東京都や市長などの行政の側の見解が見えない
2024/08/18 08:30
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投稿者:とらとら - この投稿者のレビュー一覧を見る
行政に市民・住民の関与ができにくい、あるいは、意図的にそれを阻害させるしくみを、制度的におぎなうような取り組みがもっと必要ではないかという提案。東京都や市長などの行政の側の見解が見えないのは、行政側にその気がないからなのかどうかがよくわからなかった。補足にある、統計の意図的な使い方を指摘する部分などへは、ちゃんと説明や反論などがされているのでしょうか。
テレビに出たい文化人志望
2016/01/30 03:33
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投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中身が薄い本である。表面的に小平市道路建設で論述は津田大介、村上稔、湯浅誠、カールシュミット、アーレント、マルク・ブロック、ボダン、大竹弘二、ドゥルーズ、山崎亮、デリダ。注は自分がでてくる天声人語までの引用のやまであり、来たるべきはデリダ。こうまで誰かから借り物で本の造って自分を売るべきだろうか。NEWS23のテレビキャスターのコメントまで引用しているだけで論述にはなにも影響していないではないか。こうまでして売り出したいのだろう。
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民主主義とは、民衆・大衆・市民が政治参加すること、政治決定に参画することなのだと、改めて気付かされます。
お任せでブー垂れてるだけじゃ、ダメなのよ。文句言うだけの居酒屋民主主義は、本来の民主主義ではないのですわ。
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これを読めば、政治が何ら特権的であったり、過激であったりするような営みではないことに気づくのではないだろうか。それが成立りした近代から現在に続く民主主義の「欠陥」のために、われわれは自分たちの住む街の行く末について自分たちで決めることができない、つまり政治ができていない。その現状をまず把握すべきだ。そして、政治とはまずは自分の身の回りのこと、生活環境のことについて考え、意見を述べることでいいのだと知ることが重要なのだ。本書はそれを教えてくれる。
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民主主義とは常に来るべきものである。デリダの思想は腑に落ちる。それに完成はない。民主主義とは常に補強し続けなければならない。誰がするのか?民衆だ。民衆が、肌で感じられる政治。それぞれの地域住民の自治。そこからまず始めなければならない。
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熱い本であった。今年読んだ本の中では一番心揺さぶられた。
とりあえず、行政の強さについては、もっとしっかり考えないといかんなと。
民主主義的でないとか民衆で決められてない感の理由には、法律を作る立法府の人を選んでいるけど、立法に強い力を持つ行政に対して民衆がなーんも言えない仕組みがあるからだと。
小平の道路建設問題を通じて論じられているから、凄くリアルに感じられる。
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行政機関が権力。立法があるから選挙で意思表示して世の中をデザインしていくということがお為ごかしでしかないこと。理想は立法があっての執行機関としての行政なのだが、そんなことが実現されたことはない。道路建設に反対してきた人が50年経って私たちは年を取りました、あなたたちは変わらないけど、と言ってたとこが痛烈。人には寿命があるが組織の寿命はそれよりはるかに長い。それこそサボタージュでもされた日にはどうにもならない。だけど筆者は制度を加える、ちょっと足す、と地道にプロセスを踏むことを厭わず続けることを提唱する。諦めも過激に革命を求めることも同罪。対話や議論は自然には生まれない。一定の様式に従って進めることで議論を活発にしていく。そうして考えて勉強することでポピュリズムを超えた住民の意識が出てくる。そもそもポピュリズムって常に忌避されるべきみたいに捉えられるけれど反対語の官僚主義ではないという意味ならそれで良いのではと思いましたが。絶望もしないし期待しすぎもしないで自分たちの人生、生活を改善し続けるよう、その際には他人との団結を面倒に思わず連帯していくことの重要性を忘れない。
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行政が政治的決定を下しており、立法権があまり機能していない。結果、民主主義が機能しておらず、もっと住民投票を活用すべきだが、そのハードルも高く、改善すべし。という論調で概ね同意ではあるのだが、ちょっと疑問なのは市議は何してるの?という事。道路計画に議会は介在しないとあるが、本当だろうか?予算審議で誰も質問もしないのか?各委員会にも議員は参加しているハズだが、そこでも全く話題にならないのか?それはちょっと信じられないが。その辺の議員の活動実態がよくわからなかった。
小平市民が選んだ議員が何も活動しない、議員に対する働きかけも不十分では、一部の反対派の運動にしかならないような。結果的に住民投票は実施され、投票率は35%で不成立だったようだが、結局は市民の問題への関心の薄さが原因にあるように思うのだが。
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本書は、三十代の若き政治哲学者が、道路建設計画の見直しを求め
る住民運動に参加する中で学んだことをまとめたものです。前半は、
住民運動の過程を辿りながら、現在の政治や行政が抱える問題に迫
るドキュメンタリー。後半は、民主主義を巡る政治哲学のレビュー
を行いながら、住民運動のあり方と、これからの政治・行政制度の
あり方について提案する理論篇です。
道路とは、東京都小平市で計画されている都道328号線のことです。
この計画が策定されたのは、何と半世紀前の1963年。50年間凍結
されていたこの計画が、何故か突然に甦るのです。住民にしてみれ
ば寝耳に水。しかも、その計画は、住民の憩いの場であり、街のシ
ンボル的存在であった雑木林をなくし、200世帯の民家の立ち退き
を求める暴力的な内容のものでした。
ふとしたきっかけで、この道路の建設に関する住民説明会に参加し
た著者は、そのあまりの酷さに衝撃を受けます。それは、説明会と
は名ばかりの、住民との対話を拒否した、一方的な「計画発表会」
だったからです。
その衝撃から、著者は、道路計画見直しを求める住民運動に参加し、
中心人物の一人となっていきます。そして、糾弾型ではなく、提案
型の住民運動としてマスコミにも注目された運動は、東京都で初め
て、住民の直接請求による住民投票の開催を勝ち取るほどの成功を
収めます。その住民投票の結果は、、、本書に譲ります。
著者が住民運動に参加する中で気付いたこと、それは、国民が立法
権を握れば民主主義が成立するとしてきた従来の政治学の欠陥でし
た。私達は、選挙で推した議員を通じて立法をコントロールしてい
ます。それが議会制民主主義ですが、実のところ議員が決めるのは
法律と予算だけで、その執行には関与しません。執行を担うのは行
政で、行政がほとんどのことを決めている。なのに、住民は行政に
はほとんど関与できないのです。
つまり、行政に関わることができない限り、民主主義は内実のない
ものになります。だから、もっと住民が行政に関われるようにしよ
う、というのが本書の主張で、そのための具体的な方法が提案され
ます。
著者は、哲学者ジル・ドゥルーズの「制度は行為のモデルであるか
ら、制度が多いほど人は自由になる」という考え方を援用するので
すが、そのことには目を見開かされました。制度は人を縛るのでは
なく、自由にする!実際、住民投票やワークショップなど、住民が
参加するための制度が増えれば、私達は自治=民主に近づくことが
できます。制度は、民主主義の「強化パーツ」なのです。
政治や行政のシステムが根本的に変わらなければ、世の中はよくな
らない、そう私達は思いがちです。でも、根本的に物事が変わるこ
となんて、そうそうないですよね。ですから、そう考える時点で敗
北です。そうではなく、住民が参加できるための制度を増やしてい
けば、世の中は少し���つ良くなっていくはずと考える。そういう地
道な考え方のほうが、ずっと実践的で現実的です。
これは全てに言えることでしょう。「会社が変わらなければ」「社
会が変わらなければ」と思いがちですが、そういう「根本幻想」に
逃げ込む前に、自分の身の回りのことを変えるための「強化パーツ」
は何かと考えてみる。そうやって新しい制度をつくるべく工夫して
いけば、物事は良くなっていくし、希望も生まれてくるのです。
小難しいことを論じても、それが人々に希望を与えるものでなけれ
ば、意味はありません。本書は、政治哲学という小難しい世界の住
人だった著者が、現実に対する自らの責任を問い直す中で生み出し
た希望の書と言えます。是非、読んでみて下さい。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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私たちは民主主義の世の中に生きている。少なくともそう言われて
いる。ところが、自分たちが住んでいる土地に道路が建設されると
決まったら、それに対してもの申すことも許されない。質問に対す
る再質問もできない。
実生活に関わるほとんどのことは行政が決めている。その事に気が
つくと、とても奇妙な事態が見えてきた。私たちは選挙で代議士を
議会に送り込むことはできても、行政の、たとえば都庁や市役所の
政策決定プロセスにはほとんど関われない。行政がどうやって物事
を決定しているのか、そのプロセスすらほとんど知らない。
小平住民投票は、道路計画に賛成か反対かではなく、「住民参加に
よって道路計画を見直す」か「見直す必要はない」かという選択肢
を設けた。私自身はこの選択を設けるにあたっての議論には全く参
加していないが、この選択肢を見た時に大変な感銘を受けた。
「反対か賛成か、意見を言ってください」ではない。「自分たちの
地域のことは自分たちで決めませんか」という住民への呼びかけだ。
最終的に目指していたのは住民参加・住民自治なのである。そこに
あるのは行政への糾弾ではなく、「一緒に道路計画について考えさ
せてください」という行政への提案である。
行政が頑なになるのはある意味で仕方のないことである。「住民参
加」などと言っても、その経験が全くないからである。行政は単に
やり方を知らないのである。
これはつまり、住民と行政がうまく手を取り合える仕組みさえ作っ
てしまえば、それなりの協力関係は築けるということを意味してい
る。
考えが違って当たり前であり、考えの違いを前提にして初めて、政
治の話ができると考えなければならない。
人は非難や糾弾などの否定的なものには一時的には熱狂的に追随す
るが、すぐにそこから離れてしまう。政治運動を有意義なものとす
るためには、肯定的なビジョン、肯定的な価値が必要である。
市民運動の三つの要点
・論理的であること。ビジョンを持つこと。
・マスコミとうまくつきあってい���こと
・楽しさ
住民投票そのものを否定する人はほとんどいなかった。私はこれを、
「多くの人が実は民主主義に飢えている」と表現したことがある。
自分たちの身のまわりのことすら決められなくて、どうして「社会
を変える」などと想像できるだろうか?
根本から変えるなどというのは実に難しい。だから、「根本から変
えなければダメだ」という主張は多くの場合、あきらめるか、ある
いは革命への待望に至る。どちらも要するに何もしないということ
である。
法とは行為の制限である。たとえば、「盗んではいけない」「殺し
てはいけない」等々、法は人の行為を制約する。それに対し、制度
とは行為のモデルである。たとえば結婚は一つの制度だが、それは
生き方のモデルとなる。
法は行為の制限であるから、法が多ければ多いほど国家は専制的に
なる。それに対し、制度は行為のモデルであるから、制度が多けれ
ば多いほど、国家は自由になる。
議会は私たちが政治に関してもっている制度の一つに過ぎない。な
らば、制度をもっと増やすという考え方ができるのではないか?多
くの制度をもつ政体を目指すことが可能ではないだろうか?
根本から変える必要はない。革命も必要ない。制度を足していけば
いいのだ。
これは政治機構の全体を新しく作り直すのではなくて、そこに強化
パーツを足していくという発想である。
人は一人でいると無謀になるが、仲間がいると勇気を得る。無謀と
は困難を見ないことであり、勇気とは困難を見据えることだ。「ど
うせ無理だよ」などと言わず、どうすればよいかを考えること--
勇気はそれを可能にする。
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●[2]編集後記
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先日の台風26号は、伊豆大島に甚大な被害をもたらしました。今住
む町からは、海の向こうに大島が見えます。遠目にみる島影は平穏
そのものなので、多くの方が命を落とし、今もまだ懸命の捜索が続
けられているという事実が、なかなか結びつきません。
海のこちら側の我が町では、小学生二人が高波にさらわれ行方不明
になりました。昨夜、一人の遺体が発見されましたが、もう一人は
まだ見つかりません。どちらも娘と同じ小学校の六年生です。人口
三万人の小さな町ですから、二人のご家族とはどこかで接点がある
人ばかり。小学校も、町も、重苦しい空気に包まれています。
消防団で捜索活動に出ましたが、波が運んできてくれることを祈り
ながら、砂浜を、テトラポットの影を、見て歩くしかできることは
ありません。海の広さと深さを前にした時、人ができることは殆ど
ありません。ただ待つしかない、というのは本当に辛いことですね。
その辛さに耐えきれず、動き回りたくなりますが、動き回っても状
況は変わりません。できるだけ広い範囲に人を配置して、ただ待つ
しかないのです。
一人が見つかって、本当にほっとしましたが、もう一人が見つかる
まで、町からこの重苦しさが消えることはないのでしょう。
そして、この重さは、今なお2,000人以上の方が行方不明のままの、
東北の人々が抱えているものなのでしょう。いや、東北だけではな
く、焦土で、外地で、身内や知人が行方知れずになった敗戦後の日
本人の多くに共有されていた感覚ではないかと思うのです。
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行政権にオフィシャルに関われる精度が必要、だって。住民投票、審議会など諮問機関の改革、パブコメが著者の具体的提案。
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政治とは、複数の人間(多)と単数の決定(一)を結びつける営みであり、多と一を結びつけるためには、何らかの権威が必要。かつては宗教的権威や伝統的権威がそれを担ったが、近代の政治体制では、国家という権威に民衆を従わせなければならず、編み出されたのが「主権」という概念だった、つまり、主権に基づいて定められた法律が統治者を拘束するということで、主権とは立法権に他ならないと考えられていた。
しかし、現代の国家は極めて複雑で、立法権によって社会を統治するということは困難になっている。にもかかわらず、民主主義は立法権をコントロールすることで社会を統治しようしていて、行政権をコントロールする仕組みがない。(パブコメとかはあるけど役に立たない)
こうした分析は鋭いと思うし、勉強になる。
タイトルにもなっている「来るべき民主主義」というのは、ジャック・デリダの言葉なのだそうだ。つまり、民主主義とは常に不十分なもの未完成のものであり続ける。しかし、どうせ無理だからと諦めるのではなく、より完全な民主主義を目指して取り組んでいかなければならない、そういう意味なのだそうだ。
末端とはいえ、一応行政権に身を置く立場としては、肝に銘じておかねばならないと思う。
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豊かな社会の道しるべ : 「小さな参加の革命」(3/3) 山崎亮×國分功一郎
この対談記事を読んで、読んでみたくなりました。
民主主義の胡散臭さに自然と距離をおきたくなる自分と、民主主義国家と言われる国に住む自分にとって何らかのカタチで上手いこと理解し、自分のスタンスを固めたいと思う自分が交差する中で、この本と出逢いました。
公務員であり、また市民活動を行政職員、市民団体、有志ボランティアと協働で行っている私にとって、この本の提案は、私が可能性を見出し、実践していることと、とても重なり合う部分が多かったです。
議会の変革のみならず、住民が自ら『自分ごと』を起点として、仲間と共に政策を考え、提案し、強い力を持つ行政と意見を交わしながら政策を練り上げていく仕組み…制度…が創れたらいい。
著者は、行政権に民衆がオフィシャルに関われる制度として、住民投票、審議会などの諮問機関の改革、パブリック・コメントを挙げている。
私は、それらの充実に加え、行政側に自治体内シンクタンクの立ち上げ、プロジェクトチームによる課題解決制度の創設、市民側に政策研究会の設立と政策提案制度の制定を挙げたい。
住民、市民と行政が互いに問題解決のために共に話し合い、議論し、政策を練り上げていく仕組み…制度をカタチ創って行きたいと改めて思った。
そのためには、行政の言葉と市民、住民の言葉を翻訳し、上手いこと絡め合いながら物事をじわりじわりと推し進めていけるファシリテーターが必要になる。
著書の中で、そのことについては、後半の住民参加ワークショップにおけるファシリテーターの役割以降で、述べられています。
この内容については、山崎さんの『コミュニティデザイン』、『コミュニティデザインの時代』を参考に‼
その他、政治を突き詰めれば、敵か友か…多と一を結びつける困難な営み…制度が多いほど、人は自由になれる…など、読み応えある部分がたくさんありました。
きっけとなった対談はコチラ
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何も考えずに自分は民主主義国家にいるんだと思ってた。知らないっておそろしい。そもそも民主主義とは何か?どうすれば現状を変えていけるのか?実践的哲学の書。
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哲学の実践!凄い新書。口だけではない思想の実践。今まさに起きている現実問題を伝える熱意が感じられて驚いた。
漠然と批判されている民主主義の問題を学術的に説明してくれてて、読んでる途中の期待感も凄い。
民主主義において、主権者=立法府(議会)である。→現実の決定は、具体的な状況に携わる執行機関(行政)において下されざるをえない。→立法権として定義された主権概念のために、行政機関が「自分は執行機関に過ぎない」と言い募ることができるようになっている。
全然別の話でも、自分の体験に当てはまる、グッと来る言葉がある。「運動の継続は、しばしば手段の目的化をもたらす。•••運動に携わる人々が無意識に問題の解決を先延ばしにしてしまうということが起こりうる。」「論理的であることはスジを通すこととは違う」「「根本から変えなければダメだ」という主張は多くの場合、あきらめか、あるいは革命への待望に至る。どちらも要するに何もしないということである。」
最後に感動的なあとがき。「難解と見なされるデリダの思想が、実感をって納得される」「すぐれた思想は、どんなに抽象的に見えようも、その本質に具体的なものをもっている。」「前提となる知識などなくとも、その言葉は届く。」「この問題に応えることができなければ、自分がやっている哲学など嘘だと思った。」
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民主主義について哲学者が書いた本。東京都小平市に住んでいる著者が、偶然に参加した道路計画見直しの住民運動を通して、理解したことや感じたことを説明している。ニュースでも話題になったが、50年以上に前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が届かず、署名活動の結果、住民投票が実施されたが、投票率が50%以下だったために開票されなかった後味の悪い一件である。問題の根幹は、主権者である市民は、選挙によって代表を議会に送り出しているが、実際には行政が様々な物事を決定しており、主権者はそこに全く関われないことにあるとしている。その問題を解決するための提言もある。また、最近の住民運動の進め方にも感心した。