いつの時代なのだろうか?
2016/09/08 20:50
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投稿者:mistta - この投稿者のレビュー一覧を見る
浪人生活の洪作が受験勉強を放棄し、柔道に明け暮れる。
金沢の自然、そして、柔道部の仲間に惹かれ、絶対に
この高校に入学して、柔道に打ち込む青春を送ろうと決意する。
洪作ののんびりさ加減が何とも楽しい。
それにしても、この作品の時代背景。第二次世界大戦直前と思う
のだが、それにしても洪作の周囲の平和な空気感が不思議である。
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しろばんばで小学生だった洪作が,ここでは高校生になっている.小学生のころは優秀だった洪作がいつのまにか落第間際になっているコントラストがびっくり.でも基本的に自由に人生を歩いていくというその方針は一徹しているように見え,それが作家井上靖を生んだのかと思うと興味深い.
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上巻の続きです。主人公はなんだか一本気というか、一本調子です。文自体もどことなく素朴で、作文を思い出させられました。そこのところ解説でフォローしてました。本当ですかねぇ。
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終わった〜!10代で挑戦し挫折した井上靖の自伝的三部作を読破。この下巻でも会話がイキイキしてて、特に洪作が宇田に台湾行きに関して一札とられる場面は面白すぎてニヤけてしまった。全作通し、なんて靖氏は昔をよく覚えておられるのだろう!と感嘆しながら読み終えたら、本作の解説を読んで、ガ〜ン・・・「『坊ちゃん』を漱石の自伝小説と思うのは、よほど単純な人間観と文学感を持った読者だろうが、井上氏の三部作、ことに『北の海』を作者の自伝と思い込むのも同様のことである。」(by山本健吉氏)
言い訳をすると、洪作が実在したことを願いたくなるような思いが「井上氏=洪作」という錯覚を起こしたのでしょう・・・素直にモノを受け入れ感じ入るところが魅力的であり、別の見方をすれば欠点でもあり、そのことに本人は気付いていない・・・そんな洪作に恋心を抱くれい子の気持ちが、なんだか分かるのです。ついつい世話を焼くはめになる宇田先生タイプに自分は近いと思ってたけれど、こんなに洪作のスタイルに魅かれるのは自分自身にもどこか洪作的なところがあるのでは?と思ってしまいました。
そして、年齢を経ると同じ物語でも違った見方ができるという通説にものすごく納得できた、良い経験ができたかも。
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四高柔道部の仲間と過ごす金沢での時間が、とてもいいな、と思いました。
酒も、煙草も、女も、勉強も(!)なく、ひたすら柔道をして過ごす、四高柔道部のメンバー。
練習量がすべてを決定する柔道。
練習と、研究。
人生のある時期を、そんな風に何かに打ち込んで過ごすというのは、とてもぜいたくで、幸せな生き方だろうなと思いました。
最後、四高に入るために覚悟を決めて、両親のところへ旅立つ洪作の姿が、印象的でした。
ある意味、このお話は「受験生」向けであるかもしれません。
目的を成し遂げるために、覚悟を決めて、真剣に学業に取り組む、そこに至るまでの過程の描き方がいいな、と思いました。
それが、きつきつしてなくて、ゆったりとしているのが、ほんとうにいいです。
さ、勉強しよう。
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『しろばんば』『夏草冬濤』ときて三部作の最後。高校に入るまでの浪人生活。今まで何にも風来坊だった洪作が、柔道という打ち込める物をみつけ、それによって今までとは違った仲間と出会う。
ちょっと大人になった洪作です。
細かい描写はどちらかというと少なめです。
三部作の中では夏草冬濤が一番好きですね。
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きっかけは「七帝柔道記」。
それほど柔道柔道していなかった。
洪作の人柄には魅かれるモノがある。
「しろばんば」「夏草冬濤」を早々に読まねば。読みたい。
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文豪、井上靖が書いた自伝的小説三部作の最終章にあたる長編小説。実際に読んだのは単行本版。
おそらく、日本の純文学史上最古のスポ根小説。本作を一言で言うなら、まずこれ。
親元から遠く離れた地で暮らす主人公、洪作は、なんとか中学を卒業するも高校には受からず、浪人としての日々を柔道に費やして過ごしている。ある日、中学の道場に柔道の強豪高校からの選手が練習にやってくる。洪作は彼が実践する『練習がものを言う寝技のみの柔道』や、彼の所属する高校柔道部のことを見聞きするうちにその魅力に憑かれはじめ、あこがれを確かめるためにその柔道部の夏季練習に参加する。って感じのお話。
登場する高校は四高といって、金沢の高校(現在の金沢大学だったかな)なんだけど、現実でもクッソ強かった柔道部を擁立していたらしく、この小説は今でも柔道好きたちのバイブル的小説なんだとか。それもそのはず、ストイシズムに骨の髄まで浸かって、頭空っぽにして受け身を取りまくれ、なんつー時代錯誤な標榜を徹頭徹尾根底に敷いてある小説だもの。四高柔道部の連中は気のいい仲間である節はあるけれど、みなどこか一匹狼な風格を漂わせている。人との関わりにうつつを抜かしていたら、強くはなれないんだろうね。爽やかさ、というには暑苦しすぎるが、荒涼とした距離感に気持ちよさを感じる。
あと、随所に「とんぼ」って表現が出てくるんだけど、それをおっかけると面白い。自分勝手だけど憎めないところがある主人公の魅力が、この言葉に集約されている。
脇目も振らず何かに打ちこむことのかけがえのなさ、これだよ、この小説は。
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下巻も四高に入学するところまで行かずに、というか受験勉強すら最後の数ページ迄しないまま終わる。四高のシーンは夏合宿に参加するだけ、と。
柔道をするためだけに大学に入る。しかも、全国大会とかではなく、関係者以外誰も知らない七帝。アホの極みというか、なんというか。
宇田先生といい、食堂のお内儀さんといい、主人公の世話に巻き込まれる群像がいい味出し過ぎていて、何とも言えない名作です。
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もう何回読み返しただろう。「しろばんば」、「夏草冬濤」、「北の海」の3部作。
特に旧制中学を卒業してから秋までを描いた「北の海」が好きだ。四高の柔道部に体験入部し、秋の気配がし出す頃に金沢を去るところが物悲しくも希望に満ちていて洪作を応援したくなる。
この本を初めて読んで、金沢を旅した学生の頃を思い出した。
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学生時代以来の再読。「柔道をやりに来たものと思え。女はないものと思え。いっさいものは考えるな」。無茶苦茶だけどそこまで夢中になるものを得た気持ちはどこかで必要なのだろう。
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『しろばんば』、『夏草冬濤』(なつぐさふゆなみ)、そして本書で自伝三部作となる。井上靖は明治40年(1907年)生まれだから、旧制四高(しこう/現金沢大学)に入ったのは昭和2年(1927年)である。私と同じ旭川出身だとは知らなかった。旧制中学に主席で入学したというのだから元々秀才だったのだろう。主人公の洪作は複雑な家庭環境で育ち、非常に冷めた性格の持ち主となる。ところが受験を控えた時期に蓮見と出会い、春秋の色合いが深まる。
https://sessendo.blogspot.com/2018/07/blog-post_18.html
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単行本で再読時の感想---6年生の頃母が買ってくれた本。特別な日でもないのに読んでごらんと手渡され、思いがけない贈り物がとてもうれしかったのを覚えている。おもしろくて何度も読み返した大好きな作品。これをきっかけに中学生の間は井上作品を随分読んだ覚えがある。先日ふと思い立って30年ぶりくらいにこの本を読み始めた。1975年の中央公論社刊、活字の小ささに驚いたが、すぐにおもしろさに引き込まれた。読みながらふと、子どもの頃と同じように心がうきたつのを感じ、旧知の登場人物たちに再会できた喜びをかみしめながら、本というもののありがたさやこの作品を送り出してくれた作家への感謝の思いで胸が熱くなった。----
16年ぶり再読---三部作を順に読んだのは初めて、幸せな読書の時間だった。
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しろばんば、夏草冬濤に続く自伝的小説。洪作が高校受験に失敗してから親がいる台北にいくまでの浪人生活の話。洪作視点だと周りの人たちは変わった人たちばかりだけど、周囲からしたら洪作も相当風変わりに映ってる。 井上靖の書く小説は実在した実体験や実在した人物をモデルにしてることが多いから、一人一人の個性が強くて魅力的。
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40年前に読んだものを読み返した。四高柔道部の猛練習のことだけが記憶に残っていたが、今回は、日本海、金沢、犀川、四高生と太平洋、沼津、狩野川、沼中生の対比が味わい深かった。著者の自伝的小説とされているが、洪作の野放図な性格は誇張された創作だろう。それでも楽しく一気に読めた。れい子の心情が切ない。