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敦煌という土地の役割について
2009/03/22 20:48
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ホキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルでありながら全230ページ中の155ページでようやく初出し、次の登場が最終盤の226ページである、『敦煌』という土地について、巻末解説では、この土地自体が小説の主人公であり、遅い登場は、期待を高める効果をもつ、と極めて淡白に述べていたが、その解釈ではあまりに物足りない。
『敦煌』が、国家間における勢力争いと、個人間におけるエスニックアイデンティティの対立を機軸とし、しかも、それらの争いより一段高位にあるものとしての普遍的価値の存在を垣間見せようとする作品であると理解するとき、
敦煌という土地は第一に、宋・西夏・契丹etc.の係争地であり、かつ、文化の坩堝として多様な民族・文化が往来する地、すなわち【さまざまな価値観が交錯する地】としての性格を持つ。
第二に、その敦煌に匿され忘れられたもの(経典)の中に、時代も地域も越えた普遍的価値が秘められていたわけで、したがって敦煌は、【普遍的価値を担う土地】という性格も帯びている。宋時代には、だれもその正確な価値がわからなかった経典が、20世紀になってようやく、しかも歴史を塗り替えるほどに評価されたことの淡々とした記述が、実は大きなどんでん返しである。
このように敦煌は、小説の大きなテーマを具現する土地であったのである。敦煌が登場するまでの長い過程は、敦煌が暗示するべき普遍的価値の前提となる、価値観の対立を提示する役割を担っているのである。
また、この普遍的なものは、個人の力ではどうすることも出来ない、俗な言い方では“歴史の大きな流れに呑みこまれるちっぽけな個人”のようなモチーフも見られる。
すなわち、
・延恵が企画し行徳が作業に当たった経典の西夏訳は結局未完に終わり(しかも、講和後の西夏が国力を上げてこれに取り組んだことから分かるように、西夏にとっても極めて価値の高い大事業が、個人レベルで軌道に乗っていた)
・尉遅光は自分の王朝を建設できず、
・朱王礼はもっとも勝ちたかった戦で破れ、
・沙州の僧侶は、残すべき経典を厳選する作業を中断し、
このように、各人の努力はいずれも実らず、結局、以前から沙州にあった経典が、そのまま千仏洞に引き継がれただけである。しかも、各人が図らずも何らかの形で、経典の保存に関与している。
ただ問題は、仏教の経典が普遍的価値を担うと考えると、序盤で否定された書の世界は儒教・儒学の思想であり、儒教に比べて仏教が過大評価されていると言えるかもしれない。
しかし、行徳が西夏文化や仏教思想を摂取・分析したり、いろいろな人物に一目置かれ成り上がったりしたベースには、間違いなく進士試験勉強の素養があった、という点で、儒教も作中での面目を保っていると言えなくもない。
★
『敦煌』において、回教(イスラム教)勢力は暗示的に語られているだけだが(一義的にはもちろん、隣国のさらに向こうにも注意を払う必要があるという国際感覚を表しているのであるが)、過去にも、ごく近年にもバーミヤンなどの石仏がイスラム勢力(タリバン)に破壊されている点で、『敦煌』における回教の伏線は、現在さらに輝きを増していると言える。
なお、各人物が辿った運命を、全体としてのテーマに収斂してゆくという思考法は、同じ作者の『天平の甍』(文庫版)における巻末解説が非常に参考になる。
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過去の人から未来の人への手紙
2009/04/04 22:34
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
敦煌(とんこう) 井上靖 新潮文庫
敦煌というのは中国西部にある都市です。物語の年代は1026年から始まります。日本は平安時代で、源氏物語とか平等院ができた頃だと思います。主人公趙行徳(ちょうぎょうとく)が、官吏任用試験の面接試験待ちで、居眠りをしてしまい受験できなかったという逸話はあまりにも間抜けじゃなかろうか。西夏文字(せいか)の入手経路も唐突です。
この物語全体が、過去の人から現代の人にあてて差し出された手紙という形式になっていると思います。「天平の甍(いらか)」同著者と同様に、朴訥(ぼくとつ)に事実が淡々と語られながら物語が進行していきます。
中国にしても日本にしても、生活様式の便利・不便はあっても、1000年前、1500年前の人間って、頭脳の能力は現代人と同じかそれ以上のような気がしてなりません。行徳は将来どんな人物になっていくのだろうか。西夏文字が物語を未来へと導いていきます。駱駝(らくだ)と中国が結びつきませんでした。シルクロード(絹の道)を実感しました。
行徳は翻訳家になるようです。文末にある解説部分で行徳が外人部隊に属していることがわかり、ようやく飲み込めました。下克上なのかなあと最初は所属軍隊の動きが理解できない部分がありました。この本は、敦煌の千仏洞(せんぶつどう)に秘かに隠されていた経典・書物類のいわれを記したものであることがわかりました。
戦いの場面が多い。戦闘というのは不思議なものです。トップが倒れると兵隊は雲の子を散らすように逃げてしまうのです。残った人間でさらに戦うという意思はない。逃げた兵隊たちは、また強いトップをさがしてくっつくのか、そのままどこかで隠れて暮らすのか、人間の本性が表れています。
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映画も見応えあり
2015/08/23 13:42
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投稿者:historian - この投稿者のレビュー一覧を見る
騎馬軍団や隊商が行き交い、オアシス都市が点在する、荒涼たる大砂漠を舞台に、西夏文字に惹かれて西域へやってきた一人の宋の青年の遍歴を描く。流浪の果てに彼が見たものとは?どこか憂いが漂う文章であるが、戦闘あり恋愛あり宗教ありの濃い内容で、一気に読み終えてしまった。
1988年に映画化され、日本アカデミー賞も取っている。
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その歴史的事実を何もしらずに読んだ.そして,その読後のすがすがしさは格別だった.ひょっとするとこんな歴史もあったのかもしれない.
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冒頭からラストまで首尾一貫したテーマが貫かれているので、読後感いいです。主人公・行徳が、西夏に破れ炎上する敦煌から経文を守ろうとしている坊主たちに「どうして経文を置いて逃げないのか」と聞いた時の若い坊主の返事曰く、「俺たちは読みたいのだ」。ナイス坊主!
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敦煌の莫高屈の謎に迫る話。
全て情報少ない歴史書からの想像だとは思えないほど、読んでいてもその情景が豊かに想像できるほど描写が細かで想像膨らんだ。
主人公趙行徳もとても魅力的な人物。科挙に合格できるくらいの優秀な頭脳を持ちつつも、とあるきっかけで西夏の文字を知り、その文字を覚えたいと独り旅に出る。そこで暴君や手荒な目に逢いつつも「こうしたい」という一本芯の通った考え・行動を貫くところは爽快。また話に出てくる僧侶たちの「まだ読んだことのない経典を読みたい!」という願望や、また命がけで何かをしようという目標があることがとても読んでいて清々しかった。
私は今、とても立場的に、あるいは経済的に不安定な状態にいる(と自分では思っている)けれど、そこで確固たる目標を持って、それに向かって精進できるようになりたい!と改めて励みになる話だった。
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壮大な歴史というのは、人一人をあっさりと飲み込む。けれどもその歴史の中でもなお、自分として在る事は不可能ではない。寧ろ己をさえ飲み込めない時代に生きる者の何と不憫な事か。荒れ狂う波に飲まれてこそ一生というものではないのか。
「朱王礼は駱駝から降りて行徳と延恵のところへ近寄って来ると、表情を和らげて何か言ったが、行徳も延恵も、その言葉の意味をはっきりと聞き取ることはできなかった。行徳は顔を朱王礼の間近に寄せて、彼の口から出る言葉を聞き取ろうとしたが、こんども亦相手が何を言ったか知ることはできなかった。三度目に行徳は、漸く彼の喉の奥から低い押し潰したような幾つかに割れた声が聞こえて来るのを耳にした。『死なないで帰ってきた』」
朱王礼超かっこいい・・・・
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主人公の趙行徳は官僚登用試験・科挙を受ける.
幾度かの試験を優秀な成績で通過するが,何度目かに居眠りをして不合格になってしまう.失意のなか街を彷徨い,そして失踪する...
世間的に見れば,いわゆる「転落人生」だと思うが,その後の,西域で送る人生を見る限り,彼の人生は充実している.
西域で得た体験は,普通ではなかなか得られないと思う.
運命に身を委ねてみるのも面白いのかな.
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何だかとても感じ入った箇所
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ああ!と思わず行徳は低いうめき声を洩らした.開封が懐かしかったのでも,そこの土をもう一度踏みたいと思ったのでもなかった.そこまでの何千里かに及ぶ遠さを思った瞬間,眩暈のようなものが突然行徳を襲ったのであった.開封から何と遠く離れた土地に今自分は居ることか.どうしてこのようなことになったのだろう.
いま自分が横たわっているこの場所に来るまでの長い過ぎ去った時間を遡りたどってみた.併し,そこには自分の意思の不自然な動きもなければ,意志以外の何者の強引な働きかけもあるようには思われなかった.水が高所より低所へ流れるように,極く自然に自分は今日まできたと思った.
---中略
もう一度新しく人生をやり直したとしても,同じ条件が自分を取り巻く限り,やはり自分は同じ道を歩くことだろう.その意味では行徳は,自分の生涯がここで沙州の城とともに滅亡しようと,少しも悔いることは無いような気がした.後悔すべき何ものも無かった.
(9章より抜粋)
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大人になってからは初めて読んだ井上さんの本 なんて美しい世界観なんだろうと感動していたら、映画のキャスティングに驚愕!いや、西田さんは好きですが
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1900年初め、王円籙という道士が窟の一つからたまたま発見した空洞の中には、経巻類が大量に収められていた。
学がなく、字が読めなかった王円籙は、地方官に報告するも「適当に処理しておけ」と言われるだけであった。
しかしその大量の文書群は、唐代以前の非常に貴重な資料で、遺失した書物の復活ができた歴史的な大発見だった。
この文書"敦煌文献"の発見という史実を元に、なぜこれほど大量の貴重な文書が洞窟に封じ込まれていたのか、その経緯を描いた歴史小説です。
なお、敦煌文献が封じ込まれていた経緯については2つの説がありますが、今日では"不要なものをとりあえず置いておいただけ"であるという説が定説となっています。
本小説に書かれているのはもう一方の説で、五代十国時代の終期、中国西北部を支配した夏(西夏)王朝が敦煌を占領する際に、西夏に破壊され、焼き捨てられることを恐れた人々が、貴重な文献を隠したという説が採用されています。
それは今から1000年近い昔の出来事で、その頃に生きた人々のドラマが栄枯盛衰し、忘れ去られてしまった後に発掘されるという、なんとも壮大な展開になっています。
井上靖によって書かれた敦煌は、大部分は創作ですが、敦煌文献で判明した史実や、実在したとされる人物名が登場しています。
中国史に興味が無くても、読めば長い時間を飛び越えた歴史ドラマを感じることができると思います。
主人公は趙行徳という青年です。
非常に頭脳明晰で、三十二歳で進士試験(官吏任用試験)に挑んだのですが、最終試験の一つ前の試験で不覚にも眠りこけてしまい、大事な試験を自ら放棄してしまったことに気づきます。
絶望にいた彼はただ歩きに歩いたのですが、狭い路地の中で、西夏出身という女が生きたまま切り売りに売られている場面に出くわします。
これを見た行徳は回鶻の男から女を買い取り、自由にしてやりました。
ただで自由になったことを嫌がる女は、唯一の持ち物だという西夏の文字が書かれた布切れを渡します。
その出来事に運命を感じた行徳は、そこに書かれた"西夏の文字"を学ぶために西へと旅立つという展開です。
難しい文体、表現が出てきて、スイスイ読めるような作品ではないですが、文章は簡潔で、ある程度読めば慣れると思います。
歴史が積み重ねられ、中国という国自体も大きく変遷し、忘れ去られた先に発見された文献、その発掘物では伝わらない物語が描かれています。
特に終盤、敦煌文献が生まれた軌跡が刻まれるプロセスは見事で、ドラマティックでした。
井上靖氏の中国西域ものとして著名な作品ですが、一冊の小説としてシンプルに楽しめる名作です。
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西夏文字って、いまだに解明されてないんですよね!
ウイグル語やチベット語とは似ているのだろうか。なぞ。
夢は広がります。
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ずーーーーっと昔、映画を見たがあまりちゃんと覚えていなかった。
ちょっとしたきっかけてふと読んでみようという気になった。
淡々として端正で取り付くシマもないような硬質な文体だけれども、いつの間にか引き込まれる。
ドラマティックでスケールが大きな出来事を、ひたすら淡々と描く。
昔、井上靖の「しろばんば」を学校の課題図書で読まされた時は、この淡々とした文体がつまらなくてつまらなくて…。
でも、今、改めて読むと、結構はまる。
淡々とはしているのだが、とにかく無駄がなくて美しい。その極限まで削ぎ落とした筆致で語られる歴史ロマンの世界は、時にグッと深く心に刺さる。
趙行徳の数奇な運命に説得力があるのは、この文体ゆえ、という気がした。
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人の想像力とはすばらしい。敦煌には夢がある。どんなドラマがあったんだろうか、この作品のような人々の苦悩があったんだろうか。
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えーなんというか、主人公の名前にまず大爆笑しましたとかホントどうでもいい…!(だって解る人居ないもの!)真面目に感想を言えば、長堅物ですね貴方!そこまで堅物だと上手く生きていけないんじゃないかなァ…とか思わず心配してしまうのですが。でも仏教に対する愛情(と言ってもいいと思う)が物凄くて、ほわーと頭の悪い感動の仕方しか出来ませんでした。(…)
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敦煌は今の中国の甘粛省にあって、昔はヨーロッパとアジアを結ぶシルクロードの中継地点としての役割を果たした都市国家でした。
20世紀初頭、敦煌の石窟群から大量の仏典が発見されたという史実を基に、この敦煌と都市国家が
西夏に侵略され滅亡するまでの衰亡をテーマにした小説です。
科挙に失敗した青年や、王族の末裔の商人や、死に場所を求める外人部隊のおっさん等、個性的な登場人物がそろっています。
そして、彼らの描写を通じてうまく敦煌の魅力や歴史的特殊性が表現されていると思います。