- 販売開始日: 2012/11/01
- 出版社: 新潮社
- ISBN:978-4-10-112221-2
アラスカ物語
著者 新田次郎
明治元年、宮城県石巻町に生れた安田恭輔は15歳で両親を失う。外国航路の見習船員となり、やがてアラスカのポイントバローに留まった彼はエスキモーの女性を結婚してアラスカ社会に...
アラスカ物語
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商品説明
明治元年、宮城県石巻町に生れた安田恭輔は15歳で両親を失う。外国航路の見習船員となり、やがてアラスカのポイントバローに留まった彼はエスキモーの女性を結婚してアラスカ社会に融けこんでいく。食糧不足や疫病の流行で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出して、アラスカのモーゼと仰がれ、90歳で生涯を閉じるまで日本に帰ることのなかったフランク安田の波瀾の生涯を描く。
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ぜひ!一度は読んでほしい★
2014/04/01 13:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
極地アラスカに、エスキモーの村を作った日本人がいたことを、皆さんは知ってますか〜?
私、昨年まで知らなかった!!
食料不足や、疫病の流行により、滅亡に瀕したエスキモーを救出し、アラスカのモーゼと仰がれたその人の名は、フランク安田。
そんな彼の生涯を描いたのが、「アラスカ物語」。
この静かなタイトルからは想像もつかない、激しく変化に挑んだ人生物語は、とにかく、面白い!!
明治時代に、アラスカに渡った日本人がいて、エスキモーとして生活し、あの、 ユーコン川あたりで起こったゴールドラッシュでは、金脈を探しあてます。
運命の流れに乗って生きるとは、こういうことかもしれない。
彼の人間性やリーダーシップ、運の強さにシビレます。
著者の新田次郎は、アラスカまで足を運び、フランク安田にゆかりのある人々から話しを聞き、文献を集め、更にフランク安田が育った町や家を訪ね、生存している親族からも話しをきいて、この一冊の本にまとめ上げています。
新田さんのおかげて、フランク安田の生涯とアラスカやそこで生きるエスキモーたちの、衝撃的な事実を知ることが出来ました。
活字が好きな人はもちろん、苦手な人にも、一度は読んで欲しい*\(^o^)/*
ちょっと厚めで、単行本で460頁ほど★
でも、中盤からは、寝る間も惜しいほど、そして、後半に入ると、
読み終わってしまうのがもったいなくて、休むか読み続けるかと葛藤しますよ〜★
エスキモーとは生肉を食べる人という意味
2018/06/08 03:34
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かたつむりえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
来月アラスカ旅行に行くので、地球の歩き方に載っていた参考図書を見て興味が湧き、買って読みました。明治時代にアラスカに住むことになったフランク安田さんのお話です。エスキモーとは、最近は差別用語として禁止されてると思っていたのですが、アラスカでは使用可能とのこと。時代背景は、アラスカの周りに密猟捕鯨船が頻繁に現れるようになり、エスキモーの人達が食べるくじら、アザラシ、カリブーが全然獲れず、飢えで村がなくなるかもしれないという危機が迫ってきているというものです。それをジャパンという種類のエスキモーであるフランク安田さんが助けるために新たな村を探して、移動させるのです。アラスカに何千年も生きてきたエスキモー(イヌイット)の人達の転換期です。昔のエスキモーの人達の暮らしぶり、仲間意識、習慣など貴重な歴史が書いてあります。自分はそういった民族の昔の暮らしにわりと興味があり、本当に面白く、知識が増えて勉強になったと感じました。フランク安田さんに興味を持ち、アラスカまで飛行機で趣き、石巻の生家にも訪れた新田次郎の文章にも感銘を受けました。まさに自分が真冬のアラスカにいるかのような情景描写も素晴らしかったです。
かっこいい
2015/03/17 18:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:joe. - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人としてではなくエスキモーとしてアラスカの地に生きたフランク安田の人生の物語です。エスキモーには独特の文化があって、それを受け入れる部分とそうしない部分をしっかり分けている彼のスタンスは素敵だと思いました。エスキモーの窮地を救っていくフランク安田の活躍は読んでいて面白いです。また、作者新田次郎さんの自然風景の描写がとても丁寧で(オーロラの表現が素晴らしいです!)読みやすかったです。この本を読んでアラスカに興味がわきました。
エスキモーに同化した日本人
2010/03/24 17:36
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アラスカでエスキモーの指導者となった日本人、フランク安田恭輔の数奇な一生をたどる伝記的小説である。
巻末に詳細な『アラスカ取材紀行』を付す。
安田恭輔は、明治元年、宮城県石巻町に医師安田静娯の三男として生まれた。両親をはやく亡くし、15歳にして三菱汽船石巻支店に就職した。失恋を機に三菱汽船外国航路の見習い船員に転じた。明治19年、恭輔19歳のときだった。
明治23年、恭輔22歳のとき、米国で沿岸警備船ベアー号のキャビンボーイとして乗り組んだ。3年後、氷に閉じこめられたベアー号から10日分の食糧を携行しただけで北極圏を16日間を歩きとおし、ポイントバローの交易所に到達、救援を求めるのに成功した。
いちやく英雄となった恭輔は、その頃はフランクと呼ばれていたが、ベアー号の一部船員による人種差別をきらって下船し、エスキモーに混じってその生活を学んだ。
初恋の人によく似たネビロ、すなわちエスキモーの勢力ある親方の長女と出会い、妻とした。不漁が続いてネビロの一族が食糧危機に面したとき、フランク安田は安住の地を求めて南下し、インディアンと交渉しつつ、北極圏からわずかに南へくだったビーバー(ユーコン河畔)をついの住処と定め、ネビロの一族の大半を引き連れて移住した・・・・。
海外で活動する日本人の背後には、意識するとせざるとにかかわらず、日本という国がある。倭寇に襲われた13世紀から16世紀の朝鮮半島や中国大陸沿岸部などの民にとって倭は何をしでかすかわからない物騒な国だったに違いないし、今日世界を歩く日本人の背後には、堕ちたりといえども経済大国ニッポンが後光のように存在している(ハロー効果)。
しかし、日清戦争前の明治期の日本は、武力も経済力も弱小で、白人から下位の集団と位置づけられた黄色人種が住まう小さな島国でしかなかった。当時海外へ雄飛した日本人は、裸一貫で勝負するしかなかったし、じじつ裸一貫で勝負した。本書の主人公もその一人である。
独り米国という異国にあって、新渡戸稲造は『武士道』を書き、岡倉天心は『茶の本』を書いた。彼らの文筆活動は、極東の弱小国の宣伝もさりながら、自らのアイデンティティを確立したいという意識が底に強くあったからではないか、と思う。
かたや、フランク安田の場合、アイデンティティは遠い祖国ではなく、目の前にいるエスキモー集団に見いだしたらしい。こう想像することで、あれほど献身した動機づけを説明できる。
エスキモー集団への献身に対して、日本という国家も米国という国家も何ひとつも酬いなかった。国家は、むしろ逆に彼が迫害される理由をもたらした。第二次世界大戦勃発によって、敵性外国人として収容所に収容されてしまうのである。
フランク安田に酬いたのは、エスキモー集団であった。ビーバーは彼の第二の故郷となり、戦後解放された彼のかたわらにはエスキモーの妻が終生連れ添った。
オーロラの脅威
2015/08/29 22:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きらきら - この投稿者のレビュー一覧を見る
実在した安田恭輔さんの物語。
アメリカの警備線の船員だった彼は、北極海の凍った海に閉じ込められたその船の危機を救い、
それをきっかけにアラスカの地に住み着き、一生を終えた。
食料不足や疫病の危機に襲われた村を救おうと、100人以上のエスキモー人を引き連れて
新しい土地に移住した波瀾万丈な彼の一生を著者が周到な取材の後、この1冊にまとめている。
美しいものの代名詞であると思い込んでいたオーロラがこれほどまでに脅威の対象となるとは、
この本を読むまで知らなかった。
遥か遠くのアラスカでエスキモー人を始め、他の人を助けるために努力を惜しまなかった
日本人がいたことも、恥ずかしいことに知らなかった。
エスキモー人の食習慣も知らなかった。
彼らには「食い溜め」の習慣があるのだ。
食料危機に対する政府から配給される救援物資を2、3日で食べ尽くしてしまう人たち。
価値観も生活環境も全く違う土地でこんな偉大な人がいたというのは大発見だった。
それにしても、一番印象に残ったのは、やはり冒頭のオーロラの描写部分。
そこで生きる者にとっては脅威となりうる恐ろしい光景。
一読の価値あり。