- 販売開始日: 2012/12/07
- 出版社: 新潮社
- ISBN:978-4-10-330812-6
雲の都―第三部 城砦―
著者 加賀乙彦 (著)
昭和44年、東大全共闘の砦であった安田講堂が陥落、悠太が勤めるI医科大学精神科にも遂に学生が乱入する。一方、隠されていた出生をめぐる一族の秘密が明らかになり、次の世代の波...
雲の都―第三部 城砦―
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商品説明
昭和44年、東大全共闘の砦であった安田講堂が陥落、悠太が勤めるI医科大学精神科にも遂に学生が乱入する。一方、隠されていた出生をめぐる一族の秘密が明らかになり、次の世代の波瀾の幕が開く……躍動する昭和史を背景に、東京山の手の外科病院一族の運命を描いた自伝的大河小説『永遠の都』に続くシリーズ、第三弾。
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何だか読んでいると、これで話は完結しても少しもおかしくない、そんな気がします。でも、加賀が芥川賞をとっていない、っていうのも不思議です。話が面白すぎる?私は格調とのバランスを高くを評価しているんですが。
2008/07/26 19:48
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
『永遠の都』を含めれば10年以上に読み続けてきたことになる加賀乙彦の自伝的小説ですが、後期の『雲の都』シリーズもこの第三部『城砦』で、どうも完結を迎えた雰囲気ですが、新潮社のHPを見ると第四部にとりかかっているとか。どうなるんでしょう。ちなみに今回の作品の初出は「新潮」2005年8月号~2007年12月号。お馴染みの福井良之助の装画を使った装幀は新潮社装幀室で、個人的には箱入り本であるべきではないのか、と今でも思っています。
全体は、第一章 密室、第二章 燃える学園、という二つの章からなっています。
で、とりあえず書いておけば、この本での主人公は悠太と火乃子でしょう。長い時間を扱うので、とりあえずこの巻が始った東京オリンピックの年、小暮悠太は35歳で独身、I医科大精神病理研の医局長です。独身を通している理由に、ピアニスト・富士千束に寄せる思いがありますが、30歳の彼女はアメリカで富豪と結婚してしまっています。
火乃子は東京オリンピックを一週間後に控えた間島五郎美術館のオープニングの時、です18歳。父親は菊地透、50歳を少し過ぎた歴史学者で、母親は夏江。実は火乃子は、夏江と五郎の間に出来た子供ですが、それを透も火乃子も知りません。ついでに書いておけば、美術館館長で野本造船の社長でもある野本桜子は45歳で息子の武太郎は8歳、桜子と火乃子は従姉妹の関係にあります。
ちなみに小暮悠太の母は初江、父は悠次で、悠太は自殺した間島五郎の友人であり、祖父の持田利平の子供である彼の残した作品を託されてもいます。初江の娘で20歳になる天才ヴァイオリニスト央子も、実は悠次との子でなく、戦争でなくなった脇晋助との子供で、これを知っているのは告白された悠太だけということになっています。
その央子は幼い彼女をフランスに留学させるよう働いた有名なハインリヒ・シュタイナーの長男で作曲家のピエール・ステイネルを伴い帰国、二人は結婚することになります。ここらの関係は入り組んでいますが、明治以来連綿と続く家系ですし、常に社会の上流を彼らが占めていたことを考えると、乱れた家庭、と一言で片付けるわけにはいかないようです。
主な舞台が東京オリンピックの時代、ということは日本の高度成長の初期で、都市の開発も一挙に進み、西大久保にある主人公の実家も人が住みにくい環境となっています。ただし、この巻で最も重要なのは昭和44年、東大全共闘の砦であった安田講堂が陥落した余波が悠太の研究室に及ぶあたりでしょう。
この時代は、つい先日、楡周平『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京』で読んだばかりで、無論、楡の作品ではあくまで前振り扱いでしたが、楡が安田講堂内部を描くのに対し、加賀はそこから影響される周辺を描く為、あわせて読めば時代というものがもっとよく理解できることになります。
ついでに書いてしまえば、今読み終わったばかりの広瀬隆『持丸長者 戦後復興篇』には、学生運動こそ描かれはしないものの、その時代の政治、特に殆どヤクザか暴力団の行動としか思えない政府自民党の暴走振りに言及があります。広瀬の本は薩長土肥による明治政権樹立から戦後経済の復興までの日本の動きを展望するものなので、この三部作と重なる部分も多いので楽しめます。
脱線しっぱなしになりますが、これに船戸与一『満州国演義』や伊集院静『羊の目』、高村薫『新リア王』『晴子情歌』でも読めば、日本の政治というもののお粗末さ、軍という暴力組織の本質、そして官僚の身勝手、経済人の愚劣さが良く分かろうというもので、それでも日々を無事に過ごせるという不思議さに驚くことになります。そう、私たちの生活には官僚も軍人も政治かも不用ということの証でもあるかもしれません。
それにしても、この本における悠太の周章狼狽ぶりは、なんでしょう。特に押し寄せる全共闘などの左翼学生の行動を全く予測できず、自分の大切な資料を学内に放置し、それが廃棄されたからといって嘆き哀しむあたりは、30過ぎの大人とも思えません。ま、それは彼の千束に対する求婚のしても言えて、よくもまあそれで私生児の父親になれるものだと呆れてしまいます。
ただし、こういう日本の男性のあり方を、鹿島茂の『SとM』で「いいかえると、ほとんどの人がMになりたがっているかのような日本の社会」「日本人にとって、最高の苦痛は、自由を与えられることだ」ということばと関連付けると、これはなにも悠太一人のものではなく、日本全体を覆う大きな流れというか、本質的なものであると納得せざるを得なくなります。
加賀ももうじき80歳を迎えようとしています。この巻の結末の微温的な様子は、彼の年齢の反映ととってもいいのではないでしょうか。それにしても第四部、どうなるんでしょう。
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