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  • カテゴリ:一般
  • 販売開始日: 2010/07/02
  • 出版社: 筑摩書房
  • レーベル: ちくま新書
  • ISBN:978-4-480-05685-6

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日本人はなぜ無宗教なのか

著者 阿満利麿 (著)

いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定して、なんら怪しむことがない。しかし、本当に無宗教なのだろうか? 日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。それなのになぜ「無宗...

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日本人はなぜ無宗教なのか

税込 715 6pt

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日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

税込 946 8pt

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商品説明

いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定して、なんら怪しむことがない。しかし、本当に無宗教なのだろうか? 日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか? 「……私は、宗教とは、人間がその有限性に目覚めたときに活動を開始する、人間にとって最も基本的な営みだと理解している……」。著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。そして、現代の日本人に改めて宗教の意味を問いかける。

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みんなのレビュー55件

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評価内訳

紙の本

比較的恵まれた現世を生きているからかもしれないが

2010/08/31 19:17

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 読んでいて大変感銘を受けた。1996年に発行され、既に24刷発行となっていることも納得がいく。

 本書を読んで、自分がいかに宗教という言葉に無自覚であったか思い知らされた。僕自身も「日本人は無宗教であり、それが良い点である」と言ってきたが、そもそも その「宗教」という言葉の定義をしてこなかったことに気がつかされたわけだ。著者の言うとおり、正月には神社にお参りに行き、墓参りも行う自分自身とは、十分に「宗教的」なわけである。

 但し、だからといって、いわゆる教義宗教(著者の言葉では「創唱宗教」)への、警戒感が無くなったわけでもない。特に一神教を巡って死んだ人の数は歴史的には膨大である。相手や自分を殺しかねない教義というものにはどうしても賛同出来ないからだ。現世ではなく あの世にユートピアを見出す発想自体にも抵抗感があるが、これは僕自身が比較的恵まれた現世を送る事が出来ているからかもしれない。

 宗教は人間にとって死活的に大事だった時期がある。昔は、物事を理解するための「物語」としての宗教もあったはずだ。翻って今の世界を見渡すと、やはり教義宗教が死活的に大事な国もあることも確かだ。その中で 教義宗教に不感症(若しくは極端に敏感とも言えるか?)である僕ら日本人のあり方というものはあるのだろう。それを考えるヒントになった点で大いに本書には感謝している次第だ。

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紙の本

「無宗教」の近代史

2010/02/03 22:11

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

日本人が無宗教だという俗説には疑問があった。無宗教とはいうが、そんなのは少なくとも国家神道解体以降のことでしかないし、それでも無宗教というのは妥当か、というような疑問だったのだけれど、ちょうどその事を論じた本があったので読んでみると、自分の疑問をかなり具体的に整理することができ、非常に面白かった。

まず著者は、日本人の自称する「無宗教」というのが、教祖、教義、教団を持つ「創唱宗教」ではないということであって、宗教心自体を否定してはいないことを指摘する。ある調査では、回答者の内の七割が無宗教だと答えているにもかかわらず、また七割の人間が宗教心が大切だと回答している。これは「無神論」とは明らかに異なる。

「宗教心」が大切だ、というのは宗教心を持っている、ということと同じとは言いにくいが、「無宗教」が宗教の全的な拒絶ではないことは推測できる。

著者は「創唱宗教」に対するカテゴリとして「自然宗教」を提示する。これはたとえば村上重良が、民族などの共同体のなかで生まれた信仰と、特定の創始者を持つ宗教とを分けて、前者を民族宗教、自然宗教、後者を創唱宗教と呼んだのを踏まえたものだろう。

年明けには初詣に出かけ、盆には里帰りし、神社に神頼みに行き、建物を建てるときには地鎮祭、とこれだけ宗教的でありながらなおも自らを無宗教だと明言してはばからないのは、日本人にとっては「無宗教」は「創唱宗教」の信者ではないという意味で、「自然宗教」の信者だという可能性を排除しないからだという。「自然宗教」は特別な教義こそ持たないが、様々な年中行事という強力な教化手段で、人々の生活にアクセントと平安を与えている宗教なのだ、と著者は述べている。

もう一つ、著者は無宗教を人々が標榜する理由を、宗教という日常とは異なる論理への恐れから来るのではないかと論じている。宗教とはこの世の不条理や悲しみ、苦悩を認識し、その解決を試みる営みだ。そのために教理や理論体系があるのだけれど、日常を平穏に生きている人にとっては、宗教というのはその日常と異なる論理でもって日常を脅かす存在に見えるのではないか、と。人生への疑いを忌避し、楽観的に人生を生きたいというという人には、自然宗教たる年中行事や死後の平安を保障する葬式仏教がある以上、改めて宗教を信ずる理由がないと指摘している。

さて、著者はこの分析を土台にして、日本の宗教思想史を概観しながら、日本人が「無宗教」を標榜するに至る経緯、理由を論じていく。本書で示されている論点は多岐に渡っているけれど、特に興味深いものとして国家神道非宗教論がある。

明治時代、キリスト教を布教する目的もあって諸外国から「信教の自由」を導入することを迫られていた日本が、外面的には「信教の自由」を標榜しつつも、天皇を絶対とする国家神道を強制するために生み出した二つの詭弁だ。

ひとつは天皇を絶対化する神道(当時、天皇自体民衆から忘れられていた存在だったとはよく言われる。つまり、この時点で天皇崇拝を伝統的習慣であるかのように言うのは不可能だった)という推進する側が宗教だと認識していたものを、表向き宗教ではないかのように偽装する、というもの。

もうひとつは、内面は自由だが、外形は法的拘束に縛られる、という「外顕」と「内想」という二分法を援用して、内面の自由は侵害されないのだから外形をどうしようが信教の自由には抵触しない、というものだ。

この二つの論理を用いることにより、国家神道が国民に強制されていても、日本には「信教の自由」があるのだと標榜することができた。この皇祖神アマテラスを中心とした国家神道への再編成の過程で、日本人の信仰のあり方は非常に深刻な打撃を被っていく。「神仏判然令」(廃仏毀釈)、「神社合祀令」といった政策は、この再編の過程で生まれ、結果として「神社から仏教色が一掃され」、「地方によっては仏教寺院の全面的破壊、僧侶の強制的還俗にまで進んだ」。

このため、神仏習合の世界観のなかで、仏という中心理念とその実体的延長としての神々、という関係が破壊されることになった。この過程のなかで、日本人の宗教観はきわめて貧困な痩せたものになってしまった、と著者は嘆く。

現在の「無宗教」の直接の起源はこの戦前期の国家神道政策が戦後破綻したことによって生まれたものだと思われる。「宗教心」を極度に政治化したツケといえばいいのか。

話はそれるけれど、この宗教の政治利用と同じことは現代の国旗国歌法においてもまた行われている。「外顕」と「内想」というのは国旗国歌の強制において用いられている論法そのままだからだ。教員に対する職務命令を正当化する人々はよくこの論理を口にするのだけれど、これが国家神道の強制に用いられた論理だったことを考え合わせるとなかなか歴史の皮肉を感じさせる。同時に、国旗国歌強制により、外面のみで計られる愛国心の強要が、どれだけ内面の愛国心を破壊するかを愛国者は考えるべきではないかと思う。それを無視するならば、愛国心を、ただお上の命令を絶対化するための方便に自ら貶めることになるだろう。その後には「無宗教」が来たように「愛国心」もまた形骸化する結果をもたらすことになるのではないか。


身近な疑問から出発し、歴史的経緯をたどりつつさまざまな学問的蓄積を縦横に駆使して興味深い知見がちりばめてあり、いわば新書としての模範的な内容と構成で非常に秀逸な出来だと思う。著者自身は浄土真宗の信者で、宗教についての確たる信念を持って書いているのがよくわかるのも良い。

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紙の本

「創唱宗教」と「自然宗教」の補完関係

2011/03/19 09:32

6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Genpyon - この投稿者のレビュー一覧を見る

日本人はなぜ無宗教なのか。

著者は、日本人は「自然宗教」としては宗教心豊かであるのだが、「創唱宗教」への忌避心から自身を無宗教と規定するのだという。超自然的なものへの畏敬の念はあっても、特定の神仏への信仰は忌避されている、といった感じだろうか。

例えばクリスマスという行事がキリスト教に吸収されていったように、通常、各民族が持っていた超自然的なものへの畏敬の念は、伝来した「創唱宗教」が吸収していき、「創唱宗教」のほうが、その民族の宗教として発展していく。

ところが、日本の場合、仏教という「創唱宗教」が伝来したにも関わらず、伝来した仏教のほうが「自然宗教」を補うための「葬式仏教」として取り込まれてしまった、仏教は日常主義に妥協してしまった、と、著者は論じる。

妥協という言葉が示すとおり、「創唱宗教」が「自然宗教」を補っている状態こそが宗教的に豊かな状態、と著者は考えているようなのだが、おそらく、これは宗教者の信念のようなものだろう。本著では「創唱宗教」が浄土真宗に偏っていることもあって、形を変えた布教では?との印象を所々で感じるのが残念だ。

本著では、明治以後の国家神道の政治的導入というレベルでも日本人と無宗教についての論述が行われており、柳田国男をはじめとする多くの興味深い引用もあいまって、文量以上に読み応えがある。

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紙の本

宗教アレルギーを取り除く

2001/05/07 19:53

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:矢玉四郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 政教分離の呪文におかされて、日本人は宗教という言葉さえも口にすることをためらう。およそ人間が生きている限り、広い意味での宗教と無関係ではありえない。
 日本の戦後の思想は宗教をことさら無視してきた欠陥思想だ。これを冷静に検証するために、まず語句の整理をしなければならない。この本では、「自然宗教」と「創唱宗教」の二つに分けてのべている。宗教を考えるときの混乱を未然に防いでくれる。
 わかりやすく書かれているので、お薦めだ。

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2004/10/19 15:55

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2005/02/22 12:47

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2005/08/22 11:48

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2007/01/13 12:48

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2007/02/12 11:31

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2007/03/20 20:40

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2007/10/18 02:47

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2008/06/03 12:40

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2008/06/19 00:25

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2008/09/25 17:57

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2008/12/17 05:50

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