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『完全教祖マニュアル』に続く、架神恭介先生の宗教入門書。
宗教というと、判りづらくて取っ付きにくい(というか取っ付くと色々面倒臭そう)というあたりから、敬遠されがちなテーマですが、架神先生の著作は、宗教の概念をよーく噛み砕いて実に「俗っぽく」紹介してくれる。読み終わるとあら不思議、「理解不能かつ神聖不可侵」だと思っていた宗教ってのもまた、利害絡んだ人の営みのひとつと理解でき、忌避感が消え去っているのだから面白い。
しかしこのキリスト教に関して言えば、俗っぽくまとめても、下手なカルト教団よりも「信者怖え」という感想しか出てきませんなwある意味それが作者の意図した所なのかもしれませんが。
キリスト教徒を「やくざ」と見立てることにより、宗教上のイベントが実に血肉の通った「物語」として理解できるようになる、というのが本著の面白いところ。
しかし、序盤のイエス存命時はそのメソッドが実に有効に活きてくるものの、中盤から「国」が絡んでくると、少々そのメソッドから外れて、単に「歴史説明を広島弁で行っているだけ」としか解釈できず、飲み込みづらい部分もあったり。例えば「国」を「県警」か何かに見立てることができれば、また「やくざ」の見立ても活きてきたのかなぁと思うところもありました。もしかしたら、国の中枢にやくざが絡んでいるという『忍殺』のニンジャ的世界観を醸し出そうとしているのかもしれませんが。やはり本作については「やくざ用語」での見立てを貫いて欲しかったなーというのがありました。
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「おやっさん……おやっさん……なんでワシを見捨てたんじゃあ!」
キリスト教に関する書籍は、世界中で数多く発刊されている事だと思いますが、かつてこんなセリフから始まるキリスト教史があったでしょうか。本作ではキリスト教を任侠団体と設定し、しかも全編において広島弁を使用することにより、とても臨場感溢れるキリスト教史となっています。
ユダヤ地方ガラリアの任侠団体として発足した「キリスト組」、初代組長であった「イエス兄貴」の侠気のおかげで、徐々に縄張りを広げて行くのであります。
しかし兄貴の死後、勢力が広域に拡大するに伴い、舎弟たちの仲間割れやシノギの方法を巡って、血で血を洗う大抗争へと発展してしまうのでした。
「ミラノ勅令」「カノッサの屈辱」「十字軍遠征」など、キリスト教に関わる歴史的転換点についても、わかりやすく解説していただき非常に勉強になりました。しかし、最初は笑いながら読んでいましたけど、後半になるともう本当にヤクザの世界にしか見えなくなりました。
「ヤハウェ大親分、ワシを助けてつかぁさいやァ、アーメン!!」
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2014/07/16:読了
読み始めたら、小説だった...
「ふしぎなキリスト教」のような、社会学から、キリスト教を分析しているのかと想像していたが、小説だったとは...
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キリスト教の歴史を、やくざの抗争に見立て、イエス、パウロなどがすべて広島弁で書かれた「小説」。発想はよく、キリスト教史もよく理解できる。が、そもそもそんなにキリスト教史に詳しくないので、おもしろさが十分理解できていないと思う。また、会話が広島弁になっているので、ひらがなが多く、「仁義なき戦い」をイメージしながら読まなければならず、読むのに時間がかかった。発禁のうわさもあり、どうどうと電車の中で読んでいて、表紙のタイトルと見とがめられ、教会関係者にいろいろ聞かれたりするのが嫌だったので、カバーをつけたりして、気を使う本だった。
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キリスト教の歴史をやくざ抗争に例えて解説した本。理系で世界史を選択してこなかった人間にとって、とっつきにくかった西洋宗教史を面白おかしく学べるので、参考になった。
キリスト教の宣教師をやくざに例えても、なんとなく話が繋がってしまうのは、システムとして共通している部分が多いからだろうか。いずれにしても、キリスト教方面からお叱りを受けるのではないかというほどに、イエスをはじめとした聖人がやくざにされている。
内輪もめと裏切りの歴史が仁義なく続いていく、そんなキリスト教の流れが理解できた。
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宗教=任侠と書き換え、登場人物はみな広島弁(著者曰く、実は福山弁かも、と)にするとこうなる。ヤハウェもイエスもパウロもルターも、みなやくざである。
「なにせこの免罪符一枚ありゃあ、おどれらの糞汚い陰茎をのう、イエス大親分のおっ母さん、マリアさんにぶっ刺しても許されるんじゃけん!」ルターが免罪符を売っている。これは演出である。が、いいのかこんなこと書いて。日本の一般庶民にはやくざも怖いが宗教も怖い。悪魔の辞典の例もある。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」とルビが振られた台詞は、一般的には「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と来るところだが、「おやっさん…おやっさん…なんでワシを見捨てたんじゃあ!」である。
聖書を読むにあたっては、よい副読本、解説が必須だという。この本は十字軍の遠征やルターの宗教改革、果てはローマ・カトリック会の幹部やくざP氏へのインタビューまで登場するので、聖書の解説というわけにはいかないが、しかし今までなかったアプローチで人をキリスト教にいざなう、のかもしれない。P氏はインタビューで、「日本の外道ども、江戸時代はわしらキリスト教のやくざを見つけるたびに片っ端からぶち殺しとったじゃない」と語る。
キリスト教をはじめ、宗教には排他や戦争的要素が多分にある。そうではないところはバッサリあきらめ、やくざ的要素だけを抽出して広島弁で語らせれば、ほらこの通り。
そういえば、ジョナサン・アイブも広島弁だったなあ(爆)。
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わが神・・・
わが神・・・
どうしてわたしをお見捨てになったのですか・・・
が・・・
おやっさん・・・
おやっさん・・・
なんでワシを見捨てたんじゃあ!
になっちゃった・・・
キリスト教の歴史を基にした・・・
やくざもののエンタメ小説・・・
キリスト教の俗っぽい面を強調するためにやくざという見立てを用いた・・・
とのこと・・・
みんなやくざ・・・
みんな広島弁・・・
キリスト教の主要な人物や出来事が・・・
仁義なき戦いのノリで登場し、展開されていくので・・・
スイスイ読み進められる・・・
マジで直ぐに読めちゃう・・・
小難しそうで、登場人物に馴染みがなく、とっつきにくいキリスト教の歴史を掻い摘むにはもってこい・・・
イエスが・・・
ペトロが・・・
パウロが・・・
コンスタンティヌスが・・・
グレゴリオス7世が・・・
ハインリヒ4世が・・・
ルターが・・・
その他の方々も含めて登場人物が生き生きしている!
その愛すべきキャラたちに惹き込まれちゃう!
入門編としてはもってこい!
ユダヤ組系ナザレ組のイエスという一人のやくざが磔刑にされてより約2000年に及ぶ、やくざたちの仁義なき抗争の歴史・・・
や、マジで抗争の歴史・・・
ヤったりヤラれたり・・・
演出もあるけれども・・・
実は案外・・・
こんな感じ???
面白いのぅ!
仁義なき戦いが好きな方はゼーヒーで!
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ヤハウェ大親分を崇めるヤクザたちの二千年にわたる仁義なき戦い。登場人物みんな広島弁というあり得ないキリスト教史なのにこれだけ読ませるのは凄い。もちろんフィクション入ってるけど,各章末の解説でどこにどんな脚色があるかも明かされていて,勉強にもなる。
「おどりゃ悪霊、はよ出ていかんかい。そのツラァ次に見せたら承知せんどワレェ!」 と,病気見舞い活動で侠気を見せるイエス。惚れ込む者どもが続々傘下に…という話から,バチカン市国まで。二千年の中から魅力的なエピソードをかいつまんでお届けする。目鱗パウロ,叙任権闘争,第四回十字軍,宗教改革なんかはかなり圧巻で印象に残った。著者の文才は相当なものだと感心している。
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イエスの改革、パウロの布教、ローマ帝国、叙任権闘争、第4回十字軍、ルターの改革、こうした歴史をやくざの抗争史として叙述する、興味深い本。会話文は当然広島弁。
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パリサイ派...イエスの宿敵
ヨハネ...イエスの師匠
メシア=キリスト 意味は油を塗られた者 ヤハウェが力を与える際に頭に油を塗るように指示したことから。
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強引過ぎるヤクザ用語への置き変えで、「煉獄」は「網走のようなところ」と説明されちゃうし、文中は広島弁の罵倒の応酬も加わってとにかく変! 筆者自信言っているが、宗教教義独特の真面目で小難しいくせにどうでもディテールの調整作業を語り口痛快さで、宗教語りのウザさを意識せずに読めて楽しい。作者のキリスト教を語りのなかでは過度な理想主義、性善説は採用されず、登場人物の行動原理は現実的な問題意識、利己的な判断に溢れている。作者の描くパウロやルターの豪胆で手前勝手な俗物ぶりには心奪われる。キリスト教を純潔とか慈愛とか掲げてて胡散臭いと感じている人は読むと良いかも。あとキリスト教のエヴァンジェリストは一読すべきだ。ただ枚数がたりないのかかなり駆け足なのが難点。
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雑誌か何かで紹介されていて、西洋史専攻としては必読かと思い、図書館で借りた。
タイトルと紹介文を見て、いわゆるイロモノというかそういうジャンルかと思ったが、意外にもかなりガッツリ歴史ものだった。
多少の演出は施されているが、聖書をはじめとするキリスト教関連の原書や専門書を読みこんでいるし、各章の終わりに解説があり、諸説ある部分や演出過剰と思われる部分についてはきちんと説明されていた。
キリスト教世界をやくざ世界に例えるとは随分思い切ったことをしたと思ったが、派閥争いや上下関係など、なるほど極道に通じるものがある。
しかし、言葉遣いは変えているとはいえ、本当に聖書にそんなことが書いてあるのか?と思う部分も多々あり、改めて聖書を読んでみたくなった。
また、演出の都合なのか話し言葉が全て広島弁なことに多くの読者が苦言を呈しており、私も演出だとしても関西弁でいいじゃないかと思ったが、巻末の主要参考文献一覧の中で一際異彩を放つ一冊を見て筆者が広島弁にこだわった理由が分かった。
筆者が広島県出身ということも多少は影響しているのだろうが、どうやら筆者は戦後広島のやくざ同士の争い(広島抗争)を描いた映画「仁義なき戦い」にインスパイアされて、キリスト教世界を極道世界に例えるというアイディアを思いついたようである。
その映画の存在は全く知らなかったのだけど、極道世界に例えるという演出は終始徹底しており、概ね成功と言えるのではないか。
カテゴリを歴史専門書と歴史小説のどちらにしようか迷ったが、筆者自身が小説と明記していることと、この本を歴史論文の参考文献として挙げられるかというと難しいだろうと判断して、歴史小説に入れることにした。
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これは小説だ、と架神氏は言っている。仁義なき戦いが美能幸三の手記を元にした小説だったように聖書やキリスト教史を下書きにした小説だと。だから所々史実にはない描写が出てくるが概ね章ごとに解説で何をベースにしたかどこが創作かを書いてある。小説ならば解説は不要、史実と違うという批判はここまでやるなら受け入れてもよかろうに。
ヤハウェ大親分といえばユダヤ組、キリスト組、イスラム組を生んだ伝説の大親分である。まあやくざに取っては神様といってしまって言いだろう。そのままやがな。ユダヤ組の分家、ナザレ組の一家がイエス兄貴の活躍で勃興し、その死後もそれぞれの時代にどうやって拡大していったかという大河小説だ。完結するのかこれ?それにしても教会をやくざに見立てるとは物騒で悪魔の詩よりも危なそうな、書いた本人が抗争に巻き込まれても知らんぞわしゃ。
最後の晩餐イエス兄貴は言う。「お前らに言うとくけどの、今一緒にメシ食っとるお前らの中にの、わしのことをチンコロするやつがおるけえのう」
ゴルゴダの丘で叫ぶ。「おやっさん・・・おやっさん・・・なんでワシを見捨てたんじゃあ!」
目からウロコが落ちた使徒パウロはイエスの兄貴が生き返って直々に声をかけてくれたと信じている。「わしゃのう!生前のイエス親分のことなんざ、知ろうとも思わんのじゃ!」
時は下り、ヤハウェ大親分とイエス親分は同格かそれともイエス親分が一枚落ちるのかが論争になり、第四回十字軍ではイスラム組との出入りのために集まったはずが人が集まらなかったがため船を出す金が集まらず、小遣い稼ぎにヴェネツィアからハンガリーに寝返ったクロアチアのザラを攻略し次いで東ローマ帝国の跡目争いに助っ人として呼び込まれコンスタンチノープルを陥落し蹂躙しつくし引き上げた。これはいかにやくざとは言えまさに仁義なき戦いだ。
やくざ改革で有名なルターも農奴解放の訴えを退ける。「おどりゃ、主人から奴隷を略奪する気か!奴隷じゃ言うて何の問題があるんじゃ。聖書に出てくる予言者なんかも奴隷を持っとったろうが!パウロ兄さんも『奴隷は死ぬまで奴隷しちょれ』言うちょる。どいつもこいつも平等じゃ言うて、そぎゃあなことがほんまにできるわけなかろうがい!」
映画化したら監督はたけしだなこりゃ。
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キリスト教の歴史をやくざ世界に見立てて表現していく意欲作。イエス様がやくざになっていて思わず笑った。やくざたちの抗争を楽しみながら、ユダヤ教の宗派やらユダヤ人のローマ帝国での立ち位置やら結構本格的に歴史を深く知ることができる。聖人といわれている人も意外と悪党だったことを知ることができた。特にパウロやルターに至っては問題を引き起こして周りを引っ掻き回すトラブルメーカー、ようはプッチ神父のような「自分が『悪』だと気付いていない、最もドス黒い『悪』」なのでたちが悪い。欲を言えばイギリス国教会創立編やらイタリアでのカットリック勢力の腐敗やら中世でのやくざたちの抗争を描いてほしかった。
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登場人物達が喋る言葉が、ずーっと広島弁なキリスト教史。めっちゃ面白すぎ。下手なSFを読むよりは、この本を読むほうがどんだけ自分のためになるか。
それにしても、諍いのスケールが大きいキリスト教ですね…。
さて、読了後聴く宗教曲は、やはりバッハかな…。この本を読んだ後だと、バッハの宗教曲を聴く心構えが変わりますね…。