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電子書籍
木に学ぶ(新潮新書)
著者 早川謙之輔 (著)
木の文化は今も生きている――。木曾檜はなぜ特別なのか。針葉樹と広葉樹はどこが違う。木目はいかにしてできるのか。縄文時代の技術レベルは。鋸の普及していない奈良時代に板はどう...
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商品説明
木の文化は今も生きている――。木曾檜はなぜ特別なのか。針葉樹と広葉樹はどこが違う。木目はいかにしてできるのか。縄文時代の技術レベルは。鋸の普及していない奈良時代に板はどうして作ったのか。「木挽き」や「剥ぎ師」のすごさとは。伊勢神宮の御木とは。奈良の寺の古材から何がわかるか。音と木の関係とは。……木工四十余年、現代の名匠が木と人の長い歴史を考える。
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紙の本
還暦を過ぎても木から学ぼうとする謙虚な姿勢
2010/11/16 22:53
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は岐阜県恵那にて40余年、木工として家具作りをしてきた。既に還暦を過ぎた「今も木に学ぶことは少なくない」という。本書はこれまで木に携わってきた中での驚きや感銘を手がかりに、「木に学びたい」という思いで書かれた。
木を材料にモノづくりをしてこられた職人さんだが、木を人間の思いのままにしようとか征服しようとか、そういう思いとは真逆の木との向き合い方をされているのが本から伝わってくる。「はじめに」でも、木を「敬う気持ちを忘れたことはない」と述べている。常に木と共にあるから言える言葉だ。本書では山中での老木との出会いや、古代遺跡に残る人と木の関わり、法隆寺など歴史の古い建物に使われている柱、鋸のない奈良時代にどうやって板を作っていたか、とか著者の関心のある木の話が収められている。
恥ずかしながら、木には生きている部分と死んでいる部分がある(4章-3)ことを初めて知った。立ち木は樹皮の内側、師部(内側の内樹皮。養分のパイプライン)および木部外周の辺材(白太という)だけが生きているそうだ。師部が死んで樹皮になり、辺材の内側のある心材(赤身という)は死んだ木部なのだ。ということは毎年、同じ木の中で生き死にを繰り返して年輪を刻んでいることになる。人間が垢という形で皮膚を新陳代謝させているのと似ている。
「あとがき」では以前から漠然と思ってきたことが、本書を書くうちにまとまったと書いている。「木があるから人があるのだ」と。言い換えるならば「我々は木に生かされてる」、といったところだろうか。立ち木の時には我々に酸素を供給してくれ、木材になってからは家や家具、食器になったりして生活に欠かせないものだから。