。題材は本書「蟹工船」で、最近この本が売れに売れて、それが原因なのか、なんと、あの腐れ政党=日本共産党への入党者まで増えていることについて、興奮した編集者が内田教授に感想を求めると、彼は「何かの間違いじゃないですか」と軽くいなしていた。これには笑った。私は、内田というる言論人の姿勢のほとんどに反発を覚える人間だが、この一言には思わず膝を打ってしまったのである。
それにしても、どうしてこんなカビの生えたような「プロレタリア文学」が今頃売れるのか。どうせ「格差社会」にヒントを得た出版社のキャンペーンに、おつむの足りない人たちが騙されて買わされて、消費されているだけなんだろうと私は見ている。私の敬愛する山本夏彦氏は出版社を虚業と断じ、出版社に求めらるのはジャーナリストの才能、平たく言えば「いかさまの才能」で、これは平気で心にもないことを言える才能でもあると喝破した。要するに、本や記事の中身なんか二の次三の次で、いかに消費者をだまし、財布のひもを緩めさせて金を本や雑誌を手にとって金を投じさせることができるかが出版人の生死を別けるのである。してみると、いまどき、こんなカビの生えた古本をベストセラーに仕立て直すことに成功した出版社の担当者は、立派なイカサマ師ということがいえなくもない。大したものである。とても堅気の人間にできる芸当ではない。
で、本書である。本書は北海道近海での毛ガニ漁などの漁労を「搾取」「地獄の苦しみ」と断定しきっている。洋上で蟹をとるために働く漁民たちは社会の最底辺でこき使われる社会の犠牲者で、そこには希望も喜びもなく、ひたすら地獄のような苦しみと忍従しかないかのように描いているのである。本当にそうなんだろうか。私は同意できない。というのも、同じ漁労という「労働」を描きながら、それを「搾取」とか「地獄」とはかけ離れた「男のロマン」「苦難を乗り越え人間として成長できる喜び」「海こそ男の生きる場所であり生きがいの場」と正反対の物語にしたてあげたこの本を私は知っているからだ。確かに本書は蟹漁で、青柳氏が描いたのはカツオ漁だ。しかし同じ漁労である。労働内容に大した違いがあるとも思えない。同じ漁労という「労働」を描きながら、どうしてこうした正反対の作品が出来上がるのだろう。私はここに「人生の勝ち組に入れる人」と「人生の負け組に転落する人」の違いをみる。人生の成功とは、要するに「自己満足」である。何も一流企業に入って社長になったり、一流官庁に入って事務次官になり、天下りを繰り返すことだけが人生の成功ではない。「俺は頑張って生きた。その結果、大事なことを経験し知ることができた。そしてなにがしかを成し遂げることができた。これでおれは満足だ」と思えるかどうか。これが人生が成功となるかならないかを別けると私は見ている。人生に成功したと思えるために何よりも必要なのは、自分が置かれた境遇を前向きにとらえらるかどうか、これに尽きる。どんなに貧しくとも、傍目にはどんなに悲惨な状況に陥っても、それでもそこに何かの意義を見出し、唇に歌を、心に太陽を持てるかどうかが、その人の人生を明にもするし暗にもするのである。常に責任を他に転嫁し、己の置かれた境遇を嘆き、社会を呪ってばかりいる人間に絶対に幸運の女神はほほ笑まない。常に「自己責任」をわきまえ、自分の二本の足で立って、前を向いて歩き続ける人間にのみ、女神はその手を差し伸べてくれるのである。
今更革命でもあるまい。かつて「書を捨てよ、街に出よう」などというスローガンがはやったことがあった。「蟹工船」なんか読んで、さがらぬ溜飲を下げようとしても道は永遠に開かれない。どうしたらピンチをチャンスに切り替えることができるか真剣に考え、歩き始めることを明日からでもいい、はじまえることを期待したい。
なお、小林多喜二は小樽高商というエリート校から北海道拓殖銀行という、当時としては「あこがれの職場」に勤務したエリート中のエリートである。そのエリートが、浅知恵にも共産主義にかぶれ、若くして命を落としている。多喜二は共産主義に無限の夢を託していたんだろうが、今から思うと、その考えは浅はかだったといわざるを得ない。多喜二がスターリンによる」虐殺も、毛沢東による大躍進政策や文化大革命も、ポルポトによる虐殺も知らずに死んだのは幸いである。それに、おお、立花隆の『日本共産党の研究』があった。多喜二が仮に長命を保ち、立花隆の著作を読んだら、多喜二はどう思っただろうか。私は。ときどきふとこんなことを夢想したりする。
本当に戦うべきものに対しては命がけなのだ。
2002/01/28 20:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たまご - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひとつの時代の区切りとも云うべき新しい時代の流れのなかで、その境目のところには、混沌とした大きなうねりがあるものだと感じる。大きな時代の流れの中では、振り返ってみればそこがちょうど変わり目だとか、区切りだとか一言で片付けられてしまうような時代であったとしても、その時の当の当事者にしてみれば、これから先どうなるかなんてわからない混沌とした淀みの中でもがき苦しんでいるのだ。
小林多喜二の時代、1920年代。被圧迫階級、貧しい農民や労働者による権力奪取での改革をめざす、共産主義思想の運動が盛んになった時代である。と同時に政府の弾圧の激しい時代である。
これは「ヘンだ」ということを、自分たちの心の奥から湧き上がってこなければ改革は起こらない。怒りや悲しみや苦しみのなかに自分たちの湧き上がる闘志がなければ、前へは進めない。
多喜二も命がけで、表現をした。この二つの作品からもひしひしと伝わってくる。とても重たい。でも何か明るさがある。それは、洞穴の暗闇の中で遠くに日の光が差し込んでいるのが見えるようなかすかな明るさである。それは、彼らが今信じて行動を起こしていることによって、きっと明るい光が差してくるはずだという確信なのであろう。
本当に戦うべきものへ対しては、命がけなのだ、と思う。多喜二の時代のように死ぬの生きるのということでなくても、自分の意志を貫くための戦いは、自分が傷ついたり、なにかを失ったりすることも覚悟で立ち向かわなくてはならないのだと思う。自分が痛まなぬよう傷つかぬようにしていては、戦えないのだと思う。
多喜二が戦った時代が良いとは思えないが、こんな時代があったことは忘れてはいけない重要なことだ。多くの人たちが虐げられ、一つの価値観だけで人々を弾圧した時代でさえ、今になればそれは正しくはないということになるものの、その当時は何が正しくないのかさえわからなかったし、それに気づくのにかなりの時間がかかるのである。
ただ、「改革」は、自分たちのなかから、その想いが沸きあがってきたときに、はじめて実現できる可能性をもつ。虐げられた人々が、それに気づくように多喜二たちは運動をしつづけたとも云えよう。結局、多喜二たちが目指す「改革」をするのは、虐げられている人々本人たちなのだ、ということだ。
今のようなぬるま湯のような世の中でも、実はなにか戦わねばならぬことが起きているのかもしれない。ただ、私たちが気づいていないだけなのかもしれない。
初プロレタリア
2017/02/19 00:23
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ライディーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔に読んだが、再読。
二編とも想像はできますが、余りに自分から遠い話で難しかった。
現代ではチョット考えにくい労働者の蜂起であるとか、昔の資本家の労働者に対する考え方が少し垣間見れたような気がします。
二編目は何とも難しい世界、としか言いようがありませんでした。