男性的な欲望の犠牲者
2021/07/12 14:35
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
言われるままに嫁いだジャンヌと、本能のままに生きるジュリアンが上手くいくはずはありません。唯一無二の心の支えだったはずの、息子の期待外れも痛々しいかったです。
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投稿者:アツシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
若い頃に「読んだ」という記憶だけで、内容の記憶は皆無に近かった。ラストのツバメの舞う光景だけが蘇った。この後、どうなるのか?続編を誰か書かないかな。
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自ら人生を切り開いて自由に生きている人間なんて、本当にいるのでしょうか。ほとんどの(本当はすべてと言いたいところですが…それは断定できないので)人間は、周りの環境や他人の影響によって、常に影響され、流されながら生きているのではないでしょうか。
だからと言って、人生というものがなんてつまらないのだろう、とか、生きる意味なんてないのではないか、と言いたいのでありません。おそらくモーパッサンも、この長編小説を書きながら、彼自身はたいへんなペシミストではあると思いますが、人生の意味や、自分の中にある生きたいという気持ちの理由を見つけようとしていたのではないかと感じるのです。
僕はむしろ、人生のそういうかなしくて、つらくて、みにくい側面を知らずに生きている人の幸せは、本当に幸せなのか、そして、その人の抱く他人に対する善意や思慕や愛情は本物なのだろうかと思ってしまいます。これは、個人的な価値観を押し付けてしまうことになりかねないので、なんとも言いにくいことではあるのですが。少なくとも僕は、そういう良さしかもたない人間は、自分の悪に気がつくことができないでいるのだと思います。
感想というよりも、なんだか自分の人間観を綴ってしまう形になってしまいましたが、この「女の一生」というモーパッサンの長編小説を読むことによって、人間というものについて(というとなんだか哲学的で小難しい感じがしてしまいますが…そんなことはなく素朴に)考えることができるように思います。
この本はまた、「光文社古典新訳文庫」から2011年の3月に出された新訳で、とても読みやすいです。すこし分厚いかな…と読書が苦手な方は(僕もそうでしたが)思われるかもしれませんが、難しい内容でもないので、意外とするする読み進められます。ぜひご一読を。
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ありふれた人生の惨めさ、滑稽さ。年齢をとってから読むと、それは笑えるし心安らぐし、救われる気がするから不思議だ。
人生に夢見ていた主人公が現実に打ちのめされていく。しかし自分は不幸だと考える主人公だけでなく、登場人物すべてが現実の中でみっともなさを晒しながらも、それでも何とかギリギリ現実社会の中に踏みとどまって夢を抱き続けるのだ。
自然主義文学の代表作と評されているが、リアリズムとは堅苦しいものではなく、現実社会の中でお互いに恥らいを持って知らないふりを決め込んでいる、人間のみっともなさをさらりさらりと描いてくれるのだ。
良いことでも悪いことでも、何かが自分の前で起こるのは不幸ではない。それはある意味で豊かな人生でさえある。
この物語の最重要人物はリゾン叔母である。だって彼女はいつも側にいるのに家族親戚にさえほとんど存在しないかのように人生を生きて死んでいくのだ。彼女の目から見たら、主人公の人生さえ幸せとしか言えないのではないだろうか。
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読んでいる最中はジャンヌに感情移入して、不幸の人生を生きているかのように錯覚するが、読み終わってふと振り返ると彼女の人生はありきたりな人生である。
ジャンヌが夫に浮気されたとき、激昂した彼女の父をなだめて牧師は言った「ねえ、皆同じようなことをやっているんですよ。だからといって、あなたの奥様が不幸だったとか、奥様への愛が減ったとか、そういう話じゃないわけでしょう」と。
そのとおりなのだ、みんな間違えることはあるし苦労している。苦しくて苦しくて死にたくなるほどつらい出来事があったとしても、あとから思い出すとなんてことはない人生の一部である。
彼女はささいな幸せを認められなかったのだ。夫とうまくいかない人だってたくさんいる、年老いた親がなくなってしまうのも、成長した子供が親と疎遠になるのも当然である。なのに、彼女は自分が暗い運命の中にあると信じて疑わなかった。
夫に浮気される以前の、まだふたりが新婚で幸せであるはずの時期も、彼女は自分の生活に満足していなかった。修道院にいたとき、ひたすら希望に胸をふくらませていた「結婚」をしてしまって、今はなにもすることがなくこれからの日々がただ年老いていく単調な毎日だと失望する。彼女は不幸になったのではなく幸せになることができなかったのだ。
彼女は確かに夫に恵まれなかった、しかしそれ意外の不幸の原因は全て彼女自信が作り出している。息子を甘やかすのだって他の人は止めていた。ジャンヌは自分はとても不幸な運命にあるとだけ信じ、目の前の幸福も不幸にならないための術も知ろうとしなかった。
ジャンヌは物語の後半、年老いてからもどこか少女のようである。そう思わせるのは彼女のその受け身な部分であろう。与えられた環境で流されるだけで、それが不幸しかないと嘆く。最初に夫と浮気した女中のロザリはジャンヌと同じで、環境に流されるしかなかった。しかし彼女はその中で自分の幸せを見つけ、流されるだけでなく選択をしようとする意思があった。ここがジャンヌとロザリの大きな違いだろう。
「ねぇジャンヌ様、人生ってのは、皆が思うほどいいものでも、悪いものでもないんですね」と。ありふれた言葉だがジャンヌの人生をきれいにまとめた言葉である。
この小説は「女の一生」というタイトルだが、話はジャンヌが死ぬ時までは描かれていない。終わったのは彼女の絶望の人生だろう。これからもジャンヌは自分の人生が不幸だったと思い続けるだろうが、しっかり者のロザリが彼女を支えてくれるから今以上に不幸なことは起きない。あとはジャンヌの気の持ちようである。息子と孫が生きていて、貴族としては少なすぎるが、小さな屋敷と必要最低限の収入、そして自分を大切に世話してくれる女中がいる。
この小説はリアリズムの真髄とも言われている。みんなが表向きに隠している不実や黒い部分をジャンヌは許せずにそこだけを見つめていたが、それは普通の人生である。そしてその人間の一生にはどうしてもでてくる不実や黒い部分がある人生ををありのままに書いたこの小説はまさに「女の一生」なのである。
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ジャンヌすごいかわいそうだけど、自分にも非があるから子どもがしっかり育つことはなかった。ロザリのことを何十年も経ってから許して、ロザリもものすごく献身的にジャンヌに取り組んでいるところはよかった。
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出てくるのがダメ人間ばっかりなんだけど、それがこの作品の魅力でもある。ラストが素敵ですね。
描かれているのは主人公の生涯の一部、20年間ほどですが、タイトル(邦題)がしっくりきます。
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つまらないし、文章がへたくそ。
70ページを使って、どうでもいい背景の話を続けている。
余分な文章が多く、飛ばし読みぎみに読んでしまった。
作者は男性で、精神病を患った挙句、麻薬に手を出し、30代で亡くなった。
他人の一生も不幸だと信じて、自己の慰めにしたいのか、女をバカにした様な話。
まあ、当時だと、これが普通なのかもしれないが。
ロシア文学の「かわいい女」の方が、バカな女を描くにしろ、優れている作品であると思う。
ただ9ページの人の表面的な善良さに触れた記述は面白い。
「彼の最大の長所にして最大の欠点は、その善良さにあった。善良であっても、愛撫し、与え、抱きしめるといった行動力はない。もっととりとめのない、意気地のない、上からあわれむだけの善良さである、意思をつかさどる神経が麻痺し、エネルギーの欠落した、むしろ悪といってもいいような善良さなのだ。」
ピコ神父の大らかさが、この話の救いどころのひとつである。
神の存在を信じているが、認識が足りず、妊娠してしまう未婚の娘に対し、「教区に新しい一人増やしてくれそうだな」と考え、結婚にもちこんでやる。
この大らかな感じが素晴らしいですね。
父である男爵も憎めない性格をしており、乳兄弟のロザリも温かい。キャラクターとしては、素晴らしい人物も何人もみられるだけに、少し物語が浅く感じられて残念に思う。
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表題が、女の一生であれば、反面教師というか、読んでウンザリするような主人公ジャンヌの生き方が目に付く。
ただ、原語のフランス語で題名を訳すと、そこには女とも男とも入らないらしい。つまり、ある誰かの一生。そう捉えて読むと、ラストの女中ロザリの台詞、なんて達観したつぶやきか!いっきに自分ごとかさせられる。
捉え方ひとつで読み方がこんなにも変わる、古典の奥深いところです。
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確かに、モーパッサンが師事したフローベールの「ボヴァリー夫人」に似たところが多いのですが、受ける印象は違います。私としては、文章にハードボイルド小説のようなドライさを感じました。劇的なドラマがあるわけではなく、主人公・ジャンヌも決して感情移入しやすい人物造型ではないのですが、でも人生ってこんなものだよね。と、共感や同意できるところも多いです。若い世代にはピンとこないかもしれない老成した物語ですが、これが著者が33歳の時の作品と知り驚き。モーパッサンは他人より倍の速さで生涯を送った人なのかもしれませんね。
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くーらーい。
エンディングのカタルシス。に、いまいち共感しきらんなかったのがあれでした。
性格の問題かなぁ・・・
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生々しい、人生の“感じ”に触れることができました。
ロザリの最後の台詞である「ねえ、ジャンヌ様、人生ってのは、皆が思うほど良いものでも、悪いものでもないんですね」という言葉は、この言葉だけを抽出すれば、なんだかサラッと爽やかに終わった物語のように受け取ることも可能ですが、本文全体を踏まえると、いかにも気持ちが悪く感じられます。
第一、この感想はロザリの感想であるだけであって、この物語の総括ではないことが明らかだからかなあ。
原題は「Une vie」で、「ある誰かの人生」「不特定多数のなかから、無作為に抽出されたひとつの人生」といった意味をするとのことです。
主人公のジャンヌだけでなく、登場人物ひとりひとりの立場、視点からだと、人生がどう見えるのか。
考えてみると、ちょっと面白いなーと思います。(特にリゾン叔母さんの視点とか…)
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恵まれた境遇で育てられた娘ジャンヌが、希望と期待を抱いて愛した男性のもとへ嫁ぎ結婚生活が始まる。しかし皮肉にも、そこから彼女の転落人生は始まった。
リアリズム文学の名作として挙げられる本作ですが、これが『女の一生』であったら人生に匙を投げたくなります。
女癖の悪い夫、心を通わせた友人、そして最愛の息子にさえ…。題名は『裏切り』でも良いのではと思うほどジャンヌには苦闘と絶望の日々が押し寄せます。薄幸な彼女がそれでも周囲に期待し、夢破れ打ちひしがれる姿に、もう可哀想すぎて読んでいられないと暗い気持ちになるか、悲劇のヒロインと化した主人公に好奇心すら湧き読み進めるかは読者によって異なるかと思いますが、私は訳の読みやすさにも助けられ後者でした。女中がポツリと漏らしたラスト1行に、この本が伝えたかった全てが詰まっているように思います。
自分の人生に悲観し嘆きながら生きるか、与えられた環境のなかで逞しく切り開きながら生きるか。実は様々な「女の一生」が垣間見える味わいのある作品です。
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厳格なカトリック主義に沿う生き方と、奔放で世俗的な生き方の絡み合いと対比。
自然主義・多神教的な考えを持つお父さんが何故一人娘を厳格な教会付属の寄宿学校に入れてわざわざ貞淑な世間知らずに育てようとしたのか、そこが不可解でしたが、娘だからそうしたのであって、もしも一人息子を持っていたら別の育て方を選んだのでしょうか。
性的に奔放な社会に強い嫌悪感を感じる世間知らずで純粋な主人公。素敵な男性と出会ってすぐに結婚しますが、ハネムーンから戻ると夫は本性を表します。結婚はどんどん悪い方向に転がっていき、最後には主人公は何も悪いことをしていないにも関わらず一人ぼっちになってしまいます。弱り切った主人公を救ってくれるのは、自分の夫とかつて不倫関係になってしまった女性と、無職のダメ息子が結婚もせずに(その後籍は入れさせるが)作った孫娘。
箱入り娘として育てられ、遺産をやりくりする知恵もなく、唯一の心の救いだった子供も甘やかしてダメダメにしてしまい、それでも老後の自分の幸せをダメ息子に何とか見出そうとする主人公には切なくなります。
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開高健「任意の一点」という小説や三原順「ロングアゴー」を思い出した。
叔母のリゾンが物語を通じて何度も現れる。ジャンヌは、最初は「かわいそうなリゾンおばさん」と見下していたのに、一緒に息子ポールに奉仕するのようになり、最後にはなぜ自分は愛されないのかとリゾンのように堕ちていくのが面白かった。
同時に、常にリゾンの影がちらつくことで「ジャンヌは自分を不幸だと思っているが、リゾンより不幸ということはないでしょう」と読者に思い出させようとしているのかと思った。それはロザリがジャンヌを農民よりマシという趣旨のことを言って叱咤するのと同じ効果があるのかもしれない。
ジャンヌも男爵もロザリも善良ではあるけれど、善良であるからといって幸福になれるとは限らない。
トルビアック神父のように、神を信奉したからといって幸福になれるわけでもない。
信じていた母も不倫をしていた、という展開はとてもよかった。