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脱アイデンティティ
著者 上野千鶴子 (編)
本書は「アイデンティティ強迫」に憑かれた近代社会および近代社会学理論へのレクイエムを意図して編まれた。アイデンティティの理論の革新は、この強いられた同一性から逃れたいと考...
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脱アイデンティティ
商品説明
本書は「アイデンティティ強迫」に憑かれた近代社会および近代社会学理論へのレクイエムを意図して編まれた。アイデンティティの理論の革新は、この強いられた同一性から逃れたいと考える人々によってこそ担われている。執筆はいずれも時代に対する鋭敏さでは誰にもひけをとらない伊野真一、浅野智彦、三浦展、斎藤環、平田由美、鄭暎惠、小森陽一、千田有紀による。
著者紹介
上野千鶴子 (編)
- 略歴
- 1948年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授。著書に「差異の政治学」「老いる準備」など。
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紙の本
上野の文章以外は、全てわかりやすいものばかり。見えてくるのは賞味期限のきれたアイデンティティということばの胡散臭さと、本当の問題のありか。やっぱり上野は頭イイ
2006/05/07 15:10
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
あるいは各論の論旨については巻末に上野の解説がありますから、読んでもらうことにしましょう。
上野の解題によらず、私なりに各論に簡単に触れれば、学説史という観点からアイデンティティを概観する「脱アイデンティティの理論/上野千鶴子」、 ゲイ、おかま、という言葉から性的指向を中心に「脱アイデンティティの政治/伊野真一」、自己物語論、多重人格「物語アイデンティティを越えて?/ 浅野智彦」、消費ということを軸に自分らしさを求める「消費の物語の喪失と、さまよう「自分らしさ/ 三浦展」、トラウマやストレスから心を保護するためのメカニズム「解離の時代にアイデンティティを擁護するために/斎藤環」。
鷺沢萌に流れる朝鮮人の血をめぐって「非・決定のアイデンティティ/平田由美」、記憶とは、アイデンティティを貫く根幹である「言語化されずに身体化された記憶と、複合的アイデンティティ/鄭暎惠」、現在使われている多くの日本の言葉が、明治期に英語を訳すためのものである「母語幻想と言語アイデンティティ/小森陽一」、前近代社会では、その問いかけ自体が意味を持たなかった「アイデンティティとポジショナリティ/千田有紀」、各論を解題を中心にまとめる「脱アイデンティティの戦略/上野千鶴子」。
いかにも上野らしい頭のよさを誇示する宣言が巻末に載っています。「理論を「机上の空論」と切って捨てる人は、たんに「間尺に合わない」ツールの無効性を宣告しているにすぎない。理論を軽視する人は、そのことによって理論に復讐される。」。言葉遊び、不毛な理論こそが重要だとは、さすが頭でっかち現実無視の東大生を率いる教授らしい。
そして上手く逃げをうつのが、その少し後に出てくる「もういちどくり返そう。理論はツールである。ツールは使うものであり、ツールに使われてはならない。現実と理論とが対応しなくなったとき、変るべきはもちろん理論の方である。」です。
閑話休題。アイデンティティとはなにか、となりますが、この本で見えてくるのは、それに限定された定義がない、ということでしょう。訳語自身も多岐にわたり、しかもその訳自体がひとつの説になっている気配もあります。たとえば自己同一性。此処には、自分がなにものであるか、ということが内と外で同一でなければならない、という学説が混じりこんでいます。
昔の人は、自分が何者であるか?などという疑問を抱かなかった、なぜなら自分の身分は決まっていたから、という文章が何回か出てきますが、嘘っぽいですね。職業、身分と自分は何者であるかは必ずしも同じではありません。民族支配と言語、というのもアイデンティティと関連付けることも可能ですが、それだけではないでしょう。
これがまさに、アイデンティティというものが学説にしか過ぎないということの証です。この言葉を振りかざしてあたかも自己の側から規定する自分と、外からの自分があり、それが乖離すれば問題となる。それを同一にすれば、問題解決、なんていうのは殆ど小児以下の議論でしょう。むしろ、傍から何といわれようが私はワタシと云いきることが個人を救う。ま、こういう割りきりが人々に根付いてきた、だから上野は「現実と理論とが対応しなくなったとき、変るべきはもちろん理論の方である。」と時流にのるわけです。
それが、さまざまな論文で見えてきます。上野の意図はともあれ、此処には言語、民族、性、多重人格、消費といったさまざまな切り口からアイデンティティが語られ、結局、自己同一性なんて奇妙な訳語をつけるよりは、そのままアイデンティティのほうがいいな、という結論に落ち着きます。そして、問題はアイデンティティにではなく、言語、民族、性、多重人格、消費といったことの中にこそある、というのが見えてきます。
紙の本
内容紹介
2005/11/03 23:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:勁草書房 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「アイデンティティ強迫」に憑かれた近代社会および近代社会理論へのレクイエムを意図して編まれた。アイデンティティの理論の革新は、この強いられた同一性から逃れたいと考える人々によってこそ担われている。執筆はいずれも時代に対する鋭敏さでは誰にもひけをとらない伊野真一、浅野智彦、三浦展、斎藤環、平田由美、小森陽一、千田有紀による。
紙の本
アイデンティティと何気なく口にしてしまう私たちに
2008/06/16 13:25
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
「アイデンティティ」という言葉は、今や、日常的に用いられる単語となっている。おそらくは、中高の受験に際して戸惑いとともに出会い、大学生になって熟語として理解する、そんなタイプの言葉の1つだろうと思う。そこでは、この単語の意外と浅い歴史性や、そのルーツであるエリクソンが参照されることはほとんどない(なくてもいい、というか、誰も困らないのだけれど)。
本書は、「脱」という接頭語がついていることにも明らかなように、すで使い古された観のある「アイデンティティ」という単語を、鍛え直して、今、そして未来にも使用可能なものへと生まれ変わらせようという試みの論集である。のであるから、今や「アイデンティティ」という単語にリアリティや説得力を感じられない人が、理想の読者ということになるだろう。だから、そうでない人は、改めて身の回りで使われている「アイデンティティ」という単語を見つめ、その上で本書を読むといいだろう。
あまたある論文の中で、必読の文献は、上野千鶴子のレビュー論文である。そもそも、日本人はレビュー論文を書くのが下手だというのは茂木健一郎などもいっていることだが、吉見俊哉と並んで、上野千鶴子はその秀逸な書き手の一人であり、その実力は、本書のレビュー論文に遺憾なく発揮されている。「アイデンティティ」の歴史と理論的地平を知るには、好個の文章である。