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ヒトラー・ユーゲント 青年運動から戦闘組織へ
著者 平井正 (著)
ナチ党の黎明期、まだ党員になれない少年少女は「ヒトラー・ユーゲント」として認知された。一方ドイツには、帝政時代から独自の「青年運動」の流れがあった。それを受け継ぐ指導者シ...
ヒトラー・ユーゲント 青年運動から戦闘組織へ
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ヒトラー・ユーゲント 青年運動から戦闘組織へ (中公新書)
商品説明
ナチ党の黎明期、まだ党員になれない少年少女は「ヒトラー・ユーゲント」として認知された。一方ドイツには、帝政時代から独自の「青年運動」の流れがあった。それを受け継ぐ指導者シーラハのもと、「ユーゲント」には、合法的だが暴力的、というナチらしさが隠蔽されていた。健康的で自律性の高い集団として人気を博していた彼らが、ヒトラーによって戦争に利用され、破滅への道を進まされていく運命を克明に辿る。
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紙の本
「近代西欧合理主義の鬼子」の描き方
2001/09/18 18:54
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕はドイツ現代史の専門家じゃないけど、日本でもナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)やナチズムを論じる本が星の数ほど出てることは知ってた。戦前の日本と比べてみる、日本が「こうなってしまった」理由を考える、日本はドイツよりはましだって考えて安心する、ナチズムから近代化の問題点を探る、などなど、様々な動機があるのだろう。
歴史家の平井さんは、ナチスに付属した青少年組織だったヒトラー・ユーゲント(HJ)を「当時のドイツの若者の現実に即した視点で、その展開過程をたどろう」(はしがき)として、この本を書いた。一九世紀末のドイツで爆発的に広まった「青年運動」の流れを引き継ぎ、一九二六年にHJが誕生した経緯。HJが、やがて、ヒトラーの思惑と迫り来る戦争のなかで変質していった過程。普通のHJ団員の日常生活。平井さんは、こういった問題を軸に、HJの全国指導者だったシーラハの裁判記録、宣伝相ゲッペルスの日記、当時の青少年向け映画、元HJ団員の回想録などを利用しながら、HJの歴史を語る。
この本のメリットは次の三点にある。第一、HJの歴史を、できる限り克明に、しかもバランスよく描き出したこと。ヒトラーとの間に路線対立があったとか、イギリスのパブリック・スクールを真似た「アドルフ・ヒトラー学校」を作ったとか、様々な場面で学校と対立したとか、色々と面白い事実を知ることができた。第二、青少年の側からもHJという経験を見、彼らにとってHJという経験が現実からの解放という意味を持ったって指摘したこと。ナチズムっていう大事件を考えるときは「上」から見る方が楽だけど、それじゃわからないことが沢山あるのだ。第三、「同一の基盤から生じた、正負の記号を異にする姿勢」という視角からHJを見たこと。たとえば青年運動や近代合理主義や大衆社会や組識社会との関係を見ると、HJが複雑な性格を持ってたことがわかる。それは「郷愁」にもなれば「悪夢」にもなるような、そんな経験だったのだ。
次に、この本の問題点を二つ挙げておこう。第一、近代や合理主義との関係がわからないこと。平井さんはHJは「近代西欧合理主義の鬼子としての性格」(はじめに)を持ってたというけど、普通これは近代や合理主義自身が持つ二面性が反映されたっていう事実を主張するときに使われるフレーズだ。とくに、近代や合理主義は進歩と規律化を同時に進めたって文脈で使われることが多い。でも、平井さんは、近代や合理主義の二面性をともに持った存在としてHJを描いてるわけじゃない。むしろ、表向きは秩序立った官僚制的な組織だったけど、裏では無法と暴力がまかり通ってたことを強調する。これじゃHJやナチズム自体を生み出した近代や合理主義の不吉さが伝わってこない。
第二、青年運動との関係がわからないこと。平井さんは、個人主義的でブルジョワ的だった青年運動と、徐々に集団主義的で大衆的になっていったHJの相違点を強調し、相互教育や自己管理を強調するシーラハと、指導者に対する絶対的な服従を求めるヒトラーの対立と、前者が妥協せざるをえなかったプロセスを描き出す。たしかに、二つの運動は、背景になった時代状況も最終的な目的も違っただろう。でも、共通点もあったはすだ。平井さんも、シーラハをはじめとして、両者の間に人間的な継承関係があったことは重視してる。でも、問題は思想的な共通点があったか否かだ。この点を平井さんはあまり強調してないけど、「感情的・理想主義的」で「ロマン主義的傾向を帯びていた」(四ページ)青年運動と、「健全なる身体に健全なる肉体」(一三〇ページ)をスローガンにしたHJって、どこか思想的に似てないだろうか。じつは、それこそが近代や合理主義の不吉さの現れなのだけど。 [小田中直樹]
紙の本
青少年組織の胚胎から崩壊まで
2001/08/27 20:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:田之倉稔 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この青少年組織がナチ党に所属することは論をまたないが、本書を読む以前は「ヒトラ−・ユ−ゲント」とはナチスが政権を獲得してから組織したものだと思っていた。ところがその母体はナチズムがひとつのイデオロギ−集団として勢力を広げる前から存在していたことを知った。巻末につけられた関連年表によると、一九〇一年にベルリンの郊外で「ドイツ青年運動」として発足していた。本来は「ワンダ−フォ−ゲル」という山歩き、ある意味では自然との共生を理念とした、ドイツロマン派の系譜につらなる若者たちの運動だった。それがシ−ラハという確信的なナチズムの信奉者に統率されるようになった時、ナチ党の傘下で重要な活動をする組織となっていった。ヒトラ−が若い世代を呪縛してゆく過程がよくわかる。ナチズムに関する優れた著作を多く発表している著者はこの青少年組織の胚胎から崩壊までを複眼的な視点から描き、今まで語られることの少なかったナチズムの側面を明らかにして見せた。(田之倉稔/演劇評論家 2001.2.13)