- 販売開始日: 2012/06/01
- 出版社: 新潮社
- ISBN:978-4-10-113404-8
柳橋物語・むかしも今も
著者 山本周五郎 (著)
幼い一途さで答えてしまった「待っているわ」という一言によって、一生を左右され記憶喪失にまで追いやられてしまう“おせん”の悲しい生涯を描いた「柳橋物語」。愚直な男の、愚直を...
柳橋物語・むかしも今も
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商品説明
幼い一途さで答えてしまった「待っているわ」という一言によって、一生を左右され記憶喪失にまで追いやられてしまう“おせん”の悲しい生涯を描いた「柳橋物語」。愚直な男の、愚直を貫き通したがゆえにつかんだ幸福を描いた「むかしも今も」。いずれも、苛酷な運命と愛の悲劇に耐えて、人間の真実を貫き愛をまっとうした江戸庶民の恋と人情を描き、永遠の人間像をとらえた感動の2編。
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愚直な人間に愚直なしあわせを!
2008/11/26 22:30
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トマト館 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「柳橋物語」も「むかしも今も」
も、たった一言で人生がまるっきりかわってしまった話である。
その一言に対して非常に愚直であったばっかりに、困難や苦労に遭遇してしまう。
「柳橋物語」では、おせんが庄吉に言った「待っているわ」
「むかしも今も」では、直吉がまきに言った「まあちゃんだけは、一生しあわせに暮らせるんだよ」
そして、おせんは待って待って待ち続ける。
幸太の愛情さえもふりきって待ち続ける。
また、直吉もまきをしあわせにするために、尽くし続ける。
まきの夫の清次に何度裏切られ、その気持ちが報われなかったとしても。
彼らがつかむものはなんなのか。
それをつかんだのはその仕打ちからすればあまりに遅いともいえるが、
愚直な人間には愚直なしあわせを!と願わんばかりの結末である。
おせんと直吉、二人の主人公の芯の強さを少しでも見習いたいなと思い本を閉じました。
2012/05/29 21:50
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「柳橋物語」評価10点。
この物語はやはり究極の三角関係といったらよいのでしょうか。
主人公のおせんを幼馴染として育った2人の男である庄吉と幸太がとりあうのですね。
実はとりあうという表現ほど直接的じゃないのです。
庄吉は大坂に行って、残されたのは幸太とおせんです。
おせんは将来を庄吉に誓うことによって操をたてるのですが、物語は江戸を襲った火事によって急変するのですね。
そしてその後、庄吉と再会、大きな誤解が生じ2人の間に大きな溝が生じます。
その後最終的におせんのとった行動に拍手を送ったものでした。
凄く女性としてまた人間として立派なものだと強く感じました。
その根底にはやはり拾った赤子を幸太の子供として育てていくという強い気持ちがあったにもかかわらず、読者は本当の幸太の子供ではないということを知っているからです。
おせんに対してやはり不幸な女性であるという偏見めいた見方をしてたんだと思います。
そしてそういう見方も偏見と言う言葉を使いましたが、決して無理のある見方ではない、どちらかといえば主流なのかなと思います。
今回、再読して逆に感じたのは、おせんが決して不幸な境遇だったとは思えなかったのです、不運ですけどね。
私は却って針仲間のおもんの身を持ち崩して行く姿がおせんよりも不幸なように感じました。
というのは、庄吉はこの物語の中ではどちらかと言えば悪役めいた役割を演じてますが、物語の初めの告白から江戸に戻ってくるまで、少なくともおせんに対する愛情は尋常なものではなかったはずだと私は確信しています。
いずれにしても、主人公のおせん、最後にはたくましく生きることを貫きます。
そのたくましさが“八百屋”を営むことによって描かれているところが作者の優しさなんでしょうね。
そのたくましさの源は死んだ幸太の愛情だけでなく、冷めきってますが過去の庄吉へのいちずな思いがそうさせたんだなと私は捉えています。
人を愛することって難しいけど素晴らしいことです。
その答えを読者なりに見つけだすことができる傑作中編だと思います。
「むかしも今も」評価9点。
主人公の直吉は愚直で風采の上がらない男として描かれています。
彼は幼い時に両親を亡くし、紀六という指物師の家に世話になり、まきの子守役となります。
対照的にまきの夫となる清次は美男で大店の出です。
物語としてはやはり予想通り、その美男の清次とまきが結ばれ結婚します。
だが清次の欠点が露呈されるのですね。
まきと結婚してからも博打をやめることが出来ずに落ちるところまで落ちる清次。
直吉は亡くなったまきの親父さんから後見を頼まれてるのです。
物語に“つき当たり”という言葉が出てきて重要な役割を演じています。
これは直吉とまきとが幼いころに遊んだ場所の名前なのです。
いわば2人の長年の愛情が築き上げられた場所として描かれています。
まきが失明した後も献身的に支える直吉の姿が印象的です。
これはなかなかできませんよ。
ラストが少しはっきりせずに読者に委ねている部分のあるのが作者の心遣いだと受け取っています。
私的には若気のいたりで、まきも清次に想いを一時的に寄せたのですが、ずっとまきと直吉との間には深い愛情がお互いに芽生えそして育っていたんだと思います。
お互いが相手をいたわっているのですね。
二つの物語を読み終えて、江戸時代であれ現代に通じること、そう人は人を愛さずにいられない儚いけど素敵な生き物なんだということを再認識してしまうのです。
涙。
2002/07/31 23:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山本周五郎は主人公を苛める作家だ。
「柳橋物語」は、おせんが哀れで仕方が無かった。赤ん坊なんて棄ててしまえば良いのにと、じれったかった。しかし、まだ若い娘は男に告白をされただけでその男を好きなのだと錯覚してしまうことがある。山本周五郎はそうした女性の微妙な気持ちを知ることが出来、嫌な感じでなく書くことの出来る作家だ。私がこの作品を読んだのは感受性の旺盛な十二・三歳の頃だったので、読み終わった時に涙が止まらなかった。
「むかしも今も」もまた泣いた。努力すればきっといつか成功するというのは奇麗事で、現実には幾ら努力しても報われぬことが多いだろう。その意味では山本周五郎の作品は美しいだけで現実性が希薄ということになるのかもしれない。それでも私は周五郎の作品を読んで、束の間でも感動したいのだ。
青い鳥はどこにいるのか
2017/03/21 07:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『青い鳥』は幸せの鳥は実は自分のもっとも近くにいるという内容の童話だったと思うが、山本周五郎が昭和21年発表した『柳橋物語』も、昭和24年の『むかしも今も』も描き方の視点は違うが、「青い鳥」ではないかと読み終わったあと何日か経って思った。
『柳橋物語』は徹底的に悲劇の連続である。
主人公はおせん。彼女には幼い頃から馴染みのあった庄吉と幸太という二人の男がいた。二人は同じ大工棟梁の弟子で、幸太がその後釜に決まる。そうなると庄吉の居場所がない。庄吉はおせんに自分を待っていてくれ、必ず迎えに来るからと上方へと向かう。
そんなことを知らない幸太はしばしばおせんの元をたずねてくる。悪い噂が立つことを恐れたおせんは強い口調で幸太を拒否する。
そんなおせんの身の上に大火という災害が襲いかかる。かろうじて幸太がおせんを救い出すが、その幸太は死んでしまう。そして、おせんは記憶を失うのだが、その手には行きずりの幼子が。
これだけではない。さらにおせんに不幸が襲うのだが、最後には本当の愛に気づくことになる。
もうひとつの『むかしも今も』は直吉という愚直な男の視点で語られた物語。
ここでも一途に世話になる家の娘まきを愛する直吉に過酷な運命が度々訪れるのだが、直吉は愛を貫くことになる。
そして、まきは自分の幸せをいつもそばにいる直吉に見出すことになる。
二つの作品を比べれば『むかしも今も』の方が好きだ。
『柳橋物語』はおせんの運命が悲劇すぎるし、彼女が待つ庄吉に魅力を感じないからだ。庄吉がもっと魅力的であれば、おせんの悲しみはもっと深かったかもしれない。
波乱万丈の人生
2017/06/28 08:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ME - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代はよく言えば隣近所も含めて面倒見がいい、義理人情に厚い、悪く言えばおせっかいというのが非常に感じられた。どんなに苦しいことやひどいことがあっても自分の信念を持ち、貫き努力して生きるということが最後には幸運を呼ぶ、という小説だろうか。
今から50年以上も前の小説なので、表現も古く、読む際には辞書を多用した。その点は電子書籍は便利である。