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ダライ・ラマ14世の温かいメッセージに触れて日本人として感動するとともに、仏教の教えをざっくり理解するのに最適な本だな、と!ダライ・ラマ14世の宗教的寛容さ、仏教の論理性を知ることができて面白かった。仏教もっと知りたい
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生き仏とも言われている、ダライ・ラマ14世猊下が、高野山訪問において行った講演内容。東日本大震災に関する慰霊と法話であるが、内容は非常に多岐にわたり、日常生活や人生を考える上で非常に重要な事を示唆している。
先日、村上和雄先生の科学者に関する本を読んだ時に、猊下は非常に科学に関心を寄せていると書かれていたが、まさに自らも科学者であるという印象を受けた。高校の授業で、「仏教は宗教ではなく、哲学である」と説いた先生がおられたが、実際、仏教は個人の感性と知識の積み重ねにより、悟りを得るのが主眼とされているので、欧米の一神教などとはかなり異なったものである。仏教と科学は共通の目的を持っており、アプローチの仕方は違えど、究極的には目指す所は同じであると本書を読んでよくわかった。本書は非常に読みやすく、わかりやすい印象を受けた。これを糧にひとりひとりが日常生活において問題意識を持ち、人生を考えて行く必要があることがよく理解出来る。こうした高い意識を持つ人の言葉というのは、心に響くものなのかもしれない。
日本という国は、この仏教と古来の自然崇拝が非常にうまく融合し、調和した文化を持っていると思う。これからの世界を牽引する思想を持ち合わせているのはやはり、我が国だけかもしれない。
生き方を考えさせられる一冊だった。
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いい本でした。どの章も素晴らしいのですが、特に序盤で語られる以下の言葉に感銘を受けました。
「たとえ何千年続いていようと、世界中に信者がいようと、教義の内容が画期的なものであろうと、宗教に優劣は付けられません。自分の宗教だけが正しいと信じこんだり、ほかの宗教をバカにしたりすることも、全く無意味なことです。(20頁)」
すべての宗教指導者がこのように考えるようになれば、世界で起こっている争いごとの多くは必要のないものになるのに…
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ダライ・ラマについて知りたくて読書。
仏教に祈るべき「神」はいない(p24~)
あ、そうなんだと氣づかされる。
この点が、一神教である、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教との違いなんだろう。
地域宗教であるヒンドゥー教と世界宗教となった仏教との違いも興味深い。
多くの日本人の日本人は無宗教だと思い込んでいるが、実は神道であり、文化的には仏教の影響を大きく受けている。現実的には、神道と仏教が融合しちゃっているのかも。そんな上手な融合を許すのも仏教の特性と言える。
確かに帰国して思うのは、日本って仏閣が多いな。そして、今の中国を見ていると日本人は、神社にしても定期的に皆で一緒に行く場所があるって素晴らしいと思う。
ダライ・ラマ14世が日本人向けに話した内容を元にまとめられた本。
さらに、口語から文章にしたものなので理解しやすいのかもしれない。
とても哲学的でかつ、科学的で驚いた。
心の時代と呼ばれて久しいが、日本人は確かに心の豊かに飢えている。でも、どうしたらいいのか分からず日々生きているそんな感もある。
そして、この現象は、近い将来中国でも起こるのだと推測される。そんなときだからこそ、ダライ・ラマのような存在は本当に重要だと思うのであるが…。
仏教とは常に己と対峙する人生修行、鍛錬、訓練なんだと思った。
直接、お話を聞く機会があればいいな。
読書時間:約40分
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仏教は意外にアプローチが科学的なんですね。だから信じるものは救われる、みたいな他のものとはちょっと違うという事か。存在について、空や無の話はとても面白かったけど、輪廻の概念はやっぱまだよくわかんないや。も一回読んでみよう。
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ダライ・ラマ14世 (著)
これまでもダライ・ラマ14世の書作は多数ありましたが、「日本の地で・日本人のために」語られた本書はとても珍しいものだといえます。 本書の中でも、震災で生じた不安と緊張の正体、物質的発展を遂げた日本の幸福感、戦後復興を遂げた国民性、現在の孤独と不安の理由、無宗教者の多い日本人の精神性など、この国が抱える矛盾や現実と追究しながら、人間の根源的な問題を解き明かしていきます。 日本人が「原点」に立ち返り、「次の段階」へ進むためにはどうしたらいいか、ヒントを与えてくれる一冊です。
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新着図書コーナー展示は、2週間です。
通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号:180.9//B79
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チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世からの、文字通りに、東日本大震災で傷ついた日本人に向けたメッセージ。仏教観に彩られた「宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めることなのです。」や「記憶や遺志を受け継ぐ者として「生きる決意」を強くし、前向きに生きていく」といった、慈愛に満ちた言の葉が綴られていきます。それにしても、密教の信仰が継承されているのが「チベット仏教」と「日本仏教」の二か所だけとは意外でした、大切にしたい「絆」ですね。
さて、そんな仏教ベースの人生訓のような本書ですが、後半では「科学する宗教」なんて観点もあって、知的好奇心への刺激もなかなかに、、やはり「文化としての宗教」は興味深いです。私の場合、宗教を信仰対象としてみるには、歴史学の視座の影響もあって、ちょっとヒネくれ過ぎてたりしますが、、(汗
科学の定義を「自らの言葉で思考し、検証し、実証し、体系化していくこと」とすると、「仏教徒はこう考えて、あらゆる物事を観察し、そのありようを論理的に説明してきた」とは、非常にスルっと入ってくる内容でした。また現時点では「脳科学者たちも意識が何かわからない」とありますから、仏教の「死後も意識は消失せず、他の生命の意識として生まれ変わるもの」との概念についても、否定は出来ていないと言えるのでしょう、、ふむ。
ちょっと話はズレますが『ロスト・シンボル』での「意識の質量の話」などを考えると、非常に興味深い、、現実にも「純粋知性科学」は学問として体系化されているようですので、気になります。また一方で『生物と無生物の間』での「生命の定義」とのリンクも見出してみたいとか思ってみたりと、、うーん、こういったクロスオーバーでの視座を持ちたくなるのは、歴史を学んだ者の良いところでもあり、悪いところでもある、のでしょうか、なんて。
そんなことを考えていたら、お釈迦様の「ただの信仰心で私の教えに従うのはやめなさい。はじめから私の教えを信じこむのではなく、私の教えが正しいかどうかを自分で調べ解き明かしなさい」とのお言葉は、正しく「科学」の考え方だよなぁ、と納得してしまいました。
とすると「「宗教は科学と対立する」というイメージは、仏教にはそぐわない。」のも確かにと、、キリスト教などの一神教系の神学については、食わず嫌いにロクに触れたことが無いのでよくわかりませんけども、、佐藤優さんの神学系の本でも読み解いてみようかなぁ。。
個人的には、宗教を学問としてみた場合の社会的有用性の一つは「倫理観(モラル)」を養っていく点かな位の認識でしかいなかったりも、、うーん、新渡戸さんの『武士道』も再確認する必要があるかな、、武士道の思想背景に何が見いだせるのか、ちょっと気になってもきました。
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ダライ・ラマ14世が、倫理、哲学、科学について語り、結果的に仏教の教えについても知ることができる。
講演録がベースになっていて、とてもわかりやすい。
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◯ダライラマが東日本大震災の後、高野山大学で講演した際の言葉を一冊の本としたもの。
◯タイトルの通り、震災に対してお悔やみやこれからの生き方への励ましが描かれているのかと思ったら、意外にも般若心経や空に関する解説が主だったところであった。読めるには読めるが、何故この話が?と思ってしまう。その点。それぞれの話のテーマを区切った章題によって、この本が成り立ってるようにも思った。詰まるところ、章題がないとわかりにくい。
◯これらの解説を踏まえて、東日本大震災からの復興への励ましがあったと考えれば必要な文脈だったんだろうと思うが、空の解説はやはり難解であった。と言っても空の話ばかりではないため、他の本よりは幾分読みやすい。
◯仏教は人がどう生きていくべきなのか、ということに対する考え方を教えてくれるものと認識している。震災で傷付いた個人として、これからどう生きていくべきなのか、難解ではあるが示してくれていると思う。
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ダライ・ラマ14世の講話を書籍化したもの。本当に仏教に造詣の深い人で、頭が良くて慈愛に満ちた方なので、その話もわかりやすく丁寧です。
僕もチベット仏教にならば帰依してもいいかなと思ったくらいです。現代の脳科学において答えが全く見つからない、「意識」の問題にしても、この本にはそういう言葉はでてきませんでしたが、「魂」といったものがあってもおかしくないなあと思えるくらいの仏教の論理性の見事さがあり、今までそんなものはないだろうと考えてきた、「魂」にしても、今一度考えたくらいです。
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これまでは死後のための宗教というイメージでしたけど、ダライ・ラマの話で、宗教というのは心の学問だと実感しました。
宗教というと、一つの正しい考えがあるように思ってしまいます。
てすが、宗教といえども、吟味して自分なりに考え、哲学を深めて行くことが大切なんだと。
仏教の教典を読み、思考し、正しいと思ったものは瞑想で自分に取り込んでいく。
自分自身との対話のためのものなんだと。
無宗教に対しても柔軟な考え方なのに驚きました。
仏教の講話ですが、心や意識について、仏教的な考え方をわかりやすく優しく語りかけてくれます。
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タイトルは今ひとつかもしれませんが、とても良い本でした。
仏教には祈るべき「神」がいない。
キリスト教やイスラム教では、神の存在を疑ったり反抗してはならないのに対し、仏教は、経典を学んだり修行しながら、幸せや真実を自分で見つけるものであり、釈尊も、「疑問を抱いたり、おかしいと思えば私に従う必要はない」と言っていたことは、実は恥ずかしながら知りませんでした。
また、仏教と科学が似ている(宗教と科学は対立するものではない)ということも目からウロコでした。
仏教に対する新しい発見と、改めてダライラマの偉大さを認識することができました。
そして、高野山い行ってみたいと思わせてくれる本でもありました。
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ダライラマ14世の講演録が新書になったもの。すぐに読めてしまう。仏教の因果応報や一切衆生などの基本的な考え方や、人生論、幸福論などが平易に語られている。特に、「空」の話しや「今」の話しが面白かった。
ぜひ、実際の講演も聴いてみたい。
気になった部分を列挙すると
・人間として正しくあろうとする倫理こそ宗教の代わりとなり得る
・幸せは快感による身体反応にすぎない
・あらゆるものごとに実体が無いという空の考え方
・逆境は成長できるチャンス
・苦しみにも実体が無い
・叱るときは心の動機を考える
・時間にも実体は無い
・刹那滅、全ては一瞬一瞬で変化している
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全ての宗教の本質的な役割であり存在意義は、精神を高めたり平和を願い、「幸せになりたい」「よく生きたい」「苦しみから逃れたい」という全ての人の共通の願いをどうやって実現させるかを説くことであること。
行為と人格を切り離して考え、行為のみを問題追及することがすなわちその人を許すことにつながる。これこそが本当の愛や慈悲のあり方だといえる。
宗教という先入観を解消し、日々の生活の中における物事の考え方としての仏教の実用性が理解できる本だと思います。