三陸海岸大津波
著者 吉村昭 (著)
その時、沖合から不気味な大轟音が鳴り響いた──「ヨダだ!」大海嘯ともヨダとも呼ばれる大津波は、明治29年、昭和8年、昭和35年の3度にわたって三陸沿岸を襲った。平成23年...
三陸海岸大津波
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商品説明
その時、沖合から不気味な大轟音が鳴り響いた──「ヨダだ!」大海嘯ともヨダとも呼ばれる大津波は、明治29年、昭和8年、昭和35年の3度にわたって三陸沿岸を襲った。平成23年、東日本大震災で東北を襲った巨大津波は「未曾有」ではなかったのだ。津波の前兆、海面から50メートルの高さまで上り家々をなぎ倒す海水、家族を亡くした嘆き、地方自治体の必死の闘い…生き延びた人々の貴重なインタビューや子どもたちの作文が伝える、忘れてはいけない歴史の真実。
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記憶と記録者の希有な出会い
2005/09/24 23:53
21人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、岩手県の陸中海岸まで足をのばす機会があり、その予備知識にでも、ということで何の気なしに本書を手に取った。当初、津波を舞台にした歴史小説かと気楽な早とちりをしていたが、1970年の中公新書を親本とするノンフィクションである。一度文庫化され、2004年の3月に再度文庫化された。奇しくもインド洋大津波の直前の再刊である。
三陸の海岸を何度となく大津波が襲ったことはおぼろげながら知っていた。また、インド洋の大津波の記憶も新しい。それでも、この吉村氏の記録についつい惹き込まれていった。
本書で取り上げている津波は3つ。明治29年、昭和8年の2つは大きな地震をともなった後を、津波が襲った。昭和35年は、太平洋の向かい側、チリで発生した地震による津波である。吉村氏の筆致は、きわめて冷静で記録者に徹し、多種多様な記録を集めている。津波直前の異常現象や津波の高さや、当時を知る古老たちの聞き書き、さらには津波直後に学童が書いた作文や、警察署の指令文にまでおよぶ。それらの記録が順番に並べられる時、津波のもつ底知れないおそろしさが、時々刻々と浮かび上がってくるのだ。テレビ等の映像によるものとはまた違う、リアリティが読む者をも襲う。
吉村氏が取材をはじめた時、明治29年の経験者がまだ健在だったと言う。それゆえの体験の生々しさもあるだろう。しかしそれ以上に、この経験を後世に伝えたいと言う強い思いと、それらを記録したいという強い意志との出会いこそが、この作品を生んだのである。
「過去の体験に学ぶ」ということはどういうことなのか、と同時に活字のもつ可能性を教えてくれる希有な記録作品である。
作家の偉大な仕事
2011/03/21 14:12
20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森とく子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
都内の自宅、少々くずれた本の中から、この本を見つけました。
三陸海岸に暮らす人々が、豊かな海を愛し生活を築き、たび重なる津波と戦ってきた記録が冷静な筆致で描かれています。
今後、この土地がどうなるのか、現時点では、わかりません。
今日の新聞(2011/3/21朝日)では、岩手県田野畑村に寄贈されていた吉村昭・津村節子さんの寄贈文庫が流失してしまったらしいことが記事になっていました。津村節子さんの落胆、お察しいたします。
しかし吉村昭さんのこの仕事は、たとえ本という実体が失われてしまったとしても歴史に残ることでしょう。
出版業界は昨今いろいろな話題にゆれていました。
しかし、偉大な作家の偉大な仕事、胸に刻みました。
「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く
2011/05/01 14:40
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「3-11」の大地震にともなう大津波。被災者として直接体験していない多くの人もまた、すでに膨大な数の映像を見て津波という自然現象のすさまじさを、アタマとココロに刻みつけられた。
この映像視聴体験を踏まえたうえで本書を読むと、すでに明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)におこった三陸海岸大津波において、今回2011年の大津波とほぼ同じことが起こっていたことを知ることができる。
とくに「明治29年の津波」。当時は、文字通り「陸の孤島」であった三陸地方の受けた津波の被害があまりにもナマナマしい。文字で追って読む内容と、今回の津波を映像で見た記憶が完全にオーバラップしてくる。
津波の犠牲者のほとんどは溺死したわけだが、溺死寸前で生還した体験者の語った内容を読むと、あまりものリアリティに、読んでいる自分自身が、水のなかでもがき苦しんでいる状態を想像してしまうくらいだ。これは、高台から撮影した映像からは、けっしてうかがい知ることのできない貴重な証言である。
文明がいくら進もうと、地震と津波は避けることができない。防潮堤すら越えてあっという間に押し寄せてくる津波。地震予知が進歩したと思ったのも幻想に過ぎなかったことがわかってしまった。いや、すでに1934年に寺田寅彦が書いているように、文明が進めば進むほど被害はかえって大きくなるということが、残念なことに今回もまた実証されてしまったのだ。
今回の大津波の生存者の証言も時間がたてば集められ、整理されることになると思うが、おそらく明治29年のときのものと大きな違いはないのかもしれない。本書じたい、いまから40年も前の出版だが、まったく古さを感じないのは、自然の猛威を前にしたら、たとえ文明が進もうが、人間などほんとうにちっぽけな存在に過ぎないことを再確認したことにある。
まだまだ、これからも読み続けられていくべき名著であることは間違いない。はじめて読んでみて強くそう感じた。
「一つの地方史」の記録ではなく
2011/07/22 08:13
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
3月11日の東日本大震災以後、多くの関連書籍が出版されている。ある意味それは出版人としての心意気でもあるが、他方大きな惨劇が多くの関心を集めるため売上という点からも出版を急ぐという意味も持つ。そのなかでひと際異彩を放つのが本書の存在だろう。
何しろこの本の初版は今から40年以上も前の昭和45年(1970年)なのだ。
はじめ『海の壁』と題され、中公新書の一冊として刊行された。吉村昭は名作『戦艦武蔵』を発表し、自らの方向性をようやく確立したばかりであった。その後の吉村の活躍については言うまでもない。
そんな吉村が「何度か三陸沿岸を旅して」いるうちに、過去かの地を何度か襲った津波の話に触れ、「一つの地方史として残しておきたい気持」で書き下ろしたのが本書である。
「津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない」吉村ではあるが、今回の大震災後に慌ただしく出版された関連本と違い、腰の据わった記録本として高い評価を得ていいだろう。
もちろん、吉村がこの時想像をしていた以上の悲惨な大津波がまたも三陸沿岸を襲った事実はあったとしても、この本の評価はけっして下がることはない。また、今後何年かして、吉村のように丁寧に今回の津波の惨状を伝える書き手が現れることを期待する。
本書は明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の大津波、それに昭和35年(1960年)のチリ地震による津波の惨劇が、当時の資料と生存者の声の収集から成り立っている。
執筆された当時からすると明治29年の生存者はわずかであるが、吉村は根気よく探しつづける。そういう地道な努力が文章の記録性を高めているといっていい。
このような大きな津波のあとを訪ねても、いかに三陸沿岸が津波の被害に苦しめられてきたかがわかる。そして、そのつど、人々は復興してきたというのもまぎれもない事実である。
吉村は「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」としながらも、「今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という地元の古老の言葉を信頼し、安堵もしている。
今回の津波による大惨事をもって、吉村の考え方が甘かったということもいえるかもしれない。
しかし、甘かったのは吉村だけではない。多くの日本人は何かを見落としてしまっていたのだ。この本を前にしてそのことを反省せざるをえない。
この本はいまや「一つの地方史」の記録ではなく、この国の記録として大事に読み継がれなければならないだろう。
40年前のこの本に、たくさんの教訓と自然への畏敬がある。
2012/03/16 21:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつの話かと思う。まるで昨年の津波の話のようではないか。
これが書かれたのは1970年。40年前である。その時点での過去の大津波ー明治29年、昭和8年、昭和35年について、文献や証言から状況をたどっていくのだが、証言の内容や明らかになっていく「その時」や被害の様子は、まるで昨年の津波と同じようなのだ。
読もうかどうしようか、ずっと決心がつきかねていた。
しかし、図書館の棚にふとこれがあったのと、先に読み出していた文藝春秋臨時増刊号「3・11から1年 百人の作家の言葉」の中の座談会で、参加されている荒谷栄子さん(宮古市田老第三小学校校長)の言葉が印象に残っていたのとで、手に取って読み出した。
読み出したら止まらなくなった。
三陸は津波の被害を受けやすい条件が揃ってしまっており、3度もの大きな被害を受けてきている。その度に人々はその経験と教訓を生かし、防潮堤や堤防や避難訓練や高台への道を作るなどして津波に備えてきた。
前出の荒谷さんのお母さんは、小学生の時に昭和8年の津波から逃げており、その時の作文がこの「三陸海岸大津波」に掲載されている。母親になって娘の荒谷さんに津波の怖さを語り続け、「津波に勝とうと思うな」と語ってきた。
吉村明は、「三陸海岸が好きで何度か歩いている」と言い、「私を魅了する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである。」と言う。
しかし、「津波は自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」とも言う。
過去のつらい教訓をも、津波は超えてしまった。
自然に勝つことも、自然を飼い馴らすことも人間は出来ない。それでも、どうしようもなくその自然と共に生きている。
もっともっと畏敬し、もっともっと教訓を生かしていくしかないのかもしれない、と思う。
三度目でも読むこと
2016/01/18 07:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読むのは三度目である。吉村昭さんの著作を片っ端から読んだのが一回目、二回目は震災の後。三度目は震災後売れまくって古本屋に出ていた今である。
津波が来たらまず自分ひとりで逃げるという徹底した教訓の存在。
また、ここまで津波はきていない、そういう高台に旧家は建っている。その記憶が薄れるに従い、人々は再び沿岸へと新たな住居を求め、津波被害を被ることとなった。 今、私は三陸には住んでいない、だからこの本を読めたし、こんな風に書くこともできる。
しかし身内を含め、多くの親族を失った人たち、家を失った人たち、こういう本はまだ手に取ることはできない。そう語っていた。
三度目だけど、古本屋に並ぶ真新しい本書を無心に読むだけだった。想いだけでなくただ想いだけでなく刻み込んでおきたいこと。他人はいい、自分は忘れないためにである。
大災害
2020/07/29 05:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先年起きた大災害は予見する事が出来た。この作品を誰しもが読んでいれば未曾有の災害とは言えなかったはずであり過去からの教訓がいかに大切であるかを身にしみてわかる。