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井上靖は10代のときから好きな作家である。「あすなろ物語」「しろばんば」に始まり、「淀どの日記」「楊貴妃伝」「敦煌」「天平の甍」「蒼き狼」「本覚房遺文」など、むさぼり読んだ。特に「楊貴妃伝」と「淀どの日記」は好きで何度も何度も読み返し、これは今でも文庫本を手元に置いている。
渡米して日本の本をあまり買えなくなってから少し遠ざかっていたが、先日日本食料品店の古本コーナーで彼の「孔子」を見つけて買い、読んだ。ひさしぶりに読む彼の文体は美しく、ああ、私がこの人の作品を好きなのは、内容もさることながら、文体が好きだからなんだ、と痛感したものである。
そして日本から取り寄せた「後白河院」。昨年の大河ドラマ「平清盛」で、それまであまり詳しくなかった平安末期も人の名前や出来事が身近に感じられるようになったので、やっと、この時代を舞台にした作品を楽しめるようになったからこそ、この作品をじっくり味わうことが出来たようだ。
もっとも、後白河院を想像すると松田翔太さんの大河ドラマの顔が浮かぶのは避けられないのだが(笑)。
この辺りの歴史があまりわかっていないで読むと、それほど楽しめないかもしれない本ではあるが、井上靖の醍醐味はその日本語の美しさ。特に敬語が美しい。だから、私が好きな彼の作品は、高貴な地位にある人を描いたものや、カリスマ性があった人間をその弟子などが回想する形で描いた小説などになってしまうんだろうなあ、と思う。
彼の作品はまだ未読のものが多数あるので、これからまた読んで見たい、という気持ちがふつふつとわきあがっている。
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1975.09.30発行
(1978.07.24読了)(1977.07.24購入)
(「BOOK」データベースより)
朝廷・公卿・武門が入り乱れる覇権争いが苛烈を極めた、激動の平安末期。千変万化の政治において、常に老獪に立ち回ったのが、源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された後白河院であった。保元・平治の乱、鹿ヶ谷事件、平家の滅亡…。その時院は、何を思いどう行動したのか。側近たちの証言によって不気味に浮かび上がる、謎多き後白河院の肖像。明晰な史観に基づく異色の歴史小説。
☆関連図書(既読)
「蒼き狼」井上靖著、新潮文庫、1954.06.
「あすなろ物語」井上靖著、新潮文庫、1958.11.30
「敦煌」井上靖著、新潮文庫、1965.06.30
「西域物語」井上靖著、新潮文庫、1977.03.30
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平安末期~鎌倉創設期の間、天皇だった後白河院の人物評価をその時代の第三者が語る。
浅倉卓称「君の名残を」を読んで相当気になった人物が後白河院。公卿が廃り、平家が台頭し、源氏に滅ぼされとまさに盛者必衰の理といえる時代。その間ずっと天皇だった後白河院。その地位を独りで守り抜くしかない孤独さとその先を見る目の鋭さ、感嘆です。
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朝廷・公卿・武門が入り乱れる覇権争いが苛烈を極めた、激動の平安末期。千変万化の政治において、常に老獪に立ち回ったのが、源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された後白河院であった。保元・平治の乱、鹿ヶ谷事件、平家の滅亡…。その時院は、何を思いどう行動したのか。側近たちの証言によって不気味に浮かび上がる、謎多き後白河院の肖像。明晰な史観に基づく異色の歴史小説。
2010年12月30日読了
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後白河院本人は出てこない後白河院の小説。
後白河院の近くにいた4人の人物の口から、保元の乱から平家滅亡あたりまでに起こった様々な事件について、院とその周囲の様子が語られる。
歴史書とは違って、口伝という形なので当時院の周りにいた人々が何を考え、武家政権の萌芽にどう反応したのかよくわかって面白い。
あまり状況説明はないので、年表や系譜図を片手に読むとさらに面白いかも。
平家物語を読んだあとに読んでみると、また違った目線で堪能できると思う。
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歴史書だけでは分からなかった、源平の戦いの原因が少しは理解できた。後白河法皇が裏で暗躍していたと言われているが、井上靖はそれを否定している。暗躍ではなく法皇自身の考えで政をした。しかも、その政の精神は少しもぶれていない。武士や公家がその時々の状況で烏合集合したに過ぎないと。
この本も旅行には持ってくるのには不向きだった。
チャイナタウン2ホテルに寄付する。
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平安末期から鎌倉初期、つまり院政期から武士の台頭、保元・平治の乱、平家全盛と没落から鎌倉幕府の時代、年代で言えば12世紀の日本の中央権力の有様を復習できる、またある程度わかっていないと読んでもなんのことかわからない。
院政の始まりの部分はいまいちわからない―中公文庫の「日本の歴史 6:武士の誕生」でわかった。道長から次の次の代ですでに院政の萌芽があったのだ。驕れる者は久しからず!
院政の権力自体にパワー的な無理があったから武士が台頭したのかな・・・たぶん。院政の守護者としての北面の武士。ということは道長の時代の武力はいかに存在していたのか、というテーマもまたある。
しかし、こうして歴史ものを読んでいくと江戸250年の平和の実現は相当にすごいことだ。250年も続く事自体が驚くべき。それは逆説的に「なぜ、それ以前の時代は平和が長続きしないのか」という問いを発することになる。鎌倉幕府も室町幕府も。
一番単純に言えば「辺境がある間は平和にはならない」という大胆なまとめかな。島国なので、まあ主な島だけに限ってでいいのだが、日本という国土の中に辺境がある間は、辺境の支配と中央の支配が別であるわけで、支配力と支配力の衝突は常に起こり平和にはならない。秀吉・家康によって辺境は消滅した。
世界に敷衍すれば・・・地続きに辺境があれば平和にはならないのだろう。山とか川とか自然の障壁があればそうでもないかもしれない。資本主義もまた同じか あるいは逆か
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4人の視点からみた後白河院にまつわる様々な出来事。
誰にも本音を言うことなく、人や時流を見極めて自分で決めて行動してきた孤高のひとという印象。それに比べていまの時代のひとは、何でもかんでも人に喋りすぎなのかもしれない。そんなことをふと思った。
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時代は平安末期から鎌倉幕府の始まるくらいまで、公家の衰退が進む中、公家のトップとして武家の勃興と渡り合う後白河院の生涯を四人の語り手が読み解く。日本史でも、あるいは時代劇時代小説でも影の薄い時代かなと思うが、藤原摂関家、平清盛、木曽義仲、源義経、源頼朝など顔ぶれは豪華。もっと掘り下げたい欲求と、南北朝時代の本も読みたくなった。
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四人(平信範・建春門院中納言・吉田経房・九条兼実)の同時代人を語り手に
保元・平治の乱から晩年にいたる後白河院の姿を浮かび上がらせていく。
文章生出身の蔵人、院の女御の女房(俊成の娘にして定家の姉)、硬骨な近臣、
院に疎まれていた右大臣のそれぞれの立場に即した語りの内容や口吻も巧み。
話者の一人はこれまで陰気にくすぶっていた皇室や公卿たちの対立が、
武士たちの合戦であっという間に片が付いてしまうことに素直に驚き、
世人の心に小気味よさが萌したと付け加える。
その武士たちも歯が立たない信西入道さえその自害の原因を院の心が離れたからと推測する。
このような時代に実力者の器量を確かめ使い方を考えてでもいるように凝視する後白河院。
そこにひんやりとしたものを覚えるが、それは冷酷さというよりも、
むしろ誰にも心の内を打ち明けることが出来ない帝王の孤独といったものだろうか。
院は公卿朝臣が日和見で役には立たないこと、そして自身も武家の力を借りなければ
ならないことを十分に承知している。だからといって屈服するわけではない。
四人が語り終えても何か得体の知れない不気味さが残りはする。
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後白河上皇の一生を4人の側近が語る。
後白河院は、保元の乱、平治の乱など藤原家摂関政治から平家、源氏の武士の時代へのパワーシフトの転換期にあって政治の中心であり続けた人物。
その他登場人物として気になる存在は信西入道。当時の摂関政治という旧弊に立ち向かった、という意味では彼もまた時代を動かした中心人物。
そのような人材を登用したところにも、後白河院の政治力の凄みを感じることができる。
一貫して書かれているのは、後白河院が時の権力者(平清盛、源義仲、義経等)を自らのコントロール下においていた、ということ。それには孤高の判断、つまり、それら権力者と一定の距離感を保ってきたこと、が挙げられるのではないか。
まさに源頼朝が評した「日本第一の大天狗」であったのだろう。
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「若しもこの世に変らない人があるとすれば、それは後白河院であらせられるかも知れない。左様、後白河院だけは六十六年の生涯、ただ一度もおかわりにならなかったと申し上げてよさそうである。」
「院はご即位の日から崩御の日まで、ご自分の前に現れて来る公卿も武人も、例外なくすべての者を己が敵としてごらんにならなければならなかったのである。誰にも気をお許しになることはできなかった。」
(本文、第四部より、各々一部引用)
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朝廷内の不和、摂関家の内部争い、武士の台頭、平家滅亡と源氏台頭...平安末期の動乱の時代に、まるで一本の太い幹のようにひたすらそこにあり続けた存在、雅仁親王(後白河院)。大天狗とまで称された後白河院の生き様を、院の周囲の4人の人物の語りによって描くという手法が、非常に効果的に機能している。おそらく院自らがその生涯の上で何かを働きかけたわけではなく、周囲の皇族たちが、摂関家の人間たちが、平家の思惑が、源氏の思惑が、後白河院という人物に対して幾重もの光を当て続け、そのことで背後に幾重もの大きな影を造り出していたのではないか。本書を読んでいると、後白河院自身は一度も語らないものの、いつのまにか院の姿が立体的に浮かび上がってくる心持ちがする。それこそが、後白河院という人物の本質なのかもしれない。
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永井路子の「王朝序曲」(藤原冬嗣の視点を通して、桓武帝・平城帝・嵯峨帝の生き様を描いた小説)と系統は似ていますが、客観的な視点(語り手である4人の人物の主観的な視点を、外から読み進めることで、読み手は常に批判的な立場をもって後白河院の姿を客観視することが可能となる)の積み重ねで立体的な人物像を生み出す、井上靖の綿密に構築された見事な構成による、渋い味わいのある作品。
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平信範、建春門院中納言、吉田経房、九条兼実の4人の人物の目から見られた、後白河法王の人物を描いた歴史小説です。
平清盛をさんざんにてこずらせるほどの政治力を発揮し、今様に熱中し『梁塵秘抄』をものした文化人でもある後白河法王ですが、本作は4つの視点から後白河法王の姿が語られているとはいえ、彼のさまざまな側面を順に映していくのではなく、あくまでその人間像に注目していると言えるように思います。その点では、著者の人間中心的な歴史小説の特色が強く出ているように思うのですが、同時代人の視点を借りることで、大岡昇平の批判する「借景小説」という批判を寄せ付けないところに、本作の構成の上手さがあると言えそうです。
吉川英治の『新・平家物語』などの小説を読んだことがある程度で、この時代についての十分な背景的知識を持ち合わせていないため、本作の魅力を十分に味わうことはできなかったのですが、それでも理解できる範囲でおもしろく読みました。
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後白河院をそばで見ていた貴族・女房の回想録で
後白河院の人物像を描く。
その技法がより一層、肉感を感じさせる。
いいね。
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『しろばんば』『敦煌』『額田女王』『孔子』。
これまでに読んできた井上靖作品は、これが全て。
後白河を取り上げたものがあったのか、と驚きもあって手にした。
ちょうど先日、アンソロジーで『梁塵秘抄』に触れたばかりだったことだし。
源平争乱のあの時代、白河、後鳥羽、崇徳、後白河あたりの天皇家の確執に、摂関家、武家の覇権争いが重なる。
その構図の複雑さに、どうしてもこの時代を扱ったものを避けて通りたくなる。
だから、四つの章の語り手が、平信範、建礼門院中納言(健御前)、吉田経房、九条兼実と移り変わっていくこの小説はの結構は、表現効果の見事さはわかっても、少しつらい。
近づいて来る者たちに心を許さず、自分に離反する時期が来たら切り捨てる。
こうして一人生き延びたのが後白河という帝王だった、というのが、この作品での後白河像だ。
乱世の中、語ることと書き残すことで身を支えてきた貴族社会の人々の無力感を思ってしまった。