紙の本
心血を注いだ義足
2020/11/19 15:16
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつての美脚の女王に浴びせられる、誹謗中傷には胸が痛みます。野心的なインダストリアル・デザイナーと、二人三脚で再起を目指す姿に勇気を貰えました。
電子書籍
恋愛指南書に感じてしまう…
2019/12/06 05:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:漣 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はいま、分人シリーズを出版の順番通りに読んでいます。レビューも読んだ作品毎に書いています。
『決壊』『ドーン』そしてこの「かたちだけの愛』
『決壊』の読後は酷いダメージを受けましたが、それは作品そのものが、もちろん登場人物も、切実であったからです。
『ドーン』は作者の分人主義の指南書
『かたちだけの愛』は作者の考える恋愛指南
この二作品は小説である必要性を感じませんでした。
私は『マチネの終わりに』を最初に読んで、平野啓一郎さんの作品に向き合い始めました。成熟した大人の、一言では表せない、恋愛小説だなとつい最近まで思ってました。
しかし、平野啓一郎さんの分人シリーズを読み進めていくと、作者のご都合主義が鼻に付くな、と感想が変遷していきました。
どの作品も主要登場人物は皆が皆、一流の仕事人や天才ばかりです。一流作家である平野啓一郎さんの主張を登場人物に語らせないといけないので、そうならざるを得ないのでしょう。
この『かたちだけの愛』も片脚を切断する羽目にはなりましたが、誰もが羨むような美貌を持つ女優、恋する相手は一流のプロダクトデザイナー。
平野啓一郎さんは、当然芸能界のこともプロダクトデザイナーのことも勉強されたのでしょう。
しかし、幾つかの作品を読み進めていくと、そのお勉強の結果を小説という形を借りて披露されている感じを受けるのです。
私は平野啓一郎さんの理路整然とした構成も文体も好きです。修飾語が多いのは少々辟易としますが…
小説というのは、一定数の読者にとっては非日常的なモノである必要はあるのでしょう。
しかし私は平野啓一郎さんという作家を追っています。
平野啓一郎さんが色んな経験や勉強をされて歳を重ねているのと同じように、私も歳を重ねているのです。
追っているのは小説(作品)だけではないのです、作家そのものなんです。
そういう読者も少なくないと思います。
一流や天才ではない、どこにでも居る人の切実な物語が紡がれるのを勝手に待っています。
※既にそういう作品があるなら、すみません…
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約1年前に、新書「私とは何か」を手にとって以来、ようやく分人小説4部作を読み切った。文庫化を心待ちにしていたこの作品のテーマは、ずばり分人と愛。事故で足を切断した女優と、義肢のデザイナーによる恋愛っていうと、ちょっとアルモドバルのトークトゥハーを連想して「献身」がテーマなのかと先入観を持ったのだが、さすがに平野文学は圧倒的なリアリティー。
刹那に宿る「恋」を花だとすれば、関係の維持に努める「愛」は果実であり、その狭間にあるセックスは、花が果実になるための季節の変わり目のようなものだという。愛は利他だけでなく利己が必要であり、利己の塊のような存在である三笠を通して相良は、完全な献身にも愛はなく、愛には献身と身勝手という両義的な価値が必要であることを気付く。谷崎の陰翳礼賛を引用し、光と影の絶え間ない反転こそが人間の関係性の本質であると。
僕は、ずっと分人主義的な考えでは、同時にいろいろな人を愛することを肯定してしまうのではないかと疑問だったのだが、それにもしっかりと答えを出してくれる。愛とは、相手の存在が自らを愛させてくれることだからだ。だから、一生をかけて一人の人を愛し続けるということは、一回しかない自分の人生を一生かけて愛し続けることに他ならないのだ。
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芥川賞作家・平野啓一郎氏による初めての恋愛小説です。『日蝕』や『葬送』などの重厚な作品を書くというイメージが強い方だったので、最初は正直面食らいました。
この記事を書く際にはじめて知ったのですが、この本は平野啓一郎氏にとって初めての恋愛小説だったのですね。物語は交通事故によって左足を切断するという重傷を負った『美脚の女王』の異名をとる女優の叶世久美子と、離婚を経験し、デザイナーとしての仕事は順調なものの、心にどこか空白の部分を持ったデザイナーの相良郁哉が中心となって物語が進んでいきます。
さいしょは作中にちりばめられているiPod nanoやWikipediaやグーグルやユーチューブというまさに現代を象徴するキーワードに正直面食らいましたが、この作家は古典を多く描いてきて、つい最近もオスカー・ワイルドの「サロメ」を彼が翻訳を書いているはずなのにこのシフトチェンジはすごいなとさえ思いました。で、話を戻すと、映像化は困難ですが、山あり谷ありの王道的な恋愛小説で、最後まで一気に読み終えてしまいました。
相良と叶世の二人の展開も魅力的ですが脇を固める人間もまた個性的なキャラクターが多くて、相良の母親のような役どころを演じる原田紫づ香と叶世のマネージャーを務める曾我もまた、人間味のあふれるキャラクターで、特にマネージャーで彼女が所属する事務所の社長である曾我には叶世久美子を育てる、という身のささげ方には
『こういう生き方もあるのか!!』
という驚きがありました。
義足が完成して、叶世と相良はファッションショーに赴く、というのがこの作品のハイライトですが、結末は自身で確認いただくとして、もう一度、人を愛してみようか…。この本は僕にそんなことを思わせてくれました。本当に久しぶりの恋愛小説を読んでそんなことを思いました。
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あくたがわしょうさっか という色眼鏡があったので、
こういうエンターテイメント色の強い本も書くのだなと
やや驚き。はらはらどきどきしたまま駆け抜けるように
読んだ。
ただ、愛に関する考察とかそういう、なんというか
論理的な思考?はちょっと難しいというか、男性の
感覚だなぁと思った。やっぱりわたしは川上弘美さん
とかの恋愛小説に心惹かれ、胸を打たれる。
主人公がプロダクト・デザイナーだけに、物の形に
関する描写が多く、綿密に取材されたのか、それとも
作者がもともとそういうことに造詣が深いのか、そういう
興味もそそられる。
ホームランバーのおいしい食べ方 なんて考えたことも
なかった。
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なぜだー、小説だけ相性が悪いんだよどうしてもー。私は平野啓一郎、けっこう好きだ。TVに出てたり啓蒙書みたいの書いたり、そういうときは非常に好ましいと思う。誠実で思慮深くてためになる。これは結構悲しい事実。多分、「思想」を表すシステムとして小説を使っているんだと思う。よしもとばななも同じような感じで、要は登場人物に今一つ血が通わない。ローリングの『カジュアル・ベーカンシー』もその傾向が強くて駄目だったし、私は苦手なのかもしれない。ばななさんの場合は小説システムのあり様を偏愛してる(個人的にね)からむしろ良いんだけど、平野さんのは何かハーレクインみたいに感じてしまうんだよな、本作の特性もあるけどね。ケータイ小説的・ラノベ的といってもいい。それか…私には察することもできない深みがあるのか…うーん…でも、平野さんの思想で救われる人はいっぱいいると思います!(フォロー)読者としての私はわがままなんです!><
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とても、きれいな恋愛小説。
それは薄っぺらいとかいう意味ではなく、嫉妬や執着心や憎悪や混沌、醜悪…そういった人の卑しい部分を描きつつ、それさえも凌駕する美しさが混在している…ということ。谷崎潤一郎氏の小説やラヴェルの曲、最後はパリの街並み…とまるで映画を見ているかのような感覚で読み進められた。文字を読んでいるのに、それとは別の視覚や聴覚を刺激されるような感覚は、なんかノスタルジーとワクワクを同時に味わうような不思議さでもあったなぁ…。
平野さんの提唱する『分人』の考えもちりばめられ、家族との顔、仕事の顔、恋人との顔、昔の恋人との顔…と様々な関わりに悩みモヤモヤを抱えて生きる様には共感を覚えた。
平野さんの小説は、わりとさらっと読めるのにジワジワと心に沁みて離れない。相良の母の納骨のシーンでは、なぜか涙がこぼれた。
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タイトルは「かたちだけの愛」だけど、どちらかというと「愛のかたち」を描いた作品。
読み始めたらやめられなくなって一気に読了。
平野啓一郎ならではの丁寧な描写と恋愛小説ならではのエンターテイメントがあいまって頭と心に心地よいマッサージ。
美脚を売りにしていた女優が交通事故で片足を失う。プロダクトデザイナーの主人公は彼女のために美しくて機能的な義足を作る。
「分人dividual」シリーズなので、「個人individual」ではない人のあり方も模索される。
美(脚)というアイデンティティを失った私の存在意義。
女優としての久美子と一人の人間としての久美。
他人の母であり、父の妻であり、同級生の父の不倫相手であり、白骨になった主人公の母。
多面的なあれこれが一つの人格を作っていること、変わりながらも変わらないこと、などを上手くお話しに仕上げている。
どこがどうだからどう、と名指しできないけど、こういうテーマを描いて陳腐にならないのはすごい。
ただし、不満な点もある。
主人公の女性が美しくなかったら、この小説はそもそも成り立たない。美あっての愛、というのは土台としては狭い。
それから、女性が豊かな多面性を持つことは、シリーズのテーマともあいまって丁寧に描かれるのに、男性の登場人物が平面的、一面的なのはいただけない。男性は一人一性格に割り当てられていて、この人は几帳面なタイプ、この人は口は悪いが腕は確かな職人タイプ、この人はジャイアンタイプの乱暴者、などわかりやすく類型化されてしまっている。
そのせいで、作品全体の厚み奥行き説得力が薄くなっているのがやや残念。
本書を読みながらずっとプロダクトデザイナーの山中俊治さんがイメージとして浮かんでいたけど、やはり、対談していました。
義足は道具か、それとも身体か──喪失が新しい創造の場所になる
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110901/282540/
「プロダクトデザイナーの山中俊治氏と小説家の平野啓一郎氏。異なる世界で活躍していた2人が出会うきっかけとなったのは、山中氏が中心になって進めている陸上競技用の義足開発プロジェクトだった。平野氏が、義足をデザインすることになったプロダクトデザイナーを主人公にした小説を書く過程で、山中氏の取り組みを知った」
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難しくてよくわからなかった。。。
愛なのか、打算なのか、同情なのか。。。
どういう愛を語りたかったのか、私には難しくて理解できなかった。
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穏やかだったり、ゴツゴツしたり激流だったりと色々な流れで読めた。表現も美しく、全て映像となって心に残りました。
ただ、分人や愛の形についての説明のような所が引っかかりました。
あえてしっかり書いて伝えたかったのか。
何となく読者の心に伝わる方が私は良かったと思いました。
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個人的にすごく好きな作品です。
前情報なしで、本の帯に惹かれて購入したのですが読み出したら止まらなく1日で読了しました。
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平野先生の作品の中では、「決壊」が一番好きだったが、今日から「かたちだけの愛」が一番好きな作品になった。
「決壊」や「葬送」に比べると話のテンポが早く、物語にどんどん引き込まれ1日で読み終えてしまった。
こんなに美しい小説を読んだことが無い と感じる程、文章が美しい。
「あわや だいさんじ」登場の度にクスっと笑ってしまった。
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「分人」という単語が直接出てくるわけではないが、2人の人間がいかにして「分人化」するか(関係を深めていくか)というのが主題となっている。
平野作品の中では読みやすい、爽やかなラブストーリー。
2人の肌と肌(指先)が初めて触れ合う瞬間の描写が秀逸。
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『一日二四時間の中で、人間が考えられることって、三つしかないと思うんです。ー過去のことか、現在のことか、未来のことか。』
『人はなるほど、たまたまそんなふうに誰かを見ることなど出来ないのだろう。彼の中の何かが、そんなふうに彼女を見させていた。』
『私は、人間のへそ曲がりなんだと思いますね。完璧だって言われると、完璧じゃないところが気になるじゃないですか。』
『人が一緒の時には、相変わらずの他人行儀だったが、二人きりになると、もう敬語は使わなかった。お互いに、声のトーンが少し低くなり、ゆっくり話すようになって、ささやかな笑いの吐息が、電話をしていると、よく耳に触れた。大げさな相槌も、捻り出したような話題も、自然と必要なくなっていった。』
『恋愛とは、よく言った言葉だと彼は思った。好きという感情に前後があるのならば、なるほど、前半は恋で、後半は愛なのだろう。恋が、刹那的に激しく昂ぶって、相手を求める感情だとするならば、愛は、受け容れられた相手との関係を、永く維持するための感情に違いない。』
『愛とは今、相手に配慮を通じて表現されるよりも、無我夢中に自己満足を通じて表現された方が、遥かに信用出来、真実らしいと感じられるのだった。』
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作者の恋愛観には、そうだよなあと共感できるところが多かった。分人主義を恋愛の形から理解するにはもってこいの一冊。