梁塵秘抄
著者 後白河法皇 (編纂) , 川村湊 (訳)
歌の練習に明け暮れ、声を嗄らし喉を潰すこと、三度。サブ・カルチャーが台頭した中世、聖俗一体の歌謡のエネルギーが、日本の第77代天皇でもあった後白河法皇を熱狂させた。画期的...
梁塵秘抄
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商品説明
歌の練習に明け暮れ、声を嗄らし喉を潰すこと、三度。サブ・カルチャーが台頭した中世、聖俗一体の歌謡のエネルギーが、日本の第77代天皇でもあった後白河法皇を熱狂させた。画期的新訳による中世流行歌100選!「わたしは バカな 女です」「マリーのひとりごと」「わが子ゆえの嘆き」「も一度 抱いて」など。日本古典の現代語訳を一新! 歌謡曲のルーツはここにある。
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ムード歌謡。
2012/02/16 08:44
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「梁塵秘抄」に収録された今様は当時の俗謡であり、同じ後白河院が編纂させた「千載和歌集」のような公の勅撰集とは趣を異にしている。
川村氏は同じ光文社古典新訳文庫で「歎異抄」を関西弁風に訳されているが(親鸞聖人は京の貴族出身なので京言葉で訳された方がいいと思うが)、「梁塵秘抄」を「流行歌調に、演歌風に」訳されている。訳が原文と対照になっているので読み比べて、なるほど、こういう解釈もあるのだな、と思う反面、全体的にどうも言葉遣いが昭和40年代の演歌調で「今様」と言うよりは「思い出のメロディー」といった雰囲気が強く感じられる。「梁塵秘抄」は仏教かが多い為、この本の訳は大胆な意訳、というより「超訳」調なので、注釈書の方が、却って原文の意味を知るにはふさわしいかもしれない。
いい意味での」換骨奪胎。おおいなる「遊び」。カヴァー?
2012/01/10 09:46
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここまでしてしまったら「訳文」なのだろうか。
「梁塵秘抄」といえば、後白河法王が退位後に当時流行した歌謡や歌舞「今様」をまとめたといわれるものである。日本の中世の風俗を知る上での貴重な資料、と習ったように覚えている。
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん・・」。流行歌であるから、その時代でしか通じない言葉が使ってあったり、その時代でしか通じないお約束事の言い回しで聞く人がニヤリとすることもあっただろう。そういう部分は時代背景の予備知識なしにいきなり読んでもわからない。昔の流行歌を、予備知識がなくても楽しめるようにできるか。著者の試みはそんなところだったのかもしれない。
「古典新訳文庫」に入ってはいるが、だいたんな意訳、著者の言葉を借りれば「私訳」がほとんどである。元歌と解説が併記されていなければどの歌の訳なのかわからないほど原型がない作品もある。短い元歌から、「こういうことだろう」と想像して受けた刺激からの「創作」ととった方がよいものもある。
たとえば、ギョッとするほど色っぽい訳文の原歌が難しい仏教用語が並んでいるものだったりする。仏教の経典に従ったような宗教歌も多いのだが、わかりやすく、との著者の「言い換え」である。「そうしましたか」、である。
古い歌に新しい解釈を加える。カヴァー・バージョンといおうか、オマージュと言おうか。
ここまで「いい意味での」換骨奪胎されると評価はなかなかむずかしい。
このように変化させて見ることで、日本の中世でも、巷の人は現代人と同様に流行歌を楽しんでいた、と親近感がわく読者もいるかもしれない。その一方、本当は違う心情をあらわした歌が、著者の「創作」の力で違う内容だと理解されてしまう怖れもある。
ただ「へえ、おもしろい」でもいいのだが、著者の「私訳」の範囲がどの程度か、を心の隅で測りながら読むのも一興だろう。当時の人もそんな風におきかえて聞いていたのかもしれないのだし。いや、「古典新訳」として読むならそういう読み方になるだろう。
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん・・」。こういう「遊び・戯れ」にもあそべばいい、ということか。