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インターネット的
著者 糸井重里 (著)
「おいしい生活」「不思議、大好き」等のコピーで一世を風靡した糸井重里。今や一日35万アクセスを誇る『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設し、IT・インターネットの世界でもカリスマ的...
インターネット的
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インターネット的 (PHP新書)
商品説明
「おいしい生活」「不思議、大好き」等のコピーで一世を風靡した糸井重里。今や一日35万アクセスを誇る『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設し、IT・インターネットの世界でもカリスマ的存在として注目される著者が、未来の生活コンセプトを打ち出した!それが、「インターネット的」。自身のホームページを超人気サイトに育てる中で見えてきた、これからの仕事と生活。誰も教えてくれなかった「インターネット的」世界の秘密がこの一冊に!
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紙の本
優しい情報革命。それがインターネット。
2003/01/16 02:32
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投稿者:椎名 - この投稿者のレビュー一覧を見る
糸井さんの視点の優しさがこの本からじんわり伝わってくる。インターネットは優しい情報革命。この文章の中できっと共感できる文が必ず見つかると思います。私は「消費のクリエイティブ」の考え方に大変共感を覚えた。何かの価値について述べるとき人は相対的に何かを比べてその価値を高めがち。こっちはあっちに比べてこうだからこっちの方がいい。間違っていないけど、ちょっと引っかかる言葉。他の比べて価値を評価するのが良い方法なのかなといつも思う。人の位置、ものの位置、常に「違う」と知った上でつなげたい。小難しいことは抜かして柔軟な視点で語られる文章にハッとすること受け合いです。
紙の本
「正直は最大の戦略である」
2002/12/03 14:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、とても面白い! 「正直は最大の戦略である」。いい言葉だね〜。
まず、「インターネット」と「インターネット的」は違うということは重要。「インターネット」を使っていなくても、「インターネット的」ということはありうるわけです。
「インターネット的」のポイントは、次の3点。
1 リンク:インターネット的でない場合は、役割や肩書きというところで人とつながるが、インターネット的では、それ以外の要素も含めて、どんどんつながっていく可能性があること。
2 シェア:情報を分け合うことが容易にできる。分け合うことはなぜか楽しいし、情報はたくさん出したところに集まるということ。
3 フラット:肩書きから離れて無名性で情報をやりとりする世界なので、情報のやりとり自体に意味があるということ。
こういう特徴を持つインターネット的な世界は、中央集権の全く逆の発想を持つ世界なわけです。
だから、インターネット的な世界では、独占することが重要なのではなく、情報を出し続けることが大事。それは、未完成なものでも、出していくことによって、受け手の力に手助けされて素晴らしいものが生み出される可能性があるから。情報を出すことが気軽にできて、何度でも試すことができ、それが結果として良いものを生み出す。それがインターネット的な世界。
だから、「正直は最大の戦略」。そして、この「正直は最大の戦略である」というのは、好き好んで善人であろうとする不自然な我慢をしなくていいという「自由」な生き方を肯定してくれる思想だという。
ここまで読んで、私は、インターネット的な世界での振る舞い方とは最も遠いところにいるよな〜、と感じてしまいました。人とつながっていくことは大事にしているつもりですが、自分が持っている情報を出してしまうと、自分は苦労して手に入れたのになあ、という「スケベ根性」が頭のどこかに浮かんでくるし、未完成なものを出すのは恥ずかしいなあと思って出せないうちに、そのアイディアはどんどん腐っていってしまう……。それが、実は私だったなあと思います。
もう一方で糸井さんは、書き手が楽しくイキイキとした生活していれば書いたものは面白いし、イキイキと生活していない人の文章はつまらない、というようなことも言っていて、これだったら、何とかなるかもしれません。逆に、何かを書こうと思っていたら、毎日の生活の仕方も変わってきますよね。これも糸井さんが言っていたことですが。
基本的に、私の身体モードは、インターネット的ではないんです。体に染み込んだ中央集権的な考え方も根深いし。でも、そういうモードでは、何か創造的なこと(糸井さん言うとクリエイティブ=独特の工夫、いままでにない何か、発想しつづけようとすること、そのままにしていられない気持ち)をするのは、非常に難しいんですよね。
一人で閉じこもって何か考えて、人を出し抜こうって思っても、そう簡単にはそういうアイディアは生まれない。それよりも、現実の自分をオープンにして、他者と関わる中で、お互いが考えていなかったようなアイディアに発展していく、そういう可能性って、結構容易に想像できますよね。
そういうわけで、しばらく私は、この書評で自分なりの情報を発信し続けていこうと思います。ここでは、情報だけが勝負ですから、そういう質のものを書いていかないと、誰にも読んでもらえなくなりますよね。そうならないように、がんばろーって思います。
紙の本
面白かった。
2001/08/19 17:11
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投稿者:すちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者は、「IT時代のビジネスモデル」を狙う前に、幸せ観、歴史観、世界観を宣言しないと、ものをつくることもはじまらないという。「IT」だとか「eビジネス」が叫ばれる世の中を冷静に見つめている様子がうかがえる。猫も杓子も「IT」と言っている世の中を、メディアでも著名な筆者が、冷ややかにあざ笑っている様子がうかがえて面白い。
紙の本
<あぁ、ホントに素晴らしきかな、インターネット的>
2001/07/22 16:50
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投稿者:みなとのヨーコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本を読むのがのろい私だというのに、3日持続させるのが限界でした。そのくらいにほっとけない本でございました。読書進行中でも「すごさ」の片鱗は十分感じられましたが、最後まで完読したらもっとすごかったのでございます。
インターネットはツール(道具)でしかない、操るのは、クリエイティブするのはおいらたち人間。そこんところを忘れたり、ごまかしたり、嘘ついたり、作業能力ばっかり磨いてる場合じゃないんですね! 言い替えれば「そんな技術ないからできないや」っていうのは通用しない世界がそう遠くないうちにやってくるのかもしれません。車の運転みたいにそれなりに操作できて当たり前になるから、そんなのはたいした問題じゃなくなる。
じゃぁ何が主役の座につくかというと、「嘘、大袈裟、まぎらわしい」ようなJAROもどきの存在は無視され、どれだけ自分の情熱を正直に伝えられるのか、どんなことに幸せを感じて、どんな世界観を抱いて生きているのか、そんな青臭いけど、実はこれがないと手も足も出ない世界がくる! これは何もコンピュータの世界のことだけでなく、あらゆる場面でそうなっちゃいそうな可能性が大です。そう、まさに「自分で立候補」しないといけないような世界。それをしないと、今流行の「心の豊かさ」という形ないモノは永遠に手に入らないかもしれないな、と思いました。
ほとほと儲け下手な商人な私には目から鱗の本でもあります。自分に今何が足りないのか、何が出来そうかの判断をもらいました。
一番印象的だったのは「お客様は神様じゃない」という部分、どんなハウツー本にも書いてないんだけど実は一番ホントのことがしっかり書かれているので、反省したり笑ったりと大忙しでした。
商人にこだわることなく、この本は読者それぞれの立場で、ハッとする箇所がこれでもか、これでもか、とあります。読者が人間である以上、そのどこかできっとハッとするはず。これはほぼ間違いないことだと思います。
どこにもハッとしない人はもしかして人間じゃないかもですよ…。
傍観者にだけなってては侘し過ぎやしませんか。誰もが正直に、ひたむきに、こだわりは持つけどしがみつかずに、その場面、場面において送り手と受け手の両者の気分を味わうこと、こんなことできたらいいと思いませんか? 私もそのために何が出来るかをクリエイティブしたいと思います。
紙の本
「ほぼ日」主宰者が語る、「インターネット」じゃなくて「インターネット『的』」な世界についての本。
2004/06/05 15:59
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投稿者:noriaky - この投稿者のレビュー一覧を見る
言葉を職業にしている人らしく、「インターネット」と「インターネット的」を区別して論じ、一冊の本にしちゃっているところはさすが。
この本を読んで印象に残ったことをいくつか。
1.「プライオリティの決め方」
目的に対して、優先順位を決めていくというのは「工業社会」的発想、生産を主体としていた(また、とりあえず作っちゃえばモノが売れてそれでハッピーだった)時代の考え方。インターネット的時代においては提案が満ち溢れている。そんな時代においてのプライオリティ決定の方針は「やりたければやる」「えらびたいものがあれば、もっといいものを待つより、すぐにやる」「まともに間違う」こと。何度でも試行錯誤ができてしまうのがインターネット的社会。そして実際にプライオリティを決定していく過程では、実は自分の生き方が問われている。自分が一番ほしいものは何なのか? 自分が一番の守るべき人は誰か? そんな自分の根源的な価値体系を問われる社会だといえる。
2.「多様化に困った」は売り手の論理
好みの多様化により、大量生産しても売れ残りが出てしまう。それで作り手は多様化は困ったという。しかし、重要なのは書いての側では、多様化は困ってなんかいないということ。それぞれの好みが分化していくのは、実は消費が豊かになっていることを意味するのではないか?
3.アイデアこそが価値の中心
資源のない日本にとっては、クリエイティビティしか生き残る道はない。資源的にビンボーだからこそ頭を使うしかないのだ。
インターネットを技術的な側面からだけではなく、それによって変化するさまざまな社会的な事柄や個人の意識について考えてみたい人にはオススメの一冊ですね。
紙の本
誰もが「正直」でいられるために
2002/12/28 23:49
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投稿者:深爪 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「IT不況」ともいわれ、インターネットによって劇的な経済効果があったとはとてもいえない現状なんですが、それはそれとして、本書は「インターネット的」というタイトルからしても、著者の単なるインターネット論でない、一歩踏み込んだ深みのある考証を期待できるというものです。
インターネットによって、社会の仕組みがどのように変わっていくのでしょう? 私は著者の期待するところは、自然淘汰を生み出すための秩序、というかまあその辺りにあるのではと感じました。
著者は一例として、メディアの取材方法の強引さについて控えめに言及しています。日本経済の発展はこんな「有能な」人々の「並外れた」努力によって支えられてきたのでしょうが、それはそもそも適正規模を大きく逸脱した過剰さによって成り立たざるをえないものだったのかもしれません。
「消費者」という人などいないとする著者は、市場の虚飾性を実感していたのでしょう。競争が原則の資本主義経済ですから、他人と同じことをしているわけにはいかないんですが、その競争自体がフェアなものでなくてはならない。フェアな競争により市場は信用性を高め、適正規模の経済社会が形成されるのでしょう。何が適正なのかと言えば、誰もが「正直」でいられる状態っていうことなのでしょう。
インターネットを利用してインターネット的な考え方をすれば、そんな社会構造も実現できるというわけです。そのためには皆が常にコミットしていかなければならない。
ツールとしては簡便なものが猛スピードで普及してきました。でもインターネット的な意識自体が浸透するのはまだまだ先のことでしょう。
私もこうして小さな発信のようなものをしながら、後年本書がエポックなものとされることを願っております。
紙の本
イトイシゲサト的
2002/06/24 00:02
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投稿者:すまいる - この投稿者のレビュー一覧を見る
何かちがう気がするなあと思うときには、その作家の人生観や世界観に、観ているあなたの考えがフィットしなかったわけです。しかし、ちがうなあとは思いながらも、作家が本気で問いかけた時には「おれはそうは思わないけれど、その幸せもあるだろうなあ」と、何となく納得できたりします。(本文より)
僕は糸井重里さんの運営のホームページ『ほぼ日刊イトイ新聞』が大好きで、それこそほぼ毎日読ませてもらっているし、糸井脚本のTVゲーム「MOTHER」なども大好きだったりするし、糸井さんと同じように魚釣りがすきだったりもする。かといって「あなたは糸井重里氏のファンなのですか?」と問われたら「よく分からない」と答えるしかない。
『インターネット式』と題された本書についても同じである。彼の発言は、僕にとってとても興味深いものであることには間違いはないのだが、完全に納得しているわけでもない。
はっきりしない。
そこで僕は気がついた。僕にとって糸井さんとは「常につるんでいたわけではなく、むしろ殆ど会話すらしたことが無かったのだが、心の中では評価し合い認め合っていた高校のクラスメート」のようなものなのではないかと。当然糸井さんは僕の存在すら知らないわけだから、その喩えは矛盾しているのだが、そういった気持ちを読者に感じさせる彼の文章が、本気の文章であることは間違いないだろう。
紙の本
インターネットと「インターネット的」とは違う
2002/04/03 23:30
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
インターネットと「インターネット的」は違う。それは、自動車や道路のセットとモータリゼーション(自動車が社会的に浸透して変化したことのすべて)の違いみたいなものだ。役割や肩書きのジョイントではなく「思い」を含めた情報のリンク、市場占有率ではなくて「おすそわけ」という意味でのシェア、価値のヒエラルキーからフラットへ。これら三つのキーワードを見るかぎり、インターネット的であるためにはパソコンはいらない。
パソコンやインターネットは道具でしかない、大切なのはそれを使って何をやるか、どう楽しむかだ。ここまでなら誰でも言える。そこから先のことをまるごと語った本は、たぶんこれが初めてではないか。
『ほぼ日刊イトイ新聞』を出し続けているのは、クリエイティブの水子供養のようなことなのかもしれない、と著者は書いている。
《インターネットができたことで、「誰でも思ったことを垂れ流せる」という意見は否定的にせよ肯定的にせよ、よく語られてきました。しかし、もっと重要なのは、垂れ流せるとわかったおかげで「思ったり考えたりすることの虚しさがなくなった」ということだと思います。画面の向こう側とこちら側に「人間がいて、つながっている」という実感が、クリエイティブを生み出すこと、送ること、受け取ることの楽しさを思い起こさせてくれたことが、革命的なのだと思っています。》(159-160頁)
本書に対して、楽天的すぎる、インターネットの陰の部分が扱われていない、などと批判しても無意味だ。インターネットと「インターネット的」とは違う、と著者は最初に断っている。
本書でもっとも面白かったのは、インターネット的という切り口から見ると、「人間まるごと」が、勝ち負けや強弱といった二項対立的な思考を強いる「脳」に反乱しているように見える、新しい時代には答えの見えないことがもっと価値を持つようになるのではないか、つまりもっと「魂」に関わることに人間の意識が向かっていくのではないか(93-94頁)、という著者の「予言」だ。
人間の社会は、食を中心とした農業社会(内胚葉→消化器・内臓系)に始まり、工業化社会(中杯葉→筋肉系)を経て情報化社会(外胚葉→神経系)に移行してきたのだが、さてそのあとにはどんな社会がくるのか。著者は、それは「魂(スピリット)の社会」なのではないかと言う。
《「食物を持つ・生きられる満足」を得ようとする農業社会の時代が、「ものを持つ・力を持つ満足」の工業化社会に移行し、「ことを持つ・知恵を持つ満足」の情報化社会がきたのですから、次は、持つことから自由になって「魂を満足させることを求める」社会がくるのではないかと考えても、そんなに不思議はないとも思うのですが。》(112頁)
紙の本
水平的人間関係はどれくらい世界を変えられるだろうか。
2002/02/01 15:57
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投稿者:カクタス - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は2つのことに言及している。パソコンを所持することで個人の情報量や世界が広がったという『功』の側面と、実は何も変わっちゃいないという側面だ(罪の側面には特に触れてはいないし、そういう本は他にいくらでもある)。この本を読んでなんか物足りないと未消化の部分が残った理由は、著者がこの本を通して本当は伝えたかったであろう<何も変わっちゃいない>という部分をもっと網羅的に知りたくなったからでもある。インターネット的世界とは「リンク、フラット、シェア」という<ヒトとヒトが水平関係という名の裸のつながりによって与えたり与えられたりする気のおけない関係>を意味するとするなら、それはコンピュータやインターネットというハードや新しい手段の出現とは別段関係はなくて、今までの社会のあり方(必ずしも悪いばかりじゃないが時に硬直しがちな垂直的人間関係)への平易でソフトな語り口による痛烈なアンチテーゼというべきだろう。だから、インターネット的というタイトルは、実は手紙的でも電話的でもファックス的でも携帯的でもいいとさえいえるような気がする。むしろ人間的というほうが著者の本意ではなかっただろうか。少なくともこの本に関しては、読者としてはそういう読み方をすべきだと思った。著者対読者という図式さえ本当は反インターネット的な見方かもしれないが。
紙の本
インターネットの本当のあり方
2001/08/29 04:11
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投稿者:トリフィド - この投稿者のレビュー一覧を見る
糸井氏がこの本で述べていること、「リンク、フラット、シェア」という言葉で表されていることは、インターネットの根幹に近い技術者や研究者のコミュニティ、計算機なコミュニティでは、昔からよく知られ、そして当たり前のように実践されてきたことである。RFCのあり方に代表されるインターネット文化というやつだ。
さらにそれはもともとインターネットの上で発生したものではない。その前提の上にインターネットは構築されていると言って過言ではないほど計算機界では本来的なものだ。UNIXの開発と受容の過程にもそのフィロソフィーが見えるだろう(オープンソースもそのあらわれのひとつだ)。
いや、だからといって「いまさら」とか嗤うつもりはない。むしろ、インターネットを金かせぎの道具としか見ていないようなビジネス方面と近しい糸井氏がこのようなフィロソフィーを持っていることをとても嬉しくまた心強く感じた。
それと同時に、だれもいままでそれを糸井氏(や他の人)に教えてやらなかったのか? とか、糸井氏のまわりにはインターネット文化で生まれ育った人間はいないのか? とか、インターネット文化の人間はもっと啓蒙に勤めなければいけなかったのではないか、とかいろいろなことを考えさせられた本である。
インターネットにビジネスを持ち込まんとする動きに嫌悪を感じつつも、「どうせやつらにはわからんよ」と諦めていた古株のインターネット者はこの本を読んでどう思うだろうか。
インターネットを本来の姿に戻すために、糸井氏の言うようなインターネットとのつき合い方をする人間ががますますふえることを願わずにはいられない。
「ほぼ日」がんばれ!!
紙の本
現在使っていない人が使ったときのインターネット的世界を考えるのが大事
2001/09/21 00:39
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投稿者:やんちゃ青 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『もっと間抜けで、もっと豊かで、もっと自由なものが、世の中にはまだまだ潜んでいるはずです。〜中略〜まだインターネットは“学習意欲”がある人達のもので、まだまだ「バカが足りない」と思いました』には自分も賛成です。みんなまじめ過ぎるか、もしくは何も考えていない(“みんな右に習え”の世界)かの両極端な世界しかインターネット上には存在しないように思えます。
今後インターネットを使ってどのように世界が発展するのか、もしくはずっと変わらないのかわかりません。が、糸井さんが言うように今は使える人しか使えない限られた世界であり、それ以外の人々が圧倒的に多くて、それらの人々がインターネットとどのように接触・利用するのか、逆に今はそれ(現在使っていない人が使ったときのインターネット的世界)を考えるのが大事というように聞こえます。「便利」、「別の世界が開ける」、それは使う人にとっては、本当に重宝なものなんですが、なくても何一つ不自由しないというのも事実だと思います。そういった「インターネット的」文化の行く道は、単なる道具に終わってしまうような。
ただ一つだけ言えるのは「発言できること」です。これを誰が見るか見ないかはさておいて、限られた多くの人々への訴えかけはできます。やはり情報を手に入れたい! と思っている方には発信することが一番です。供給するところに、集まってきます。その原則を活かす一手段が身近にでき、お知り合いになれる母数が幾何学的に増え、それを元に新たなワールドワイドな文化が築ける…というのが、インターネット的なんだろうと解釈しています。
ほぼ日刊イトイ新聞は「発信する」をベースに運営されているサイトですが、その元となった考え方などを垣間見ることができる「インターネット的」な一冊です。