ニッポンの思想
著者 佐々木敦 (著)
80年代、、浅田彰・中沢新一が登場した衝撃、柄谷行人・蓮實重彦の思想、90年代における福田和也・大塚英志・宮台真司の存在感、ゼロ年代に大きな影響を与えた東浩紀。思想と批評...
ニッポンの思想
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商品説明
80年代、、浅田彰・中沢新一が登場した衝撃、柄谷行人・蓮實重彦の思想、90年代における福田和也・大塚英志・宮台真司の存在感、ゼロ年代に大きな影響を与えた東浩紀。思想と批評がこの一冊でわかる。
目次
- プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
- 第一章 「ニューアカ」とは何だったのか?
- 第二章 浅田彰と中沢新一──「差異化」の果て
- 第三章 蓮實重彦と柄谷行人──「テクスト」と「作品」
- 第四章 「ポストモダン」という「問題」
- 第五章 「九〇年代」の三人──福田和也、大塚英志、宮台真司
- 第六章 ニッポンという「悪い場所」
- 第七章 東浩紀の登場
- 第八章 「動物化」する「ゼロ年代」
- あとがき
著者紹介
佐々木敦 (著)
- 略歴
- 1964名古屋市生まれ。HEADZ代表。早稲田大学教育学部、武蔵野美術大学非常勤講師。文学、映画、音楽など幅広く批評活動を行う。著書に「「批評」とは何か?」など。
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知りたい「今」への流れを概観する、バランスの取れた解説書
2011/08/28 11:24
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
80年代からの、つまり「ニューアカ」以降の「思想」の流れについて、ニューアカの代表としての浅田彰、中沢新一から始まり、柄谷行人、蓮實重彦と続き、90年代の代表として福田和也、大塚英志、宮台真司を経て、0年代の東浩紀までを辿ったもの。思想の内容よりも、どのように発信され、どのように受け取られてきたかという、特にパフォーマティブな側面にポイントを置きつつ、思想と世の中との相互作用を流れとして捉えているのが特徴か。
ノンフィクションでもときどき小説のような楽しさで読める本というのがあるもので、私にとってはこの本はそうした一冊だった。楽しい。著者のことは全く知らなかったので、もしかしてハズレではないかという心配もないではなかったが、読み出してすぐにまともな本だと思えた。たぶんそんなに深みに入り込む論考ではないだろうが、概略を得るのには、著者の記述はわかりやすいし、穏健で癖がないから反撥もなくていい。同時代の批評、思想、哲学を概観する、という意味では、永江朗の『批評の事情』などと通じるだろうか。著作の性質上、一本芯の通った展望があるのもいいと思った。
過去になってしまったことと違って、同時代をまとめて考えるというのは難しい。理想的には個々の思想家批評家を読んで、その流れなども自分で看取感得できればいいのだが、到底無理。となると全体を俯瞰してくれる良心的なバランスのいい本がありがたいわけで、本書はそういうものだと思う。
当然ながら、もっと次元の高い読者からは、不満があったり、あるいは評価するにしてもいろいろ違ったポイントがあるのだろう。だが、私のような素人にはとても有益な解説書であると思った。これを機に、関連する書物をあれこれ読んでみたい気がしている。
現代日本思想の流れ
2020/01/12 12:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
浅田、中沢から柄谷、蓮実、さらに宮台、福田、そして東へといたる日本思想史。現代を代表する思想家が東浩紀しかいないというのは、他の本を見ていてもそんな感じがする。思想の流行に、ある程度のパフォーマンスが必要だというのは、その通りだと思った。
『ニッポンの思想』ではなく、『ニッポンの“批評”』が正解。
2009/08/17 16:28
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
たまたま出先の書店で時間つぶしのつもりで買ってみたのだが、なるほど、けっこう売れているというだけあって、中々楽しく“は”読ませてもらった(笑)。
たぶん、多くの「若者」にとっては、本書で取り上げられている人物は、リアリティーのある(知っている)者ばかりであろう。しかし、私のようにもう少し年代が上だと、どうもこういったメンバーを『ニッポンの思想』と呼ぶことには抵抗がある。
浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人、福田和也、大塚英志、宮台真司、東浩紀といった人達を中心に著者の話は進んでいくが、浅田は論文を一切書かない司会者、中沢は学者と呼ぶには詰めの甘いエッセイスト、蓮實は映画評論家・文芸批評家、柄谷は文芸批評家、福田・大塚・宮台・東はいずれもオタク支持系批評家といったところか。私のこういう分類はかなり強引であるし、正確に言えば間違っているというか、追加説明が必要なのであるが、完全に間違っているということでもないと思うので、こういうことにしておく。
さて、こういったメンバーを『ニッポンの思想』として論じていく佐々木氏であるが、どうみても『ニッポンの“批評”』に改題すべきだと思うのは、私だけであろうか?
著者の個人的戦略でこいうタイトルをつけるのは自由であるが、本を売るためだとしたら、何とも浅ましい。そして、反対者の多くいる本は、これまたこれで話題になり、興味本位で買われて、本自体は売れていく。何か商売根性がこすっからいほど明け透けで、どうしても「それなりに雑誌感覚で面白かった」という感想しか残らなかった私は、むしろ少数派であるのだろうか・・・。
そこらへんのところは、よく分からないが、著者である佐々木氏の「インテリジェンス」自体もかなり低いということが、本書を読んで判ったことだけが収穫であった(私はもう佐々木敦の著作は買わない)。
最後の東浩紀についての言及が、やたら長い。私は東浩紀については全く関心が無いので、そこは読んでいて辛かった。
どちらにしても、「思想家無き現代ニッポン」を省察するには、それなりに役目を果たしてくれる本ではあると思う。