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旅をする裸の眼
著者 多和田葉子 (著)
ベトナムの女子高生の「わたし」は、講演をするために訪れた東ベルリンで知り合った青年に、西ドイツ・ボーフムに連れ去られる。サイゴンに戻ろうと乗り込んだ列車でパリに着いてしま...
旅をする裸の眼
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旅をする裸の眼 (講談社文庫)
商品説明
ベトナムの女子高生の「わたし」は、講演をするために訪れた東ベルリンで知り合った青年に、西ドイツ・ボーフムに連れ去られる。サイゴンに戻ろうと乗り込んだ列車でパリに着いてしまい、スクリーンの中で出会った女優に、「あなた」と話しかけるようになる――。様々な境界の上を皮膚感覚で辿る長編小説。(講談社文庫)
目次
- 第一章 1988 Repulsion 1965
- 第二章 1989 Zig Zig 1974
- 第三章 1990 Tristana 1970
- 第四章 1991 The Hunger 1983
- 第五章 1992 Indochine 1992
- 第六章 1993 Drôle d'endroit pour une rencontre 1988
- 第七章 1994 Belle de jour 1966
- 第八章 1995 Si c'était à refaire 1976
- 第九章 1996 Les voleurs 1996
- 第十章 1997 Le dernier Métro 1980
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紙の本
めくるめく言語芸術の快楽
2008/03/01 11:01
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポスト・モダンを経た後の、現代文学らしさの1つである「難解さ」をその特徴(魅力!?)の1つとする多和田葉子は、しかしそれでいて『カタコトのうわごと』や『エクソフォニー』に鮮やかに示されたように、世界スケールでの現代の文学・文化を知的レベルを下げずにしなやかな日本語で表現できる、類い希なる思考・言語の使い手でもある。『旅をする裸の眼』は、そうした多和田葉子の作家的才知がいかんなく発揮された、佳篇である。
もちろん、多和田葉子らしく、それは「心地好く消費しやすい物語」とはほど遠い小説ではあるが、そこにこそ言語芸術としての現代文学の可能性があるはずなのだ。どういうことか。
第一章から第十三章までは、1988から2000までの西暦が並べられるとともに、カトリーヌ・ドヌーブの出演映画タイトルとその制作年が1965から2000にかけて並記される。まずはタイトルでも前面に押し出されていたように、本作は、「映画」・「眼」といった視覚を重要なテーマとしていながら、少し考えればわかるように、小説の構成要素である言語は、直接的には映像を描き出すことができない。だから、本作のねらいは、素朴に考えれば不可能な挑戦なのだが、逆説的なかたちで、つまりは具体化された映像を描出しないことによって、そうすることでしか芸術化できない何かを見事に表現しているとしたら、どうだろうか。あるいは、そうした試み。
そう考えれば、一見難解にも思われるこの小説を読み解く鍵が、いかにも無造作にタイトルとしてあらかじめ指し示されていたことに気付くだろう。この小説のもう1つのテーマは、明らかに旅であり、それはずいぶんと過酷な旅には違いないが、旅=移動は、そのまま「眼」に写る映像の変化(とその重層化)を意味する。つまり、たいへんデリケートで複雑な作業ながら、本作においては、言葉によって映画の、現実の町の映像が描かれようとしていくと同時に、それを見つめている「眼」とその移動とが描かれ、その相関によって生成され化学変化していく言葉の、(多)言語/意味/映像の織りなす彩り鮮やかなタペストリー。
歴史にも空間にも、敏感に反応し色づけられ織り上げられていく、その色彩・紋様こそが、『旅をする裸の眼』の魅力に他ならず、こうした境地にこそ、めくるめく言語芸術の快楽を見出すことこそ、現代文学の楽しい読み方といえるだろう。