紙の本
大正から昭和にかけて活躍された鋭い自己批判で、反骨の詩人と呼ばれた金子光春氏の自伝です!
2020/08/05 10:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、大正から昭和にかけて活躍され、『落下傘』、『こがね蟲』、『鮫』、『蛾』、『IL』、『女たちへのエレジー』 、『若葉のうた』などの詩集を著された金子光春氏の自伝です。同氏は、一般的に鋭い自己と現実批判、抵抗、反骨の詩人として知られた人物です。同書では、その金子氏が深い傷心を抱きつつ、夫人三千代氏と日本を脱出し、ヨーロッパをあてどなく流浪し、虚飾と偽善、窮乏と愛欲に明けくれるはなやかな人界の底にいつ果てるともなく続く日々が綴られています。同書の構成は、「瘴癘蛮雨」、「四人の留学生」、「冬の森」、「泥手・泥足」、「処女の夢」、「22番・ダゲールまで」、「うしろに眼のない譚」、「あぶれ者ふたり」、「伯爵夫人モニチ」、「枯葉」、「ふたつのふるさと」、「リオンの宿」、「ねむれ巴里」、「巴里人といういなか者」、「巴里・春秋」、「硝子のステッキ」となっており、金子氏の人生が綴られます。
投稿元:
レビューを見る
金子光晴の本からは、低空飛行でも飛び続けなければという強いメッセージを感じる。
本当にモンスターのような人だ。
投稿元:
レビューを見る
このタイトルをみて、素敵な巴里の街で繰り広げられるお話を想像したら大間違い。
金子光晴の『どくろ杯』に続く自伝。
『どくろ杯』でアジアを回り、
『ねむれ巴里』では主に巴里に滞在する。
日本人にとってフランスという国は、
瀟洒で素敵な場所だし、ロマンチックなイメージだ。
でもそんなものはフランス人同士だから起こりえる素敵な物語の中だけの話で、
当時金子のような日本人が巴里で暮らしても、
そういう一連のイメージとは全く相容れない
暗く淫らでどうしようもない場所での、
逃げ場のない世界でしかなかった。
金子光晴にとって、
巴里での滞在は全ヨーロッパで費やした時間のほぼ半分に相当するそうだ。
解説の受け売りだが、
『ねむれ巴里』ではほぼ巴里の内容で、
ブリュッセルの話は極わずかだ。
綺麗で常識のある街ではなく、
汚くてどうしようもなくて、
自分が最底辺に位置しなくてはならない
その場所が、つまり巴里が金子にとっては生きている街だったのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
1930年代における巴里の風俗、彼の地における有象無象の日本人、そして男娼以外は何でもやったという筆者自身の極貧の暮らし、同行した三千代夫人との愛と葛藤を記した自伝である。こうした記憶を長く心の中に留め置いて、40年後になって初めて赤裸々に認めたことで、上等のワインにも似た熟成感が醸成されている。同時代に書いてしまえば、こういう内容にはならなかっただろう。筆者である金子光晴が重ねた人生の年輪が、はるか昔の巴里の描写をより味わい深いものにしている。いかにも詩人らしく、言葉の選び方、使い方も独特だ。本を読んでいて「文章」の巧さに感心する経験は滅多にあるものではないが、金子光晴にはやられた。「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」の三部作は正しく名作である。次に「西ひがし」を読むわけだが、これでおしまいっていうのが何だか淋しいね。
投稿元:
レビューを見る
「どくろ杯」に続く、金子光晴の妻・三千代を伴っての放浪記の第二弾。「どくろ杯」に引き続き、すさまじい内容の放浪記だ。と書いて少し思い直したのは、この作品の間中、作者と三千代は、だいたいパリにとどまっているわけであり、別に「放浪」している訳ではない。もちろん、日本を離れて、中国・東南アジア、そしてパリという具合に居所を移しているのだから、大きな意味では「放浪」なのだけれども、でも、この作品自体は決して「放浪記」ではない。パリでの貧乏暮らし記、あるいは、悪戦苦闘記、とでも呼んだ方が適当かもしれない。
投稿元:
レビューを見る
どくろ杯の続編。すいすい読める本ではないが、思わず時間がかかった。
夫人の森三千代を先に巴里に送り、金策の後、自身も巴里へ。夫人の住まいの扉をノックするとき、男がいるかもしれないと考える。「入って大丈夫なの?」読んでいて、気持ちが荒ぶ。何故、二人でいるんだろう。
「ラ・ボエーム」のことも出てきた。あのオペラの貧乏芸術家達の生活は貧しくとも美しいものだが、この二人には将来も目的もなく、相変わらずのその日暮らし。
心情を吐露する段では、息の長いセンテンスが続く。何ともリズムの良い文章。著者の詩作に通じるよう。巴里や自分自身をボロクソに貶している。
手榴弾を片手に死んでいった中国人の女兵士の姿にゾクゾクしているという記述。何があったか、今ひとつ判りづらいが、そう云えばこの人は、やがて軍国に傾く日本に喧嘩を売るんだよな、と変に納得。しかし、巴里にも日本にも属そうとしない心情は疲れるだろうに。
巴里にいる日本人同朋やフランス人。ロクデナシばかり。著者自身、そのロクデナシであることは間違いない。少々ウンザリしながら、ページを捲る。
なんでこの本を読み続けたのか、僕自身分からない。適当な感想が表現できないが、毎日この本を少しずつ読み続けることを楽しんでいたことは確かなこと。
投稿元:
レビューを見る
解説:中野孝次
瘴癘蛮雨◆四人の留学生◆冬の森◆泥手・泥足◆処女の夢◆22番・ダゲールまで◆うしろに眼のない譚◆あぶれ者ふたり◆伯爵夫人モニチ◆枯葉◆ふたつのふるさと◆リオンの宿◆ねむれ巴里◆巴里人といういなか者◆巴里・春秋◆硝子のステッキ
投稿元:
レビューを見る
「どくろ杯・ねむれ巴里・西ひがし」
金子光晴は知的障害者かも知れない
彼に引き寄せられて絡み付いて世間をはみ出していく森三千代も
引けをとらない流れ者だったのだろう
それほどに彼の人生は映像化されているように見える
何年もたった過去のディテールを克明に描けるあたりも
前後の不安におびえる前に行動してしまう社会性のなさも
彼の人となりを物語っているようだ
プライドが故に自尊心をかなぐり捨て
自分を保とうとする故に相対する自分を持て余し
永遠に旅から休むことができずに赤裸々に生きる
そこには社会性から抜けられない多くの人間達にとっての
嘘のない無い物ねだりの魅力が詰まっているのだろう
最近のテレビで「世界一のダンディーは誰だ」と言う番組に
どこまでもあか抜けしない金子光晴がノミネートされていた
結局はアカデミックな「サイード」とその裏側にある植木等に
競り負けてしまったけれど
その人間くさい存在は揺るがないようだ
インテリーにとって型破りでありながらホットさせる彼らこそが
気の置けない高嶺の花に違いない
私にとってのドン・キホーテ・デラマンチャと孫悟空と良寛が
生涯のあこがれとなったのと同じようなことなのだろう
それは自分にできない人生を選んでいる者に対するジェラシーですら
あるのかもしれない
投稿元:
レビューを見る
1929(昭和4)年のパリへの旅の話。この著者「金子光晴」は、1895年(明治28)年の愛知県生まれ。
読み終えて、どの時代も旅をする人の思うところは変わらないんだなぁという感想を持った。ただその旅人レベルが現代とは桁違いである。この「金子光晴」がパリでした体験は、現代の日本に生きる僕らからしたら、あり得ないことだらけである。
この本は明日どうなるか分からない窮乏の旅を、夫婦で過ごした生々しい人間の生活の記録である。混沌としたパリの一面を、著者の混沌かつリアルな文章で綴られている。ただただ「金子光晴」の生きた痕跡を感じる。
投稿元:
レビューを見る
日本の詩人・金子光晴の、パリに滞在していた頃の自伝的エッセイ。
語られる出来事はどれも凄まじく、外地で貧窮することの酷さ、寒々しさを痛切に感じさせました。
パリでの仕事もほとんどその日暮らしのものばかり。
日本人学生の論文を代筆したり、新興宗教団体に絵を描いて買い取ってもらったり・・・。貧困に喘いでいる日本人の芸術家を救うのだと、詐欺まがいの方法で日本大使館からお金をせしめてもいます。
もちろん、出会うのは日本人ばかりではありません。
金子の妻を口説こうとするフランス紳士や、絵を高額で貴族連に売りつけようとする似非貴婦人などなど・・・。
詩人が出会うパリは"芸術の都"などではなく、"虚栄と絶望の都"といったほうが妥当かもしれません。
このような極貧生活に耐えた著者の精神はもちろん強靭だと思いますが、筆致は繊細、これほどの特異な体験を共感できるように描きだす文章はさすがです。
投稿元:
レビューを見る
書かれたのが随分と時間が経ってから、というのも当然、関係しているにしても妻の部屋であるのに「入っていいのか」と聞いてからでなければ入れないほど不安なのに、そもそもそれが旅の理由でもあるというのに、感情を俯瞰しているような印象がある。そしてそのように感情や行為に距離があるような書き方であればこそ、余計にそれが際立つのだろう。(『西ひがし』に続く)
投稿元:
レビューを見る
印象的だったのは「冬の森」の一節で、仲睦まじいフランス人の老夫婦を妻と見て。
・・・このふたりの同じ愛情をここまで保留させたことは神の意地悪としか思えなかった。僕は、傍らの彼女が、やはり瞠目して眺めているのを見て、この人生で、
こんなことが窮極の幸福であると思わせたくなかった。
金子光晴、複雑な方のようです・・・
ひとつ、ご存知の方がいらしたら。
「白々」ってどういう意味の言葉でしょう?
”白々、でなければ、のぞき”と使われていたので、
あまりお行儀の良くない言葉のようですが。
投稿元:
レビューを見る
詩人、金子光晴の渡仏中の日々を綴る自伝。まさに、晩年に書かれたもののはずですが、筆致は強烈で、すこしも枯れた感じがしません。金子光晴の書いたものをまともに読むのは、これが初めてでしたが、非常な存在感と、何かしら、不安になる薄暗さがありました。
投稿元:
レビューを見る
若い学生と駆け落ちした妻森三千代の気持ちを相手から引き離すべく、幼い子供を長崎の実家にあずけ、パリを目指す作者と妻。
「どくろ杯」では、関東大震災後の二人の出会いから上海、東南アジアでの道行と、妻が先にパリに向かうまでが描かれる。
本書はその続編。
作者もようやくパリにたどり着き、ふたりの暮らしが再びはじまる。
時代は1930年。
第二次世界大戦前の花の都パリである。
無一文の金子光晴は、絵描き、使い走りからゆすりたかりまで、あらゆることをやって生活の糧を得ながら、ここで約1年を暮らし、ベルギーに移ったのち、翌1931年にヨーロッパを離れることになる。
妻と関係がそのような複雑なものであったから、この間の作者の思いは、絶望とか嫉妬とか、断腸の思いとか、筆舌に尽くしがたいとか、そういう言葉では形容しきれない、余人にはうかがい知れないものであっただろう。
詩人として輝かしいスタートをきったものの、生活の上でも精神の上でも人間の最底辺を徘徊するこの期間は、詩も言葉も失われていた期間であったという。
40年という長い年月を経たからこそ、この地獄のような時間が、作者の中で客観となり、こうやって形になりえたにちがいない。この中で描かれるフランスや東南アジアで客死した多くの芸術家志望、ボヘンミアン、食い詰めものたちを思えば、そしてその後の世界大戦がもたらす惨禍を思えば、一種独特のこの傑作が世に現われたことは奇跡にちかい。
それを思うと、やはり芸術家というのは選ばれた存在で、その苦難の道は、モーツァルトの歌劇「魔笛」で主人公が試練の炎を通り抜けなければならないように、傑作を世に生み出すための運命のようにもおもえてくる。
投稿元:
レビューを見る
★2.5、おまけなし。文章がくどくて正直、当方には合いませんでした。
しかしこういうの読んでると、現在よりも世界に飛び出している日本の人間は多かったのかな、と少し思ったりもしなくもなく。
世界に伍していくことが社会の活力の全てなのか?立場によって意見は異なるんでしょうが、少なくともその方面の積極性が希薄になってきていることは確かでしょうし、その意味で生きていくための図太さとは何か?を問いかけてはいる気がします。