紙の本
平地人を戦慄せしめよ
2002/07/30 21:00
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:boogie - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名な「遠野物語」と、著者である柳田国男の研究論文「山の人生」を収めている。「遠野物語」は説明するまでもないほど有名な、陸中遠野郷に伝わる口碑をまとめたものである。擬古文ではあるがとてもわかりやすい。そして「山の人生」は、遠野物語に関連した問題を三十章ほどにわたって論じていく。どちらもとても好奇心を掻き立てられるが、ただ「遠野物語」には「拾遺」も存在していて、この文庫にはそれが収められていないのが痛い。購入の際は注意されたし。
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かつて遠野は内陸と沿岸を結ぶ物資流通の要所であった
2023/04/22 12:43
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投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
今でこそ遠野は、山あいの寂れた町となっているが、当時は内陸と沿岸を結ぶ物資流通の要所であった。ゆえに人は集まり、様々な場所から話も集まってきた。したがって、一概に遠野物語と言っても、狭い地域の説話ではなく、ある程度広い地域にまたがった話であろう。また、時代も決して一様ではないのではないか。場所も時代も混沌としたままの物語を、より味わい易く並べ直した京極夏彦氏の労作は楽しくはあるが、再読の強みを生かし、逆にパズルのピースをバラバラにし、何か別のものが見えてくる気もする。
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民俗学。ちょっとぞくりとする話もあって、私はどっちかというと、「山の人生」の方がすき。神隠しのこととかが載ってます。科学では分からないことってあるんだなぁやっぱりと実感。
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「遠野物語」は有名ですから、一度読んでみようか、と手に取ったのですが、これが面白かった!シンプルな文体で淡々と”採録”された伝承民話は、そんな抑えられた文体でも十分に遠野地方の空気・民俗を伝えてくれました。それ以上に私にとって興味深かったのが「山の人生」。全国に伝わる山人/山姥/天狗などの山の暮らしに密着した言い伝えの考察です。それら”異界の住人達”を通して、かつての日本人の精神性というか、物の味方・考え方などに想いを馳せてしまいました。表題になっている上記2編の他に、著者による講演の手稿「山人考」を収録。ここでは日本の先住民族にまで話が及びます(笑)。「山の人生」がかなり気に入ったので、星は4つにしました。
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日本民俗学の祖、柳田国男が遠野地方の習慣、言い伝え等を聞き書きした書。研究書としても興味深く、また文学作品としても一流。さらっと描き出されている女性の悲哀に胸が痛む。
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河童、座敷童子、へんな馬等々、奥州遠野に伝わる物語を集めた作品。
実際に行って見た遠野は、なんだか寂しげでいかにも何かいそうな気がした。
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『遠野物語』はずっと前に角川文庫で「補遺」まで読んだが、『山の人生』は読んでいなかったので、読んでみた。愛知県や岐阜県の例もたくさん引かれていて面白かった。柳田によれば、天狗や鬼というのは、山に住む漂泊民を平地人がうやまった者で、古代では国津神と呼ばれていた。彼らは平地人よりも大きな身体で、斜面を非常に早く移動することができた。凶悪な者は鬼として武力で討伐されたが、なかには里に買い物にきたり、山小屋でこっそり火にあたっていたり、米の飯をねだりにきたりしていたらしい。また、時には輸送に使役されたりもしていた。山人が配偶者を求めて連れ去ったのが「神隠し」だが、神隠しのなかには自ら山に入った者も多く、女性が産後に山に入ってしまったり、鋭敏な子供が山に迷いこんだりしたらしい。柳田の記述は脱線が多く、これがまた面白い。「カゴメカゴメ」は、鋭敏な子供(申し児)に神の言葉をしゃべらせるため、村人が集団で囲んでマジナイを唱えた行事が子供の遊びに変化したとする。「ゴヘイモチ」は今では「五平餅」と書くが、「御幣餅」「狗賓餅」(ぐひんもち:狗賓は天狗)などと書き、木を伐採する時に天狗や山人に供えたもので、岐阜の鵜沼などではこれを焼くと「天狗が集まってくる」から、村で焼くのではなく、山小屋で焼いたと伝えられている。
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ああ、民話から辿る民俗学の古道。そうそう。遠野の河童は赤い顔をしているのだった。【古060621購入/060909】
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遠野物語から、山の人生へ、そして山人論へと展開していきます。柳田國男の名作ですね。味わい深い良い作品です。個人的には後半の山人論が好きです。
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「遠野物語」「山の人生」「山人考」の三篇が収められています。
「遠野物語」は岩手県の遠野という土地の民話を集めたものです。面白い話に富んでおり、それをしっかりとした文章で伝えてくれます。文語なので慣れていない人は若干戸惑うかも知れませんが、読んでみるとそんなに難しくはありません。
二つほど面白く感じたものを挙げてみます。
「大同の祖先たちが、始めてこの地方に到着せしは、あたかも歳の暮れにて、春のいそぎの門松を、まだ片方はえ立てぬうちに早元日になりたればとて、今もこの家々にては吉例としえ門松の片方を地に伏せたるままにて、標繩を引き渡すとのことなり。」
「オクナイサマを祭れば幸い多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家という。この家にて或る年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、わずかばかりの田植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方よりともなく丈低き小僧一人来りて、おのれも手伝い申さんというに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食わせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代を掻きよく働きてくれしかば、その日に植えはてたり。どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を食いたまえと誘いしが、日暮れてまたその影見えず。家に帰りて見れば、縁側に小さき泥の足跡あまたありて、だんだん座敷に入り、オクナイサマの神棚のところに止りてありしかば、さてはと思いてその扉を開き見れば、神像の腰より下は田の泥にまみれていませし由。」
いかがでしょうか?なんだがわくわくしてきませんか。
遠野物語はこのような民話をただ収集しただけのものです。著者の柳田国男氏はこのような民話が形成された背景を探ろうと考えました。その考えを述べたのが「山の人生」、「山人考」です。遠野の民話に限らず日本全国の民話から、そこにどういう意味があるのかを考えようとしています。ただし、結論には至っておらず、どうしてこういう研究を始めたか、そしてどのような問題が考えられるのかということを中心に書かれています。この後研究は進んでいくようなので、これを読んで興味をもたれた方は氏の別の著作に当たってみるといいと思います。
私は「遠野物語」は面白かったのですが「山の人生」「山人考」はあまりぴんときませんでした。逆にただ民話が並んでいるだけでは物足りず、その意味を考えたいという人には後者が面白く感じられるかも知れません。
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この本に書かれている日本と、今の日本が同じだとはとても思えない。僕はこの本に書かれている日本こそが本物の日本だと思う。
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柳田国男の人生にあこがれます。
公務員の傍ら全国各地を回って民間伝承を集め、体系づけた偉人。
あたしもこんなんやってみたいなぁ、と思うことは多いです。
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三島由紀夫氏の言葉をお借りして。
「これ以上は無いほど簡潔に、真実の刃物が無造作に抜き身で置かれてゐる」
表面を撫でるだけでも伝わる寒村の生々しさ、けれど文語体はどこまでも都会的に洗練されていて、それだからこそ戦慄が走ったものです。空恐ろしくて。
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柳田國男の本は暇があるとボヤっと読みます。
「遠野物語」は岩手県遠野市の昔話を集めた有名な
話ですが、この本のポイントは「山の人生」のほうです。
昔、社会になじめずに山に入って行って生活していた人、
農耕せずに山で生活していた人たちの話を集めたものです。
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遠野出身の知人から聞いた説話を文に起こした作品のはずだが、文章が非常に簡潔で趣があり、読ませる。文語体であることも、説話の臭みのようなものを落として味わいやすくしてくれているのかもしれない。
都会が西欧ばりの近代化を目指していた時代である。一方では、山村では野山から受ける心的な影響を祖先代々の方法で解釈し、伝えていたのだということが、とても地に足のついた暮らしぶりに感じられて、少しうらやましい。
遠野物語などに載せられた拾遺の直接の考察である『山の人生』に関しては、興味深い洞察と感覚的想像との混在が見られ、もったいないように感じた。