キャラはお客で、ピンコロは一人客、女連れだとガマ連れ…
2002/06/01 10:39
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投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『私、駅前の柊元旅館の番頭でございます。』の、独白体で始まる小説である。
泊まり客かなにかから注文されて、「それでは。」と思いつくままに旅館の風景を語っているという体裁である。
子供の頃から女中部屋に寝起きし、学校を出てからは走り使い、中番という役を勤めて後に、番頭におさまったという、旅館の風景を描き出すにはもってこいの主人公である。客扱いにかけてはプロなので、思いつくままの語りもこちらを少しも飽きさせることがない。
戦前の旅館の様子では、お客の粋な遊び方や、お国による客の性質の違い、番頭のプライドなどが語られ、戦後になってからは旅館が様変わりしていく様子が伺える。語りの番頭は昔の旅館風情を懐かしむ気持ちが強いようであり、気の合う番頭仲間と出かける慰安旅行でも、電話を使わずに電報で知らせたりなどする。『イクノホカダチ四アスユクヤヘタム』。これは、「生野(語りの番頭の姓)ほか友達四名、明日行くので部屋をたのむ」という意味である。現在では通じないであろうが、旅館業者の中でのみ通じる隠語が次々に披露されて、「うまいことやるもんだなぁ。」と感心するやら楽しいやらである。
『私、この年をして、やっぱり好色家という部類なんでございます。』と語る番頭の口からは、色恋話も飛び出てきて、「それからどうなったい?」と膝を乗り出す場面もしっかり用意されている。
旅館の番頭という職業は、呼び込みの時もそうであるし、宿での接待から何から何まで、とにかく人の心を読む商売である。あまり日常的に人の心を読み、繰り広げられる茶番狂言を見ていると、己の言動、行動もすべて茶番狂言に転じられてしまうものなのかもしれない。『駅前旅館』では、そんな番頭の悲哀も感じた。
「人の心がわからない…。」はい、はい、誠に結構なことでございます。それが幸せというものでございます。
のんびり、時にどたばた
2017/08/04 18:30
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投稿者:mimimi - この投稿者のレビュー一覧を見る
駅前にある団体向け旅館の番頭が語る、番頭としての生業だとか、そこで働く人々や同業者、旅館に出入りするお客にオンナの方々、旅先での失敗談や恋のようなもの、等々のこと。
先に井伏の随筆を一冊読んでいたので、ネタがかなりかぶっていたりして、脳内ファンタジーみたいな浮ついたものではなく、自分が体験したことを淡々と何気に小説に落としているのがわかって面白かった。
終わり方がかなり唐突で、作者はこれがベストだと思っていたのかはわからないけれど、結局、番頭さんの心に一番深く残っていたことがアレだと思うと、大変に可愛らしい。
昭和30年代の上野を舞台に。
2011/08/18 14:32
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投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
久々に「文豪」っぽいのを読んでみた。
井伏鱒二って、ずいぶん昔の作家だと思っていたら…
没年は1993年と割と最近だった。
小学校で習った『山椒魚』が印象深い。
『黒い雨』も記憶に残っているなぁ。
昭和30年代には多く見られたという「駅前旅館。」
本書には、東京は上野の駅前旅館の日常が、
番頭目線で収められている。
「日常」が淡々とつづられているので、
これといった大きな起伏はない。
しかし、当時の世俗が垣間見られて興味深い。
井伏鱒二=昔のひと=読み辛い。
という等式が頭の中にあったのだけれど、
ユーモアたっぷりで、想像以上に読みやすく、
驚いた。
たまにはこういうのもいいなぁ。
(でも、本当は起伏のある物語のほうが好み)
六十年前の旅館事情
2022/12/27 15:03
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投稿者:鎮文修 - この投稿者のレビュー一覧を見る
世の中が六十年あまりで大きく変わってしまい、主要登場人物である駅前旅館の番頭たちや古風な色職の女性たちは絶滅危惧種ではないか。
現代では郷愁を感じる作品だが、主人公の一人語りという文体から、浮世の中ちょっと不器用で不覚をとられながらも生きていく登場人物たちの粋を感じた。
当時のちょろまかしや符丁の実態なども面白い。
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旅館の番頭、生野次平が主人公。
旅館にくるさまざまな客、あるいは旅館の女中や板前、番頭同士のドタバタ人情劇。
戦後、敗戦の憂鬱を吹き飛ばすかのような、上を下への、多忙を極めた番頭仕事。小気味良くテンポよく、読み手の心を楽しませる。
あるときは旅館の女将と。またあるときは芸者上がりの女工と恋の駆け引きがあったりする。笑
それにしても、読みながら感心したのは、やはり日本人という民族は接客業に対してたぐいまれなる熱意をもってして、さまざまな趣向をこらしたおもてなしを、昔から徹底してたんだな…。てことですかね。
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購入者:長谷川
貸出:今倉(2007.12.14)
返却:今倉(2008.6.12)現在と同じ国?というほどに、女性の生活が今とは違う風に描かれています。ただ男性は今よりも悠々自適だったのかな?と感じるぐらい、旅館の番頭たちの暮らしが楽しそう。大竹まこととか高田純次っぽいおっちゃんたちのお話でした。ただ昔の口語ばかりで書かれていて、少々読み辛いかんじです。
貸出:滝口(2008.8.12)
返却:滝口(2008.8。30)読んでいて昭和40年代森繁久弥、三木のリ平、池内淳子出演、駅前シリーズとして映画化された作品です。懐かしく想い出しました。
貸出:吉田愛(2011.12.30)
昔の言葉がたくさん出て来ますが、改めて日本語ってきれいだなと思いました。いろんな人や出来事を見聞きした番頭さんが主人公なのですが、なんだか落語みたいに次から次へわ〜っと語っている感じの文章でした。
秀司
かなり古い本みたいですね。
文章が連なってる感じがして、頭に入りにくかったです。
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「昭和30年代初頭、東京は上野駅前の団体旅館。子供のころから女中部屋で寝起きし、長じて番頭に納まった主人公が語る宿屋家業の舞台裏。業界の符牒に始まり、お国による客の性質の違い、呼込みの手練手管……。美人おかみの飲み屋に集まる番頭仲間の奇妙な生態や、修学旅行の学生らが巻き起こす珍騒動を交えつつ、時代の波に飲み込まれていく老舗旅館の番頭たちの哀歓を描いた傑作ユーモア小説。」(作品紹介より)
番頭の生活や番頭仲間とのやりとりがすごくリアルかつユーモラスでした。
昔の日本には、きっと本当にこんな感じの「駅前旅館」が当たり前のようにあって、
そこにいる人々も、その生活や習慣も、きっと本当にこんな感じだったんだろうな。
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カバーに惹かれて買ってみた。
独り語りの物語は、
話を聞くようにつるつると読めた。
2009.10.23.読了
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昔風情の旅館の番頭が思い出話を独白調で語る。ドラマチックではないけどね、人生ってそんなものやろう、それでもなにもなかったわけじゃない。謙りつつも堂々と語れる生き方っていいと思う。
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軽快でテンポよいしゃべり口で、つまらなくはないと思うんだけど、『だからどうした?』そんな感想しか持ち合わせれない。
ここでおわんの?と途中じゃねぇか?と思うような終わり方もあんましよくない。
当時としても少し時代遅れであったろう感じがなんともいえずノスタルジーをかもし出している。そこが心地よい。
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とうとう我が愛する森繁久彌が逝ってしまいました。96歳で老衰といいますから大往生ですね。
小さい頃から日本の古い映画も大好きでよく見ていましたが、ことに駅前シリーズ24本は、私にとっては寅さんや釣りバカ以上に親しみ深いものとして記憶の底にあります。
駅前シリーズの森繁久彌と伴淳三郎とフランキー堺は、喜劇というものがどんなにすばらしいものかということを、骨の髄まで私に教えてくれた人たちでした。
正直言って、その後、中学生で漫才に目覚め、高校で落語に開眼しと、お笑いの世界の拡張は著しいものがありましたが、これ以上のものにお目にかかったことがありません。
あっ、それと、この本ですが、たまたま高校生の時に、原作が気になって手に入れてみると、それまで、どうも感じでは獅子文六っぽいと思っていたのが、意外や意外、なんと大作家・井伏鱒二ではありませんか、随分おどろいて、なんだか拍子抜けした覚えがあります。
モリシゲは、私にとって最高の喜劇役者だったのですが、本人はシリアスな俳優を指向して、『夫婦善哉』や『警察日記』を境に、喜劇役者の名を返上してしまった感があります。
あ、思い出しました、あと源氏鶏太原作の『三等重役』というサラリーマンものも面白かった記憶があります。
ただ私は残念ながら、世評高い『屋根の上のバイオリン弾き』は、見苦しくて滑稽なだけだと思って、まったく評価しません。もっとも、あまたの有名無名の日本のミュージカルを見てきましたが、キャッツも宝塚もすべて失格、いまだ日本のミュージカル現われず、という気でいるのですからどうしようもありません。
ともかく、モリシゲさん、お疲れさまでした、喜劇をどうもありがとう。
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駅前旅館の番頭さんが日常の風景を語る物語。
ユーモラスでほんのりとしたお話です。
文章も口語調で読みやすい。
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駅前旅館。見かけなくなりました。
旅行の移動手段が鉄道中心だつた頃は、結構な数の駅前にあつたさうな。
しかし中小の駅前は寂れ、一方大都市の駅前は大型ホテルが林立する時代になり、風情はなくなりました。
駅前はビジネスホテルが全盛ではなからうか。ま、旅客が「旅館」より「ホテル」を好むやうになつてきたのでせう。実際ホテルは便利であります。
またもや個人的な話。
以前住んでゐた家の最寄り駅に、「F旅館」といふ駅前旅館がありました。外観を一瞥しますと、良く言へばまことに大衆的、悪く言へばぼつさい風体の建物です。
北九州市小倉出身の英語教師であるK先生が、この土地へ来てまだアパートが見つからない間、このF旅館に投宿しました。先生が言ふには、部屋に座布団がなく、枕は破れてゐて、仕方がないので自分の枕を駆使したとのこと。
数年後、この「F旅館」は、「ビジネスホテルF」と改称し、名称だけはビジネスホテルになりました。外観はまつたく変りません。しかし客は増えたみたい。
一度ここで泊つてみたいと勘考してゐたのですが、何しろ自宅から徒歩15分ですから、その機会はありませんでした。そこへ、弟の友人が遊びに来るといふので、半ば騙すやうな形で一晩ビジネスホテルFを利用させました。結果は、K先生が泊つた時と全く同じ状態だつた...
あ、この話に何の寓意も教訓もありません。
東宝映画『駅前旅館』の原作といふことですが、もちろん森繁・伴淳・フランキーは登場しません。
「柊元(くきもと)旅館」の番頭・生野次平による独白体で話が進められます。
これといつた話の筋があるわけでもありませんが、魅力的な語り口で、戦後の駅前旅館を描写します。さまざまな隠語やしきたり、客扱ひの極意...哀愁を帯びながらもユウモワに満ちた作品ですね。
とにかく読んでゐて幸福な気分になれる一冊であります。
http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-36.html
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堅気な商売のようだが実は江戸前の粋な世界に浸りながら、駅前旅館の番頭におさまる主人公の、活き活きとした立ちまわりを回想体の文章により表現した著者ならではの面白小説。
まず、その語り口が「古き良き」昭和の旅館とその周辺を再現していて面白い。べらんめい調だったのが、語り調になったり、旅館の隠語がみだり飛んだりと変幻自在だ。
ひとつの話も脱線して別の話になっていきそれがまた面白く、実はさっきの話の前振り話だったのかと戻ってくることもしばしば。なかなかついていくのも大変です。(笑)
番頭仲間でつるんだりとぼけたりする話や、旅館の泊まり客の様子も面白いが、主人公の派手だが結局はしぼむ淡い恋愛模様もそこはかとなく彩りを加えます。数々の与太話!も微に入り細に入る説明でついつい笑みがこぼれてしまいます。(笑)
話が唐突に終わったような感じだったが、もっと続いていても良かったな。
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能登生まれの女中の息子次平が旅館の下働きから番頭になり上野駅前の旅館番頭として送る日々を綴った小説だが番頭の淡い恋愛が心地よい。芸者お菊と小料理屋辰巳屋の女将への何となく優しい好意に満ちた付き合いの為に結局何も起きない。