- 販売開始日: 2011/02/11
- 出版社: 東洋経済新報社
- ISBN:978-4-492-39508-0
巨大銀行の消滅
著者 鈴木恒男 (著)
日本長期信用銀行が経営破綻して十数年が経過した。これまで、1997年、1998年の金融危機における銀行などの破綻のいきさつなどについて、当時の経営当事者の口から、その実情...
巨大銀行の消滅
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商品説明
日本長期信用銀行が経営破綻して十数年が経過した。これまで、1997年、1998年の金融危機における銀行などの破綻のいきさつなどについて、当時の経営当事者の口から、その実情が語られることは皆無に等しかった。それには理由があった。銀行が破綻した当座は、彼らが何を言っても、単なる保身や責任逃れの言い訳だと片付けられ、逆に、歴代の経営陣や銀行という組織体のずさんさを指弾する材料にされた。そのため関係者は身を固くしてマスコミの熱心な取材要請をかたくなに断り続けた。当事者が裁判の制約から解放されて、様々な発言をするまでには、「事件」が「歴史」となる十数年の歳月を必要としたのである。世界的な金融の混乱や信用収縮の暗雲に覆われている現在、長銀破綻の今日的な意味が浮かび上がってくる。企業ガバナンスのあり方、規制緩和の進め方とセーフティネットの構築、市場の暴力的な動きに対する対応、危機管理における政治と金融当局の役割、そして法の適用と司法の役割など示唆するものは多い。
著者紹介
鈴木恒男 (著)
- 略歴
- 1942年宮城県生まれ。東北大学経済学部卒業。日本長期信用銀行入行。頭取等を経て、長銀の国有化に伴い解任。会社顧問。
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結局、人間は反省出来ない動物なのか。大銀行たる日本長期信用銀行を潰した元頭取に反省の弁、全く無し(お前は被害者か、馬鹿)
2009/03/24 22:29
14人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は日本長期信用銀行最後の頭取だった鈴木恒男氏が、長銀経営者の経営責任をめぐる裁判で無罪が確定したのを機にまとめられた緊急書き下ろしである。崩壊した長銀経営者の著作では、ほかに箭内昇氏の『元役員が見た長銀破綻』『メガバンクの誤算』がある。箭内氏は同書で「投資銀行化路線こそが長銀がその旧態依然たる体質を脱皮し、新時代に適応できる体質改善の道だった」と長銀が1980年代に策定した第五次長期経営計画で打ち出された「投資銀行化路線」こそが長銀が生き残る道だったと嘆息しているが、本書ではサブプライムローン危機で欧米の投資銀行が連鎖的に破綻したあとだけに投資銀行化路線については否定的なコメントが連ねられている。確かに長銀は投資銀行化すれば生き残れたわけではないだろう。
ここで投資銀行とは何か、なぜ欧米の投資銀行の多くが破綻したのかについて、改めて整理して考える必要があろう。どうも中身をよく明示せずに金融界ではマーチャントバンクだの投資銀行だのの用語を振り回し過ぎている感がある。投資銀行とは要するに証券会社(ただし顧客に売買を取り次ぐブローカー業務を除く)のことである。ただ投資銀行は会社の上場だの増資だの債券発行だののみを商売の種にしている限りは大した手数料を取れないので、そのうち自分でリスクをとって自ら相場を張る「手張り」に手を出すようになった。自己資本だけではハカがいかないので借金して手張りの規模を数倍に膨らませ(これを横文字で表現するとレバレッジをきかせるという)大きなリターンを狙うようになった。個人でも自分の資金で株式投資をしているうちは損しても塩漬けにすればそれで済むが、信用取引を大々的に始めて自己資本の数倍の取引に手を染めるようになると、上手く行っているうちはよいが、下手打つとあっという間に夜逃げしなければならないはめになる。今回の米国を中心とする金融危機の本質は、要するにここにある。借金して自己資本の数倍の相場を張るという非常なリスキーな取引に手を染めて下手打って破綻したというのが、今回の危機の本質であろう。
ではどうすればよいというのか。長銀含む長期信用銀行をどうすればよかったのか。かつて日本興業銀行を頂点とする長期信用銀行は大学生憧れの就職先だった。給料が高く、預金集めといったどぶ板を踏むような営業活動がなく、定年後は優良会社に天下りも出来るとして、かなり成績優秀で無いと長期信用銀行には就職出来ないという伝説があった。どうしてこうした伝説が形成されたかというと戦後の日本が圧倒的な資金不足時代にある中で、大蔵省が主導した金融護送船団の中で特権的な地位(金融債の発行)を与えられた長期信用銀行3行が「銀行の銀行」の役目を果たしていたからである。しかし、大蔵省が主導する金融護送船団方式が功を奏して日本が大成功し経済が急成長を遂げると高い金利を身上とする長期資金はこぞって大企業から返済され、長期資金のみを扱う長期信用銀行は貸し先がなくなるという憂き目にあう。この長期信用銀行のレーゾンデートルが喪失したのは、本書他によると実に1970年代となっている。困ったことにその頃から大学を最も優秀
な成績で卒業した優等生たちが長期信用銀行の厚遇に釣られて門前市を成すようになってしまう。本来なら存在意義を失った時点で金融機関は自主的に業界再編成を申し出るべきであったのだろう。しかし毎年最優秀の学生を濡れ手に粟で獲得できる手前、ゴーイングコンサーン企業の経営者としては、こうした自己否定は成し難い。ここに浮世のつらさがある。そこで彼らが走った先が土地担保融資、いわゆるバブル経済だったのである。
1980年代後半に日本を襲ったバブル経済を私も経験しているが、あの時は日本全体が浮かれていた。それまでは辛うじて保たれていた日本人のモラルが、あの時は草の根レベルで誘拐し、老いも若きもブランド品とドンペリとセックスに走った感があったが、あのバブル景気という火に油ならぬガソリンを注いでいたのが日本の金融機関で、中でも狂っていたのが長期信用銀行3行であったことは本書を読んで確認することが出来る。どうして長銀は破綻したのかといえば、長銀のグループ会社(日本リース、NED、日本ランディックなど)がそろいもそろって不動産融資にのめりこみ、貸し出し債権の過半が焦げ付くという狂態を演じたからに他ならない。長銀を破綻に追い込んだのは、世間を騒がしたバブル紳士高橋治則率いるEIEではなく、長銀がEIEに貸し込んだのは数千億円に過ぎないと著者は言う。しかしEIEの社長室に勤務していた私の知人の話によるとEIEが長銀から引き出した
資金は軽く1兆円を超していたことになっている。この中には、おそらく長銀系列のリース会社以下からの資金も含まれていたのであろう。著者は「米国でも経営判断の原則というのがあって、正常なプロセスを経て経営判断を行っている場合には、その結果如何なる損害を会社に与えようとも経営者は善管注意義務を問われないというもので、これは米国では判例で確定している」という。長銀破綻後長い長い裁判に引き出され、その挙句このほど無罪が確定して、その勢いで溜飲を下げたいという著者の気持ちは分からぬ出は無いが、しかし責任ある元優良銀行の経営者として、かかる形式的手続き論で自己を正当化しようとするのはちと片腹痛い。これでは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というに等しいではないか。幾ら貸出先に困っていたからといって、不動産という単一業種に資金の大半を貸し出すという状態は、やはり正常ではないと判断すべきだったのではないか。
不動産バブルを私は憎んでいる。別に個人的な恨みはない。長谷川徳之輔先生の著作を読んでいたお蔭で、今日まで私は不動産ローンを組むことなく無借金経営を維持しているからだ。私が不動産バブルを憎むのは、あれは旧世代の所有地の価値を天文学的な数字にまで高め、そのツケをすべて若年層(これから住宅を取得する層)に回す極めて不公平な植分配を意味するからである。現に私の同世代で今も巨額のローンを背負い続けている者が多数いる。たまたま首都圏の都心に土地をもっていたかいないかで財産格差が数十億円単位で発生させるというのがバブル経済の本質であったのだ。そしてこれは不動産さえ担保に取れば無闇に貸して構わないという金融機関のモラルハザードが引き起こしたのである。この点について、私は兼ねて金融機関経営者から反省の弁を聞きたいと心待ちにしていたが、残念ながら最後まで旧長銀経営者たる本書の著者からの「反省の言葉」は本書には登場しなかっ
た。
長銀の破綻を教訓にと
2015/10/24 09:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:okadata - この投稿者のレビュー一覧を見る
当事者として言いたいことはあるのはわかるし、事実は事実としてわかりやすく書かれている。マスコミ報道による株価の下落、公的資金の導入に対する批判からスケープゴートを求める行政があったのもその通りだろうし、ソフトランディングも可能だったのかもしれない。それでも長銀自身の責任や経営判断のミスが破綻の最大の原因だろう。今だからそう言えるのだとしても。
長期信用銀行設立の目的は戦後復興を支えるため、特に重化学工業を中心に長期の設備投資資金を供給することにあった。長信銀には金融債の発行が特権的に認められ資金調達手段はあったが、製造業大企業の資金需要が構造的に減り続け非製造業向けの貸し出しを拡大し始めていた。1985年のプラザ合意以降長銀はグループをあげて不動産担保融資へと傾斜していく、そしてそのピークがバブル末期だった。
元々長銀の営業力は地方では限られていたのだが87年ごろから本格化した長銀の不動産融資は東京圏と海外を中心に融資が大型化する中、不動産価格の天井が見え始めた段階でも、コーポレート・ファイナンスで企業を支援する考え方を捨てきれずにバブル崩壊後の1、2年長銀と関連ノンバンクは追加融資を続けた。プロジェクトを途中で放棄するより、完成させたほうが担保価値が高まると。
長銀のグループ会社には延滞が生じることを予め想定し、むしろ、それを収益機会と捉えるファーストクレジットと言う会社もあった。延滞が生じるとすぐに担保物件の売却を迫り、延滞利息を請求するハゲタカの手法だ。担保評価も厳しくこれがグループを挙げてのスタイルならば融資の膨張は抑えられたであろう。たとえその手段の評判が悪かったとしても。
長銀は投資銀行への転換を目指していたが、91年の銀行制度改革では都市銀行の反対もあり果たせなかった。長期資金調達手段を持つ長信銀本体が証券業務に参入するとガリバーになるとして、子会社での参入しか認められなかったのだ。この時に残された課題が96年の金融ビッグバンで噴出し、同時期に不良債権の増加と不運の連鎖が長銀にとっては余りにも過酷だったと著者は言う。しかし、イ・アイ・イに代表される過度にリスクを取った投資にのめり込んだのは長銀の判断でしか無い。
問題となったグループ会社の延滞債権の「飛ばし」を鈴木氏が知ったのは91年のこと、しかしこれは違法とは言えず刑事告訴されたのは国策捜査としての意味合いが強そうだ。目的はグループ会社のノンバンクの赤字転落を見かけ上消すためだが長銀グループ全体としての不良債権が消えるわけでは無い。損切りの難しさを訴えたい気持ちはわかるが株主からすれば何を言ってんだかとなる。民事訴訟の対象となって当然だろう。
92年1月鈴木氏は大蔵省の検査官に対して「再建に取り組んでいる関連ノンバンクの破綻はありえず、それらに対する貸出が母体銀行の不良債権になると言う事態もありえない」と反論した。しかしこの後の展開を読むと関連ノンバンクが破綻すると母体銀行も破綻すると言ってるようにしか見えなくなってくる。だからなんとか先送りして時間をかけて再建にかけたいのだと。
長銀だけがバブルに踊ったわけでは無いし、その中でどうやってでも生き延びようとするのは当然だ。橋本政権の緊縮策やマスコミの批判、大蔵省の方針変更など外的要因が破綻を後押ししたのもそうだろう。だがそれでも長銀の先送り策がうまく行っただろうとはとても思えない。最後に鈴木氏が市場の限界に言及しているのが興味深い。先進国の景気後退時の処方箋として金融緩和政策への依存が日常化し、そこから容易に抜け出せないことであると。