新書百冊(新潮新書)
著者 坪内祐三 (著)
数々の新書が一人の青年の燃える向学心を導いてくれた――。このハンディーな本に熱中した若き日々を回想しつつ、すごい本からお買い得な本まで、名著から奇書まで、100冊を精選。...
新書百冊(新潮新書)
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商品説明
数々の新書が一人の青年の燃える向学心を導いてくれた――。このハンディーな本に熱中した若き日々を回想しつつ、すごい本からお買い得な本まで、名著から奇書まで、100冊を精選。読書人・坪内祐三の情熱がほとばしる読書自伝。
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智慧の心臓
2003/04/27 23:13
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今、新書が元気だ。書店に行けば、新書コーナーは、戦争から不倫までなんでもござれの百花繚乱ぶりである。そして、ついに老舗出版社である新潮社が新書界に登場した。ドナルド・キーンからビートたけしまで一挙に一〇点の創刊である。新潮社のホームページには「最後発としての覚悟と情熱」と書かれているが、その気合はカバー上部に印字されたシェイクスピア『ハムレット』の一節、「簡潔こそは智慧の心臓、冗漫はその手足、飾りにすぎませぬ」(福田恆存訳)という言葉にもよく現れている。少し散漫になりかけた新書本を引き締める、そんな存在になることを期待する。
創刊一〇冊の中の一冊が、この坪内祐三さんの「新書百冊」である。新書をテーマにした坪内さんの「読書自伝」なのだが、同時にかつて多くの新書たちがどれほど若い人の心と真摯に向かい合ってきたかの軌跡ともいえる。坪内さんがこの本に書かれている文章の端々に、坪内さんより三歳年上の私も確かにそうであったという、青春の日々の苦い記憶が滲み出してくる。
高校に入学した頃の自分を振り返って「その頃には私は新書を買うことにある程度慣れはじめていた」(20頁)と書く坪内さん同様に、当時の私にも「慣れる」という表現がぴったしの感覚が、新書を買うという行為にはあった。それは、当時の私たちにとって新書がどこか大人びた知識の匂いのする本であったことの証しともいえる。また、「毎月新書本の新刊を三冊ずつ買って読もう。(中略)それだけでも知識が身につくだろう。ただのつまらないサラリーマンにはならないだろう」(40頁)という坪内さんとまったく同じことを大学に入りたての私も考えた。結局一ヶ月に一冊も読めなかった私は「ただのつまらないサラリーマン」になってしまったが、そのような幻想を若者たちに抱かせる力が当時の新書にはあったといえる。この本はそんな新書の瑞々しい時代の証言である。
坪内さんが「大学に入学した直後」「高田馬場駅前のパチンコ屋で、その景品として、人文書院の、クリーム色の表紙が印象的だったサルトルの著作集を次々と集め揃えていった」(153頁)まさに同じパチンコ屋で、私も景品として同じサルトルの本を交換したことがある。そういう意味で、この新書本は、私にとっての追憶の一冊でもあるのだ。
新書の同時代史
2003/04/15 21:07
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
自らの新書体験を縦糸に、時代相による新書文化の移り変わりを横糸に織り上げられた文化研究の試み。とくに70年代半ばから現在にいたる新書の変遷が具体的な書目とともに語られている。
新書のビンテージ・イヤーは岩波新書青版時代である。それも600番台から800番台にかけてである、とは呉智英氏の指摘だが、本書もそれを裏付ける。66年から74年にかけてのこの時期、戦後文化の流れが大きくモード・チェンジする直前のこの時代に新書文化には戦後啓蒙主義の豊かな実りがあった。本書に登場する岩波新書であげれば、富士正晴『中国の隠者』(青版872)、鶴見俊輔『北米体験再考』(青版794)、清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃』(青版825)などがこれらビンテージ・イヤーの産である。
しかし、78年早稲田大学入学の著者にとって真に同時代的だったのはこれらの教養主義的な書物ではなく、80年代を席巻したサブカルチャー的な新書だった。山口昌男『知の旅への誘い』、中村雄二郎『術語集』、阿部謹也・網野善彦他『中世の風景』などが文化の変容の目印だが、評者が同時代性を強く感じたのは、四方田犬彦『映像要理』(1984年、週刊本)があげられていることである。この人ぞ知る奇書にこんなところで出会おうとは全く思いもしなかった。
本書は全体に個人的な視点が強く打ち出されているので、著者に世代の近い評者は至るところで懐かしさを感じ、思わず自分の記憶を辿りなおしてしまった。
読み物としての楽しさも満点です。若い読者には、本の読み方+古本屋めぐり入門として、年長の読者には自分の新書体験を辿りなおす格好の補助線として、すべての本好きにオススメします。
新書の思い出で綴られた自叙伝
2003/04/27 19:49
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本版ペイパーブック=新書の思い出で綴られた坪内祐三の半生記。本読みならだれでも、こういった書物と読書をめぐる自叙伝への魅力に抗じ難いのではないか。でも、他人に読んでもらい、同世代・近接世代の読者の共感を誘い(シブい本のラインアップ、とりわけ冨山房文庫への賛辞や、開高健の『声の狩人』や安岡章太郎の『アメリカ感情旅行』といったすっかり忘れていた新書への言及など、いたるところ共感あり)、さらに、「読書という時代を超えた文化や文化行為の力強さを、特に若い人たちに伝える」ためには、熱意と自制心と編集上の工夫が必要で、その点、さすがは坪内祐三、百冊の新書のサワリとキモの紹介・引用を、もう少し、というところでさっと切り上げ、楽しげに筆を進めながら、読者をしっかりと自分の関心領域にとりこみ、終わってみれば、新書による近現代日本文化史を仕上げているのだから、これは相当な力量である。
あとがきに記された、本というメディアとの関係で区分された二十世紀日本の四つのサイクルをめぐる考察が面白い。──第1期(00〜25)、本はまだ限られた人のものだった。第2期(〜50)、円本や岩波文庫の登場に始まる教養主義的読者層の誕生。第3期(〜75)、教養主義的読書の大衆化。第4期(75〜)、サブカル的読書が主流となる。そして新世紀を迎え、文化としての読書(サブカルもやはりカルチュー=文化だった)は変質した。《つまり読書という文化の大きなサイクルが終わった。/ただしその終焉は、逆に、新しいサイクルの始まりであるかもしれない。》
新書との運命的な出会い
2003/05/01 12:52
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:芦田清孝 - この投稿者のレビュー一覧を見る
月刊誌『東京人』の元編集者で、現在はフリーで活躍する坪内祐三は、
とくに明治・大正期の文学に造詣が深いが、『週刊SPA!』誌上で文芸批
評家の福田和也と連続対談を行ったり、同じく福田、作家の柳美里、エッ
セイストのリリー・フランキーと4人で新雑誌『en-taxi』を創刊したり
と、近年多彩な活動を行っている。そうしていま脂の乗った著者が、新創
刊の新潮新書のために書き下ろしたのが、この『新書百冊』だ。すでに
『週刊文春』での文庫に関する連載をまとめた『文庫本を狙え!』を公に
しており、これはいわばその新書版という側面もある。
さて坪内祐三はいつものように、だが今回は大学生のころからの30年に
わたり、あたかも小林秀雄のごとくさまざまな新書との遭遇、そしてその
驚きを語る。が一方で、新書を論じる本書自体が新書であるという性格も
踏まえられ、新書のこれまでのおもな歩みがよくわかるように、全体とし
て啓蒙的な配慮もなされている。新書に作家の旅行記が充実していること
をはじめとして、改めて認識させられる点が多々あったが、とくに、著者
が親しいという山口昌男をめぐる記述は、本書でもっとも興味を引く部分
の一つだろう。山口はアフリカにフィールドワークに出かけるまえ、彼に
とっては不本意だったようだが、数冊の翻訳を手がけたことがある。その
訳書『黒いアフリカの歴史』(もちろん古書)を数年掛けてやっと手に入れ、
後日それを差し出してサインを求めたときに山口昌男が見せた表情とは。
それを読むだけでも、この新書を買う価値はあるだろう。
山口昌男は本と「運命的な出会い方をする」。そう坪内祐三は書いてい
るが(128ページ)、そうした本との「運命的な出会い」を求めて、著者は書
店に通いつづける。『新書百冊』は、百冊の新書を通して顧みられたその記
録なのである。