ミカドの肖像
著者 猪瀬直樹
20年前に著者が予見した西武・堤義明氏の蹉跌!第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。昭和末日本を騒然とさせた、あの名著がいま甦る。天皇と日本人、伝統とモダン。近代天皇...
ミカドの肖像
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商品説明
20年前に著者が予見した西武・堤義明氏の蹉跌!
第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
昭和末日本を騒然とさせた、あの名著がいま甦る。天皇と日本人、伝統とモダン。近代天皇制に織り込まれた記号を、世界を一周する取材で丹念に読み解いた、渾身の力作。プリンスホテルはなぜ旧皇族の土地を次々と取得し、一大グループをつくり上げることが出来たのか。その謎と西武王国・堤家支配の仕組みも解明。なぜ、いま、コクド(旧・国土計画)による西武鉄道支配が問題になってきたのかが手に取るようにわかる。
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ロールモデルジャパン
2011/10/25 00:09
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹氏が『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を書いていた1984年頃、猪瀬直樹氏は『ミカドの肖像』を書いていたらしい。明治維新から110年とちょっとで明治生まれはほぼ息絶え、終戦から40年くらい経って戦中世代が引退した三島のいない日本は、薄っぺらな経済大国に成り果てようとしていて、その先端で猪瀬氏は、薄っぺらな日本の象徴の天皇を、右から左から後ろから前から照射し、近代日本のナマな姿をバブルの中に浮き上がらせようとしていた。
文庫にして800ページを超えるこの大著は、近代天皇制という白鯨を追い求めるエイハブのようで、追い求めたいものを追い求めて止まない人間の業がページごとに浮かび上がりながら、結局天皇という存在そのものには辿り着けずに、辿り着けないことで「空虚な中心」を持つ日本の不可解さ、不合理さを感じさせ、その手の届かないブランドを利用しようとする小悪魔のせせこましさを印象付ける。
西武グループ興隆の秘密から説き起こすミカドの肖像は、やがて遠くイギリスやフィレンツェのミカドの現像にまで広がりながら、膨張した謎となって地球を一周し、ミカドをレバレッジにした西武グループ創家はやがて泡と消え、穏やかなミカドのアルカイックスマイルだけがこの地球上に残る。
TPPの議論がかまびすしい今この時点から、『ミカドの肖像』を仰ぎ見ると、果たして経済以外の軸を持たずに第三の開国などしていいものかどうかよくわからなくなるが、郵政民営化のように、声の大きなものが押し切る形で結局何だかよくわからない結果となって、空虚な中心を抱いたままで日常は進むのだろう。
そんな日常の中で、ミカドがiPadの向こうから国民に向かって語りかけてくれたら、この国はそんなにぶれないだろうし、人間は人間を鏡にしながらでしか成長できないだろうから、日本人というロールモデルが、日本という物語を演じ続ける役者が、あの森の奥に今も絶えずあることを、我々は虚空に向かって感謝すべきなのかもしれない。
昭和末のベストセラー
2024/11/05 23:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文中で言及されている同時期の網野善彦の「異形の王権」が「「天皇職」の崩壊」(という著者の願望)のみにこだわって貴族や北条氏の家督争いや鎌倉幕府の権力構造の分立を無視した上に、おそらく右翼やヤクザに対してだと思うが括弧付きで「暗部」という言葉を平気で使っているのは無意識にしても山梨県の名家の御曹司気質は抜けなかったと見える。文観にしても「立川流の中興の祖」で止まっている。
この本も同じように旧皇族・王族の館が刊行当時は全盛期だった西武に買収されるところは読ませるところがある。
ただし東伏見宮邸は東宮仮御所にも使われた常盤松御用邸を経て今の常陸宮邸にあったはずだが「東伏見邸 昭和二十九年一月七日」(143頁)に西武に買収されたというのは何を指すのか?東伏見伯爵家の別邸だった横浜プリンスホテルなのか?東伏見宮家の祭祀を継ぐ為に邦英王は東伏見宮家で養育されていて臣籍降下した時に昭和天皇から東伏見姓を賜っていても東伏見宮家と華族である東伏見伯爵家は別扱いなはずだが。
呆れた事に著者は昭和59年の成婚で高円宮家の当主となった憲仁親王について「「三笠宮」の称号がある憲仁の場合、どういう原則があるのだろうか」(78頁)なので宮号を皇族の「姓」とでも思っているのか?皇族には姓がなくて「「三笠宮」の称号」は父宮の崇仁親王が成年式に合わせて昭和天皇から賜った称号であり憲仁親王のみならず三笠宮家の人々に対して姓のように準用されて呼称されていたのを知らないわけだ。おそらく昭和22年に皇籍離脱した11宮家が宮号を姓として戸籍を作成していた点や大正・昭和の両天皇の皇子では三笠宮家しか子宝に恵まれなかったので気が付かなかったのだろうが、こんな基本的な事すら著者は理解していないのにベストセラーになったものだ。
さて著者は千賀子妃が生前にサレジオ会の出版社であるドン・ボスコ社から刊行していた「日と夜の記」は知っているのだろうか?
ダラダラとどうでもいい脇道ばかり外れているので以前に第一部のみ小学館ライブラリーで出ていた本に明治天皇の御真影について書かれたところだけ合本すればちょうどいい内容だ。