日本人による日本人のための日本人の器量
2009/12/06 19:08
10人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
器のでかい人がいなくなった、というのが本書の主張だ。
そして、器を大きくするためには
1.修行をする
2.山っ気を持つ
3.ゆっくり進む
4.何も持たない
5.身を捧げる
ことが必要であると、福田先生は言う。
先生曰く、どこまで人のことを考えることができるかで、器のでかさは
決まるらしい。そんななかで器のでかい人がいないということは、
自らの生活が第一、の考えがはびこり過ぎたか、他者に対する理解が
乏しくなりすぎたか、あるいはその両方か、あるいは、それだけでも
足りないくらいか、いずれにしても、器量を考えることは人間を見ること、
考えることとあんまり変わりはない。
ではなぜそんなに器が小さくなったのか。
それは器が小さくても何とかなったから。
戦争の脅威がなく、貧困も病気も格段に減り、小さくまとまって
生きていけるのだから、修行も山っ気もいらず、いろんなものに
まみれて大急ぎで自分のためにカネ稼ぎに邁進しても、なんとか
なってしまっていた。そして、どうやらなんとかならなくなってきた。
本書は先に挙げたウツワ5か条を含めて、いろいろ矛盾ありげな
記載が満載なのだが、それは器を大きく持って受け止めよう。
でもわたしは思うのだが、国技のトップにモンゴル人を据え、
柔道はグローバルになってK-1があって、ミシュランの星は
世界一で、イチローと松井がいて、村上春樹と北野武と宮崎駿がいて、
秋葉原があって築地があって、なおかつでかいタワーをもう1本
建てようとしている国民の器って、そんなに小さいんだろうか。
まあそれはさておき、戦争という政治と戦争をしない経済で
のしあがった辺境ニッポンが、今度はエッジなカルチャーで
それなりの存在感を出していくために、祝祭を演出できるくらいの
器は身につけて生きたいものです。
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戦争など死の臨場感が足りていない
覚悟がない
歴史上の器の広い人物の紹介
伊藤博文や田中角栄
妾の話など多数。そういう問題あっても能力は高い。
現代においては状況は変わっているのでそのまま適用はできない。
その時代背景を考えながら読む。
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世の男性は読んでいると少し胃が痛くなるかもしれませんが、男にとって器量とは気になるキーワード。。面白い本です
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女性があまりでていないのが、残念だったが、おもしろかった。
昔の人は言葉を変えれば、やりたい放題やっていたんだな、と思った。
「何ももたない」「身を捧げる」
頑張ります。
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1ヶ月くらい前に読んだと思うのだが、何も覚えていない。
なんかいろんな有名人を挙げて、権威主義的な内容だった気がする(でも何も覚えていない)。
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2010/3/1
さらっと読めるけど、器量に関する深い洞察は得られない。
きっと著者もさらっと書いたんだろう。
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人間の器量とはなにかな。
器量とは、
1 ある事をするのにふさわしい能力や人徳。「指導者としての―に乏しい」
2 その人の才徳に対して世間が与える評価。面目。多く、男性についていう。「―を上げる」
3 顔だち。容貌(ようぼう)。多く、女性についていう。「―のよい娘」
4 もののじょうず。名人。
Yahoo辞書より
仕事が出来る人より、人間として、器量がある人を目指したね。
心が広い、度量がある人
能力ある、役に立つというだけでなく、個人の枠、背丈を越えて、人のため働ける人
何の得にもならないことに命をかけられる、尋常の算盤では、動かない人間
かっこいいじゃないですか。
最近、日本人の器が小さくなった。
明治維新、2次大戦後の高度成長期には、大人物が現れて、日本を救った。
平成の大恐慌では、救世主は現れない。
戦争がない太平ボケをしてしまったからか??
日本人が小粒になったのは、60年戦争がないから
老衰、病死、事故死しかしらない日本人は、死に対する人生観が違う
慰安と平等と健康を求めて、抜きに出るこ事や英雄的な行為、犠牲を好まない。
怖いのは、病気と経済的な破綻だけ。強い信仰もなく、哲学も必要ない。
めでたいといえば、めでたいですが、これで、国が、社会が持つかのか、次世代に何を残せるのか、大いに不安です。
自分の器は、まだまだ、大きくできる。
いまからでも、遅くないから、小さなことうじうじ言うのはやめようかな。
気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分の事しか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。死を前にして最後まで未練にすがりつかねれればならない。
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最近は人が何をなしたかではなく、プライベートを掘り起こして粗探しをする文化になっていて、大物がそう認められる前に潰されている。器は垂直ではなく水平に拡げる。著者が感じた大物列伝。
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現在の否定から入ればそうなる?
過去の偉大な人物は、未来の人間が評価してそうなる。
当時の人がどうおもっていたかは本当はわからない。
でも、たしかに現在は、白黒はっきりつけすぎているとは思う。
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【感想】
いささか偏った表現もあるが、器を大ききすることは何のためなのかについて、考えさせられた。
* 人を評価する物差しが乏しい。
* 人というのは、複雑で多面的な存在で、そうそう簡単に切り捨てられるものではない、という当たり前のことが、いまの世間から、完全に抜け落ちている
* 自分をきちんと知ることは、とても大事なこと。昔の人が、剣術の修行をしたり、座禅をしたりしたのも、己を知るため。厳しい体験を経ることで、己の弱さと強さを認識していく
* でも今日では、体験から自分を発見する、自分がどんな人間なのかを見極める努力をしないで、基準を外に求めていく。偏差値とか、学歴とか、資格とか、業績とか。もちろんん、そうして要素が生きていく上で大切なことは慥かでしょう。けれども、それがすべてではない、すべてではないし、それだけに縋るのは危ういことです。
* 自らの心と資質は、測りがたいものだから。
* その難しさ、微妙さを痛感した古の人が、ひとの器、器量、ということを言い出した
* 上から貰ったものは、上には返せない。だから、下に返す 中田美喜
* 日本人が小粒になった理由
1. 戦死に対する覚悟がいらなくなった
1. 貧困と病苦に対する怯えがなくなった
o その人のためになら死ねるような指揮官への人格的感動なしに、戦争名でせきないことを、まったく忘れている
*
o 貧困や病苦のどうしようもなさ、いくら不平を言ってもしようがない、議論をしてもどうしようもない、自分で自分の運命を処決しなければならない場面に立った人間と、立たなかった人間とはおのずと覚悟は違ってくる
o 高貴であるものは、普段は労働に従事せず、学問やスポーツに精を出しているけれど、国家の危機になれば、一番先に前線出でて命を捨てる。それこそが、ノブレス・オブリージュ
* 器量を大きくするための、五つの道
1. 修行をする
2. 山っ気を持つ
3. ゆっくり進む
4. 何も持たない
5. 身を捧げる
* 死んで動かなくなればそれで終わり。その終わりに向かって長短はあれど誰もが歩いている。であるとすれば、その道のりをできるだけ充実させるように励み、試み、考えるしかない。動けなるその時を、死を、見苦しくなく、なるべく思い残すことなく、迎えるために。そのために器量を育てる、大きくすることが必要なのです
* 気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分のことしか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。死を目前にして最後の最後まで未練にすがりつかなければならない。
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日本人が小粒になった。
昔は、死が身近だったからもっと一生懸命生きた。
とのたまう本。
松永安左衛門が、資本主義を信奉したとか、他を搾取して自分を富ました
とか、それは他人の命名する標題に過ぎません。て言ってたとか、
(松永安左衛門「勇気ある自由」)
山本周五郎は、原稿料は読者が自分に本を書いてほしいからくれるもので
あって、私財ではない。と言ってたとか、
偉い人(福田さんのいう大粒な人)の生き方が色々書いてある。
死ぬことが天秤の片側にあって、自分の信念を貫いて生きぬかなくちゃいけ
ないのがつらいから、今の世の中になった訳で、今、誰もが頑張る理由を探
しているところに、死を感じろってのは、ちょっと難しいんじゃないかと思った。
一個面白いと思ったのは、山本周五郎が文章を書くときに酒を飲んだのは、
「神経や意識を少し、矯めないと、書くことができない」からだというところ。
鋭敏過ぎる人は、少し意識をぼーっとさせないと集中できない。ということ。
確かに、ちょっと疲れてきた午後の方が仕事ができたりする。
なるほど。と思った。
先をいそぐことはない、あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこした
ことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多い。と宮本常一の父の言葉。
死を恐れる、自分の存在がなくなるのを怖がる、というのは、結局、自分の事
しか考えていないからこそ湧いてくる観念なのですね。
結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。
一喜一憂できる範囲がその人の器量である。
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【目次】
序章 器量を問う事
人物観の平板さは、自らを縛りかねない
人を見る事は、自分の器を測る事
器は何歳になっても大きくできる
第一章 なぜ日本人はかくも小粒になったのか
戦後、わが国は人物を育てようとしてきたか
戦死にたいする覚悟がいらなくなった
貧困と病苦に対する怯えがなくなった
第二章 先達の器量に学ぶ
西郷隆盛の無私
横井小楠の豹変
伊藤博文の周到
原敬の反骨
松永安左衛門の強欲
山本周五郎の背水
田中角栄の人知
第三章 器量を大きくする五つの道
一、修行をする
二、山っ気をもつ
三、ゆっくり進む
四、何ももたない
五、身を捧げる
終章 今の時代、なぜ器量が必要なのか
器量人十傑(明治、大正・昭和戦前、戦後から今日まで)
あとがき
高い、ピンのワインを呑まないと本質が理解できないが、安い酒を
楽しめないと人生はつまらなない、と。(P21)
徳川政権の凄みは、平和を定着させた事だけではありません。
むしろ、かくも長き平和にもかかわらず、国民の資質が低下しなかったことに、徳川時代の面白さ、凄さがあります。(P50)
薩摩藩の「郷中」と呼ばれる六歳から二十四、五歳までの少年、青年たちの自治教育組織は、絶対に負けない、卑怯なことをしない、命をかけても名誉を守る、弱い者いじめをしない、という武士道を徹底的に実践させたのですが、そこから西郷隆盛、大久保利通ら英雄が澎湃として現れてきたのは、御存じのとおりですl。
その教育ぶりは、厳しいうえにも厳しいものであり、目上の命令に背く事、仲間を裏切る事、弱い者苛めをする事、なによりも卑怯な振る舞いをすることは禁止され、違反したときは、子供であっても腹を切らされました。(P52~53)
卒業時に一斉試験のようなものが行われるのですが、ある時期から、その科目ギリシャ語と数学になりました。
古典教養と論理で、学生の質を測るというのは、流石ですね。(P66)
ある時、明治天皇が馬術の稽古中に落馬し、「痛い」と云ったことがありました。
普通であれば、側の者が駆け寄って、「御怪我はありませんか、痛みはいかがですか」などと云うところなのでしょうが、西郷は馬上から天皇を見下ろしたまま、「痛いなどいう言葉を、どのような場合にも男が申してはなrません」と云いました。
明治天皇は、その後、崩御されるまで、「痛い」とは云わなかったといいます。
昭和天皇は最晩年、侍医に「お痛みになりませんか」と問われて、「痛いとはどういう事か」と反問されたと云いますが、西郷の一言は、孫である昭和天皇まで届いていたという事になるでしょう。(P76)
勝海舟は、長州征伐以来、しばしば小楠の意見を尋ねたけれど、小楠は自分なりの見通しを語った後、「これは今日の事で、明日の事は余の知るところにあらず」という言葉を添えて来たという。
つまり情勢分析などというのは、その場、その場で変わるものであり、長期にわたって用いられる戦略も戦術もありはしない。変幻する情勢に追随し、昨日に拘泥することをしない。(P84)
少年のような人で、人生経験というほどのものはなかった。
松下村塾という私塾を営んでいただけです。(P86)
とにかく、生徒を褒めた。
けちけち9しないで、徹底的に褒めたのですね。(P86)
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魅力的な人間、大事を成し遂げた人間のもつ器量。正しく生きる=小さくまとまるん、ではない。 窮屈になった現代社会に対して戦前や江戸時代の気骨ある精神を称賛。でも、システム化が進むと細かくなっていくのは必然ではないのか。
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過去の偉人たちや時代背景を例にして、現代人の「人間力」の無さを訴えている。
やたらと宗教的だったり、時代錯誤じゃないかと思う記述も多々あるんだけども、膨大な言葉の山の中から、今の自分のフィーリングに合ったエピソードなりセンテンスなりを拾い上げることができるなら、なかなかの良書だと思う。
少くとも、僕はちょっと元気になった。
ゆっくり進もう。
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図書館:近現代の日本の偉人たちをピックアップしながら、「器量」とは何か、その本質について迫った本。文章は比較的読みやすく、主張もはっきりしている。また、例にあげている偉人のエピソードが興味深い。特に高橋是清、大隈重信、横井小楠はすごいと思った。