サイゴンから来た妻と娘
著者 近藤紘一 (著)
戦火のサイゴンで日本の新聞記者が、大輪の花のような笑顔に惹かれて子連れのベトナム女性と結婚した。サイゴン陥落後、日本に移り住んだ親子3人だったが、妻のベトナム式生活ぶりと...
サイゴンから来た妻と娘
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商品説明
戦火のサイゴンで日本の新聞記者が、大輪の花のような笑顔に惹かれて子連れのベトナム女性と結婚した。サイゴン陥落後、日本に移り住んだ親子3人だったが、妻のベトナム式生活ぶりと子育て方はまったく変わらず。親に絶対服従のスパルタ教育にショックを受け、可愛いペットのウサギ料理に度肝を抜かれ……毎日のように巻き起こる小事件を通して、アジア人同士のカルチャーギャップを軽妙な筆で描く。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。
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ヴェトナム人の気質
2004/01/01 17:31
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:宅間心 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨年の12月(先月)に、観光旅行でヴェトナムに行って来ました。訪問する前にヴェトナム関係の本を数冊読みました。帰国後、本書を読んで、「その通り」と思った事が多々ありました。その内の一つが、近藤さんが結婚する一因となった「笑顔」です。ヴェトナムの女性は、眼が合ったり、カメラを向けると必ずと言っていい程、明るい笑顔で返してくれました。この優しさがアメリカに勝った要因の一つであると思います。ヴェトナムに旅行する人には、どんな観光案内書よりも、まず本書を読みましょう。絶対にお勧めです。
サイゴンから来た妻と娘
2021/06/20 00:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
産経新聞記者としてベトナム戦争中のサイゴンに滞在していた著者が、サイゴン陥落前に現地生まれの妻と娘を日本に送り、日本での生活を通して、その妻と娘、ひいてはベトナムという国について書き記している。
読む前は悲惨なボートピープルについての本、命からがら北ベトナムから逃げ、決死の逃避行を続けた記録ではないかと思ったら、全くそうではない。母娘もうまく日本に順応できていて、さすがと感じた。「南国=おっとり」という図式は偏見かもしれないが、妻の子育ての苛烈さ、体罰には驚かされた。
また、妻がベトナムの食生活を懐かしがり、ペット飼育禁止のアパートでウサギを飼って屠る場面は昨今のベトナム人元技能実習生たちによる家畜の盗難・解体を髣髴とさせる。最も本書ではペット飼育禁止以外は合法で比べるべきではないのかもしれないが、どちらも国を離れ、奇しくも帰国できないという状況の中で望郷の念から起こってしまったのかもしれないと考えた。もちろん許される事ではないが。
サイゴンビールを飲みながら
2021/01/13 02:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:psim - この投稿者のレビュー一覧を見る
ベトナム旅行に行ったあとにタイトルに惹かれて読んでみました。貴重な内容と、文体も素晴らしくて読む価値が高いです。この先のシリーズも読むことにしました。
ペーソスとユーモア
2001/05/12 12:49
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ピーさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今では遠い過去になってしまったベトナム戦争を背景に、ベトナム人妻娘をサイゴンから連れて帰国した特派員の生活が、ユーモアと哀愁を醸し出す。45歳でガンに倒れた記者の傑作ノンフィクション。人間はこんなにも優しくなれるものなのだということを教えてくれる。
交渉術、またはベトナム人気質のこと
2009/12/11 20:15
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、ベトナム出身の夫人を通じてベトナム文化あるいはベトナム人気質を見る。たくましい生活力、旺盛な食欲、それを満たすための執念、子どもに対する愛情と厳しさ、万事みずから決断する者のもつ独特の深さ・・・・。
著者は職業ジャーナリストなのだが、その文章は客観的叙述をこえて、不思議な包容力を醸しだしている。異文化に対するいくぶんの違和感と、妻子に対する愛情がないまぜになった観察は、単なる観察をこえて、ベトナム的なものへの考察に広がっている。この広がりがあるからこそ、本書は私小説的回想にとどまっていない。
たとえば、「市場文明圏」(著者の造語である)。
雨期の前になると、うまそうなマンゴーが出まわる。売り子は、無知な異邦人には2千ピストル(当時2千円)とふっかける。ベトナム人相手なら半額の千ピストルで済ませる。
だが、勝手知ったる著者の細君は「2百ビストルにしなさい」と一気に5分の1の値段を切り出す。当然、相手は渋る。「そんな、あんた--9百ピストルにしておこうよ」
「ダメ、250ピストル」
このあたりから交渉が本格化する。
最初から正直な言い値を言い合って時間を節約したら、と著者は思うのだが、「そう思うこと自体が、そもそも、せわしないスーパーマーケット文化圏の発想なのだろう。市場文化圏では、この、私たちの目には消耗的でもあり、ムダにも見える日々のかけ合いそのものが、生活の実質らしい」
このかけ合いはセレモニーではない。生活をかけた真剣勝負だ。かたや相場の二倍、三倍をふっかけ、かたや平然と五分の一に値切る手合いだから、ともにかたときも油断がならない。「売り手は日頃のよしみでまけるわけにはいかないし、買い手も過去の恩義で不当な値をのむわけにはいかない。目つきも顔つきも油断なく身構え、義理人情抜きの、キツネとタヌキになる」
相手の顔色を読みながら駆け引きしなくてはならない。これ以上注文をつけたら相手が傷つき、怒り出すな、と思ったらいったん引いて、お世辞の一つや二つは言わねばならない。このへんの呼吸がわからないと駆け引きできない。
一事が万事。ベトナム人のこうした交渉能力は、停戦交渉でも発揮された。
なぜわずか1ピアストルにこだわるか。
無駄に使えば「あいつは金の価値を知らない」と馬鹿にされる。ひとたび馬鹿にされたら、次からはカモにされて、家屋敷さえむしりとられる。
ベトナムの社会にはこうした苛酷さがある。飛ぶ鳥を落とす権勢をほこったグエン・カオ・キ元副大統領も、ひとたび失脚するや、釣瓶落としに凋落した。
奔放に見えて苛酷、悠長に見えてまったく気を許せないベトナム社会の自由の状況に耐えていくには、自前の価値観をしっかりと固めておかねばならない、と著者はいう。
ちなみに、フランス人も米国人も、しわい駆け引きをする。
だが、日本人は、売り手の言い値の8割で妥協する「アッサリ型」か自分の言い値を譲らない「頑固型」の2種類に分かれるそうな。交渉能力に欠けるのである。
距離的にはさほど遠くないベトナムだが、遠い米国よりもよく知らない・・・・というのが大方の日本人だろう。
当時サンケイ新聞社記者だった著者、近藤紘一は、ベトナムとその民を日本人に身近くひきよせてくれた。惜しくも1986年没、享年45歳。あまりに早すぎる死だといわねばならない。
ピアストル
2023/06/08 12:18
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ME - この投稿者のレビュー一覧を見る
今のベトナムの通貨はドンなので、約50年くらい前の話だが、ベトナムの歴史やベトナム人の資質が体験とともに分かりやすく書かれている。有名な本だが初めて読みました。
戦地への赴任も影響があったのか分かりませんが、著者が若くして亡くなられたのが気の毒でなりません。
古いけれど新鮮
2017/05/14 02:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Ladybird - この投稿者のレビュー一覧を見る
40年近く前に出版された本ですが、古さを感じない面白い話でした。外国人の妻ナウさんと娘に対する愛情溢れる眼差しに好印象を持ちました。
しかし、近藤氏の晩年を知ると、なんだかやるせない気持ちです。強烈な個性の妻に翻弄されるエピソードは、この本では笑える話として紹介されていますが、夫に無断で行動を起こす、ベトナム人の親族、同胞の経済的支援を近藤氏にさせる様子は、後に夫に許可を得ずパリにアパートを購入し、前夫と娘の3人で暮らすナウさんに繋がるような気がしました。妻の親族に12万円(40年も前!)もかけて、キャベツの種を送るなどの支援や仕送り、高い学費のフランス人学校への通学、パリ留学までさせて、最後には生活の拠点をパリに勝手に作られてしまうなんて、加藤氏が利用されたように感じました。この本でも経済力のある人からお金を引き出すことに、なんの呵責もない文化の国と書かれていましたが、呆然としてしまいます。
著作権は近藤ナウさんになっていました。紙の本は絶版になっていましたが、こうやって電子化されると印税は彼女に行くんだなあと思ったら、少しもやっとしました。
肥沃ゆえに翻弄される国、ベトナム
2001/12/21 21:52
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投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
サンケイ新聞のサイゴン特派員として4年間ほどサイゴンに在住した著者、近藤絋一さんのノンフィクション作品。近藤さんのサイゴン在住は1971年から1975年までで、彼は、ベトナム戦争が泥沼化し遂にサイゴンが陥落するまでをしっかりと目に焼き付けて、最後のサイゴン脱出便で日本に帰国した。
本書は、ベトナム戦争を主題にしたガチガチのものではない。それは、サイゴンで知り合ったベトナム人の妻とその娘との日本での珍生活をメインに綴ったものであるからだ。明るくしっかり者の妻の言動が、日本とベトナムの文化の差、気質の差を明らかにしてあちこちで笑ってしまう。
近藤さんが妻を愛して綴っているのがよくわかり、ホノボノした気持ちになれる。
ある日、妻から近藤さんに電話がかかってきて、「今夜、何が食べたい?ソテ(いためもの)がいい?グリエ(焼きもの)がいい?」と聞いてきた。適当に答えて家に帰ってみると、家の中で飼っていたうさぎが料理されていた!というエピソードもあった。この箇所だけ紹介すると「なんて野蛮な。」と誤解されることが多いかと思うのだが、妻の考え方は全く野蛮ではないのだ。
とにかく、自分達と違っていることをマイナスに考えるのはつまらない事だと気が付いた。
ベトナムがずっと身近になった様な気がした。読みながらあちらこちらで大笑いして、それでも、ベトナム戦争のこと、ベトナム難民の胸の内を、眉間に皺を寄らせることもなくスッと消化している自分を見つけて、「読まされた!!」と嬉しい悲鳴をあげながら額をパチパチ叩いてみるのだった。