ケータイ小説の紹介・分析と位置づけ
2008/06/25 20:00
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
石原千秋さんは、テクスト論(小説の内在的な分析技法)を駆使する漱石の研究者であると同時に、受験国語や国語教科書についての本をたくさんかいてきた人だ。その石原さんが、新聞の文芸時評担当をきっかけに「ケータイ小説」についての取材を受け、その体験から構想・執筆されたのが本書だということだ。世間では「ケータイ小説」のセールスが喧伝されると同時に、それに批判的な意見も多くみられるようで、本書の『ケータイ小説は文学か』というタイトルは、本文につけられた秀逸な小見出しとともに、読者の興味の中心を外さずに、ていねいにその答えを提示していくための導きの糸となっている。
本書は、サンドイッチ型の構成を取っており、大まかにいって2つの味わいを楽しめる。1つは、冒頭(1)と結末(6)、つまりはパンの部分で展開される、現代文学のなかに「ケータイ小説」がどのように位置づけられるのかを、文芸批評風に論じたパートである。これは、もう1つはその中間部、いわば具の部分で展開される、具体的に「ケータイ小説」をとりあげて分析していくパートである。ここで中心的にとりあげられるのは、Yoshi『Deep Love』、Chaco『天使がくれたもの』、美嘉『恋空』、メイ『赤い糸』の4作で、それぞれそのストーリー要約の提示と合わせて、「ケータイ小説」に特徴的な共通する要素があげられ、小説としての仕掛け・方法が分析されていく。その際、セカチューや『ノルウェイの森』とも比較され、石原さんの「小説研究者」としての技量がいかんなくはっきされている。それぞれのパートが、お互いを補うような関係として、つまりは「ケータイ小説」の内側と外側からみた「ケータイ小説」とが論じられることで、立体的な輪郭が浮き上がってくるというのが、本書の工夫だ。
あまりにたくさんの本を書いている人だから仕方ないのだろうけれど、『謎解き 村上春樹』の引用・参照が目立つきらいがあるが、上記の2つの面から「ケータイ小説」をひとつかみに提示して見せた本書は、「ケータイ小説」が現役であり続けようと、はたまた過去の出来事として急速に衰退することになろうとも、今後もこのテーマについて考える際の重要な道標であることは間違いない。
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「誤配」「ホモソーシャル」「二項対立」などなど。石原先生お馴染みの用語で、ケータイ小説を構造分析していく。
ケータイ小説を「ポストモダン小説」と位置づける理由は、「性的な言説が真実の言説である」近代社会の前提を、「性的な言説」を過剰にもちいることで乗り越えようとしている(かに見える)点にある。
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目次
1 ケータイ小説と文学
2 ケータイ小説とリアリティー
3 「新しい国語教科書」のモラル?
4 何が少女をそうさせたのか
5 男たちの中の少女
6 ポスト=ポスト・モダンとしてのケータイ小説
興味があった2のみ立ち読み。
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本の題名的にケータイ小説が文学
かどうかは検証していく本だと思った
が、文学かどうか、著者の考えは
序盤で書かれてしまう。
その後は、「恋空」、「赤い糸」
などの有名なケータイ小説を例に
挙げながら、そのパターンを紐解い
ている。
なんか最終的にセックスの議論に
なっている気がした。
まぁ自分からこんな本を読んでなんだ
けど、ケータイ小説が文学かどうか
なんてどーでもいいじゃん!楽しければ
いいじゃん!とか読んでいる途中身も蓋
もないことを思ってしまった。
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いろんなケータイ小説本が出ましたが、やっと大人が読んで納得できる本が現れました。
テクストとして、つまり文学作品として、ケータイ小説を読むと、こうなる、ということです。
今後、ケータイ小説について語る際には、この本を読んでいることが大前提となります。
もう、不毛な議論は、今後はないでしょう
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リアリティーのないリアルで埋め尽くされた、ケータイ小説の世界。
真実の記号化という表現にポスト=ポストモダン的現象を読み解く著者。
テキスト論者ならではの分析だが、詭弁のきらいもある。
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課題やる時に読んだ本。
ホモソーシャル性に言及してるところはおぉーって思った。
ケータイ小説論はなんかこれでまとまった感じがする。
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携帯で読む新しいタイプの小説として生まれた、ケータイ小説。ケータイ小説について、様々な分析がなされた本。『Deep Love』Yoshiや、『恋空』美嘉、『天使がくれたもの』Chaco、『赤い糸』メイなど、ブームを作った小説の内容の要約や解説がされているので、ケータイ小説がヒットするまでの流れが分かる本とも言えそうです。(2009.5.31)
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職場の特性上、これはなかなか参考になる。
リアルとリアリティーの問題は興味深い。
筆者が「冬ソナ」ファンとは意外だった。
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「ケータイ小説は文学か」
いまや大人気のケータイ小説。私は慣れましたが、まわりでは横書きはちょっと・・・内容がちょっと・・・という意見炸裂。
なので、ちょっと他の人はどう考えているのかな?と手に取りました。
私自身は、ケータイ小説は「新しい小説の一つの形」だと思います♪
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[ 内容 ]
ケータイ小説を大胆にも文学として認め、その構造を徹底分析。
小説の「読み」「書き」に起こる異変を解きあかしポスト=ポスト・モダンという新しい境地を見出す刺激的アプローチ。
[ 目次 ]
1 ケータイ小説と文学
2 ケータイ小説とリアリティー
3 「新しい国語教科書」のモラル?
4 何が少女をそうさせたのか
5 男たちの中の少女
6 ポスト=ポスト・モダンとしてのケータイ小説
[ POP ]
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[ 参考となる書評 ]
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感想。
ケータイ小説を文学とは、あんまり認めたくない。磨かれていない、良くも悪くも『少女的』文章と、悲劇のバーゲンセール的なストーリー展開は個人的に大嫌い。でも、そう言うものを一度忘れたうえでケータイ小説について考えてみると、この本と同じ考えに行きつくと思う。
ホモソーシャルについてのくだりが面白かった。
つまりオタク向け作品と一緒で、ごく限られたくくりの人が、同じくくりにいる人に向けて書いたもので、そのくくりに属さない人のことははなから無視されている。私を含め、ケータイ小説を面白くないと思う人は、無視されたくくりの中にいるから、ケータイ小説の作者や読者には関係がない。閉じた内輪の世界。そう言うことだと思う。
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意地が悪そうな作者だと思った。そんなに人を貶したいのかと。
正直主題がよく分からなかった。個人のブログレベル。文章が下手。
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ケータイ小説についての評論を読んでみたその2。
こちらは、恋愛構造というか、社会の構造からケータイ小説を読み解いている。
ホモソーシャルな考え方というのが、おそらく「大きな物語」なんだろう。
それを打破しないと、「新しい物語」にはなり得ないんじゃないかと思う。
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テクスト論の大御所、漱石研究なんかで有名な石原千秋の新書。日文の基礎演習で読む『大学生の論文執筆法』(ちくま新書)の著者と紹介した方が分かりやすいという人もいるかもしれん。
さてさて、非常に刺激的なタイトル。もはや完全に一時期の勢いはなくしたものの、なんだかんだで息の続いているケータイ小説。プロの手によるラノベですら文学の範疇に入るのかと議論されている昨今、素人の手によって支えられてきたケータイ小説が、文学研究者の中でどのように評価されているのか。
面白かった。
まずタイトルを見て思ったのは、「おいおい、そんなこと言っちゃったら文学の定義から入らなきゃなんないよ? そんなの、こんな薄い新書で書けるのかい、石原さん」ということだったのだが、それは冒頭で即座に否定された。「文学を定義することなど出来るわけがない」。その上で、文字で表現され出版されて読まれている以上ケータイ小説も文学であると言い切っている。さすが石原千秋らしいはっきりとした物言いだ。
ケータイ小説を文学として認めた上で、テクスト論の手法で構造を分析していく。この本の本編である。
結論から言うと、ケータイ小説は、普遍的な、古典的な小説の構造を持っているという。その中でのケータイ小説独自の特異さは、作者と物語がリンク、あるいは関連してループ性を持つこと。それを可能にしている、リアル(リアリティーではない)を描くという大前提にある。
とまぁ、そんな感じの。ちょっと最後の方は結論を急ぎすぎた感があるけど、読み応えありました。
しかしJK妊娠しすぎワロタwww