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「危険をしっかりと伝えれば、人間は逃げる」というのは嘘、と言い切る。人は自分が死ぬことを考えるのが苦手であり、「今がその時」であってもそれほど大した問題ではないと思いたがる。周りの人たちも同じように考え、認知的不協和や同調圧力も手伝って、「この間も大丈夫だったし周りも騒いでいないから大丈夫」と正当化して自分自身を納得させてしまう。元来、逃げようとしない傾向をもつ人間を、「率先して逃げる住民」にするために何が必要かを説く。
避難は3つに分類できるが(緊急避難(evacuation)・滞在避難(sheltering)・難民避難(refuge))、行政が対応できるのは滞在避難・難民避難の2つだけ。津波から逃げるといった緊急避難時には、行政の退避勧告を待つことなく主体性を持って率先して逃げることが、自分のも含めて周りの生命を助けることにつながるとのこと。避難の三原則は「想定にとらわれない」「最善を尽くす」「率先避難者になる」の三つ。
災害情報や避難勧告を行政に任せっきりで自分で全然判断していなかったことに気づいて驚く。自分一人ですべては出来ないけれど、他人に任せるのは何で、自分で判断しなくちゃいけないのは何かを通常時から考えておくことは大事。2016年の最初の一冊から良書でした。
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釜石市では死者・行方不明者が1000人を超えた。8年間にわたる片田の防災教育がなければ被害はもっと大きくなったことだろう。「人が死なない防災」とは単なるスローガンではない。片田に「釜石の奇蹟」を誇る姿勢は微塵も見当たらない。むしろ「敗北である」として我が身を責めている。
https://sessendo.blogspot.jp/2016/07/998.html
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人間は元来逃げない。最初に届いたリスク情報を無視する。
あらゆる災害は想定外。
防災は防御の目標を置くこと。
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防災の第一優先は「人が死なない」こと
その為には,住民一人ひとりに求められる内発的な自助・共助意識が大事
健康についても同じだけど,人は自分の命,安全を他に依存している節があると思う。
「正常化の偏見」「認知不協和」は防災に関わらず,人間の性質。そのままだと,いかに人間は避難しないかという事を突き付けられた。
防災の焦点が,「どのように」に当てているのが良かった。
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いろいろな意味で目からうろこの防災のあり方。
まず、自分が率先避難者として命を守ること。
行政やマスコミ、情報依存体質にならないこと。
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[ 内容 ]
小中学生の生存率、九九.八%(学校管理下では一〇〇%)。
東日本大震災で大津波に襲われた岩手県釜石市で、子どもたちはなぜ命を守ることができたのか。
そこには、震災前から地道に積み重ねられてきた、画期的な「防災教育」の効果があった。
本書では、二〇〇四年から釜石市の危機管理アドバイザーを務めてきた著者が、主体的な避難行動を可能にした「防災教育」のノウハウを余すところなく公開するとともに、いつ災害に襲われるかわからない私たちすべてが知っておかなくてはならない「生き残るための指針」を提起する。
[ 目次 ]
第1章 人が死なない防災―東日本大震災を踏まえて(「安全な場所」はどこにもない;釜石市の子どもたちの主体的行動に学ぶ ほか)
第2章 津波を知って、津波に備える―釜石高校講演録(二〇一〇年七月二日)(津波への備えは、釜石に住むための作法;インド洋津波の惨状 ほか)
第3章 なぜ、人は避難しないのか?(災害は社会的な概念;笑顔と歓声のある被災地 ほか)
第4章 求められる内発的な自助・共助―水害避難を事例に(避難勧告が出せない事例;「全市民への避難勧告」は妥当か? ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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【由来】
・浜益WS開催の参考書として村中先生から
【期待したもの】
・サラッと読んで、話についていければよい
【要約】
・
【ノート】
・
【目次】
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・自然災害は想定を超えるから災害となるのだが、想定を際限なく上げることが防災の本質ではない。そんな財源がどこにもないし現実的ではない。
・”想定外だったから”でも、”想定が甘かったから”でもなく、”想定にとらわれすぎていた”ことが問題。(→「これだけ巨大な防潮堤があれば安心」「ハザードマップでうちは色のついていない地域だから大丈夫。」といった固定観念。)
・人間は嫌な情報・予想したくないことには眼を向けたがらない・自分の死を直視できないという習性がある(→「煙の匂いもしないから大丈夫だろう」「非常ベルが鳴ってもみんな逃げていないし」「わかっちゃいるけどできない」といった正当化の偏見・集団同調・認知不協和)。まずは、”避難しない自分を正当化し、心の平静を保とうとする自分自身”を理解することが備えへの第一歩。
・防災における行政の過保護⇔市民の過剰な行政依存という問題。行政の発表する情報に自らの命を委ねている、あるいは行政が動き出すまで自分では動かないという主体性のなさが問題。発災したその瞬間の命からがらの緊急避難(エバキュエーション)のタイミングはみな個人個人で状況・条件が違うので自分で判断しなくてはならない。自分の命を守れるのは自分しかいないということ。
・行政だって被災者。自然の猛威に対して「誰がやるべきか」という議論は不毛。できないものはできない。「誰ならできるのか」という観点に立つことが重要。
・自然の恵みに近づくほど、自然の大きな振る舞いにも付き合わなければならない。海でも山でも平地でも、どこにいっても100%の安全なんてない。
・帰宅困難など防災の問題ではない。生き残った人たちが自宅に帰れず困ったというだけであって3日もあれば解決する。
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行政を頼らない「内発的な自助」の考え方を子供に叩きこむことの重要性を説いている.釜石市で津波から子供たちを守った実例は非常に貴重であり、自助の考え方を広めていく必要があると痛感した.
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仕事で環境防災学部を知る上で環境防災を理解しようと思って読みました。生きる上で大切なのは十分分かるがあとはこの知識をどうビジネスに繋げるか
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■避難の三原則
①想定にとらわれるな
・端的に言えば「ハザードマップを信じるな」
②最善を尽くせ
③率先避難者たれ
■一家滅亡,地域滅亡という悲劇ばかりを繰り返してきた中でできた言い伝えが「津波てんでんこ」
■明治三陸津波では震源地では大きい地震があったがゆっくり動く地震であったため,釜石のあたりは震度1か2くらいであった。
■津波は並ではなく海の壁
・海底の深いところでは時速800キロぐらいのスピードで伝播する
・浅くなると急ブレーキがかかり水深500メートルで新幹線並み,100メートルで車並み,10メートルで人間が走るぐらいのスピードとなるため,波が積み重なって高くなる
■行政がやるべきだとかどうだとかという問題ではなく,自分自身が家族と逃げられるか逃げられないか,それだけが結果として犠牲者を出すか出さないかの分かれ目となる。避難の支援などを「誰がやるべきか」という議論は不毛。「誰がやるべきか」ではなく「誰ならできるのか」という観点で考えることが重要。
■「避難勧告が発令されたら逃げる」「発令されなければ逃げない」という単純な話ではない。その状況でどうするべきかという判断ができる主体性とか知恵が重要。
■日本の防災は個々の住民が自分の命を自分で守る意識と災いを避けて通る知恵を持てるような方向へ進めていかなければならない。
■日本の防災は災害対策基本法に基づいているが読んでみると防災は全部行政がやれと書いてある。住民の努力義務のことが書いてあるが行政側は「責務」である。つまり行政が全部やれと書いてあるわけだが無理があるに決まっている。
■犠牲者を減らそうと思ったら行政ではなく国民自身がやるべきことが出てくる。
■日本の防災は災害対策基本法に基づく行政主導の枠組みの中で進めようとしているところに限界がある。限界だけではなく弊害すらあるといえる。
■人為的に高める安全は人間の脆弱性を高める。
■「浸水が進んでも避難勧告がなく非難できなかった市の責任は重い」
・逃げろと言われなければ逃げないのか
・災害対策基本法のもと50年にわたって「行政が行う防災」が進められてきた結果,このような日本の防災文化が定着してしまっている。防災に対して過剰な行政依存,情報依存の状態にある。自分の命の安全を全部行政に委ねる。いわば住民は「災害過保護」の状態にある。これが我が国の防災における最大の問題
・なんでも行政に情報をもらって逃げるという仕組みそのもの,姿勢そのものが間違っている
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伊勢湾台風の2年後の1961年に施行された災害対策基本法によって、行政による防災対策が進み、年に数千人規模の災害死者数が100人前後に激減した。しかし、そのため国民の中に、防災に関する行政依存の体質が染み付いてしまった。
行政が100年に一度の災害を想定して防災対策を行った結果、災害は激減した。しかし、想定にとらわれて、想定外の災害に対処できなくなってしまった。避難勧告が出なければ非難しないような行政依存の体質になってしまった。
しかし、東日本大震災を機に自助・共助の重要性が叫ばれるようになり、市民の意識改革も進んできた。
今後の行政の課題は、自助の意識を高め、共助のサポートをすることだ。情報を与えることで意識改革を促し、共助のネットワークを構築することだ。
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シンプルに、「何のために防災に取り組むのか」「そのために何をすべきか」ということがテーマ。
人が死なないためにやるのが防災であり、いつか必ず来る「その時」に、主体的に最善の振る舞いができることが大切なのだということを、本書から学びました。
また、防災を考える時に、災害の恐ろしさを強調するのではなく、この地域で生きていくための作法として伝えていく、というやり方がとてもいいなと思いました。
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・「この次の津波がきたとき、君たちはきっと逃げるだろう。でも、君たちのお父さんやお母さんはどうすると思う?」
子どもたちの顔が、一斉に曇ります。なぜかわかりますか。
「お父さんやお母さんは、僕を迎えにくると思う」
迎えに来るとどうなるか、というところに子どもたちの思いは及ぶわけです。そこで私は、不安そうな子どもたちにこう語りかけます。
「今日、家に帰ったら、お父さんとお母さんに『僕は絶対に避難するから、お父さん、お母さんも必ず避難してね』と伝えなさい。お父さんやお母さんは、君たちが逃げることを信用してくれないと、迎えに来てしまう。だから『僕は絶対に逃げるから』と信じてもらうまで言うんだよ」
・土砂災害の情報は当たらない。2007年に全国で人的・家屋被害が出た84カ所のうち、次善に避難勧告が出たのはたった3カ所。
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釜石での防災教育の実践から、防災教育においては、その「姿勢」をいかに形成するかが重要ということを解説している。
また、その「姿勢」を貫くためには家族や共同体における相互信頼が必要という指摘も興味深い。
片田先生の目指すところは、「災害ごときで人が死ぬことがないようにする」ということ。今回の釜石での小中学生の活躍は素晴らしいが、それでも全員を助けられなかったと反省する片田先生の言葉は重い。
本の内容と比較すると、帯の「生存率99.8%」という強調は非常に残念。この本の本質を見失わせ、全体としての価値を落としている印象を受ける。