歴史書と小説の間
2007/10/04 18:08
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばんろく - この投稿者のレビュー一覧を見る
「歴史小説」を読んだことがない、と言う人はいないと思うので、試しに今まで読んだ物をざっと思い出してみてほしい。それはどんなタイプの小説だっただろうか。歴史上のある一点に焦点を絞って人間ドラマや政治的策謀を描き出すものか、それとも幾多の事件を有機的に結びつけていくことで歴史の流れを浮かび上がらせるものであっただろうか。前者は歴史を舞台としているが小説に近く逆に後者は歴史書に寄っているといったように、歴史小説は歴史と小説との間にあってその位置取りが作品の一つの重要な性格となる。さらには人物に魅せられてこの両立を図ろうするとこれがたちまち大長編に編み上がってしまうようでもある。勿論これは一つの見方であって、またこれには括られないものもあるかもしれないが、今回はこの観点で紹介していきたいと思う。
ペリー初来航から9年、日米修好通商条約締結から4年後、神奈川の生麦で起こった薩摩藩士による外国人商人殺傷事件すなわち生麦事件から明治維新までを詳細に綴る。英国・幕府・薩摩藩の三角関係を生む生麦事件を発端に据えることが幕末期各人がいかに対等に交渉を繰り広げたか、言い換えれば幕府がいかに権威を失っていたかを象徴し、時代に追随できない幕府を尻目に薩長をはじめとした雄藩が、列国との直接接触を通して攘夷から開国へと世論を変化させていく姿が見事に描かれている。
年数にすれば約6年であるが、この濃密な時期を俯瞰する形で描ききる本作は、緊迫や狼狽、安堵といった雰囲気を文学的な表現でよりも書き込む事象の密度や配列、つまり構成によって生み出している点が大きな特徴である。各人の思惑がぶつかり合う中での苦悩、葛藤といった時代転換期の熱気は確かに伝わってくるのに、心理的な描写はと見てみるといたってシンプルで、淡々とした形容詞を用いるのみのことが多い。場の緊迫感をひしひしと感じさせるのは次から次へと舞い込んでくる情報によってで、例えば事件の直後や英国への賠償問題の回答期限が迫る場面などでメモなぞ取ろうとすれば、ノートには全てのページ番号が振られてしまうなんて事になりかねない。
これだけの収集され整理された情報を目の当たりにするだけで著者の執着力を感じさせるが、これを冷静に並べていく事の出来る事が驚異である。これだけの材料が揃えればその一部だけでも十分にものを書くことができるはずだが、もし一つ一つを自分の言葉で表せば最終的な全体像は膨れあがったうどんのようになってしまうだろう。自国商人の憤怒を押さえながら冷徹な外交を繰り出す英外交官、薩摩藩の横柄な態度とそれに厳然とした態度で臨む現場職の神奈川奉行、挟まれた幕府の閣僚の狼狽、押し黙る閣議の空気といった、もとより我々が想像・共感しうることは書かないという程の姿勢が、この作品を洗練されたものにしている。別の言い方をすれば日本人はこの作品を読んで満足するが、思考の異なる外国人は行間が読めず全く面白くないのでは、と思わせるような書き方である。
歴史という非常に長いスパンのものを書くに当たって個々の事象よりその繋がりで興奮を呼び起こせるというのは、まさにその手法としてふさわしいように思える。歴史を生で小説にする構成力はすばらしい。
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(2008.09.14読了)(2008.02.23購入)
NHK大河ドラマ「篤姫」の進行をにらみながら読み始めました。9月14日放映の最後で、「生麦事件」が出てきましたので、ピッタリでした。でもまだ下巻が残っています。
1862年3月16日、島津久光は7百余名の従士を従えて鹿児島城下を離れ、京都へ向かった。(7頁)京にのぼった久光は、朝廷の権威の強化、幕政改革、公武合体の必要性を説き、具体策として幕政刷新のため一橋慶喜を将軍後見職に、越前前藩主松平慶永を大老に登用し、過激な攘夷論者の動きを封じることを主張した。(10頁)
久光の主張を実現するために、公卿大原重徳が勅使に任命された。
5月22日、大原は京を出立し、久光は藩士4百余とともにそれに随行して江戸に向かった。6月7日、江戸に着いた。(11頁)
幕府と交渉の結果、一橋慶喜を将軍後見職に、松平慶永を政治総裁職に任じることになった。(7月1日)
江戸へ来た目的を果たした久光は、8月21日に江戸を出立し、京に引き返す。
行列が生麦村に差し掛かった時、外国人の馬に乗って、やってきた。
馬に乗っているのは、男3人、女1人のイギリス人であった。(36頁)
4人のイギリス人は、馬に乗ったまま行列と擦違おうとしたが、久光豪華な駕籠に乗って担がれているため、接触せずにすれ違うことは不可能だった。(44頁)
すれ違う際、リチャードソンの馬が暴れたため、リチャードソンが藩士に切られ、死亡した。生麦事件である。
久光の行列は、外国軍隊の報復を恐れ、警戒しながら、東海道を西へと急いだ。
逃げたマーシャルとクラークとマーガレットは、アメリカ領事館に入った。怪我をしたマーシャルとクラークは、領事館付医師ヘボンの手当てを受け、命に別条はなかった。(69頁)
イギリス領事ヴァイスと警備士たちで、薩摩藩士を追いかけ復讐しようとしたが神奈川奉行とフランス公使の説得で、追跡を諦めた。(81頁)
神奈川奉行は、島津の一行に使者を送り、島津久光に下手人引き渡しを求めたが、外国人を切ったのは、浪人であり、薩摩とは関係ない、と回答した。(96頁)
その後、イギリス代理公使ニールと幕府の間で交渉が重ねられる。
ニールの要求は、「下手人の引き渡しと処刑、さらに久光を捕えて吟味する」ことであった。
久光は、9月7日鹿児島に戻った。(160頁)
2月19日、イギリス軍艦8隻が横浜に入港し、本国からの訓令をもたらした。(177頁)
イギリスからの幕府に対する要求は、「謝罪書をイギリス女王に提出すること、賠償金10万ポンドを支払うこと」であった。
薩摩藩に対する要求は、「リチャードソンを殺害した藩士を捕え、イギリス海軍士官の眼前で首をはねること、賠償金2万5千ポンドを支払うこと」であった。(178頁)
5月9日、生麦事件に関する幕府とイギリス側との交渉は、完全に決着を見た。(213頁)
長州藩は、攘夷論者の公卿たちと結び、家茂に攘夷決行を鋭く迫り、4月20日に攘夷期限を5月10日と定めさせた。(227頁)
幕府は、攘夷を実行する気はなかったが、長州藩は、赤間が関で準備を整え、5月11日午前2時アメリカ船に砲撃を加えた。5月22日には、フランス船に砲撃を加えた。
5月25日には��オランダ軍艦に砲撃を加えた。
6月1日、アメリカの軍艦が報復にやってきた。赤間が関の台場は破壊され、3隻の船も甚大な損傷を受けた。
6月5日には、フランスの軍艦が報復にやってきた。フランス兵が上陸し、台場を破壊し、寺や民家を焼き払って引き揚げた。
朝廷は、長州藩をほめたたえた。
アメリカ、オランダ、フランスは、長州藩に賠償を求めることになる。
イギリスは、薩摩藩と直接交渉するために6月23日、7隻の艦隊で、横浜港を出港した。
(2008年9月24日・記)
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この本は、生麦事件だけを捉えるのではなく、当時の複雑な薩摩藩の政治的な動きを克明に描いているもの。会津についたり、長州についたり、薩摩の政治力は幕府のそれを凌駕し、生麦事件をきっかけとしたイギリスとの接触が大きな影響を与えている。
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島津久光の大名行列に、イギリス人が乱入し、1名が殺害された生麦事件。
はるか昔の知識を引っ張り出しながら読み進めたけれど、やっぱりイギリスおかしいよ!
現地法に従うのが第一で、治外法権とかで結んでくる諸外国の方がずっと野蛮だと思うのです。
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薩摩藩の一貫した主張も分かるのですが、それ以上に印象に残ったのは幕府の老中、ならびにニール公使の苦悩。間に立つ人はいつの世も大変なんだなあ。
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父にプレゼントした本。
面白かったから読めとわたしのところに舞い戻ってきた(笑)
読んでみると…
品川、大森など、ちょうど通勤経路にあたる場所がバンバン出てきて、電車の中で読みながら、このあたりでこんな事件が…と臨場感ありまくり、かつ非常に不思議な気持ちになった。
最初は英国人たちが斬られる場面描写に驚いた。
「生麦事件」という名前しか知らなかった事件が、実際にはどんな人たちがどんな状況下で、どんなふうに殺傷されたのか…
自分の生活圏で起きた事件であることも手伝って、何百年前の出来事が蘇ってくるように感じた。
絵空事でも何でもなく、本当に人が血を流し、叫んだのだ…と胸に迫るものがあったのだ。
が…、その後は薩摩藩、長州藩、幕府、朝廷等、政治的な動きが中心となり、それが延々と続くので、わたしには苦痛で……がんばったものの、上巻で断念。
『坂の上の雲』も同じ理由で断念したのだったよなぁ。
だめだなーわたしは、こういう政治劇的な歴史ものは。
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白い航跡からの流れで生麦事件へ。薩英戦争の発端として知られるこの事件、白い航跡でもわずかに触れられたが、その仔細、絡み合うそれぞれの立場などが吉村昭らしい息遣いの届く表現で描かれている。
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江戸幕府、朝廷、長州藩、薩摩藩の夫々の動静がよくわかりました。イギリス代理公使に対する返答の引き延ばしのあれやこれやは、いまの政府の国会での答弁のように思えてきました。今も昔も言い訳には苦労しています。
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★★★2016年1月★★★
生麦事件という事件を通して幕末史を深く分析した作品。「大名行列を横切った外国人を薩摩藩士が殺害した」という事件を、薩摩藩、幕府、外国人それぞれの動きが詳しく書かれている。これを読むと「幕府が可哀想」と思ってしまう。それぞれの人間に立場や苦悩があるんだと感じた。少し驚いたのはまるで島津久光が名君であるかのようになっていることだ。こんな本は初めて。
☆☆☆2019年3月☆☆☆
行列を横切ったという理由で殺されてしまったリチャードソンを憐れに感じた。彼らにも悪気はなかったように感じるから。また、立派だと思ったのは事件発生直後の英国公使ニールの冷静な態度。決して感情的にならず、横浜での戦争発生を防いだ。前回読んだ時と同様、島津久光が名君として描かれているのには違和感を感じた。
それにしても、事件発生直後に薩摩側から英国居留地を襲撃しようという計画を本気で持ち出した人物がいたというのも驚きだ、勇敢というか、野蛮というか。
この一連の事件では幕府に同情してしまう。
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今年は生麦事件から150年の節目にあたる。生麦村は東海道の川崎宿から神奈川宿の間にあり、人馬の交通量の多い場所だった。江戸と横浜の往来には必ず通る。当然西国からの大名行列は普く生麦を通過する。
事件は薩摩藩の島津久光が江戸から薩摩へ戻る道中で起こった。横浜の居留地から川崎大師へ馬で遠乗りに出かけたイギリス人4人が大名行列に出くわしたが、街道が狭かったため行列を避けることができず、列の前面に押し出されてしまった。それに対して護衛の武士数人がが斬りかかり、一人がその傷がもとで絶命してしまった。
これを知ったイギリス公使は激怒し、横浜に駐留する諸外国の軍事力を背景に、幕府と薩摩藩に下手人の斬首と賠償金を求めた。幕府はそれに応じたが、薩摩藩は勅命で京に急がねばならぬと早々に逃げ、要求を事実上拒否した。
これにより日本は、隣国の清のように諸外国との戦争に突入する可能性が大きくなり、存亡の危機に瀕した。
なんとなく攘夷の騒乱のひとつだろうくらいに思っていた生麦事件が、実は日本の行く末を揺るがす一大事だったことがこの本を読んでよく分かった。早く下手人を引き渡して謝罪すれば、賠償金も多少は値切ってくれただろうに、それをしない薩摩はなんて傲慢なんだ、と当初は思った。でも読み進めていくうちに、薩摩は薩摩なりに、そんな卑屈な態度をとらなくても切り抜けられるとの目算があったことがわかる。
薩摩は以前から藩財政の再建に着手しており、琉球との貿易(不平等貿易)と、奄美の糖きびの専売により、利益を上げていた。それを軍事の増強と西洋式の兵法改革に注いでいたため、攘夷にそれなりの自信を持っていたのだ。
しかし実際に薩摩の地でイギリスと戦うことで、彼我の戦力の差に歴然とする。そもそも威嚇をする程度に考えていたイギリスは、悪天候もあり、まずは引き揚げた。
戦争はひとまずは引き分けとなった。しかし本腰を入れてイギリスが攻めてきたらひとたまりもないことがわかった薩摩は攘夷を捨てた。
薩摩が攘夷を捨てたこと。これが明治維新への大きなターニングポイントとなる。
始めから終りまで抑制が効き、緊張に満ちた描写で、事件の全容が次第に明らかになる。幕府や薩摩の武士の立場だけでなく、街道沿いの庶民の目線や居留地の外国人の目線からも詳細に描かれており、まるで自分が当事者かと錯覚するくらい引き込まれた。吉村昭はすごい。
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幕末の薩摩藩によるイギリス人殺傷事件について、事件が起こった後の薩英戦争や長州と4カ国連合艦隊との戦争など、時代背景や列強との交渉における両国の話し合いの詳細について淡々と説明する。著者の小説の特色だろうが、主人公などの設定は基本的には無く、ただ淡々と説明する感じであり、司馬や宮城谷小説を愛読する方には物足りないだろう。ただ、生麦事件という、それだけを扱った著書はあまりないため、それについては、その詳細を知るには役立つ。
さて、その生麦村の事件については、薩摩藩の家臣が外国人に斬りつけたのは島津久光はやむを得ぬことと、その行為を是認していたし、外国人であり、幕末から明治維新までをつぶさに見てきたアーネスト・サトウも、斬られたイギリス人について、その振る舞いや、薩摩藩の事前の注意喚起など総合的に見て、斬られても仕方ないこととイギリス側の非を認めていた節がある。大名行列は、藩の威信を示すものであり、藩士達は身なりを整え、定められた序列に従って生前とした列を組んで進む。それは儀式に似たもので、その行列を乱したものは討ち果たしてもよいという公法がある。日本に居住する外国人たちは、日本で生活する限り、その公法を十分に知っているべきであるが、殺傷された外国人たちは、下馬することもなく、馬を行列の中に踏み込ませるという非礼をはたらいた。それは断じて許されるものではなく、斬りつけたことは当然といえる。しかし、国情の違いから、イギリス公使ニールが憤激し、強硬な態度で激しい抗議をし、武力行使にでるといきりたつのも、これまた無理からぬことだったのかもしれない。
そして薩英戦争に至るのだが、戦争に至るのはやはり当初は、日本でも先進的な薩摩藩といえども攘夷論が藩を支配しており、少しでも批判めいた言葉をもらそうものなら、激しく面罵され、ことと次第では、命までとられかねない実情であった。しかし、薩摩がすごいのはそれからだ。イギリスとの戦争を経験し、勝敗は五分五分、というよりは、イギリス側が、薩摩がそんなに準備万端で、良く統制も取れているとは知らずに、準備不足のまま、恫喝すればいちころよ、と簡単な気持ちで挑んだことが、五分五分より薩摩側の勝利であったような戦いだった。しかし、戦争に従事した藩士達は、イギリス艦隊の想像を絶した戦闘力に茫然自失という有様だった。自由自在に素早く行動する各艦から発射される椎の実型の砲弾は、驚くほどの距離まで飛び、命中精度は高く、破壊力もすさまじい。藩の所有する兵器とイギリス艦隊の装備とは、比較にするのも愚かしいほど大きな隔たりがあり、欧米諸国の武器の著しい進歩に日本がはるかに取り残されていると感じ、すぐさま方向転換、攘夷から開国へと思想転換したところがすごいのだ。非常に柔軟なものの考えであったし、これは、長州も同じであった。
そして、イギリス側と和議を結び、外国の軍艦や武器の調達を急激に進め、倒幕へと進んでいくのである。
でも、やはり誰かを主人公にして、会話を取り入れながら話が進む歴史小説の方が私は好みなので、★2つ。買って、読み進めた後で、しまった、この人だった、と思ってし���ったが、冒頭に書いたように、珍しい題材だったので最後までよんだ。
全2巻
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神奈川県を舞台とした小説の一つとして。
タイトルの通り、幕末の大きな事件の一つである「生麦事件」を扱った歴史小説です。
作者の吉村昭は『羆嵐』などで有名ですが、史実に基づいた精緻な描写がこの作品でも展開されています。
幕府や薩摩藩の対応を批判するのでもなく、かといって賛美するのでもなく、冷静な視点から描かれており、戦闘描写・外交交渉の様子などもとてもリアルに感じます。
特に、事件についての久光の主張「生麦村の事件については、家臣が外国人に斬りつけたのはやむを得ぬことと久光はその行為を是認していた。大名行列は、班の威信をしめすもので、藩士たちは身なりを整え、定められた順序に従って整然とした列を組んで進む。それは儀式に似たもので、その行列を乱したものは打果たしてもよいという公法がある。日本に居住する外国人たちは、日本で生活するかぎり、その公法を十分に知っているべきであるが、殺傷された外国人たちは下馬することもなく、馬を行列の中に踏み込ませるという非礼を働いた。それは断じて許されるべきではなく、斬りつけたことは当然といえる。▼しかし、国情のちがいからニール(英国代理公使)が憤激し、強硬な態度で激しい抗議をしているのも無理はなく…」もわかりやすくまとめられていましたし、生麦での事件そのものの描写も、殺傷された外国人の前には「礼儀」を守った外国人がいたことなども描かれているほか、「無礼」な4人の外国人たちにも悪意が無かった(意図的に行列を軽視して列を乱したわけではなかった)ことなども描かれていて、興味深く読むことができました。
一方で、やや、長州藩に対しては少し批判的な印象も受けました。
事件勃発から。薩英戦争前夜までが上巻では描かれています。
【下巻に続く】
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生麦事件が起こった,としか日本史では習わないが,この事件こそが近代日本になるべく薩摩藩を押し進めた最大の要因とも言える一大事であり,あまりに面白く,手に汗握る展開で2冊を一気に読み終えてしまう.
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「法に従ったとはいえ、殺すのはよくない」「事に付け込んで列強が攻めにくる」。倫理面、政治面から薩摩側を責めたくなりがちだ。当の藩も嘘の言い訳をし、暗に非を認めている。ただ、当時の国際世論はあながち一方的でもない。NYタイムズは被害者側の無礼さこそを断罪している。攘夷は無謀だ。しかし、その後の歴史が証すように抵抗することで独立が保てた。生麦事件、下関戦争。どんな争いにも多面性がある。幕府、薩摩、長州、列強。今のところでどこにも肩入れして読んでいない。後編、薩英戦争。新たな視点が得られることを期待する。
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かなり早い段階で事件が起こって、これからどうするん?と思ったけど、その後のほうが大事なのね………。攘夷と外国協調路線、薩摩藩、幕府、朝廷それぞれの思惑とパワーバランス。激動期をダイナミックに描く。