読割 50
電子書籍
逆説の日本史12 近世暁光編/天下泰平と家康の謎
著者 井沢元彦
徳川家康「天下分け目の関ヶ原」!日本史の常識を覆す全日本人必読の新・日本史!いまや押しも押されもせぬ国民的ベストセラーになった“逆説”シリーズ第12弾!題して「天下泰平と...
逆説の日本史12 近世暁光編/天下泰平と家康の謎
逆説の日本史 12 近世暁光編 (小学館文庫)
商品説明
徳川家康「天下分け目の関ヶ原」!日本史の常識を覆す全日本人必読の新・日本史!
いまや押しも押されもせぬ国民的ベストセラーになった“逆説”シリーズ第12弾!題して「天下泰平と家康の謎」、歴史はいよいよ戦国から近世の世となる。天下分け目の関ヶ原の戦いに勝つことによって、家康は事実上天下を制した。しかし、その勝利はそれよりさかのぼること50日余り前に行われた軍議の席で決まっていたのだ。すなわち“会議に勝つこと”で、家康は勝利を手中にしていたのである。俗に“鳴かぬなら鳴くまで待とう”といわれた謀略の天才家康の真骨頂がここにある。
目次
第1章 序章としての関ヶ原編
第2章 泰平への長い道編
第3章 天下泰平の構築編
年表
※お使いの端末によっては、図の一部が読みづらい場合がございます。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
電子書籍
知らなかったことが一杯
2016/04/14 18:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:QQ3 - この投稿者のレビュー一覧を見る
徳川家康と言えば本当に有名ですけど、知らなかったことがいっぱいです。歴史上の人物の評価は難しいですね。
紙の本
徳川幕府成立の序章
2020/12/13 09:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○関ヶ原の戦い
豊臣政権の崩壊の最大原因は“唐入り”の失敗ではない
自分の死という事態をきちんと想定し対策を練っておかなかった秀吉の失敗である
秀吉が家康より早く死ななければ徳川幕府の成立はない
両者の生存中は秀吉の方が優位に立っていたのだから、後継者選びの失敗が原因だとも言える
三成は秀吉の遺言“太閤遺命”を守るのが正しい道だと信じていた
それは豊臣家の天下をみだす者“家康”を排除することに他ならない
関ヶ原の戦いで東軍勝利を決定付けた日は、50日前の小山軍議で、ここで福島正則が東軍に味方することを決断したことで東軍勝利が決まった
正則を説得したのが黒田長政であり、小早川秀秋、吉川広家を東軍側に付けたのも長政である
決戦には勝ったが、秀頼をはじめまだ西軍は生き残っている
毛利輝元は120万石から36万石に落とされ、長州へ移された
封建社会では怨みは世襲する
毛利家は、正月元旦の夜明け前に徳川打倒の儀式を行っていた
島津家は、関ヶ原の戦いの日に妙円寺詣りとして当時の悔しさを反復する
○泰平への道のり
譜代大名の創設
関ヶ原の戦い前に徳川家に従っていたものを“譜代大名(63家)”と認めた
征夷大将軍の宣下を受ける条件
実力的なもので、全国の大名・武士を実質的に統轄していること
血統的なもので、源氏の一員かということ
松平家は加茂氏の流れであったものを、子孫が途絶え使われなくなった系図を探しだし、松平家に強引に結びつけて源氏となった
その系図に使われていた姓が“徳川”であった
徳川家の公式系図は新田義貞の子孫“得川四郎”が先祖となっている
大阪冬の陣は、最初は豊臣が勝っていたが、完全包囲された時点で講和を持ちかけられた
講和は、外堀と内堀を埋め立てるという形で結ばれた
豊臣は、防衛力の弱体化を補うため大量の浪人を城内に入れた
徳川方から見れば、反乱を起こすために兵を集めているとしか見れなかった
夏の陣で大阪城は炎上し、豊臣家は滅亡した
その後、大阪城は再建されるが、現在の大阪城は豊臣時代のものである
淀殿が強い者が勝つという戦国ルールを認めていれば、豊臣家に生き残るチャンスはあったが、頑なに徳川家への臣従を拒否した
家康は、豊臣家滅亡の翌年75歳の生涯を閉じた
○天下泰平の構築
室町幕府が滅んだ理由は、将軍と比較して緒大名の力が強すぎたからである
家康は、外様は中央政府機構には参加させず、参加させるのは小禄の譜代大名に限定し、財力と権力の分散により大名統制図った
武家緒法度(無嗣絶家)により、世嗣ぎがいない大名家は取りつぶされた
(福島正則・加藤清正・松平忠吉など)
天皇と倒幕勢力との結び付き回避のため、公家との通婚を禁じた(将軍家は例外)
三代家光からは御台所は五摂家か宮家から出ているが、正妻が次の将軍を生んだ形跡はなく、将軍家が天皇の外祖父になることはなかった
また、禁中並公家諸法度により、天皇の直接政治(軍事)にかかわることを排除した
尾張・紀伊・水戸の中で水戸家だけに与えられた“定府の制”という役割があった
御三家が血統のスペアという公式史料は言霊思想により存在しない
水戸家は将軍家と天皇家が争った場合、天皇家に味方して、血統を後世に残すための“分家”である
幕府が推奨した朱子学は儒学の中でも主君への忠義を重んずるため、将軍家に対する反逆は最大の悪徳となり、徳川家安泰となるはずだった
水戸学は朱子学の忠義を、光圀が”天皇家を日本の正当なる君主”としたため、水戸家出身の15代慶喜の時に、倒幕の原動力となった
紙の本
通説的な内容
2022/06/05 09:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
このシリーズの面白さは、歴史上の様々な人物 事象に対する眉唾的なほど斬新な見方.解釈にある。しかし、戦国末期から江戸初期にかけてはあまりにも多くの作者が様々な新規な解釈.見方の作品を世に出しているためか、さすがの作者 井沢元彦の作品も通俗的なものとしか見えない。