紙の本
柔道はスポーツか、武道か。
2011/11/07 08:18
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投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この夏、総合格闘技のDREAMが「さいたまスーパーアリーナ」で開催された。リングサイドから見る総合格闘技観戦だったが、なぜか、寝技が多い。蹴りや投げ技もあるが、タックルから寝技に持ち込む選手が多く、さらにマット上での寝技の時間が長い。巨大なスクリーンが無ければ試合展開がリングサイドといえどもわからない。少々、イラつきを感じながら観戦していたが、本書を読んで、旧帝国大学、旧専門学校で盛んに行なわれていた柔道が現在の総合格闘技の寝技に近いということを知った。
以前、日露戦争で戦死した廣瀬中佐を調べるために水道橋の講堂館を訪ねたが、柔道でありながら棒術を練習している写真パネルがあった。柔道に棒術と思ったが、かつての柔道の原型である柔術では「あて身」という打撃技も盛んであったという。今も講道館に伝わる古式の型は鎧兜に身を包んだ武者が組打ちをした際の闘いの型だが、武者が腰に短刀を差すのは組伏せてから敵の首をかくためのものという。
現在のオリンピックや国際試合のポイント柔道につまらなさを感じていたが、その理由や本来の格闘技とは何であるかをこの一冊は語ってくれる。その題材として木村政彦、力道山の闘いを取り上げたのではと思うほどだった。ブラジリアン柔術のエリオ・グレイシーと木村政彦の死闘も手に汗握るが、かくも格闘技の戦いとは激しいものなのかと背筋が寒くなるほどだった。
本書は二段組み、700ページに亘る内容で、牛島辰熊、木村政彦、岩釣兼生という熊本が生んだ三人の柔道家の生きざまが珠玉である。「勝つ」ということに対する執念は並々ならぬものがあり、師匠と弟子の葛藤、和解、まさに人間ドラマである。百獣の王ライオンは我が子を千尋の谷に突き落とし、そこから這い上がってきたものだけを後継者に据えるが、まさに、牛島辰熊、木村政彦、岩釣兼生という「柔道の鬼」どもが弟子を千尋の谷に突き落とし、落とされ、這い上がって生きてきた記録でもある。
その記録を著わした著者の木村政彦に対する思いの深さ、重さは、計り知れない。柔道を愛する者、格闘技を愛する者の気持ちを代弁した格闘技史である。
読了後、胸を去来するのは《夏草や兵どもが夢のあと》の芭蕉の一句だった。
紙の本
ユーチューブの衝撃
2013/12/27 14:06
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投稿者:愚犬転助 - この投稿者のレビュー一覧を見る
力道山対木村という、一時は風化しつつあった対決の底にあった凄味、せめぎあいを初めて世に出してくれた本といっていい。日本にあっては、「1976年のアントニオ猪木 」、ミスター高橋本とともに、格闘とプロレスを語るうえで不可欠の傑作だ。
力道山対木村に関しては、これを機に日本人同士の対決が長く封印されたといわれてきた。その戦い模様があまりに凄惨だったからというのが理由だが、日本テレビのプロレス回顧番組を見るかぎり、それはわからない。あたりさわりのない一部のみを見せるにとどまっているので、ぬるい試合にしか見えない。この本を読み、ユーチューブで問題の一戦を見たとき、衝撃を受けた。いまどきの格闘戦でもそうはないエグい攻撃がなされ、力道山が一方的に勝っている。力道山、格闘をやらせても強いんだなと思う。著者は木村を弁護しているが、この試合の木村は明らかにやる気に欠けて、コンディションもよさそうに思えない。体格差は明らかだから、木村に隙があれば、力道山に食われてもしかたなかったと見る。
ただ、力道山の約束破りが日本のプロレスに長く影を落としたのもたしかだろう。馬場のみがプロレスの掟を守ったが、猪木や大木らはときとして掟を破った。それがおかしな緊張感を生み出し、日本のプロレスを格闘技っぽく、もっともらしく見せてきたのだが、フェイクの根本を変えたわけではない。そのありようが中途半端でありつづけたため、馬場の死後に混乱と衰退が訪れる。フェイクを公然と認めたアメリカ・プロレスのような進化を遂げられず、いまに至っている。
本書のもう一つの大きな価値は、日本の格闘史、柔術史がうまくまとめられているところだ。いまでこそ嘉納治五郎に発する講道館柔道がすべてのような印象だが、戦前は違った。寝ワザを中心とする高専柔術というもう一方の雄があり、彼らがいまに連なる格闘系の決め技を編み出してきたとは、初めて知った。
高専柔術を担った若者らは、筋肉でかためられた猛者ではなく、勉学・学問を志す者としての側面があった。彼らは体力に劣り、立ち技ではかないっこない。そんな彼らが生き残り、いや勝ち抜き戦略として寝ワザを磨いていったこところに、驚嘆すべき独自性を感じる。どんな時代にも、頭さえ使えば、凄い若者が出るんだという希望にさえなる。
その一方、敗戦後、講道館柔道のみがスポーツ性をGHQに訴えて存続、武道色のある高専柔術は廃絶する。このあたり、敗戦後、外務省や大蔵省がたくみに生き残り、旧海軍が善玉化、陸軍を悪玉とした過程とよく似ていて、やりきれないものを感じる。
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切ない
2012/07/08 11:29
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投稿者:Miso - この投稿者のレビュー一覧を見る
何とも言えない切なさが残った。もともとがプロレスよりの自分が反対陣営の書をみて考えさせられた。あの試合のもうひとつの側面とでもいえるものに唸った。文句無しの名作。
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いろんな意味で力道山はとんでもない人だ
2019/01/28 14:17
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
たいていの人が知っている知識の範囲では、木村に金的を蹴り上げられた力道山がブックを無視してセメントを仕掛けたということになっていると思う。私もそう思っていたのだが、実際は力道山は初めからブック通りの動くつもりはなく、木村を潰すことしか考えていなかったと作者はいう。誰もが認める最強の王者・木村が無残にも反撃できなかったのはなぜなのであろうか、ブックという油断があり、普段の不摂生もあっただろう。力道山の方が狡さでは木村をはるかに上回っていたのだろう。ここで木村に天下を取られてたまるかという執念が力道山を突き動かしたのだろう。木村の大外刈りのような力強さで、ぐいぐいと分厚い本を読み進めさせられてしまった
電子書籍
読むべき本の1冊
2015/03/17 09:18
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投稿者:みるお - この投稿者のレビュー一覧を見る
脚光を浴びたがゆえのプロレス・力道山側膨大な資料の反対側の柔道・木村政彦にスポットを当てた力作。とはいえ、過度な肩入れ等は見受けられず、膨大な参考文献を読みこなし、丁寧に取材された痕跡がそこかしこに見受けられる。著者の魂が(怨念?)がこもっており、ページ数が701ページとボリュームがあるが読むに値する名著。
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内容紹介
昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!
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陸軍の将官(大将、中将、少将)を将軍とよび、海軍の将官を提督と呼ぶ。」将官の下に左官(大佐、中佐、少佐)、その下に尉官(大尉、中尉、少尉)
プロ柔道を後援した高野建設は高野組として創業した日本のアスファルト塗装工事の草分けで、伝統ある企業、前田道路の前身。
梶原一騎の絶筆劇画 男の星座 猪瀬直樹が絶賛
三浦鑿(さく) ブラジル 日伯新聞を買収 愛媛県生まれ 講道館柔道 初段取得 新潟高田中学柏崎分校の嘱託教師となる ブラジルに渡る カポエラ選手と公開試合 負ける
前田光世(コンデ・コマ) グレイシー柔術を教える
ブラジルの日系人 新聞発禁 情報はいらず 敗戦でも日本が勝ったと信じる勝ち組と負け組で抗争があった
熊本出身 拓大予科
妻の結核の薬代を稼ぐためプロレス
牛島辰熊ー木村政彦ー岩釣兼生
木村の前に木村なし、木村の後に木村なし
木村政彦ー力道山 プロレスのはずが、、、、
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史上最強と謳われる柔道家、木村政彦の、その比類なき強さ、人間的魅力、力道山戦が彼に何をもたらしたのかなど、彼の様々な面を、膨大な資料や、関係者へのインタービューにより浮き彫りにした、ノンフィクション。
まず、柔道そのものについて、はじめて知ることが多くて面白かった。
今の柔道の前身というと、戦国時代にでもさかのぼるような気がしていたが、たった50年前には、高専柔道という、現在のグレーシー柔術のような実戦的な寝技の体系を持った柔道の勢力が大きかったというのは、新鮮な驚きだった。
その頃の、旧制高校や中学同士の対抗戦は寝技が中心で、それらの切瑳琢磨から、数々の絞め技、極め技、またそれらの返し技のバリエーションが生まれたとか。
日本の柔道家がブラジルに渡って、グレーシー柔術が生まれたのはなんとなく見たまま、という感じがするが、現在のオリンピックなどで見られる、立ち技中心の柔道がまず伝えられ、ブラジル人があのネチっこい寝技を工夫したのだと思い込んでいた。
しかし、筆者が現代の総合格闘家と、木村vsエリオ・グレーシーの試合のビデオを見るシーンで、木村の寝技は現代でも通用するどころか、動きによっては、現在使われているものよりも進歩しているものもあるというような描写もあって、木村が強かったのもあるのだろうけど、やはり、当時の日本の寝技の技術というのは、凄かったのだ。
ブラジル人格闘家の、寝技中心の試合を初めて見たとき、カルチャーショックを受けたものだが、それが50年前の日本人が開発した技術体系だと知って、またショックを受けてしまった。
それと、なんといっても木村や、周囲の人々の生き方に、影響を受けた。
伝説の柔道家であるから、筆者や関係者の話も何割増しかであるかもしれないが、
それにしても、練習量、強さ、生き方など、まさに規格外である。
師匠の牛島をはじめとして、周囲の人間も相当に濃く、自分の信念を貫き通して生きる人ばかりだ。
50年前にそういう雰囲気の中、そういう人たちが生きていたことを想像するのは、本当に現実感が無い。
自分が些細なことで悩んでいるのは、本当に意味がないと思った。
木村の、食う、寝る、あとは柔道ではないが、やれることをやって八方塞がりになってから悩めばいいのだと。
最後に、本筋の、力道山との対立、凄絶な試合、そしてその後の両者の明暗という部分も、
その背後に、戦後の社会の状況や、日本に残った朝鮮半島の人々の葛藤、興行の利権を巡る対立など、
様々な要素が複雑に絡みあっていて、とても面白かったとともに、
本書で嫌というほど木村の強さを語り尽くされた後では、
不意に力道山に仕掛けられたセメントで、木村がなす術もなかったというのは、
筆者と同じで、とても残念だった。
社会的には、世事に長け、貪欲な力道山が勝つのは時間の問題だった気もするだけに、
本当に、その一戦だけは・・・と思ってしまう。
その試合の印象だけで木村の強さを軽んじる、世間やマスコミを憂いて、筆者は筆をとったとのことだが、
その目論みは、十分すぎるほど、成功している。
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★柔道からの熱すぎる思い★柔道の、木村政彦のすごさを伝えようとする「私」主語のノンフィクション。熱い思いを伝えるには、著者が出てきた方がいいのだろう。幅広いインタビューと資料収集は門外漢が読んでも納得する手厚さだ。力道山が体現するショーとしてのプロレスに、言説の分野で柔道(やアマスポーツ)が負けてきたことへの対抗心にあふれている。そして講道館からもプロ柔道を立ち上げた木村が排斥されてきたことに、二重の反発があるのだろう。
最後に岩釣がアンダーグラウンドで優勝したことを記したのは、岩釣の、ひいては木村の強さを表したかったのだろうが、蛇足ではなかったろうか。相手が誰だったのかいらぬ詮索を読んでしまい、言い訳じみて見えてしまう。
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一般には、力道山にプロレスで敗けた男と記憶される木村政彦。マニアには最強の柔道家として知られる鬼の木村。その木村政彦の生涯を軸としながら、明治以降の柔道の歴史、講道館だけではない柔道の歴史や戦後のプロレス格闘界の歴史を、丹念な取材や資料の分析から追った大作。
武道、格闘技、特に柔道に関わっているものにはなんとも面白く、またとても勉強になる。とかく虚実入り乱れる格闘技の歴史を裏社会などとの繋がりも含めて丁寧に調べ明らかにしているが、柔道経験者である著者の「木村政彦は最強だ」「真剣勝負なら力道山には負けていない」という思いを証明するために書かれているようなところもあるので、木村政彦関連の話になると思い入れが強くて若干(相当?)偏っているきもする。著者が北大柔道部出身ということで、寝技中心の戦前の高専柔道に関する記述が多く、同じ穴のムジナとしては個人的にとても面白かったが、その高い評価に著者の思いがかなり入っている様な気もする。いずにれせよ、偏って入るけど裏柔道歴史資料として非常に便利な一冊になっている。
タイトルを読んで、「そんなの殺すわけ無いだろ」と誰でも普通に思うが、本書を読みすすめれば最後には「なぜ殺さかなったのだろう?」と思うようになること必定・・・とは正直思えなかったな。木村政彦は自分に対しては厳しく最強の柔道家・武道家となったけど、人に対しては非常に優しい人間だったような印象を受けた。
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正確に言うと読み終わってないです。
何ページあるんだ?700ページですね。
もともとは格闘技専門誌に連載されていたものをまとめた本です。
毎月小分けに読む分には良いかもしれないけど、これをまとめて読むのは、よっぽど格闘技(総合・柔道など)の好きな人でないと無理ていうか、あきるでしょう。あきました。すみません。
ポイントポイントで臨場感あふれる木村政彦を始めとする怪物たちのエピソードがあっていいんだが、昔々の星取表を延々見せられても、困る。
このあたりは再編集の対象かな。
あと、わざとか?と思うような定型句の誤用が目立つ。
明治から昭和にかけての世界なので、こういうのは白けるんですよ。
ただでさえ神秘性の中に語られる達人の世界なんで。細部が正確でないとね。
著者の若干恣意的な部分も感じる木村政彦最強説。
他の人へのインタビュー(つまり他人に語らせているのだが)の抜き書きで、ヘーシンクもルスカも山下もヒクソンも木村の敵ではないそうだ。
それを検証するための大著とも言える。
写真資料が結構沢山あります。確かに全盛期の木村政彦の写真は、当時とは思えない筋肉量。
有名なエピソードで、試合前に己の覚悟を試すために刀を突き立てて切腹の予行演習をしていたというを読んだことがある。
だけど、この筋肉量では致命傷を与えるのはむりなんじゃないかと思う。
あと、このタイトルがちょっと。
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木村政彦と力道山2人の因縁物語だと思いきや、そんな内容ではとどまらない。鬼の木村と言われた柔道界最強の男がなぜプロレスラーに負けたのか。柔道経験者の筆者自身が納得するために丹念に一次資料を洗い、それぞれの出自から解きほぐすというまさに執念を感じる一冊。それぞれの出自だけでなく、柔道やプロレスの黎明期の話についても詳細に掘り下げられており、非常に読み応えがある。これほど筆者の想いが強く伝わるノンフィクションというものも珍しいのではないか。
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「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた最強柔道家、木村政彦。力道山の某略に嵌り、力道山なの負けた男として、格闘技の歴史の闇に葬り去られた男。本物の柔道は打撃もある最強の格闘技であることが語られている。著書の木村政彦への愛が感じられる。それにしても、力道山は大嫌いになったなぁ。
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友だちから「絶対読め」と貸された本。分厚くしかも二段組のため、文章自体は上手く咀嚼しなくてもスラスラと読めたが、読み切るのに四ヶ月かかり読了。
木村政彦のような超人が世間から屠られていく様が物哀しい。
マスコミが絶対に取り扱わない裏の戦後史としても読み応えあり過ぎの一冊。
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「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた不世出の柔道家の生涯。力道山に負けたプロレス試合は、力道山によるブック(台本)破りの騙し討ちとしつつも、木村政彦が負けたと言い切っている。前半生の柔道に打ち込む姿は妥協がなく「鬼」の名にふさわしい。その分、力道山との試合での準備不足が残念に思われた。
戦前戦後の柔道についても詳述されている。柔道界での講道館の一人勝ち状態を、実践の勝利というよりむしろ嘉納治五郎による言説の勝利と紹介されているのが興味深い。一般に流布される歴史は勝者によって書かれるものだ、とつくづく認識させられる。起きた事象は勝者に都合よく解釈され、勝者に都合の悪いことは無かったことにされる。矛盾を取り繕うために創始者の思想さえねじ曲げて継承され、結果として自家撞着に陥り、現代にまで混乱をもたらす。