- 販売開始日: 2011/07/22
- 出版社: PHP研究所
- ISBN:978-4-569-79431-0
吉本隆明と柄谷行人
著者 合田正人 (著)
戦後日本の思想界をリードし、いまなお多大な影響を与えつづけている吉本隆明(一九二四~)と柄谷行人(一九四一~)の思想を読み解く。二人は互いに真っ向から批判を応酬していたが...
吉本隆明と柄谷行人
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商品説明
戦後日本の思想界をリードし、いまなお多大な影響を与えつづけている吉本隆明(一九二四~)と柄谷行人(一九四一~)の思想を読み解く。二人は互いに真っ向から批判を応酬していたが、思索の領域は驚くほど通底し、重なり合っていたのではないか。個とは何か、意味とは何か、システムとは何か――吉本の三大著作『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』を読み解き、『隠喩としての建築』『探究I・II』『トランスクリティーク』などから柄谷行人の試みを丹念に追う。いまなお仰ぎ見られる現代思想の可能性、限界に迫る。
著者紹介
合田正人 (著)
- 略歴
- 1957年香川県生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。明治大学文学部教授。専門は19、20世紀フランス・ドイツ思想史、ユダヤ思想史。著書に「レヴィナス」など。
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吉本隆明からの遁走。吉本読者旧世代の最期を飾る一冊かも?
2011/07/08 17:46
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
柄谷行人の読者には興味深い一冊。文学や哲学をいままでどおりに語りたい人にはいいかもしれないが…。
●「個体化」という幻想の理由は?
論点を先取りして言っておくと、吉本の書いたものには「個体として~」「個体に~」といった表現が多々に見られるが、「個体化」(individuation)という言い方は見られない。しかもそれは、単に語が不在であるだけでなく、吉本の議論が結局「個体」の存在を前提とした議論であって、「個体化」の過程を示していないことの現れではないだろうか。そのことが、「個-類」「個人-家族-社会」の連関の把握にも作用せざるをえなかったのではないだろうか。ちなみに、「個体化」「個体化原理」は古代から現在に至るまで、哲学の恒常的に最も重大な問題の一つでありつづけている。(P87「第二章 個体とは何か」)
結論を先取りしていうと「哲学の恒常的に最も重大な問題」は吉本においては終わっている。あの暗くアイロニカルな「勝利だよ、勝利だよ」の言葉の示す通りだ。あるいはそれを終わらせたのが吉本理論の副次効果であり可能性でもあるだろう。
当然だが吉本は「個体化」の過程を示していない」。人間は個体化するわけではないからだ。人間は現象学や実存哲学の根本命題のように<既に>個体であり人間の現存在というものは始めから(終わりまで)個体だ。吉本はその事実からはじめている。いかにも理系らしいスタンスで、理論的な展開は三木成夫の解剖学や発生学をはじめ自然科学のマテリアルな認識が前提になっているのだ。逆に古代から現在に至るまで恒常的に最も重大な問題とされながら、それを解決できなかった思弁や哲学に今さら何か価値があるのだろうか?
「吉本の議論が結局「個体」の存在を前提とした議論」なのは、この世には「個体」しかないからだ。個体としての個人しかいないのにナゼか国家が存在し、神を信じるものもいて、おそらく間違いなくすべての個人に悩みや楽しみがあり、生まれて死んでいく。その理由はナゼか? そこにはどんな価値や意味があるのか? この個人しかいない現実と、それなのに類にまつわる諸々が生成する理由を、吉本は解こうとしている。マルクスの『経済学・哲学草稿』と同じ問題提起だ。吉本は自らの問題意識と同じものをマルクスに見出したのかも知れない。
人間は個人でしかない…という認識こそ、だのにナゼ人類が成り立ち共同性が成り立つのか?という問題意識とナゾを際立たせるハズだろう。
●個体に<類>は発現している!!
吉本が“もっと早く知っていれば!”と残念がり、高く評価していた理論が解剖学者の三木成夫のものであることは有名な話だろう。解剖学者であり発生学者でもある三木の理論はラジカルな影響を吉本に与えている。三木が示す、個体発生は系統発生を繰り返す…という事実から吉本が受けた影響は大きく、身体的な事実性としてだけではなく観念の運動としても歴史的な解釈で負うところが深い。
『母型論』などで、系統発生は類の時間性の発現であり、それを個体発生がフォローしているという事実に吉本は注目している。吉本は三木を援用することで個体そのものに類の発現を見出したのだった。あるいは類というものが個体に全面的に依拠しているという事実を生物学的に認識しているともいえる。個体が構成していく集合態や共同体ではなく個体そのものに、である。個体が構成する共同体から共同幻想のような(類を前提とする)空間性を見出すのは当然だが、吉本は個体そのものに類の発現を認識しているのだ。この三木の仕事のような吉本理論を支えているマテリアルに証明可能な科学的な認識が本書では捨象されている。それはナゼか?
人間は「個体化」するのではなく「類が個体に発現」している。
観念は身体に依拠するが身体に還元できない…という心的現象論の認識は最重要なポイントで、観念の身体に還元できない部分は?という問題を提起している。これこそが共同幻想の起点でありうるものだ。同じように、共同性も個体に依拠するが個体に還元できない…この還元できない領域を探究し続けているのが吉本の仕事だろう。
本書には、柄谷の問題意識を『ひとは何故超越論的問題に取り憑かれるのか』と言い換えて指摘した東浩紀の言葉が引用されている。この東の鋭さに気がついているなら、同じような指摘が有効だろう。著者は何故「個体化」という問題に取り憑かれているのか? 答えはシンプルだが、それこそ<純粋疎外>概念から導かれるものだ、と指摘するにとどめておこう。
古代から現在に至るまで、ひとは何故「個体化」という問題をフレームアップするのだろうか?
解答は<純粋疎外>をキーとする認識からはシンプルなのだが、まずは自ら思念してみるべきだ。
現代思想を考える
2019/12/24 11:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
二人の著書などを通して、個とは何か、意味とは何か、システムとは何かといった哲学的思考を検討すると共に、貧者の生活にある種の美徳は不可能であること、与えることは議論するより捨て置くことといった貧困の問題に関する再考すべき問題にも言及している。