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十五万両の代償 十一代将軍家斉の生涯
著者 佐藤雅美 (著)
寛政の改革から爛熟の化政文化へ――御三卿の一橋家から思いがけず将軍となり、53人もの子をなし、孝心篤く実父治済(はるさだ)と自身に官位を望んだ家斉。政治の実権を握っていた...
十五万両の代償 十一代将軍家斉の生涯
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十五万両の代償 十一代将軍家斉の生涯 (講談社文庫)
商品説明
寛政の改革から爛熟の化政文化へ――御三卿の一橋家から思いがけず将軍となり、53人もの子をなし、孝心篤く実父治済(はるさだ)と自身に官位を望んだ家斉。政治の実権を握っていた松平定信を追い落とし、老中首座となった水野忠成(ただあきら)とともに舵を切ったインフレ政策の先見性と思わぬ陥穽(かんせい)。目から鱗が落ちる歴史小説。(講談社文庫)
目次
- 一 立ち往生
- 二 オットセイ将軍
- 三 気がつけば四十五
- 四 順風満帆
- 五 止まらぬ欲望
- 六 恥は百日
- 七 権力の源
- 八 一罰百戒
- 九 出羽の不始末
- 十 横山町の大捕り物
著者紹介
佐藤雅美 (著)
- 略歴
- 昭和16年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒。「大君の通貨」で新田次郎文学賞、「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞。ほかの著書に「わけあり師匠事の?末」など。
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紙の本
将軍様を甘やかしてはいけない
2011/09/17 13:15
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
天明年間(1780年代)の田沼意次の失脚から、弘化年間(1840年代)の水野忠邦の失脚までの、約80年間を、松平越中守定信、松平伊豆守信明、水野出羽守忠成、水野越前守忠邦という、歴代の老中と将軍徳川家斉との関係を軸として描いた物語である。
歴代の老中のなかで家斉が、そしてなにより作者佐藤雅美が、最も愛した人物は、水野忠成である。『物書同心居眠り紋蔵』『縮尻鏡三郎』『半次捕物控』『八州廻り桑山十兵衛』のどのシリーズも、水野忠成が老中を務めた時代を舞台としている。その時代、文政年間こそ、徳川時代を通じて最も(上方ではなくて)「江戸」の都市文化が成熟し繁栄した。外食、出版、芸能など、現代のものに引けを取らないぐらい、利便性と多様性があったようだ。
一方、文政年間をはさんで、水野忠成が老中になるまでの30年間、松平定信が「寛政の改革」をおこない、後を継いだ松平信明が「寛政の遺老」として実権を握っていた時代と、水野忠成没後の、水野忠邦が「天保の改革」をおこなった時代とは、経済面では倹約・緊縮を、文化面では規制・統制がおこなわれ、江戸の景気は冷え込み、庶民の娯楽はしぼみ、特に水野忠邦の時代に失われた大江戸町人文化の輝きは二度と戻らなかった。
しかし、それは、水野忠邦だけの責任ではあるまい。実は水野忠成の時代、幕府は薩摩藩に長崎貿易に食い込むことを合法的に許可していた。そのため、幕府の長崎会所の収益が15万両も減ってしまった。その15万両は、徳川家斉の父一橋治済に「準大臣」の位を買った代償なのだ。その経緯は、『縮尻鏡三郎』でもおなじみである。
家斉は、松平定信と松平信明にいじめられたので、彼らが幕閣から消えたとき、水野忠成に、「贅沢をしたい。思いっきり羽根を伸ばしたい」と言ったのだという。それを、水野忠成は、増税ではなく、おもに貨幣の改鋳によって達成したので、諸大名への負担が増えることもなく、江戸の景気も良くなった。だが、大勢の家斉の子供をあちこちの大名に嫁入らせたり養子縁組したり、家斉の愛妾の親のために豪華な寺院を建築したりするたびに、巨額の支出を強いられた。水野忠成は、家斉の言うことを何でもはいはいときいていたわけではなくて、時には迷信に陥るのを諌めたこともあるのだが、それにしても、甘すぎた。もともと、家斉の小姓だったせいだろうか。その甘さが、ひいては、15万両の代償につながったのだ。
だいたい、松平定信と松平信明とは、家斉をいじめたと言えるのか。確かに、金魚鉢の大きいのを買わせなかったとか、せっかく作った築山盆池を壊させたとかいうのは、いじめだと思うけど、家斉の実父の一橋治済に大御所の尊号を贈るのを拒み通したというのは、別にいじめではないんじゃないの?一橋治済のほうがわがままで、それに動かされた家斉のほうが、将軍としての自覚に欠けていたんじゃないの?金魚鉢や築山盆池の一件だって、定信や信明の主観では、家斉を名君に育てるためにやってたんじゃないの?まあ、無意識下には、作者の指摘どおり、優秀な自分たちが将軍に身の程(劣った頭の程)を思い知らせてやりたい、という願望も働いていたと思うが。
作者は、松平定信や松平信明の、政治面外交面での業績を認めつつも、経済面では失敗とみなし、更に、彼らの人格面について、評価が辛い。水野忠邦の評価も同様だが、忠邦は、老中になる前、忠成とかなり深いつきあいがあったことが、詳しく述べられており、なかなか、おもしろい。あの『縮尻鏡三郎』が縮尻御家人になるきっかけとなった、大坂での大名旗本を巻き込んでの無尽の横行に、忠邦も関わっており、大塩平八郎もそれを知っていた。忠邦は日本国の執政になるという「青雲の志」を遂げるために、家来に無尽をさせてまで、忠成に贈る賄賂やおつきあいに要する、多額の費用を捻出していた。“老中は持ち廻り、金銀財宝廻り取り”と言われ、江戸時代は一貫して賄賂が横行していた。何も田沼意次や柳沢吉保だけではなかった。ま、もっとも、彼らの時代が極端にひどかったのは確からしいが、悪名高き彼ら自身が、他の老中に比べて強欲だったと言えるかどうかは、わからない。
司馬遼太郎の小説などとはまた違った視点なのがおもしろいが、外交面、国際関係に関する記述が少ない。大黒屋光太夫のこともモリソン号のことも出てこない。そういう話の好きな私にとっては、物足りない。「鎖国」の時代に「異国」に行った人々の存在こそ、いずれ日本は「開国」せざるを得なかったことを証明するものなのに。
これは、そもそも、徳川家斉が、異国に関心を持たなかったということなのだろうか。してみると、定信や信明が、金魚鉢や庭作りに執心することより天下海内に目を向けよ、と説教したのも、いじめではなく、国を思えばこその諌言として聴くべきだったのだ。化政文化が繁栄したのは徳川家斉と水野忠成の御蔭と言っていいが、繁栄がしぼむ原因を作ったのもまた、彼らだったと思う。