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投稿者:parklife - この投稿者のレビュー一覧を見る
どんどん読み進めたいのに、お話が終わって欲しくない気持ちを、久々に味あわせていただきました。『山の音』とあわせて読んで、興趣いや増します。
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投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
鎌倉円覚寺の茶会で、今は亡き情人の面影をとどめるその息子、菊治と出会った太田夫人。お互いに誘惑したとも抵抗したとも覚えはなしに夜を共にする。
川端らしさの極み?
2016/01/31 11:01
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投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
川端作品には何故か、軽くてうじうじして女性に対していい加減なダメ男ばかりでてくるのだが、情景描写が上手でゆったりとした映画を見ているように鮮明に場面が目に浮かぶ。男に共感は出来ないのだが、作品としてはやはり素晴らしい。
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父親の本棚から引っ張り出して読みました。川端康成ってノーベル賞取った位に著名な文豪だけど、そういえば読んだことないな、一応目を通しておいても損はないだろう、と軽い気持ちだったんですが…川端先生、私が悪うございました。「魅力的な作品では、女性がうまく描かれているよね」というのが、僕を含めた二十二歳都内在住大学生三名木曜日の夜での意見でして、『千羽鶴』はその条件を充分に満たしているなと、僕は思いました。むしろ、こう言った方が適切かもしれない。つまり、女性を描くために生まれた作品だと。というのは、『千羽鶴』では、主人公(男)を通して、3人の女性が各々の個性を読者に露わにしているように感じました。一人は、嫉妬する女性、一人は愛する女性、もう一人は恥らう女性。正確にはこの三つの性質は、三人の女性全員が共有していて複雑です(人間を描いているんだから当たり前ですけどね)が、強いて特長を挙げるなら、上のようになると思います。女性って恐いな、でもいいな、と思わせられました。会話が多くて、スイスイ読めます。伊豆の踊り子とかも読んでみようかな。
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彼の作品を読むたびに、失われてしまった美しさを思い出されて悲しくもなる。これを捨て去った上に成り立つ芸術に、一体なんの価値があるのだろう。
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川端の作品を読むといつも彼の文学的技法の多才さもさることながら、彼の芸術家としての感性の鋭さに感動する。例えば「雪国」では、冒頭のシーンに見られる様に彼の鋭敏な「視覚」によって小説全体が彩られている。この「千羽鶴」の場合その感覚は「触覚」にも及ぶ。死んだ愛人の肉感的官能を志摩茶碗の手触りに投影させるなど、川端の様な感性を持ってこそ表現できる描写だと思う。
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23歳のときに出会った中国人留学生に紹介された本。当時の私には彼女ほど繊細なわびさびを感じる能力がなく、感想を言うのに困った記憶がある。しかし今でもときどき思い出す本。
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『山の音』で久々にきれいな日本語に出会ったことに嬉しくなり
またも川端を。これも雑誌掲載の短編をつなぎ合わせたとのこと
だけれど、最後の解説を読むまでそれと気づかなかった。
最終ページで「ん? これで終わり?」と思ってしまったのは
たぶん私の読書経験(特に小説)の浅さゆえと思うが
一回読んだだけでは本書の本当のよさは理解しきれないと思う。
私には美の世界よりも、女の執着心、嫉妬心の怖さが印象深かった。
日本語の美しさ、巧みな表現を味わって読むことに目覚めてしまった。
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父と母と、不倫相手の女性と、その娘と……。複雑な人間関係の中でゆれる主人公の気持ちが描かれています。特に、不思議な因縁を持つ陶器が、やがて二人の距離を縮めることになるのも、上手だなぁと思ったりもします。結末が読者に委ねられる終わり方なのでそういうのが嫌いな人は注意。
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来週のデモに合わせて読んだ。
読んでいて、器を擬人化する辺り
さすがだなぁ・・と思った。
それにしても悲しい話である。
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三島由紀夫が、川端作品のなかで「千羽鶴」が気に入っていたという話を読んで、手に取ってみた。
これがきっかけで、「みずうみ」、「雪国」、「山の音」、「伊豆の踊り子」、「眠れる美女」と続けて読んでいるが、どれも女性の「女」としての表現の仕方が実にうまいと思う。
しかもそれをわずかな一文、たったひとつの会話で伝えていることがほとんどなのだから脱帽する。
特にこの「千羽鶴」は、行間にエロスが漂っているようで、それがかえっていやらしく、それでいて美しい。
未完で終わっているが、同じ未完でも「みずうみ」と比べたら、違和感のない終わり方をしている。
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父子、母娘、因果応報。
太田夫人を抱いていたときが、菊治が菊治であった時だったのかも…と読み終えて、しばらく物語を反芻していて思い当たりました。菊治だけでなく、太田夫人も文子もまた、欲に身を任せてしまったその時だけが自分でいられた時。全編に渡り誰もが惑い、躊躇し、懺悔している。菊治がゆき子と結びきれないでいたのは、その行為を経ることで、太田夫人や文子のように、ゆき子を失ってしまうのではという恐怖のためではなかったのか。
艶めかしいお話でした。川端康成の小説からは、匂いがします。
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今まで読んだ川端の中で、最も位置づけにくく、ミステリアスな存在感を持つ作品だと感じた。
まず、作品の成立過程は、「山の音」と並行して書かれていること。この小説自体、どこが本当の終わりかハッキリしない。断続的に発表され、普通は最初に発表された5章を「千羽鶴」と呼び、次の3章を「波千鳥」(続千羽鶴)と呼び、いちおう最初の5章とは別にされたりしている。さらにそれよりあとにも2章ほど、同じ登場人物の話が発表されているようだが、物語の展開が別物になっているのでいちおうこのあたりで切っておくということらしく、要するに物語のあとさきがハッキリしない作品だ。
川端の作品について、一章ずつ発表されて、それぞれの章で完結するみたいな指摘はよくなされるが、それにしても千羽鶴のあとさきのハッキリしなさ加減は他の作品と比べても独特のものがあると思う。なので僕は、この作品はある程度川端のほかの作品を読んだあとに読むべき作品と感じる。そこで川端のこの作品の創作方法とか距離感とかを考えることによって川端という作家へのさらなる理解を試みるにはいい本ではないか。
古風な内容を扱いながら、手法的には他に例のないスタイルと言えるかもしれない。ひょっとしたら川端はこの作品でそういう実験的な形式を試みたのかもしれない。それが可能だったのが、この小説に対する動機の力強さがあれば、最後はなんとか整うはずだ、と思ったかもしれない、と想像してみたくなる。
最初の「千羽鶴」5章で作品としては鮮やかな印象を残して終わっていて、やはり川端文学の名作の一つだと思わされるが、そのあとに続く章がその形式を壊し、それがますます深く考えさせるものとなっている。
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志野の茶碗が幻想世界へ誘う死と現実の愛を見事に交錯させた甘美な作品。
主人公のの面影を彷彿させ、故に自殺を図る太田夫人に、葛藤する菊治と、その娘である雪子との関係、恋慕を抱く文子の失踪。
自分の文章を内容からそのまま捉えれば火サスみたいな書き方ですが、それを巧みな日本語で著者の幻想的な作品に描いています。
こういった作品は「雪国」や「山の音」のように、一章一章をそれぞれ分離させ、なおかつそれを上手くまとめ、一つの作品に仕上げています。
川端節が如実に表れている作品です。
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とらえどころのない詩のような小説。亡き父のかつての愛人である太田夫人と関係を持った菊治と、菊治に惹かれる太田夫人の娘文子との微妙な関係を描いています。
なにかと菊治に絡んでくる父の別の愛人だったちか子を例外として、菊治と太田夫人、文子、ゆき子の3人の女性との会話はどこか非現実的で、叙情詩のような感じがあります。
血筋をめぐる複雑な関係を彩る陶器が効果的な小道具として使われているのも印象的。