一茶の物語に老いを考える
2020/02/11 13:23
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
生涯に2万句の俳句を詠んだといわれる江戸後期の俳人小林一茶の生涯を描いた藤沢周平氏が長編小説を読みながら、老いということを考えた。
一茶は1763年信濃の国の柏原の農家に生まれたが、幼くして母を亡くし、父がその後迎えた継母とうまくいかず、15歳で江戸に奉公に出る。
この物語はその出立の日の、父と子の別れの場面から始める。
江戸での奉公もうまくいかず、一茶は俳人になるべき貧しい生活をおくることになるが、父の遺言により残された財産を義理の弟と折半する諍いのあと、故郷の地で65歳で終焉を迎える。
当時65歳といえばりっぱな老人であったろうし、藤沢氏は一茶が最後に向かえた妻やをに「じいちゃん」と呼ばせている。
一茶が最初の妻菊を娶ったのは52歳の頃。菊はまだ28歳であった。
二人の間には何人か子供もいたが、いずれも幼くして亡くし、菊もまた失うことになる。
この時一茶は61歳。
この場面で藤沢氏は一茶をこう描く。「一茶は心の中にひろがる暗黒を、凝然とのぞきこんでいたのである」と。
老いとは、この時の一茶のように喪うことで生まれる暗黒をのぞきこむことかもしれない。
目が見えなくなり、肌の張りはなくなり、耳が聞こえなくなる。身体の機能の喪失だけでなく、生きていく中で関係をもった人たちもいなくなっていく。
藤沢氏はこの作品で一茶という俳人を通して、そういう老いの残酷さを描いている。
「ぽつくりと死が上手な仏哉」、一茶の晩年の句はそれでも老いを笑いとばすほど軽快ともいえる。
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小林一茶には、最初興味がなかったのだが、考えてみれば、彼が小説の題材になるのは珍しいかと思って、読み始めた。
藤沢周平の作品もあまり読んだことがなかったが、一見風流人である一茶の内面の複雑さに、意外にも引き込まれる。
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俳諧師というと高潔なイメージがあるけれど、そうではないのが小林一茶という人。同郷です。この人の生き方って本当に平凡で、どこにでもありそう。しかもニート。だけどニートだって頭を働かせていないわけじゃない。脚色はない(本当のところは知らないけれど)ありのままの一茶はここにいる…かも。
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俳聖 一茶。
事実をベースにした小説です。筆者の想像力でのストーリー。
しかしおそらくこの俗物感は事実だったのだろうと思えるだけの背景はみえるように思います。
反骨精神は大事ですね。。
自分には足りないものだけど、、、もはやつきようもないけど大事だなと。
途中ちょっとあきて中断してしまったので☆3つ。
Oct 2010
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一茶は動物を詠んだものしか知らなかったので、飄々とした朗らかな印象を抱いていたが、こんなに人間くさい人だとは意外。
借りた本なので、途中まで藤沢周平だと気付かずに読んでいたくらい、藤沢っぽくない感じ。
一茶の俳句とともに紹介される成美(せいび)の句もおもしろかった。
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一茶の、事実を基にした小説。
時代小説的なものはちょっと苦手だけど
ある程度一茶周辺の人のこととか知ってたら
ふむふむと面白く読める。
結構俗物的な人なのだな。
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2011.5.24 津田さんより 小林一茶と良寛 が自分の中で一緒になっていた。 財産、安定した暮らしへの執着力と ほのぼのとした一茶の俳句とのギャップがすごい。
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おもしろかった・・・・
一茶といえば
やれ打つな蠅が手を摺り足をする
という変わった俳句が印象に残る俳人
そんな知識しかなく読み始めた『一茶』
苦労をしてその苦労が皮肉れ屋という形になり
世渡り上手というか生きる為の努力を惜しまず
貧乏で、人間臭く、外観悪く、
ただ俳句が好きで生涯で二万句以上の句を作った
藤沢さんの淡々とした文章が心地よかった
最後は一茶が死ぬ場面だったのだけど
少し安心した暖かい気持ちで本を閉じる事が出来た
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一茶に対する予備知識なしで読み始めたため、一茶の意外な人生に驚きを感じた。
彼のような俳人が当時どういう立場にあったのか、彼は何に悩んで生きていたのかを藤沢周平の筆をもって語られている。
藤沢作品にしては娯楽性に低い作品かもしれないが、その時代を映し出した秀作だと思う。
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私の小林一茶の知識は、江戸時代の、身近なものを題材とした飄々とした俳句を作る人、というだけのもの。勝手に明るい、能天気な人だというイメージを持っていましたが、まったく違いましたね・・・。
俳諧人として、というより、世俗的な成功がどうしてもできない不器用な一人の人間のお話としておもしろい、というか迫るものがありました。
夢、名誉、遺産、女・・・・・・どれもこれも人を惑わすものばかり。人によっては、これに描かれている彼の生き様が醜すぎて堪えられないと感じるかもしれないですが、同じ人として、同情を禁じえないです。
最近、藤沢周平氏の歴史小説にハマリつつあります。その文体と、描かれる俗な人物像に血が通っていると感じられるところが魅力です。
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生涯二万句を越える句を詠んだ小林一茶の伝記小説。
一茶と聞いても「われと来て遊べや親のない雀」「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「痩蛙まけるな一茶是にあり」くらいしか知らなかったが、善良で暖か、かつ素朴な作風の人物を想像していた。
貧しさの中をしたたかに生き抜いた男と言えば聞こえはいいが、継母にいじめられた子供時代の境涯を執拗に恨み続け、遺産争いにしのぎをけずり、あくどく財産をとりあげ、52歳で妻帯し妻子が病で亡くなると次々妻帯する拗ね者のすけべじじい。
周平さんは「一茶は俗であることを隠さない俗物であり、俗から出てあやうく突き抜けたところにあった。」などと言うが、
「ちる花やすでにおのれも下り坂」「よろよろは我も負けぬぞ女郎花」
俳句はわからないが、そこらの居酒屋にいるおやじの繰り言と何が違うんだろう。
「俳聖か、風狂か、俗物か」とおびにあるが、 ただの拗ねたすけべじじいじゃないのか。
しかし、面白かった・・・。
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俳人、小林一茶の伝記物語。
職業俳人としての野心を胸に秘めつつ、実生活の困窮ぶりが切ない。
遺産争いで弟を裏切るほどの強かさ、晩年になっても衰えを知らない創作意欲には一茶のパワーを感じる。
そして次々と我が子と妻を失う晩年も悲しい。
野心家ではあったが、ついぞ成功を収めることなくその人生を終える。
しかし何時でも俳句があったから彼はその苦難の人生を幾たびも乗り越えてきたのだろう。
読んでいて家族が恋しくなる。
それにしても独り身は切ないな…ぼそりと言ってみる。笑
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俳句師に対する印象が大きく変わりました。
風流を愛す先生というイメージから芸能人へ。
何も生産しないからこそもつ、がめつさが印象的でした。
また、聖人ぶらず自分の言葉で自分の俳句を詠んだ小林一茶という人に
親近感を感じました。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/9081fda4423e7d6fdc8236936033b8c5
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一茶といえば、小さきもの達への温かい目線で庶民的な俳句を作る人、くらいの認識だった。その作風から立ち昇る人物像は心優しい好々爺。
しかし藤沢周平はこの作品で、一茶を惨めで好色な俗物として描き、全く容赦しない。
食いつなぐために各地のパトロンを渡り歩いたかと思えば、小金が入るとすぐに女を買う。歪んだプライドに捉われ、成功者を妬み、報われない我が身を自嘲する。
そんな一茶の卑屈な精神の痕跡は、壮年から初老までの句に残されている。
そして一茶の名を今に知らしめる、弱き者達への慈愛を漂わす作風は、一茶が元来持ち合わせていた資質ではなかった。長年卑屈なペシミストとして生きた末、晩年ようやく辿り着いた「諦観」により手に入れた、ひとかけらの美学だった。
俳人といえば、何やら粋なインテリといったイメージだが、当時俳句で身を立てるという事はそんな生易しいことではなく、想像以上にレアで過酷な事だったのだろう。
この時代を生き抜いた人間達の凄まじい生き様に触れた思いがする。