紙の本
原発中心の話題が多かった感じの前著より多彩な感じに
2011/11/22 12:35
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミルシェ - この投稿者のレビュー一覧を見る
原発中心の印象が強かった「地雷を踏む勇気」と比べて、本書の方が話題が多彩になっている感じです。
やはり、特に政治、もしくは絡んでいる箇所に関しては、賛同できる箇所とできかねる所半々など、微妙です。有権者の政治家の軽視・侮蔑と、また、まるで想念が現実化するかの如く、そういうレベルの政治家の誕生が相次ぐ悪循環の構図については、以前から私も何十年も心配していた事です。マスコミの政治報道の問題点についても、政治記者のコラムの内容の低さおよび、特に平成に入ってから著しく内容の劣化が目立つというのも、常々私も感じていた所です。国会論戦をまるでゲームのように「戦闘モード」なんて表現してみたり。
ただ、以前からご本人が投票した事がない、特に政治家に期待していないと表明している小田嶋氏が、有権者のこのような姿勢に注意を呼びかけても、説得力に欠け、提言としても、静かに政治の動向を見守り、投票で意志表明しようという、消極策に留まっているという印象は拭えません。
それから、いわゆる「小沢ガールズ」という呼称を例に挙げて、政治記者の女性議員を馬鹿にする傾向の報道が目立つのでは?という指摘に関してですが、「小沢ガールズ」という呼称は、そもそも、かつての「小泉チルドレン」のように、単なる小沢一郎議員の陣笠・子分議員候補者という意味での、揶揄が込められた呼称でしょう。そう読み取るべきでしょう。私もこの人達は、一人前の議員としては認めたくありませんし、今後にも、何の期待もしていません。小田嶋氏の指摘に関する続きですが、確かに、女性議員に対する、男性議員・男性記者等政治関係者の偏見も、まだ強いとは思いますが、同じ女性で一時は日本の政治に期待をまだ持っていた時期もある、一有権者の印象から言わせていただくと、ここ数十年を見ていても、さしたる功績も見当たらない、明らかな小沢子分候補者の女性議員や他の政党の数々の、お嬢様世襲議員・お飾り女性議員・本職に行き詰まり転職組、あるいは単なる自己実現・名誉欲組の女性タレント・キャスター議員達を見て、誰が真剣に政治を志して、女性議員になりたいと思うのでしょうか?
それに、なぜ国会中継で取り上げられる女性議員といえば、民主党では蓮舫議員など、ごく特定の少数の女性議員達ばかりなのか?という問題等。それに、媚びないようなイメージをアピールしている感じの、蓮舫議員にしたって、政界での立ち回りがかなり上手いようですし。ある政治記者の話によると、野田グループなのに、小沢詣も欠かさないようですし。ただ、私も島田紳助の出馬の可能性に関しては、他のコラムニストにも危惧して指摘している人々も、何人か知っており、十分あり得る、そしてその後の彼の栄光のシナリオも十分実現し得る可能性については、いくら政治に嫌気がさしている私としても、憂鬱な予感を感じています。
枝野幸男議員の島田紳助の芸能界引退を惜しむのかような発言については、むしろ、彼の政治家としての見識に、疑問符を付ける箇所ではないでしょうか?
彼の態度から、政界自体が紳助の出馬を歓迎しているのではというのは、深読みし過ぎな気がしました。とはいえ、なりふりかまわず恥も外聞もなく、参院選となると比較的政党自身の軽視傾向もあるのか、タレント候補者を乱立させ、更に政治を貶め、私を深く失望させ続けている政党ばかりですから、そういう面が、絶対にないとは言い切れませんが。
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小田嶋隆の日経ビジネスオンラインに連載する時事エッセイ「ア・ピース・オブ・警句」は11月の頭に「地雷を踏む勇気」として技術評論社から出版された(尚、奥付けの日付は12月1日となっている)ばかりなのに、何故か今度は本丸である日経BP社から同じエッセイが「その正義」があぶない。」として出版された。こうやって同時期に同じものが違う本として出るとやはり買わずには居られないが気にもなる。
何故にして一つの連載エッセイが同時期に違う出版社から続けて出版されるのか良く判らないのだが、想像するに、この連載エッセイを見た技術評論社の編集者が「是非出版したい」と言い出し、日経BPは「どうせ書籍化する予定は無いし、ええよ」とでも言ったのでまずは技術評論社の書籍が先行したのであろう。ところがそれを聞いた日経BP社の中の誰かが「何故にして自分の会社で書籍化しない!」とでも見直しがあったのだろう。それで後追い企画ではあるが、本書が生まれたのではないかと勝手に想像して楽しんでいる。なんとなれば本書のほうは大半が2011年のウェブ版登場の記事と云うことからもそんな気がするのだ。そうそうもう一つの違いは本書にはイラストが載っていることだ。
さて今回読んで一つの疑問が解けたのだが、それは「子ども手当て」などにあるような「子ども」という漢字・ひらがな混じり表記のことだ。小田嶋ももともとは「子供」と書いていたらしいのだが、編集者から「供の字には大人のお供、即ち大人に付き従うニュアンスが生じる、供には神に捧げる供え物との見方もある」と指摘してくる人が居るので「子ども」表記にしたほうが面倒がないと言われたのだと。
いやはやこんな漢字一つ一つの意味を殊更意味深長に取上げるような言葉狩りが蔓延しているのかと改めて知った次第。恐るべきは人権(または差別反対)馬鹿だな。そんなに「人」が大事なのか?人という文字だって本当は「大きい方が小さい方に 寄っかかってんだぞ」(By藤岡藤巻)
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アマゾンには、お勧め商品という欄があって、なぜかこの本をしつこくお薦めしてくるので、購入。
軽く世相を流して、少し斜にかまえて、変なところをおもしろがる、という本。
別に好きでもないが、きらいでもない。なるほどと思う点も多い。
①東電や政府や情報のコントロールをして、パニックをおさえたと思っているが、一番大事な信頼性を失った。(p29)
もっとしゃれた文章で書いているが、つきつめるとこういうことが書いてあって、それはなるほどと思う。
②紳助は政界進出にその気。(p105)
テレビ人気で、タレントいじめて、はては暴力団のついあいを開き直って、それで政治家?
選ぶ国民も国民だ。
③大相撲は、外国人力士は帰化しないと親方になれない。要は外国人は使い捨て。(p145)
この手の、コメントが続く。
小沢ガールズ、野田政権の安全運転三原則も、そうかなと思うが、現役官僚には、「コメントが危ない」。
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独特の語り口調で文章を綴るライターだと思う。とっつきにくいかもしれないが、内容はオルタナティブな考えとして許容できると思う。鋭い指摘もあり、個人的には賛同できる部分も多かった。
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日経ビジネスオンラインでの連載は定期的に読んでいたけれども、この本に収録されているものすべては読んでいなかった。
また、時期を外して、今になってまとめて読んでみるとその時期の出来事を振り返れて面白い。
リアルタイムで読んでも著者の視点は自分と異なっていて面白いと思っていたけれども、あとから出来事を振り返ってみるとその差が大きくなっていてますます違和感のようなものが出てくる。
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なんとも、我ながら呆れる。
2012年に入って初めて読了したのが本書。「小説読み」を自称する自分としたことが。。。
さて、本書は名コラムニストによる極めて「真面目な」一作。前書きで著者自身が書いているように「らしくない」本なのだが、その分、著者のモノの考え方が率直に伺えて興味深い。
ただ、「テレビ批評家」としては、著者は物足りない。
つくづく、ナンシー関の偉大さを思う今日この頃だ。
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日経ビジネスオンラインのコラム「ア・ピース・オブ・警句〜世間に転がる意味不明〜」の書籍化第2弾。
真面目な問題を真剣に斜めから叩き切っていて、つい笑い、笑った後考えさせられる。
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ネットで見かけたコラムが面白かったので息抜きで読んでみた。
面白いんだけど、やっぱり時事ネタが多いので、
後から読むよりリアルタイムで読まないと面白みが減ってしまう。
連載を読むのはいいけど、後からまとめて読むほどでは。
という感想。
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「日経ビジネス オンライン」の連載コラム「ア・ピース・オブ・警句」の連載で読んでいた。それが本になったもの。以前からかなり面白く読んでいたのだが、本になるとまた違った読み方ができる。「紳介シンドローム」や「相撲という束縛」「小沢一郎女子的考察」は圧巻である。
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小田嶋隆って絵上手いね…イラストレーターのクレジットがどこにもなくて困ってたら本人だったとは。内容はわかりやすい。わかりやすく我々の生活に転がる疑問にぼんやりとした回答を示唆してくれる。常識的だとされている答に対してもう一回立ち止まって考え、検証する隙を与えてくれる。震災前後の世相、ハッキリとした回答なんて誰も持っていない。だから著者も著者の回答を述べるだけだ。あとは我々一人一人が考える。それでいいのだと思う。
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● 何かを変えるためには、自分が座っている木の枝を切り落とすみたいなタイプの決断が要る。
● 二兎を追う者は虻と蜂の両方に刺されて悶絶することになる。間違いない。
● で、われわれは、自分たちがしなくなった相撲という仕事を、アウトソーシングしている。もう少し別の言い方をするなら、われわれは、自分たちの国技を外国人の派遣労働者に丸投げしているのだ。
● ただ、本当に徹底したコンプライアンスを求めるのなら、それなりの時間とコストを覚悟すべきで、当然、リスクも負わなければならない。とすれば、リスクを負う覚悟もなく、コストを支払うつもりも持っていない通りすがりの部外者は、黙って見守るべきだ。
● と、彼らの意見は、「政府は慎重かつ毅然とした態度で臨むべきだ(キリッ)」ぐらいなところに落ち着くわけなのだが、無論のこと、こんな意見に実体的な意味はない。品格ある土下座。威勢の良い譲歩。壮烈な妥協。崇高なる日和見。言葉の遊びだ。
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伝統回帰を叫びながら透明化を謳う相撲界。二兎を追う者は虻と蜂の両方に刺されて悶絶するのが落ちであり、閉鎖的であるからこそ維持されている美質と外面もある。ある場面では文化、別の場面では神事、また別の場面ではスポーツであると主張する、いいとこ取りの大相撲。外国人は使い捨て。暴力団とは切っても切れない間柄。星の貸し借り当たり前。危ういバランスにある様々な正義の意味を問いかける。
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高所作業の要諦は、転落を疑えば、高さに怯える。信じ切ることのみが高さを克服する手段。成るほど。小田嶋くんもたまにはいいね。無駄な知性遊びじゃないかな。
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最近の領土問題見てると、国力の衰えた国が周りからチョッカイかけられるのは歴史の必然かなあ、と思います。もちろん一国民としてハラ立つけど。
当の日本人も「失われた10年」とか言われて余裕なくしてる状態で、どうしても反応が敏感になりがちな昨今です。
そんな時やからこそ、肩の力抜いて何が問題の本質なのか考えましょうや、てのが本書のテーマだと思います。たぶん。この本の「正義」は「独善」のことやろね(-_-)
正義の対極は悪ではなくて別の正義、いうのは誰が元ネタやったかなあ。
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いいコラムは読者の思考を促します。何度も立ち止まらせます。小田嶋さんのコラムはまさにコレ。お高く留まって天の声を下々に伝えんとするコラムとは違います。オープンマインド。風通しが良いともいえるかもしれません。
小田嶋さんのことは、雑誌で何度かコラムを読んだことがあり、「面白いことを言う人だなぁ」とかねて思っていましたが、単行本を買ったのは先月の「場末の文体論」(日経BP)が初めて。いや、大変に面白かったです。
で、すっかり癖になって「その『正義』があぶない。」を購入。他にも著作はたくさんありますが、自分は正義を振りかざすことに激しい抵抗を覚えるタイプなので、これを選びました。
結論は言わずもがなです。って、それでは感想にならないので、気になったところをいくつか。
まず、著者は「発刊に寄せて」で、震災以降の日本の言論状況に言及します。
「震災以来、原発をはじめとするあらゆる分野で、人々は、議論ではなく、『正義』(←(『議論の余地のない正しさ』は、議論を圧殺する)それ自体を求めるようになった」
なるほど、そうかもしれません。といいますか、私自身、FBで何度か、震災以降の窮屈な世間の様相に触れてきました。たとえば、「ジョークが許されなくなった」というふうに。「国難」「絆」「勇気」の硬派な言葉が世の中に溢れ返り、冗談は相成らんという窒息しそうな空気が蔓延しました。今はだいぶ和らぎましたが。
小田嶋さんは、この空気に抗していたのですね。
「その『正義』がもたらす窮屈さへの悲鳴として、私が並べ立てていたジョークのいくつかは、いま見ると、明らかにスベッている。比較的デキの良い組のギャグも、確実に笑いをもたらしたとは言い切れない」
そこまでジョークにこだわらなくても…とは思います(笑)
脈絡なく続けます。本書では、島田紳助の芸能界引退問題も取り上げています。著者は「紳助はその気(政界に進出する)だと思う」とかなり大胆な予想を立てます。選挙についての著者の見立てが面白い。
「選挙は、人気を競うコンテストではない。知名度を争う戦争だ。好きであれ嫌いであれ、名前を顔を知られている候補者が勝つ。そういうことになっている。1万人に嫌われて、50万人に好かれている候補者と、100万人に嫌われていて80万人に好かれている候補者が、同じ選挙区で選挙戦を戦った場合、必ず後者が勝つ。選挙というのは、そういうレギュレーションなのだ。とすれば、紳助は無敵だ」
何だか身も蓋もないですし、一応、それなりに政策を見て判断する自分としては納得し難いところもありますが、選挙の基本仕様としてはそういうことなのかもしれませんね。政党が芸能人、タレントの擁立に血道を上げるのも頷けます。
一時、「品格」という言葉が流行しました(今もですか?)が、著者の主張は我が意を得たり、でした。
「品格は、本来、語るものではない。評価するものでもない。ただそれは人が去った後に香気のように漂うものだ。いずれにせよ、品格について語る者は品格を失う。いま語っている私も含めて」
各界からの八百長の一掃については、高校生の喫煙率の劇的な減少の原因に言及し���「おそらく喫煙という文化がポジティブな発信力を喪失したからだ。要するに、タバコはカッコ悪くなったのである。薄汚いオヤジの、クサくて不経済な習慣」としたうえで、次のように提言します。
「法令の遵守は、罰則による威圧や、社会的な強制よりも、美意識によって達成されるべきだ、というこだ。八百長に加担することが、どうにもみっともない、恥ずかしい、きたならしい生き方であると、いうことが、全力士の間で共有されれば、自然にそれは消滅するはずだ。損得や金勘定の利得を超えて」
各界の浄化に関して、このような提言を聞いたのは初めて。なるほどと膝を打ちました。
このほか、読んでいろいろ考えたことがあり、それも記録しておきたいところですが、私も忙しいので後日。といいますか、忙しいならそもそもこんな無内容なレビューなんて止めてしまえばいいのに、一度始めるとなかなか止められない几帳面な性質でして…。
「正義は、それに反する者を排除し、自分たちの陣営に与しない人間を敵視するための装置になる。であるから、正義という文脈で話をしているうちに、人々は、いつしか正義と不正義を峻別するフィルタリングの作業に熱中するようになる」(「その『正義』があぶない。」)