東大落城 安田講堂攻防七十二時間
著者 佐々淳行 (著)
その日、日本中がテレビに釘付けになった。催涙ガス弾と放水にけむる安田講堂の時計台、顔をタオルで覆い、ヘルメットを被った学生たちが屋上から投げ下ろす人頭大の石塊、火炎ビンに...
東大落城 安田講堂攻防七十二時間
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商品説明
その日、日本中がテレビに釘付けになった。催涙ガス弾と放水にけむる安田講堂の時計台、顔をタオルで覆い、ヘルメットを被った学生たちが屋上から投げ下ろす人頭大の石塊、火炎ビンに灼かれた機動隊員の苦痛に歪む顔……その時、作家・三島由紀夫から緊急電話が! 時は「あさま山荘」事件の起こる3年前、昭和44年1月だ。全国民が注視した東大安田講堂の攻防戦に、警視庁の警備第一課長として臨んだ著者が、当時のメモを元につづった迫真のドキュメント。文藝春秋読者賞受賞作品。
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甘ったれ小僧達への挽歌
2005/07/03 08:42
13人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東大紛争。思えば、これが戦後サヨク闘争崩壊の転換点だった。「東京大学生という最高の学歴」に守られた「絶対安全圏」にいながら、警察官という街の公務員にまるで暗闇から石を投げるような卑劣さ。戦争ゴッコよろしく東京大学という歴史あるキャンパスに立てこもり、火はつけるは、窓は壊すは、火炎瓶はなげるは、最後はコンクリートブロックを10メートル以上の高さから下にいる警察官達に投げ下ろす、これじゃまるで殺人ですなあ。こういう勝手な行為、ワガママが国民全員の前に見えてしまった。「ああ、こいつら結局、遊び半分で学生運動を口実にあばれているだけなんだな」と多くの国民が理解してしまった。これが「東大闘争」のもった大いなる「意義」であろう。この本は、東大闘争というお遊びをやって社会に迷惑をかけつづけた「甘ったれ小僧達」を大人として「しかり」にいった佐々淳行さんの書いたドキュメントである。それまで日本ではサヨクが隆盛を極め、どちらかというと学生を応援し、警察を「権力の犬」などと敵視する軽薄な風潮があった。そういう逆風の中で困難に耐え、粛々と職務に取り組んだ警察官という「私達の公務員」のプロジェクトXをとくとご覧あれ!このあと、国民は学生達を見放し、社会は徐々に正常化に向かい、今日の平穏を取り戻したのだった。
燃ゆる心
2002/07/19 00:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:当麻由美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
仕事に未来が見いだせない現代、リストラ・自己破産。経済の低迷と共に仕事に対する意欲も半減している。しかし、昔は、仕事に命を張っていた。男達は、戦っていたんだ! 相次ぐ不祥事に警察が信じられない世の中だが、昔の彼らは命を張っていたと思わせる一冊。私は、是非今の警察に読んで欲しい。彼らが、ゼロから戦いに挑み命をかけたことがあったと思い起こして欲しい。そして、命をかけるからこそ、仕事が輝いていたことを世の中の人に知って欲しいと思うのである。
激動の時代(ねたばれあり)
2023/11/29 20:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うさぎのみみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和戦後史激動の時代。私はまだ生まれていない時代ですが、この辺のニュース映像をよく見るため興味深く読ませていただきました。当時は学生運動に便乗した過激派や労働者VS警察官、権力者の暴力ゲバ棒火炎瓶な時代だったのかなぁと思っていました。当たり前ですが学生たちが暴れてる中、普通に遊園地に遊びに行く家族や働く一般市民もいたようで、そういう描写もあります。当時の安田講堂にいたのは東大生は三割であとは他大生ばかりでした。この事件のせいで大学受験も中止になり迷惑した学生もいました。当時は放水だけでなく鉄球で講堂を打ち壊す考えもあったようですが実現ならず、その後のあさま山荘事件での活躍となります。学生たちが林健太郎教授を缶詰にして逆に論破されてしまう辺りも面白いです。
第一級の戦略史
2012/05/31 11:02
15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和44年1月18日(土)、私は小学生だった。学校から帰るとすぐテレビに向かい、翌日陥落するまで、テレビにかじりついていた憶えがある。この本から、その頃の雰囲気はほとんど伝わってこない。
小学生の目には、機動隊の圧倒的な兵力の前に、火炎瓶程度の火器しか持たない大学生。それも、投げるしかノウがないので、届かない。東大生とあろうものが、発射装置も作れず、弾道計算もできないのかと不思議だった。(東大生たちの転進を知ったのは、後になってからだった。)攻め込まなくとも、水をかけているだけでいずれ陥落するのは、小学生にも分かった。
結果として、この年入試は中止が決まったのだから、短期決戦に走る必要があったのかと思う。確かにこのシンボル的な事件があった後、関東の学生運動は一気に鎮静化に向かい、それがなかった関西地区はその後長く尾を引いたと言える。しかし、同時に関東の学生たちを追いつめることで、その後また佐々氏が出向くこととなる浅間山荘事件などの過激派の事件を引き起こしたとも言えるのではないかと思う。
佐々氏は『連合赤軍「あさま山荘」事件』で支持を得たと思ったからか、(確かに連合赤軍に関しては、大いに非難すべき点があるので、あの書き方でもよかった)この本で学生たちを幼稚な暴力主義者と非難しているが、当時の多くの人の意識は違っていたと思う。
本当は、山本義隆氏に当時を振り返った作品を書いてほしいが、「全学連」と「全共闘」の違いも知らない今の人たちには、まず『プレイバック「東大紛争」』北野隆一(講談社)を読むことを勧めます。
さて、それではこの本の持つ意味はと言うと、これは戦略史としてよく書けているという面である。いい悪いは別として、一つの任務を与えられた公務員(ここでは、幕僚長)が、いかに困難な任務を成し遂げたかの記録として、重要だと思う。TVの向こう側の出来事だった私のような立場の人間には、読んでいてワクワクしてしまうのも事実である。
学生運動の歴史って…
2002/07/21 22:32
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:優樹O - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生運動の歴史を警察に機動隊を作った佐々淳行が描く。いまでは感覚としてそんなことがあったとは思えないことだが、30年前に日本中の大学生が大きなうねりを作っていた時代があったのだ。ことの是非は別としていまは見慣れた数々の風景が「戦争」の舞台になっていたようすがよくあらわれている。警察側の記述だとか学生の意図を無視しているなどこの本に対するさまざまな意見があるが、警察側の、学生を押さえつけていた側の、暴動を暴動の枠の中に押さえつけ治安を維持していた側のもっとも信頼の置ける作品であることには間違いない。一読あれ。
そのとき、機動隊は戦争をしていた。
2001/11/16 00:23
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:十二番目の男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和四十四年の過激派左傾学生による東大安田講堂占拠事件において、筆者の佐々淳行氏は、警察指揮の“一番前”にいた人物である。その佐々氏が自伝小説的に事件を描写したのが、この「東大落城」。本作は文藝春秋において連載され、読者賞を受賞した。
昭和史の一ページを描いているだけではなく、これはもはや戦争の描写である。東大構内の建物に立てこもり、屋上から殺傷力の高い物を投げつけてくる籠城学生。徹底的なバリケード封鎖を解除して、屋上へと攻め上がっていく機動隊。うろたえる大学関係者、集まる野次馬、とらわれの文学部長、炎に包まれる機動隊員。火炎瓶が飛び、石が砕ける。筆者の言うとおり、中世日本において行われていた城攻めいた雰囲気が、学生と機動隊の安田講堂を巡る攻防戦において展開されていく。
機動隊の武勇伝ばかりではなく、物語の外縁、バックグラウンドも大変におもしろい。きわめて情けなく描かれている大学側の対応には、感情移入してこちらも立腹してしまうほど。佐々氏自身も書いている中でカッカしていたのか、少々荒っぽい表現も見え隠れする。そんな中で、文学部長・林健太郎教授のエピソードには胸が熱くなる。
本作の登場する人物はどれもこれも「事実は小説より奇なり」を地でいくような、個性あふれる面々である。投石に使われる敷石を全部とっぱらえという指示を出したアイデアマンの秦野警視総監、監禁されていながら「只今、学生を教育中」というメモをよこした林教授、どこまでも沈着冷静な加藤学長代行に、悲惨な現場を前にして勇猛果敢につっこんでいく機動隊の面々。そしてなにより、香港帰りのドンパチ要員、警備一課長佐々淳行。この人が、この人たちのことを書いて、おもしろくないわけがない。
筆者の優れた筆力が随所に光る。ここに描かれているのは、戦後平和の中唯一戦争をしていた機動隊という組織を舞台にした、小説よりもドラマチックなドキュメントである。
今は見る影もない
2002/03/26 19:12
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りさこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前仕事で東大に行ったことがある。赤門をくぐって、その奥に安田講堂があった。これがあの安田講堂か…と感慨深く眺めた。キャンパスは平和そのもの。緑が目に鮮やかで、鳥がさえずっていた。とてもあの騒動があったとは思えない。
佐々氏の本は『連合赤軍「あさま山荘」事件』に続き二冊目。警察側の視点から事件を捕らえている。自身も東大の卒業生。
もし私がこの時代に生きた学生だったら、この運動に参加しなかったか自信がない。読み終えてみると愚かだなあという印象を持つ学生たちだが、自分の立場に置き換えると、集団心理と勢いでヘルメットをかぶって声をからせていたかもしれない。大人たちへの反発もあるだろうし。
私の母はこの時代に学生として生きていたようだ。特に強い勧誘がなかったし、興味もなかったから賛同しなったらしいけど、ある意味覚めた考え方を持っていたのかもしれない。
戦争を忘れてはならないとか、戦後50年とかいうけれど、この安田講堂事件だって忘れてはならない事件であることには代わりはない。佐々氏が危惧するのはもっともだ。他にも関連の本を読んでもっとこの時代のことを知りたい。
最後に…。早坂茂三の解説はない方がいい。だって全然おもしろくないんだもん。適当に書いた感じ。
四畳半の頃…
2001/11/03 00:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゴンス - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨今の大学生の代名詞と言えば何だろう。コンパ、バイト、麻雀、パチンコといったとこだろうか。しかし飽食な世の中にあってそれはむしろ当たり前なことなのかもしれない。
ところが、だ。前述した大学生の代名詞に「学生運動」という言葉が加えられる時代があった。今から約三〇年ほど前のこと。人はそれを政治の季節と呼んだ。学生運動とも全共闘運動とも呼んだ。一部の学生達がゲバ棒と火炎ビンを手に、ヘルメットとマスクといういでたちでイデオロギーを振り下ろしたのである。結局は内ゲバ(仲間同士の争い、リンチ、なれの果ては殺し合い)という一般市民の論理を越える悲惨きわまりない行為へと突っ走ったが、しかし軽率ながらもある意味魅力的な時代であったといえるだろう。
さて、その六〇年代後半の最大の山場といえば『東大安田講堂事件』である。本書はそれを焦点にしたノンフィクションだ。著者の佐々淳行氏は、当時、この事件の警視庁の責任者だった人。七二年の『浅間山荘』の際にかの有名な鉄球使用を発案した人でもある。
したがって、本書は「警察側」の視点のものゆえに、学生運動経験者の作家や評論家が書いたものとは一線を画している。そこがいい。経験者が書いたこの手の本はあまりに感傷に浸りすぎていてつまらないのだ。色あせて見えるのだ。そういった意味で本書は警察という「権力」が、「反乱者」とどう対峙していたかが分かる貴重な一冊である。