電子書籍
日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日
著者 半藤一利 (著)
近代日本の“運命の一日”を描いた不朽の名作。太平洋戦争を終結させるべく、天皇の「聖断」に従い和平への努力を続ける首相鈴木貫太郎をはじめとする人々と、徹底抗戦を主張して蹶起...
日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日
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日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫)
商品説明
近代日本の“運命の一日”を描いた不朽の名作。太平洋戦争を終結させるべく、天皇の「聖断」に従い和平への努力を続ける首相鈴木貫太郎をはじめとする人々と、徹底抗戦を主張して蹶起せんとした青年将校たち──。玉音放送を敢行しようとする政府関係者に対して、陸軍の一部軍人は近衛連隊を率いて皇居に乱入した。そのあまりにも対照的な動きこそ、この一日の長さを象徴するものであった。玉音放送が流れた昭和二十年八月十五日正午に至る一昼夜に繰り広げられた二十四幕の人間ドラマ。
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紙の本
終戦までの緊迫感溢れる24時間を丁寧に再現する名著
2006/09/04 00:11
22人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
1945年8月15日、玉音放送によって日本の戦争は終わった。正式に終わったのはミズーリ号上にて降伏文書に署名した9月2日なのだろうが、ほとんどの者はこの時点で戦いは終わったのだということを悟った。
それと同時に、もう一つ終わったことがある。天皇を奉じて日本国民最後の一人に至るまで戦い抜くべきだと信じる青年将校たちによるクーデターである。
中心を占めるのは近衛師団。天皇を護るための軍隊が、天皇の意思から逸脱して動き出していた。和平こそが天皇の望みだということに思いを馳せることもなく。
彼らは宮城を占拠して外部との連絡を絶ち、降伏を天皇に勧める国賊の影響を排除して天皇から徹底抗戦を引き出そうとした。その行動は師団長、陸相、参謀長らから追認されるものと信じていた。
玉音放送によって絶望的な抵抗を止め、一人でも多くの国民を救おうとする者たちと、国体護持を確保できない以上降伏を認めることはできないとする青年将校たち。
14日の御前会議から、翌日正午の玉音放送までの緊迫した一日の模様を、多くの文献と取材から冷静に描き出す。淡々とした筆致でありながら、臨場感に溢れ、事態の推移から目を離せない。歴史的事実として玉音放送はあったわけだから、クーデター部隊の失敗は分かる。それなのに一気に読み通させる迫力を持った、すごい本だと思う。
だが、読み終わって釈然としない点も多々ある。クーデター部隊は命令に背き、上官を殺害し、自分勝手な妄想に酔った。そんな彼らの策動を、一部の人々は参加はせずとも止めもせず、綱紀を最も守らなければならない近衛師団の将校たちが平然とそれを破る。
ところが最後は、この動乱は無かったこととして特に処罰も与えられない。張作霖爆殺や満州事変など、明らかに中央政府の意思と異なることが起こっていながら適切な対応を取れない異常な状況。私利私欲ではなく国家のための行動だからと免罪されてしまう点には納得がいかない。
夢破れた決起部隊も、天皇の意思は降伏に非ず、と勝手な妄想を広げた挙句、近衛師団長を殺害するなど後先を考えない失敗を繰り広げる。勿論、その時代の背景として下克上だとか軍人が政治に容喙していたことが大きいのだろうが、それにしてもその勝手さは目に余るように思われてならない。
阿南陸相の自刃と、並行してのクーデターおよびその処罰の甘さを見ると責任とはなんなのかを考えさせられる。終わりを想定することなくなし崩し的に太平洋戦争に突き進んだ判断の甘さにも思いを馳せる。
理詰めで構想を練ることなく勢いで進んできて、敗北の状況を纏め上げるのは至難の技である。そんな状況に陥らないためには、やはり冷徹な計算と終わりを見つめられる視野の広さが必要なのだろう。漠然とそう思わされた。
紙の本
いまだ長い日は終わっていない
2006/08/26 14:59
20人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
8月14日正午から15日正午までの24時間の物語。ぐいぐい引き込まれて最後まで読ませるすごい迫力がある。一人ひとりの感情表現は抑制がきいていて、ノンフィクションのお手本のような作品である。戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのがいかに難しいかを実感させられた。
姜尚中が8月3日の「ニュース23」で、「国が誤っていれば、国の判断に異を唱えることこそ愛国心だ。」と言っていたが、この論理は終戦の詔勅を奪い、クーデターを画策した陸軍の論理と同じである。それよりも誤りを犯さない国造りこそ大切であり、それが主権者たる国民の責任なのではないだろうか。左派の戦前真っ黒史観においても、右派の戦前回帰にしても、戦前と戦後を切り離して考える。しかし、日本人の意識が8月15日を境に本当にガラッと変わったのかと言えば、そうは言えないと思う。
大戦において大いなるミスを連発した辻正信など戦争責任者を国会議員に選出したり、無茶な作戦を実施した牟田口廉也などに責任をとらせなかったままで続いた戦後が、戦前とは全く違う社会とは思われない。それは彼らだけの問題ではなく、投票したり許したりした国民の責任でもあるだろう。そのような年代の日本人はすでにほとんど鬼籍には入り、加害者意識も被害者意識も持たない戦後世代が日本人の過半となり、ますます総括が難しくなってきている。また、自民党総裁選挙(2006年)の立候補者を見ても、安倍晋三は岸信介、麻生太郎は吉田茂、谷垣禎一は影佐禎昭、河野太郎は河野一郎、鳩山邦夫は鳩山一郎の孫といった状況である。
それでも、ようやく最近になって、半藤一利や保阪正康など、どちらのイデオロギーにも与しない太平洋戦争論が注目されていることは、救いである。客観的な資料の検証と冷静な議論をもって、歴史から学ぶべきものを学び、責任を明確にするとともに、将来の日本を構築するプリンシプルを見つけてゆくことが大切だと考える。
紙の本
不朽のドキュメント作品
2006/07/14 16:58
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:伊豆川余網 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ついに文庫化してくれた、文藝春秋に感謝したい。
今や「昭和史」の第一人者、ともいうべき著者の原点が本書ではないか、と思う。
だが、初版時(1965年)の著者名は「大宅壮一」。当時、「文藝春秋」編集部次長だった著者の名を、同社からの刊行物に出すことは憚られたのであろうし、ジャーナリストとして勇名を馳せていた大宅の名で出すことは、営業上も有効とされたのかもしれない。そのあたりの経緯は、半藤氏自身「あとがき」でさらりと触れている。
その後、角川文庫に入った後、「決定版」として1995年に文藝春秋が再度単行本化した。当方が最初に読んだのは、この版だが、その前に、映画になっている。
公開が1967年だから、映画化は初版刊行後すぐに決定したものだろう。正直に言えば、公開から数年後、TVで観、さらにビデオで数度観て、当方の「いちばん長い日」への畏敬と恋着は始まった。つまり原作より先に、映像があった。映画クレジットは当然ながら「原作 大宅壮一」である。
橋本忍脚本、岡本喜八監督の布陣もさることながら、いわば、当時の(東宝系)男優陣を棚卸しして作り上げた傑作であり、その後つくられた東宝の戦争映画、近年の戦争を主題にした各社の映画とは、格も柄も段違いである。モノクロ画像と、抜群の配役が織り成すドラマは、確かにフィクションだが、描かれた内容は全く、本書の大筋に沿っている。だからこそ、映画は魅力的であったし、だからこそ、本書へたどり着いたとたん、ページを繰るのを止めることができなくなった。
本書の魅力は、8月15日という日本にとって歴史を画することになった日に向かって、次第次第に収斂してゆくドキュメントの迫力だ。プロローグではポツダム宣言傍受(7月27日)から書き起こしているが、本編は8月14日正午から、翌15日正午まで、ほぼ1時間刻みで章立てとしている。公刊された文献はもとより、当時の生存関係者への取材を通して、政府、軍隊、官僚、といった組織の力学、天皇から一兵卒までの気息、それらを包み込んでいた暑く、重苦しい真夏の24時間の空気、というものが、伝わってくる。
半藤氏はその後、多くの戦史もの、歴史ものの好著を陸続と執筆している。ここ数年は、平凡社の『昭和史』『同 戦後編』が広く江湖に迎えられたことで、いわば昭和の最高の語り部となった。だが、主題の重みと濃縮された緊迫感、人物群像の魅力などによって、本書は今なお、著者の代表的著作といってよいだろうし、今後も読み継がれるべき、ノンフィクションの傑作だと思う。
紙の本
日本のいちばん長い日と言われて8月15日がすぐに思い浮かぶような日本でありつづけて欲しいと願いながら
2006/08/13 17:11
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初に刊行されたのが40年以上も前のことであり、『決定版』として単行本が刊行されたのも10年も前のことで、すでに評価の定まっている本に文庫版になったからといって何をか言わんやとも思うが、8月が来るたびに思い出す1冊である。
もちろん私も戦後生まれであるから、この8月15日を実体験として持つわけではない。親からかろうじて聞かされている程度と、この本を原作として作られた映画や毎年のようにテレビで繰り返される後追い体験として、何となく知るだけである。それでも繰り返すたびに、ここが現在の日本の始まりなのであるという気持ちを新たにする。そう、太平洋戦争を初めとする日本が世界各地で行っていた戦争の終わった日はすなわち、現在に連なる日本の始まった日であるということを、この本は教えてくれる。
この本にはかなり多くの実在の人物の昭和20年8月14日午後から翌15日午前の動向が描かれているが、その中でも鈴木首相、阿南陸相、反乱を企てた青年将校らが中心に描かれている。誰もがそれまで日本が経験をしたことがなかった戦争に敗れて終わるという事態をどう受け止め、どう反応し、どう過ぎていったのかが、事実に即して淡々と描かれている。
最初にこの本が刊行された当時に「ノンフィクション」という言葉が知られていたのかどうかわからないが、事実を淡々と描いているという意味で、よく出来たノンフィクションだと思う。最近のノンフィクションの中には、「ノンフィクション」と言いながら著者の主観や想像が多く織り込まれ、まるでドラマでも見るような描き方をしているものもある。そうした描き方にはそれなりの意味もあるのだろうが、やはり「ノンフィクション」と銘打つ以上は事実を的確に描いて欲しいと思う。その点この本は、事実に忠実であろうとする意思がそこかしこに見られる。
戦後20年たった時点で描かれているわけだが、そこにもすでに人間の記憶の曖昧なところがある。その曖昧なところを脚注に提示しながら描いていると言う点からも、著者の事実に忠実であろうとする意思が読み取れる。
しかも、時間の経過そのままに並べて描写することで、8月15日の重要さをより私たちに示してくれている。
戦争を実際に体験しているとか、していないとか、戦前生まれだとか戦後生まれだとかなどという、今更どうにもならない分け方を自分たちでしてしまって、日本が確かにこのような体験をした上で現在があるのだということを次の世代に伝えるのを忘れてしまわないように、8月が来るたびにこの本のことを思い出し、ほんの数ページでいいから読み直すことが大切だと思う。
と、確かにこの本の力強さに圧倒されつつ、一方で「これって、今テレビや映画になったら絶対『24』じゃん」と思う自分もいた。決して不謹慎に考えているつもりではなく、それだけの迫力を感じたのだと、言い訳させてください。
紙の本
臨場感溢れる迫力に満ちた筆致
2010/10/08 22:33
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
臨場感溢れる迫力に満ちた筆致である。事件の20年後にまとめられたものであるが、当時の生々しさが再現されている。この文庫本はさらに30年後に改訂されたものである。この本は、昭和21年8月14日から15日にかけてのポツダム宣言受託、無条件降伏の玉音放送にいたる政府閣僚と陸軍の行動について、当事者、生存者にあたり、その証言を聞き、現代史として書きあげられた。閣議と近衛師団第二連隊の宮城占拠についてが主要な内容である。
後生の者が当時の各当事者の思いと行動をとやかく言えるようなことではない。事実は重い。すくなくとも各自が真剣に考え行動した。いつの世も若い者は純粋で視野が狭く暴走しがちである。今日の日本の現状を見れば、大事に至らずに反乱が終結したのは幸いであった。2・26事件といいこの8・15事件といい、計画の粗雑さと見通しの無さには呆れる点もある。陸軍の軍人教育の欠点のあらわれでもあるような気もする。
紙の本
終戦を迎える8月15日に至る歴史の裏側を描く、半藤一利氏の代表作
2022/12/14 17:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
8月15日の玉音放送に先立つ24時間を詳細に追ったノンフィクション。8月14日、天皇臨席の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定されてから、翌日正午の玉音放送に至るまでの24時間に、徹底抗戦を主張する陸軍若手将校のクーデターとも言える動きが起こりました。敗戦を受け入れることができない一部の将校が蜂起して、8月14日深夜には当時の天皇の御座所が、本来はそこを警備する近衛師団によって一時は占拠される事態にまで至りました(二二六事件を彷彿とさせるこんな事実があったことは、恥ずかしながら本書を読むまで私は知りませんでした)。
8月15日の玉音放送は録音された音声が放送されたのですが(この事実も本書を読むまで私も知りませんでした)、当時は現人神と崇められていた天皇の音声を録音する際の緊張感や、その録音盤をめぐって玉音放送阻止を目指すクーデター派と、それを守ろうとする侍従や宮内庁の職員の駆け引きなど、よくここまで詳細に様々な人の動きが描き切れているものだと思いました。
本書巻末には登場する人物の索引が掲載されています。多くの事象が同時進行で展開するので、読み進めていくうちに「あれ、この人はさっき何をしてたのかな」とふと疑問に思った場合も、すぐに直前の登場場面を探し出すことができてすごく読みやすかったです。
この本の初版は1965年です。当時はまだ本書で描かれている現場を経験した方がご存命で、直接のインタビューも可能であったからこそ、ここまで詳細なノンフィクションが完成したと言えます。関係者が次々と亡くなられていく事を思うと、今の時代では描き切れない貴重な記録であると感じました。
今年亡くなられた半藤一利さんの代表作、期待以上の内容の濃さに圧倒されました。是非、本書をもとに作成された映画も観てみたいと思います。
紙の本
終戦への動き
2022/06/28 23:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:deka - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後生まれで戦争というものは学校の授業で、漫画で読んでしか知らずにここまで来ていた。
作者の訃報でこの本を購入するきっかけで戦争を終わらせるまでの日本の動きを初めて知った。日本の今まで知らなかった部分と接することができてよかったと思う。
紙の本
終わらせる難しさが伝わって来ます
2021/06/20 11:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:三河っ子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
終戦直前の出来事をドキュメンタリータッチで描いた作品です。登場人物の思いがダイレクトに伝わってくる文章表現に引き込まれます。
紙の本
記録し「記憶」することが必要不可欠な<敗戦受容の歴史>
2021/02/27 10:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
御前会議でのポツダム宣言受諾による無条件降伏のご聖断、終戦詔書案を巡る閣議決定の遅延、昭和天皇の録音レコード、所謂“玉音放送”を阻止せんとする叛乱勃発の経緯を、テレビ放送の映画(1967年東宝、岡本喜八監督作品)で初めて知った。
映画では、鈴木貫太郎総理を笠智衆、阿南惟幾陸軍大臣を三船敏郎、米内光政海軍大臣を山村聡、森赳近衛師団長を島田正吾、侍従を小林桂樹、児玉清など、青年将校を高橋悦史、中丸忠雄、井上孝雄、黒沢年男らの錚々たる俳優陣が熱演していた。
大宅壮一原作とされていたので、実は半藤一利の執筆だと知って驚いた。映像化作品の印象が強く、原作本を読んでも、「そうそう、映画の台詞と一緒だ」とか、「ここで高橋悦史扮する井田中佐が黒沢年男扮する畑中少佐の懇請を承諾してしまうんだ」とつい重ねてしまう。
古武士然とした三船敏郎扮する阿南大臣が閣議のあと総理を訪問し、案文検討の紛糾を謝罪し去る。その後ろ姿を見た笠智衆扮する鈴木総理が「阿南君は暇乞いに来てくれたんだね」と呟くシーンも印象深かった。暇乞い即ち、「今生の別れ」だもの…。
案の定、陸軍大臣阿南惟幾は翌八月十五日未明に「一死以て大罪を謝し奉る」の遺書を遺して割腹自決する。帝国陸軍の幕引きを務める職責上、その終焉に殉ずる道しか見出せなかったか。己の死で、徹底抗戦という跳上り者の動きを封じたかったのか。
「肉体的、道徳的勇気をもって、沈みゆく小舟を最後の瞬間までばらばらにならないように最大の努力を傾注する、それだけである。」(138頁)
「人心の向背ほど頼りにならぬものはないとしみじみ思った」(161頁)
「祖国滅亡の狂乱と興奮はやがて消え去り忘れ去られる」(172頁)
迫真の同時進行ドキュメンタリーを支える関係者への取材、証言記録や資料精査の厚みも然ることながら、半藤一利の斯様な筆力、表現の妙に感心させられる。
喜怒哀楽を含む人間行動の記録が「歴史」となり得るのなら、敗戦受容に至る感情の振幅(落胆、憤怒、虚無、反発、自棄、自己欺瞞など)は最も記録に値する。
戦争を始める容易さに比し、戦争を終わらせることが如何に困難で数多の代償を必要とするかを、本書を通じ記録し「記憶」することが私たちには必要不可欠なのだ。―――過ちを繰り返さぬためには。
電子書籍
8月15日
2020/09/27 02:11
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やなぎや - この投稿者のレビュー一覧を見る
終戦記念日が8月15日であることは当然知っていたが、その決定に至るまでにこのような長い「一日」があったことは知らなかった。
紙の本
真実を明らかにする難しさ
2019/08/15 15:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「…堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス…」、昭和20年(1945年)8月15日正午、世にいう「玉音放送」の一節である。
これをもって日本は終戦を迎える。
しかし、実際にはこれに先立つ7月には「ポツダム宣言」が発せられ、日本はすでに死に体であったのだが、徹底抗戦をとなえる陸軍の力の前にそれを受け入れることができないまま、8月6日の広島、続く9日の長崎と原子爆弾による攻撃を受けても国として決断ができなかった。
もし、7月の時点で敗けを認めていれば、何十万という尊い命が犠牲にならなかったはずだから、決められなかった者たちの責任は重い。
それでも8月15日をもって終戦にいたるそのことだけでも、もしかしたらこの国が滅んでいたか戦後のありようが変わっていたかもしれない、敗戦を認めない者たちの動きがあったことも事実だ。
もし彼らのクーデターが成功していたら、この国はどうなっていただろう。
「日本のいちばん長い日」となった昭和20年8月14日正午から翌15日正午までの24時間を、おそらくこの作品が最初に書かれた昭和40年頃にはまだ当時の関係者が生存していたのであろう、多くの証言で描かれていく。
最初の刊行時には「いろいろな事情」から「大宅壮一編」となっていたが、実際の著者半藤一利氏が文藝春秋を退社した際に自身の名義に戻したのが、この作品となっている。
その際には最初の刊行時に書けなかった事実も描かれたようだが、歴史の真実とは10年20年では明らかにならないのかもしれない。
この作品は終戦にいたるノンフィクションであるとともに歴史の真実を描くことの困難さも明らかにしている。
紙の本
24人の終戦の15日に向けた最後の戦いが見事に描かれています
2019/03/09 19:28
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
終戦の日8月15日正午の昭和天皇の玉音放送に至るまでを前日の正午からの1日を1時間毎に24人の主人公をおき、その主人公
と関わる様々の人々がどのような思いで、そこに向かって行ったのかのドキュメタリーを読んだのが4年前の8月でした。
ちょうど役所広司さんや本木雅弘さんらが出演の映画が公開される時期で、書店にうず高く積まれた同映画のカバーが掛けられた本書を手に
取り、一気に読み耽ったことを思い出します。
終戦への決断までの昭和天皇の葛藤や、またそれに向けた残り23人の各々の立場での壮烈な戦いの生々しい様子が主人公や遺書の写真
や地図も掲載され、史実によって語られていく臨場感ある展開には息を飲みました。特に玉音放送のレコード盤を軍から守る非軍人(侍従や
放送局員)の必死で凛とした姿には、感動を覚えたことを今でも思い出されます。
戦争のなかった平成の時代がまもなく終わろうとしている今、改めて本書を読み返したくなりました。
紙の本
純粋すぎる恐ろしさ
2017/10/29 23:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は8月14日正午から翌15日正午までの1日間をめぐる多くの人々の行動を描いたノンフィクションである。主なグループとしては早期終戦を目指す鈴木内閣と決起してでも戦争を継続しようとする畑中少佐らのグループがある。畑中少佐たちの行動については、様々な立場・主義から批判があるだろうが、著者はあえて批判せず、ただただ己の信じるままに行動し、その純粋さゆえに周りが見えなくなった青年将校を、当事者の証言を素に描いている。
紙の本
語り継いでいきましょう
2016/07/08 10:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なみほっと - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画「日本のいちばん長い」を観てから読んでみました。
私の中では“終戦の日”だった歴史的な日。
当時を経験することはできませんが、日本国中枢で行われた、史上最も議論し尽くされた結論が発表された日であり、それに至るまでの若者たちの戦い。
色々な場所で、色々な人が登場して少々混乱しますが、真夏に読みたい本です。
紙の本
壮絶な一日
2015/10/12 22:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちー坊 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは今の世界を生きる者たちは読まなくてはいけない作品でしょう。わずか一日のことなのに普通の人が一生かかっても味わうことができない出来事がこの世界では起きている。