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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
原発の危険性が、分かりやすく解説されていてよかったです。福島の事故以前からの証言なので、さらに説得力がありました。
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3/12のUstreamの会見でとても理知的に状況を説明していたのが印象的で手に取った。出版されたのは1990年であるが、いま現実に起こっている原発災害に対して書かれたのでは錯覚するほど今日的でかつ示唆深い。
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日立の系列で原子炉の設計を行っていた元技術者が書いたもの。日本における原発の問題性をきわめて適切に抉り出しているよう感じられる。
冒頭のゆがんだ原子炉とその修正の話から、原発行政、設計・運営する企業がそれぞれ大きな問題を抱え込んでいることが鮮明に浮かび上がってくる。そして、この本で非常によいと思うのが、技術者の目線によって危険性の指摘という態度を通しており、論拠が不明確な「反原発」とは一線を画しているところだ。とはいっても、この本で指摘されている危険性が的確なものだとしても、原発路線からすぐに切り替えるのは難しい。大事なのは、どこが危険なのかという「まともな指摘」に対して、原発運営に関わる全ての人がしっかりと耳を傾けることであろう、というのがこの本を読んだ率直な感想だ。
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[ 内容 ]
チェルノブイリの事故が世界に大きな衝撃を与えたにもかかわらず、日本の原発政策には何の変化も見られない。
日本の原発ははたして安全なのだろうか。
原発の心臓部である圧力容器の設計に携わった著者が、自ら体験した製造中の重大事故を紹介し、現在運転中の原発の問題点をえぐり出すとともに、脱原発のための条件を探る。
[ 目次 ]
第1部 ゆがみ矯正事件(どうゆがみ、どう矯正されたか;「6.28シンポジウム」の周辺)
第2部 “運転中の原発”の安全性(理論的構築物の予盾;原発の老朽化1―圧力容器の中性子照射脆化;原発の老朽化2―理論主義の危険)
第3部 原発に象徴されるもの
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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企画コーナー「今、原発を考える時」(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。
貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2011/5/23-7/31】
湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1227238
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福島第一原子力発電所4号機の製造上の作業のやり直しについて記載している。
焼き鈍しについてわかりやすく説明している。
福島第一原子力発電所1号機の「給水ノズル内面の熱疲労事故」と
「事故がおこる数年前に、給水ノズルの基本構造が一変したにもかかわらず、それが福島第一,二,三号機などの古い原発の「構造見直し」につながらなかったという事実である。」
「多くの時間をかけ、最新の理論とコンピュータを駆使しておこなわれる詳細応力解析も、結局,「その程度のもの」でしかないのである。使う理論そのものは客観性をもっていても、いざそれを使って解析する段になると、すでに述べたように、そこに解析担当者の主観に依存したさまざまな推論や仮定が混入してくる。そしてそれらが現実とかけ離れているとき、いとも簡単に先のような事故が発生する。」
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かつて原発の設計に携わった技師が、在職中にあった「原子炉圧力容器の"ゆがみ矯正事件"」を例に、原発の「安全性」がどのような根拠の上になりたっているかを述べ、その危なさを訴えた本。
「あとがき」で、原発の設計に携わっていたときの自分の心の状態を「じつに恥ずかしいことだが」と著者の田中さんは書いている。
▼…少なくとも私は…原発の建設というものが地域社会にどのようなインパクトを与えるのか、一度も考えたことはなかった。原発が地域の様相を、あるいは個人の暮らしを一変させることに思いを馳せたことは一度もなかった。原発に心の底から不安を抱く人たちがどれだけいるかということも考えたことはなかった。今日ほどではないにしろ、1970年代前半当時にも「反原発」はあり、われわれがつくりつつあった原発が住民の批判にさらされているという話は耳にすることはあった。しかしそのようなとき私が考えていたことを正直に記すなら、それはせいぜい、原発を支えている"高度な技術"を一般の人びとが理解できないからだろう、という程度のものだった。(p.191)
そんな田中さんの原発に対する態度を決定的に変えたのは、チェルノブイリ原発事故の記録映画(※)。瓦礫の山のように崩壊した原発の姿に、「原発の設計に携わっていたとき、こんな情景は想像すらしなかった。大きなショックだった。もはや、原発は合理的に弁護する対象ではないと思った」と田中さんは書いている。
田中さんの在職中にあった「原子炉圧力容器の"ゆがみ矯正事件"」は、福島第一原発四号機用の原子炉圧力容器が完成間近にどうしたわけか楕円形にゆがんでしまったことがわかり、簡単にいえば、ゆがんだ部分にジャッキをかませて加熱し、それでゆがみを矯正したというものだった(正確には「クリープ・リラクゼーション」現象という)。
そんな直し方をして、ほんまに強度は大丈夫なのか?
田中さんが原発の危なさを書いていく文章は、「応力」とか「脆性」とか「安全係数」とか、工学方面ないし理論的な用語のいろいろが出てきて(そのせいか、新書というスタイルには珍しく各章に注がある)、そこのところはちょっと小難しい印象を与えるけれど、読んでいくとおおよそのことは分かる。原発がどれほどの安全性をキープしてるか、というよりは、原発がどれほど危ないかということに納得がいく。
工学を修め、科学を生業とし、専門家とよばれる人たちが、こと原発に関しては批判精神を失うものとみえる。田中さんは、その機械的な反応、無人格性、無批判性こそが、この先原子力発電が継続されていく際の最大の危険要素かもしれない、と述べている。
▼…一般に科学的あるいは技術的な理論やデータを前にして、専門家全員の見解が一致するなどということはありえないことである。しかしこれまで日本の原子力発電は、意見の対立や批判精神がまったく存在しないモノトーンの集団によって推進されてきたとしかいいようがない。いかなる問題を前にしても、国や有識者、電力会社、原発製造メーカーの見解はつねに一つの方向にまとまり、けっして"内輪もめ"といった醜態をさらすことがない。唯一彼らが批判精神をむき出しにするのは、反原発に対してである。(p.119)
この本が出たのは1990年、チェルノブイリ事故のおよそ4年後で、その時点で田中さんが様々な例(ひび割れ、亀裂、破断、故障…の数々)を引いて書いている"運転中の原発"の危なさと、それぞれの危険に対する原発推進派や政府の対応を読んでいると、20年以上経っても、全然変わってへんのやなと、そこがおそろしい。
たとえば、一時冷却材ポンプの取り付けボルトに次々とひびが入った事態に、国は記者会見をひらき、「ただちに安全上問題が生じるわけではないが」というマクラを述べ、「念のため予防安全の観点から」云々とボルトの点検および取り替えを実施すると言ってみたり(これは1988年のこと)。「ただちに」でないならば、いつ問題は生じるのか?
※シェフチェンコ監督の「チェルノブイリ・クライシス」と、写真集『チェルノブイリ・クライシス』
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今まで「ゆがみ矯正事件」の存在も概要も知らなかったので、私は驚きを禁じ得なかった。
老朽化している原発たち、また、原発の管理体制は大丈夫なのか、甚だ不安である。
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原発系かため読み第一弾!
原発を工学的見地から分析し、国の政策、法整備、技術的水準のあり方を批判。
原発は構造的にとても脆く、様々な問題を抱えている。
ライフスタイルの転換によりエネルギー社会を脱すべき。
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著者は日立の元原発技術者。
実際に格納容器の制作現場にいた人物である。
福岡第1原発の1号機は、実は曰く付きの原子炉であった。
著者がかつて在籍した呉の工場で、仕上がりに規定値を超える
歪みが見つかったため、メーカーの独断により歪み矯正を行った。
その作業は材料の脆弱性を高めて原子炉の寿命を短くする
可能性があり、非常に危険な行為であった。
しかし企業として、莫大な費用がかかる「作り直し」は
選択肢にない。納期の遅れや、それによる電力会社の損失も
大きな問題となる。
この例は特別なことではなく、
怪しげなごまかしは枚挙にいとまがない。
まったく恐ろしいモノに我々は命を賭けさせられている。
しかも自分たちの判断ではなく。
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日立・沸騰水型炉の設計技師。
原理的な困難さの上、歴史的、制度的、経済的、技術的、人的(レベル、エラー)問題があることを解説。
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既に作ってしまった原子力プラントを、現代の安全基準にバックフィットさせることが如何に不可能なものか、よくわかる。(部分的なつけ焼き刃な対処しか出来ない)
前世紀中頃の設計の原発が、圧力容器が中性子照射で脆くなって行くがままに日本の海岸に大量に設置されている現状の恐ろしさよ!
緊急炉心冷却装置の作動が、場合によっては熱いガラスに冷水をかけるがごとく圧力容器を割ってしまう可能性があるという破局的皮肉。
この本の執筆後ではあるが、ゼネラルエレクトリックの最高経営責任者が原子力は経済的に成り立たないと明言する訳である。
使用済み核燃料の問題を別にしても、原子力をやるメリットが全くわからない。
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国会事故調査委員でもある田中光彦さんの1990年の著作。技術論から原発の危険性を問うているが、印象に残ったのは最終章で「最大の問題は、環境との関係を積極的に断ったこうした閉鎖的な人口空間をわれわれが快適と感じていることだろう。」と述べている部分だ。脱原発とは我々文明に依存した現代人の生き方の転換を迫るものだという気持ちを強く持った。
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1990年に執筆された本をもっと多くの人々が読むべきであった。原発は以前から壊れて修理を何回もされており、大震災が起こったので壊れたのではない、ということがよくわかる本である。大きく壊れて被害が大きくなるまで電力会社も政府の何も言わないということである。
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原発について、全然知らんなと思って手に取った。原発の製造やその安全性の大部分が、一製造メーカーに委ねられているとわかって驚いた。もっと国や専門家が管理、チェックしているものかと。著者である田中さんも述べているけれども、わたしたちが最終的に頼るしかないのは、国。というか、国の決定には従わざるを得ない(自分たちで選んだ政権だしね…)。その「国」には、製造メーカーにたちうちできる、原発について精通している人(現場を知っていたり、その安全性を確かに審査できる人)が少ないんですと。あかんやん。
かといって、わたし自身は、エネルギーに依存した今の生活を見直すことができるのか。のほほんと生活している現状に、問題提起してくれた本だった。