脱DNA宣言―新しい生命観へ向けて―(新潮新書)
著者 武村政春 (著)
いまやDNAの天下である。個人の外見や体質はもちろん、性格や運命までもがDNAに支配されているかのような言説が幅を利かせている。しかし、実は最新の科学では、DNAの絶対的...
脱DNA宣言―新しい生命観へ向けて―(新潮新書)
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商品説明
いまやDNAの天下である。個人の外見や体質はもちろん、性格や運命までもがDNAに支配されているかのような言説が幅を利かせている。しかし、実は最新の科学では、DNAの絶対的地位は揺らぎつつあるのだ。気鋭の生物学者がわかりやすくユーモラスに遺伝子の基礎知識からRNA研究の最前線までを解説。そろそろDNA至上主義から解放されようではないか。その先には新しくて自由な生命観が待っているのだから。
著者紹介
武村政春 (著)
- 略歴
- 1969年三重県生まれ。名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。東京理科大学理学部第一部講師。著書に「ろくろ首の首はなぜ伸びるのか」「DNAの複製と変容」など。
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そろそろDNA至上主義から脱け出そう。新しい生命観の胎動を感じさせてくれる本。
2008/03/01 17:16
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「脱DNA」という表題であるが、現代生命科学を否定する本ではなく、さらなる生命観の発展を提唱する本である。
近年の研究でわかってきたRNAの多彩な生命活動などを示し、「DNAはバックアップコピー」という考えが紹介される。「RNAワールド」という言葉も出てくるが、「脱DNA」ということは決して「ではRNA」でもない。そのことも著者は承知の上で、あえて「脱DNA」と書く。
これまでのDNAの知識をまとめた「基礎知識」の章もあるが、ある程度きちんとDNA,セントラルドグマについて知っていないと著者の主張の理解はすんなりできないかもしれない。特に、最近明らかとなってきたRNAの働きや親から伝わるDNA以外の要因の話などは、分子生物学の研究最先端に直結した話なので、専門外の読者には少し難しいところに感じた。難しい実験結果の解釈は「一応正しい」と信用して飛ばし読みしてもよいだろう。最後の2章(第七章 DNA神話の崩壊、第八章 脱DNA宣言)あたりをきちんと読めば著者の言いたいことは伝わってくる。要は、そろそろDNA至上主義の生命観から脱け出そう、ということであろう。
DNAというはっきりとした対象がすえられたことで生命活動の研究も進み、知見も飛躍的に増えたことは紛れもない事実である。その結果、それ以外の、ある意味では寿命が短いが実際の主要な活動を荷っている多種類の分子たちが主張をしはじめた。新しい認識を求めだした。
突飛かもしれないが、絶対君主に権力が集中して国が富み、その結果商人や労働者が主張をしはじめる、という歴史の社会変動のようなものを連想してしまった。DNA王制から分子民主主義へ?DNAは生命国家の「象徴」であり、・・・??・・閑話休題。
第一章「総理大臣のDNA」では、DNAが「代々受け継ぐこと」の象徴になっているような現代日本の生命観に触れ、あまりにもDNAの力が強調されすぎていることへの危惧が表明される。これは絶対的な何かがあることの安心感に知らず知らず頼ってしまう、人間の性向についての鋭い指摘でもあるだろう。社会現象としての「DNAに対する絶対視」、あるいは何かに対する絶対視への警鐘としても、著者はこの宣言を書きたかったのではないかと感じさせた。
DNAは「バックアップコピー」と考えるのが確かに現実により近いかもしれない。日常用語としては生命の象徴として何を使用するのが妥当なのだろうか。どう変わるかはわからないけれど、少なくとも生命観は次世代に進む段階にきている、という著者の主張は間違っていないと思う。DNAがゲノムをひとまとめにして伝えていくものとしての価値は変わらなくても、生命活動を動かしている他の分子の役割にもう少し「生命」のイメージを荷わせてもいいころだ、というところではないだろうか。
副題のとおり、新しい生命観への胎動を感じさせてくれる本であった。
著者の感じるような、あまりにも安易に「DNA」を使ってしまう「○○のDNA」というような使われ方をするのは日本だけなのだろうか?著者は「英語圏の国々の状況には当てはまらないのであろうが。(p18)」と書いているのだが、外国では、例えば”ブッシュのDNA”というような使われ方をするのだろうか?是非知りたいものである。