- 販売開始日: 2011/10/07
- 出版社: 新潮社
- ISBN:978-4-10-305773-4
拙者は食えん!―サムライ洋食事始―
著者 熊田忠雄 (著)
幕末~明治初期、初めて「洋食」に出会ったサムライたち。「ボートル(バター)塗りつけ、油ばかり」、それでも開国のため、ひたすら我慢して食べ、挙句の果ては「いかなる事の報いか...
拙者は食えん!―サムライ洋食事始―
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商品説明
幕末~明治初期、初めて「洋食」に出会ったサムライたち。「ボートル(バター)塗りつけ、油ばかり」、それでも開国のため、ひたすら我慢して食べ、挙句の果ては「いかなる事の報いか。神仏に祈るほかなかりけり」……。日本人と洋食との邂逅がこれほど劇的だったとは! 読み出したら止まらない面白歴史エッセイ!
著者紹介
熊田忠雄 (著)
- 略歴
- 1948年福島県生まれ。早稲田大学商学部卒業。ニッポン放送報道部長、編成局長、取締役等を経て2005年退社。著書に「そこに日本人がいた!」「すごいぞ日本人!」など。
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書店員レビュー
現代でも、海外旅行に...
ジュンク堂書店福岡店さん
現代でも、海外旅行に日本食を携帯する人はいるし、旅行者が現地の日本食レストランでほっと一息ついているような光景も多い。
人間には優れた適応力があるが、食べものの好みは変えるのが最も難しいとういう。しかし、人間食べずには生きてはいけない。えらいひとも、えらくないひとも。悲喜こもごも生まれる所以である。
さて幕末から明治にかけてのこと、海外に派遣された日本人は、生まれた初めて口にする「洋食」にどうのうに反応したのか。本書では当時の使節団員・留学生の日記などをもとに、その様子を描いている。謹厳実直な「サムライ」が想像をこえて苦心惨憺しているさまが面白い。「・・其外種々差出すといえども、食する事不能、パンに砂糖を付て食し、只飢を凌ぐのみ」という状況。
しかし、そんな「サムライ」たちがこぞって絶賛した食べものもあった。それが何であったは本書を読んでのお楽しみに。
福岡店人文書担当 細井
日本人は思えば遠くへ来たものだ
2011/07/09 22:16
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は35年間ニッポン放送に勤めたジャーナリスト。
幕末から明治初期に欧米へと向かった日本人使節団や留学生たちが、初めて口にする洋食とどう悪戦苦闘したかを、彼らが残した日記類を丹念に読みこんでまとめた労作です。
なにしろ肉食の習慣がなく、白米に漬物、刺身の類いしか日常的に食していなかった彼らですから、長旅に備えて乗船する外国船に日本の食材を大量に積み込もうとします。ことは食に関わることだけに彼らは大まじめ。コメを炊くための厨房めいた一画をわざわざ船中に設けるなど、その涙ぐましいまでの努力はあまりに珍妙で、微苦笑を誘います。
それでも旅の途中で味噌が腐りだし、あまりの腐臭に彼らを乗せてくれていた外国人船員たちも閉口することしきり、と珍道中が展開します。
仕方なく食事は洋食に切り替わっていきますが、慣れない肉料理や乳製品の食感と臭みに日本人たちは音をあげます。醤油味に慣れた彼らの舌には洋食は塩気がなさすぎて食べにくいという記述が見られ、塩分の多さが和食の特徴のひとつであることを改めて思いました。
これを読んでいて思い出したのは、ここ数年私のもとを訪れた外国の客人や友人が日本食に対して示した拒否反応の数々です。
20代のオランダ人女性は、おかずをのせるだけでは白米を食べることが出来ず、私の目の前でご飯に思い切り醤油をかけたり、味噌汁を注いで猫まんま風にしたりして、炊きたてのご飯の “無味さ”を解消しようと試みを繰り返していました。
一緒に鍋料理をつついた40代のスペイン人の友人は、パンチがなさすぎる白菜などの野菜類をどうしても食べることができませんでした。
彼らは本書に出てくるサムライたちとはまさに180度逆の反応を示したのです。
食というものに対して人間がいかに保守的であるかを思うとともに、日本人が食に対して歩んできた今日までの遠い道のりを改めて思う読書でした。
150年で激変した食文化、サムライはどう思うだろう?
2011/06/25 18:05
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:辰巳屋カルダモン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「初めて口にした洋食の美味しさが忘れられない!」よき食の思い出として耳にするセリフだ。世代による違いはあるにせよ、21世紀に生きる日本人で、洋食をまるで受けつけない人はいないだろう。
同じ日本人、サムライ洋食事始は案外スムーズだったのではと思ったが……。
開国(1860年)から明治維新までの8年間で、約400名が米国・欧州へ派遣された。維新前なので、全員身分は武士=サムライである。サムライと洋食との「出会い」が、主に書き残された日記からたどられてゆく。
洋食に対し、彼らが想像以上の激しい拒絶と嫌悪感を示したことに驚いた。幸せな出会いをした者は一人もいない。日記には「食する事不能」「味極て口に適わず」と悲痛なことばが並ぶ。
米や野菜、魚をしょう油や味噌、塩で食べてきた「草食系」にとって、肉食とバターや脂の匂いは想像を絶する異文化への入り口だったのだ。空腹なのに目の前のごちそうを食べられない悲劇、が起きる。サムライ、洋食相手にまさかの討死? とハラハラする。
だが、食べないわけにはいかない。だんだん慣れて洋食の味をしめる者と、最後まで馴染めず恨み言を言い続ける者に二分される様子は面白い。
1864年の遣仏使節団の一員、岩松太郎は、当初こそ断固拒否の姿勢を示したが、帰国間際には洋食にすっかり馴染んでいた。料理の良し悪しを詳細に日記に書き残していたという。ミシュランもびっくりだろう。
著者が「お前さん、西洋料理の味の違いが本当に分かっているのかい?」と愛情たっぷりの突っ込みを入れているのが楽しい。
現在の日本には、世界各国の食があふれる。わずか150年で食文化は激変した。
サムライが恋しがった日本の伝統食は、めっきり食卓に上らなくなった。逆に、米国・欧州ではヘルシーな食事として注目されている。
彼らはこの皮肉な現状をどう思うだろうか