紙の本
せつない
2016/04/30 06:38
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投稿者:あられ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本棚の奥にあったのを再読。この本は、先行の「猫にかまけて」と同様に、あるいはそれ以上に、せつないエッセイ集です。最後のゲンゾーのところが一番せつないですが、著者のところに連れてこられる猫ちゃんたちそれぞれがせつないし、連れてくる保護団体の人に「探しているのはこの猫ではない」と言わず(言えず)に受け入れる著者夫妻もせつない。でも、何より、ウメチャンですよ……(涙)。元気に大きくなった子がいるのが救い。「いのち」、「生きること」、「生かすこと」について、飄々としたトーンの奥に、とてもまじめで真摯な思考が見えます。写真も「うちの子」らしさがあふれてて、すてきです。
紙の本
猫との日々
2017/06/30 18:57
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者の猫にベタベタしない距離感が好きなシリーズです。猫を思って色々と行動しても 必ず報われるわけじゃない。でもやらずにはいられない。そのあたりに愛を感じます。
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何年かに一度はこういう本を読みたいなと思った。
猫そんな好きじゃないけど、この本の影響か、帰省した際、実家の猫をいじり倒してしまった。
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このレビューを読んで不快な思いをなさる方もいるかもしれません。
本編は非常に楽しめました。生き物を飼う大変さも再確認できました。
ただ、本編、解説の動物愛護団体さまになんだか釈然としないものを感じたので書かせていただきます。
まず、動物愛護の活動は素晴らしいことだとは思いますが、希望とは違う、それも病気であったり気性が荒かったりといった問題のある子をどんどん作者に押し付ける(という表現は適切ではないかもしれませんが)のは如何な物だろうかという感想を持ちました。
作者は引き取って大事に育てていますが、その善意につけ込んでいるような印象を受けてしまったのです。あくまでも私の感想ですが。
全員が全員、猫を救いたいからという理由「だけ」で里親募集に応募するわけではないと思うのです。
家族に迎え入れたいという理由がまずあって、その上で、どうせなら不幸な猫を引き取ろうと思って応募する人が多いのではないでしょうか。
飼う以上は家族ですから、できるだけ長く一緒に暮らしたいと思うのは当然のことです。
愛護活動をしている人からすればあまり好ましくない考えかもしれませんが、やはり健康な子が欲しいですし、希望の毛並みであれば嬉しいものです。
引き取った問題のある子が数ヶ月、数年で死んでしまった場合、恐らく一番悲しいのは里親でしょう。
それを「厄介な猫を預けられて激昂するような人には譲らないのが賢明だ」等と書くのはどうなのだろうかと思ってしまいました。
繰り返しですが、家族ですからできるだけ長く一緒に暮らしたいのです。
もちろん問題のある子を譲り受けてくれる方はより有り難い存在でしょうが、健康な子を望むのがそんなに悪いことなのでしょうか。
長々書いてしまいましたがエッセイ自体は素晴らしかったので★3つです。
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猫とのかけ合いのタッチが好きでした。とってもユーモラスでかわいらしかったです。
私もペットを飼っているので、読み終えて いつかこの子とのお別れがきたとき、しあわせだったと思って逝ってくれるように これからいっそう大切にしてやりたい と思いました。
おすすめの一冊です。
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町田康先生による猫エッセイの第2弾です。自身の飼い猫に加えて里親となって保護をしている猫たちの存在が出てきます。軽い筆致の中に猫をおもう筆者の想いと、気ままな行動の中に含まれる猫の哲学が印象的でした。
町田康先生の猫エッセイの第2弾です。何年か前にこのエッセイは読んだことがあるんですが、今回、もう一度読みたくなって再読していました。このころから、里親として猫を保護するようになって、ニゴやトラやシャア。そしてウメチャンの名前が出てくるようになります。
もともと野良猫だったり、前の飼い主から虐待されていたりしたという経緯もあってか、えさを与えたり、トイレの砂を掃除したりするときに四苦八苦するさまがなんともおかしく、また人間のエゴのために彼らが必要以上に人間に対して警戒心を持ってしまったんだなと考えるとなんともやりきれないものを感じました。で、さらに保護した猫たちはウィルス性の白血病や猫エイズなどのキャリアを持っていて、当時、筆者は住んでいた自宅ではなく、ここに掲載されてたころは自分の仕事場で世話をしていたのだそうです。
そして、やはり一番心に迫ってくるところは筆者と猫たちの「別れ」に関する箇所で、保護猫のウメチャン。さらには巻末のほうで長年筆者夫妻と生活をともにしてきたゲンゾーが旅立ってしまう場面は何度読んでも辛かったです。筆者いわく
「ゲンゾーはいい奴だった。ともだちだった。
そのゲンゾーが死にかけていた。死につつあった。
涙がこぼれた。
私は、ゲンゾーの名を呼び、背中や頭をなでた
午後二時ゲンゾーは逝った」
というゲンゾーの最期の描写は長年生活をともにしてきて、彼に明け方お腹に飛び降りてこられたり、お気に入りの服を爪で何箇所も穴をあけられたりと、そういう「濃密な」関係の上に成り立っているのかなぁ、と思わせる文章でした。ここに書かれているゲンゾーの死因については詳しくは書きませんけれど、僕がどうのこうのということはできません。しかし、もし将来僕が猫であれなんであれ、ペットを飼う機会があれば、こういうことがもし自分の身に起こった際、ゲンゾーのこと思い出して、筆者の言うように「他山の石」として心のどこかにとどめておこうかと。そんなことを考えています。
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作者は、猫たちに出会えて本当によかったと思っているだろうし、ぼくはこの本に出会えて本当によかったと思っている。前作の「猫にかまけて」に続いて。
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ここ最近、本屋さんに行く度に気になっていた本。最初は町田康さんという作家に馴染みがなく、しかもパンク歌手と書いてあるので、アイドル歌手のゴーストライター物の類いとイメージが重なり、中身を読みもせず、猫を利用して猫好きに読ませようという魂胆の本ではなかろうか、と毛嫌いまでしていたのに、何度も何度も目にはいるので、ついに根負けして買ってしまった。いつもならしばらく積読にしておくのだが、たまたま今読んでる本がなかなか進まず、気分転換に、買ったその日に読み始め、結果、一日の疲れに抗えなくて寝てしまった数時間の睡眠の後、早朝には読了。
町田康さんには頭が下がる。エイズや白血病の野良猫をボランティアから預かるのだ。預かるといっても、自宅で一緒に住むか、仕事場で面倒見るか、の違いだけ。実際は飼い猫と変わらない愛情と気遣いを持って接し、人間に対する恐怖心から攻撃的だったり、全くなつかない猫たちに語りかけ、爪を切り、栄養価の高い食事を与え、病院にも連れていき、衛生面にも気を配り、と猫への労力を惜しまないのだ。会社勤めではないから可能というのと、自宅以外に仕事場を持ち、自宅猫と分けて面倒がみられる環境があるから可能なのだが、それにしても、単に猫好きだけで出来ることではない。奥様も同様、刹処分される寸前だった、まだ生後二ヶ月、ミルクしか飲めないような、しかも風邪っぴきで、エイズは陰性でも他に何の病気を持ってるかわからないような子猫を引き取り、奇跡的な快復をさせ、育てている。
一転、愛猫との早すぎる悲しい別れがあるのだが、その愛猫の死に責任を感じる町田さんに対して、解説の動物愛護団体代表の友森玲子さんの言葉がまた泣かせる。
無責任に生き物を飼って、自分の都合で捨てることに何の疑問も感じないような人がいる居る一方、愛護活動に身を捧げる人がいて、町田康さんのように、引き取って面倒をみて、一緒に暮らす人がいる。
我が家の猫たちは幸いにしてエイズでも白血病でもパルボでもなく、大病もせず暮らしているが、元はといえば、保護してくれたボランティアさんたちのおかげで今があるのだ、と改めて感謝。
因みに、我が家の猫たちの食事の順番は年齢順ではなく、まず、女性優先…のようで。
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町田康の猫エッセイ2冊目。
前著『猫にかまけて』同様カラー写真も満載で、「食パンみたいな顔の猫」ってこういうことかーと納得できる稀有な書であります。
14ヶ月で夭逝したヘッケを悼み、未だ路上生活を送っているヘッケの兄弟猫を保護せんと保護団体にコンタクトするも、連れて来られるのはヘッケとは似ても似つかぬ他猫ばかり。
それでも「この子は助けるけどこの子は助けない、というのは人間の傲慢ではないか」といった思想から、町田夫妻が仕事場に寄寓させる事になさったニューフェイス達がシャア、ニゴ、トラ、ウメチャン、エル。
「ウルトラマンニゴ」とか「インド風ラジオ体操」とか、笑いどころも相当あるのですが、やはりどうしても猫たちとの別れに落涙すること頻り。
ただ、人間共の身勝手に振り回される小動物たちに対して「かわいそうに」と心を痛めるのとは別に、ちょっと心配な事も。
新たにやって来た猫のためにケージを新調し、具合が悪くなれば病院に連れて行き、高カロリーの餌やサプリメントを買い与え、インターネット等で情報収集し、最期の瞬間まで寄り添い続ける。身も心もぼろぼろになって。
町田氏も御内儀も、大丈夫なんでしょうか。
目の前で小さくか弱い生き物が苦しんでいたら、助けたくなるのは人情。
でも、個人で助けられる数はどうしたって限られているし、それ以上にこの国では小動物が捨てられ過ぎている。
今こうしている間も殺処分され続けている命と、それを本能的に救わずにはいられない夫婦と、そのご主人が書いた本を読みつつ何もしない自分と。凹みます。
シリーズ第3作『猫とあほんだら』、早く文庫化しないかなあ。
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猫に気を遣いながら、反省しながら、猫の機嫌を伺いながら
猫と共に暮らす。わかるなぁ〜。
いい人すぎやで〜町田康。
この書は、出会った命と消えゆく命、命を見つめる記録でもある。
一匹の猫の死を見送ったとき、人はこうも後悔にさいなまれる。
町田康はその代弁者でもある。
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生き物を飼うということの責任の重さを考えさせられる本。それでいて町田さんのボソボソと心の言葉を紡ぐような文章のお陰で重苦しい印象はない。
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笑えて、泣ける。猫との生活を味わえる。猫好きの人は深く味わえる。猫を飼ってる人ならもっと深く味わえる。
軽妙な文体だけど、本当に著者が猫を愛していることが伝わる。読んだあと優しい気持ちになれる一冊。自分は3回泣いた。
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町田さんの猫ちゃんへの愛が伝わって好きなシリーズ、第二弾。
面白いことはとことん面白く、悲しいことは時系列で記録。
町田さんならではの視点と文体がやみつきになる。
本作はまた新たに保護猫家族が増える。
『ヘッケの家族なら預かりたい』という意向を無視してどんどん連れてくるボランティアの方(笑)
最後の解説で動物愛護団体の友森さんが『こいつ濃い目の猫いけるな……と見たら、行き先のない厄介な猫を預けに行く』と書いておられた通り、町田さんはヘッケに似ていないとわかってもどんどん預かりお世話をしていく。
根っからの猫好き、猫愛を感じてたまらなくなる。
町田さんの元に行った猫ちゃんは幸せだろうな。
この文庫の単行本は2007年に刊行されており、2022年の今はこの時から15年経っているというのに、保護猫・保護犬の減らない現実……。
活動も未だにボランティア団体を頼るしかないという事に愕然とする。
人間のエゴで飼われて捨てられる、勝手に増やされることが本当にもう終わって欲しい。
猫ちゃん1頭の命を自分の命と同等に、いやそれ以上に扱う町田さんに惚れる一冊。
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町田さんの猫エッセイ第2弾。
ゲンゾーの件について自分を責める町田さんの姿がなんとも切ない。
動物を飼うのではなく、命を預かる。
今は動物を飼っていないけど、またいつか生き物を飼うときは
町田さんの姿勢を見習いたいと思った。
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猫にさんざん手を焼かされる町田氏はハッピーな様子だ
反抗とは、場合によっては庇護者への信頼の証なのだから
逆に、恐怖とか憤りとか敵意といった感情に基づく反抗もある
預かりボランティアとなって
人間に敵意を抱いた不幸な猫たちにも向き合う第二巻
よろこびと引き換えに課せられる責任の重大さも考えさせられる一冊