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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
解説にも触れられているように身内のことの書籍だが客観性が濃くありがちな身びいきな著述がないことに感服する。村岡花子を通してのこの時代の女性史とも読めるこの本はよく調べられた本だ。アンを知らなくても読める。
紙の本
ドラマを見て再熱。
2017/02/03 12:51
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投稿者:honpochi - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生の頃、夢中になって赤毛のアンをおそらく、全シリーズ読んだと
思っていたのですが、最後にアンのゆりかごは読んでいなかった事に
気がついて、ドラマを見ていて、なんとなく購入。
ドラマで描かれているのとは違った面や、細かい部分を知る事ができ、
とても読み応えありました。
村岡花子さんの訳した赤毛のアン大好きだったなぁ。
多分、違う人が訳したであろうアンを読んだ事があったけど、
なんか読み心地が悪かったのを思い出します。
紙の本
人も時代も読める
2015/09/19 21:41
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投稿者:山口ポン子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝ドラが先でしたが、とてもおもしろく読みました。恋文のやりとりは、ドキドキしながらも微笑ましく感じました。私自身元々英語や国語が得意だった、はずなのに、普通の人になってしまっているので、花子さんの言葉に対する姿勢や言葉そのものが心にしみます。花子さんだけでなく、柳原白蓮や広岡浅子、市川房枝等、当時活躍した女性たちも多く登場し、あの時代についても知ることができます。
紙の本
感動しました。
2015/01/29 17:49
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投稿者:かおべえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
村岡花子さんは朝ドラの主人公になるまで知りませんでした。
朝ドラを見て村岡花子さんのお孫さんが書いた本に興味を持って購入しました。
花子さんが単におとなしい女性でなくあの当時の女性としていろいろな運動に関わってこられたのだなと知りました。
花子さんたちの努力があって今の女性の生きやすさにつながっているのだと実感しました。
やはり息子さんを亡くす所は涙なしでは読めませんでした。息子を亡くした後、生き方を変えるところが感動でした。
紙の本
物足りない点もあるものの、興味深い事実を知るのに手頃
2014/08/18 23:26
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投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドラマにはあまり関心がないのだが、
今、NHK朝ドラの『花子とアン』を楽しんでいる。
『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子が主人公と知って見てみることにした次第。
てっきりどこかの教養ある裕福な家庭のお嬢さんぐらいに思っていたら、
これがなんと、貧しい小作農の家の出身だというではないか。
いうまでもなく相当な苦労と努力もあったはずである。
ドラマを見ていたら史実を知りたくなった。
なんといってもドラマは最終的にドラマで、フィクションの色彩が強いからだ。
ということで読んでみたのがこの本。
著者は、村岡花子の養女になった姪の娘さん。
つまり法的には孫娘、いずれにしても血筋である。
正直な話、伝記文学としての水準はそれほど高いようには思わなかった。
事実の扱い方にも、こちらの好みもあるのだろうが、ときどき違和感を覚えた。
たとえば花子とのその夫の結婚前のラブレターをここまで公開する必要があるのかどうか。
一方、同じ事柄を語るにしても、妙に美談めいていたり。
しかしなんといっても事実としての興味深さがあり、
それを数多く伝えてもらっただけでもありがたいことだろう。
何しろ日清戦争後から太平洋戦争の後までの日本である。
いかに激動の時代だったかがあらためてわかる。
ドラマでは仲間由紀恵が演じて、ドラマ性という点ではピカイチの柳原白蓮をはじめ、
数多くの文人・知識人とのつながりがあることにもあらためて驚く。
要するに歴史の面白さなのだった。
村岡花子自身の人生と、彼女が訳した『赤毛のアン』の主人公アン、
ひいては作者モンゴメリの人生とが、よく似ているのもびっくりだ。
その『赤毛のアン』は、花子とその周辺だけでなく、
いわば日本の国としての幾多の労苦を経て出版にこぎつけたように見えて、
それを描いた段は感動的である。
亡くなるまで『赤毛のアン』の舞台のプリンスエドワード島を訪れることはなかった、
というのも興味深い。
結局、彼女の言う「想像の翼」のままに生きたということだろうか。
児童文学の翻訳家としての村岡花子がいかに優れていたかという点については、
身内の筆ということもあるのか、具体的なことはよくわからない。
その辺については、たとえば菱田信彦『快読「赤毛のアン」』など、
ほかに優れた文献があるようなので、そちらに当たるのがいいのだろう。
紙の本
おもしろい
2016/12/12 11:46
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投稿者:ひのえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
花子さんはたくましいですね。彼女だからこそできた翻訳です。私も馴染みがあるからかもしれませんが、題名は「赤毛のアン」でよかったと思います。
紙の本
テレビで
2016/06/26 16:30
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投稿者:エピゴーネンキャット - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝ドラのヒットで出したんでしょうか。
私には全く面白くなかったな・・・・
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NHKの朝ドラ『アンと花子』を見るのが毎朝の日課になっている。ドラマを見始めたころ本書を読んだ。本書はドラマの原作ということになっていて、基本はその通りだが、脚本家はかなり脚色を加えて面白くしている(時にとってつけたようなプロットはあるが)。原作である本書は、主人公の村岡花子の孫にあたる恵理さんが書いている。ただ、これはあくまで伝記というべきもので、資料に忠実に筆をすすめていて、「想像の翼を広げて」書いているわけではない。花子が東京の女学校へ行くまでのことは資料がないのかほとんど出てこない。脚本では山梨の小作農の娘ということになっていて、行商をして見聞の広い父親が娘の才能に気づき東京の女学校へ入れることになっているが、これは少々現実味に欠ける。原作を読んで見ると、田舎に合わない父親は一家をあげて東京へ移住したことになっている。これだと女学校までは近くなる。また、花子が後に結婚する村岡には胸を病んで入院している妻がいて、二人は言ってみれば不倫から出発するのだが、それがどうして最終的に結婚できたのかほとんど書いてない。(ドラマがどう描くかはこれからのお楽しみだ)そもそも、後半はともかく、前半では花子の心情がほとんど描かれてない。だから、まるでト書きを読むような錯覚に陥ったほどだ。恵理さんの書いたものでは、むしろ『花子とアンへの道』(新潮社)の方が写真もたくさんあって、村岡花子を彷彿させる。
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「花子とアン」で興味を持ち読んでみましたが、こういう話苦手でなかなか読み進められませんでした。テレビでは結構変わっているところも多いので、テレビはテレビで楽しみつつ見ようと思います。
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#花子とアン
関連モノには乗せられまい・・と普段は敬遠するのだが、急遽、ちょっと遠出をしなければならないときに、旅のお供に持参しようと思ったのがこの本だった。読まねばならないモノもあったけど、お供にはあまり(内容的に)重くないものがふさわしい。かといって、ぱっと思い浮かんだ話題の小説は湊かなえさんのもので、別の意味で重い。全てにおいて今回ちょうどいいように思ったのがこの一冊だったというわけだ。
道中読んだきり、忙しさにかまけて読めていなかったのを、ドラマの方もそろそろ佳境に入ってきたということで、この日曜の午後、一気に読み進めることとなった。
ツイッターでは最近やや批判も多いこのドラマ。この本の筆者の村岡恵理さんも、この本で描かれている花子の生涯とはますますかけ離れてきていて、戸惑っているらしい・・とのうわさも聞こえているのだけど、まあ・・そうだろうな・・・・・(~_~;)
たまたま今再放送している「カーネーション」も実在の人物がモデルで、しかもかなりの脚色を加えているけど、あれは未だにかなり評判がいい。同じ時間帯に続けて放送されているのが却ってアダになってるかもしれないと思うほど・・。
「赤毛のアン」のエピソードを盛り込んだり、特徴的な脇役を登場させたり、ドラマとしての見どころはそれなりに押さえているとは思うんだけど、元々の素材が持つ面白さを伝えてなくて、この本を読んだ人には特に物足りなさを感じさせているらしい。
「赤毛のアン」では後に夫となる幼馴染ギルバートを髣髴とさせる朝市とは結ばれないのも、視聴者に混乱を来たしている一因かもしれない。もちろん、そんな人はこの本の中には登場しない。
ドラマにも登場する英英辞書は、実際に夫となる人に贈られたものらしいが、いくら思いを絶つためとはいえ雨の中、窓から捨てようとするなんて・・というのも、視聴者のお怒りの種になっている。もちろん、そんなことは実際の花子はしない。
子ども時代からはなが「花子」にこだわったのも、アンがAnnではなくAnneにこだわったことに由来するのだけど、昔の女性は子がついたりつかなかったり結構あいまいで、ドラマほどのこだわりは実際の花子にはなかったようだし・・。
この本の中に感じる、女性にとってある意味不遇の時代に、それでも何かを目指そうとしてきた「気概」のようなものが、どうやらドラマでは今すっぽり抜けている印象があり、そこに物足りなさを感じるのかなあ・・というのが、この本を読んで感じたドラマの感想でもある。
たまたま今日、自国カンボジアで地雷撤去の仕事をしている若い女性の話を聞く機会があったのだけど、かの国での女性の地位というのは、おそらく昔の日本がたどってきた道と同じもの。教育を受けることさえないがしろにされ、それが故にますます女性の権利が低いままというスパイラルに陥っているらしい。
帰ってきてからこの「アンのゆりかご」の続きを読み進めたのだけど、あの女性はいわばかつての日本の市川房江であり、また村岡花子なのではないだろうか?
彼女は「女に学問なんて。(嫁に行くべき)」と村人に陰口をたたかれながら、町の大学���進学した。学費を支えたのは長兄だったという。子どもの頃、近所で立て続けに起きた対戦車地雷の事故で隣人が幾人も亡くなったことから、進学後、地雷除去にかかわる仕事に携わるようになる。現在、そこで得られた収入を実際に地元と実家に還元しながら、女性の地位向上と農村部の生活水準の向上のため、教育の大切さを訴え続けている。
これからの夢や展望は・・と聞かれて答えた20代の彼女の口から、日本の同年代の女の子が語るような甘い個人的な夢が語られることはなかった。
花子は声高に何かを訴え、人々の先頭に立ち先導するようなことはしないが、きっちりと自分に与えられた仕事をすることで、多くのものを日本人とりわけ少女たちにもたらした。その最たるものが「赤毛のアン」だったのかもしれない。
かのカンボジアの少女たちがこんな物語を読める時代になったとき、あの国に本当の平和と安寧が訪れるような気がしている・・。
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「赤毛のアン」の翻訳で有名な村岡花子。
孫娘でライターの著者が書いた、その生涯です。
NHK朝ドラの原作。
戦時中に翻訳を始めていたいきさつから、始まります。
そこから遡って、貧しい暮らしをしていた大勢の兄弟の中から、長女のはな(後の村岡花子)一人だけが東洋英和女学校の給費生として学ぶようになったこと。
東洋英和が、カナダ人宣教師が開いた学校とは知りませんでした。
奇しくも、モンゴメリと同世代のカナダ女性に教育を受けたのですね。
柳原白蓮と友情があったという、意外なつながりも。
若くして離婚した後の白蓮が女学校に入り直していた時期で、年上の美しい親友が出来たわけだったのですね。
九州の炭坑王との急に決められた再婚に怒り、純情な花子は披露宴にも出席を断ったとか。もっともすぐに和解し、後の出奔と再婚にも理解を示したようです。
花子自身は出会った男性・村岡と愛し合って結婚し、出版社を営む婚家にも認められて幸福でしたが、震災で工場が倒壊してしまいます。
さらに長子を疫痢で失い、戦時中にも苦難があったそうです。
夫の村岡は最初の妻を病気を理由に離婚していたので、花子は不幸に見舞われた後になって、他の人のそんな苦しみをおもんぱかることもなかったのがよくなかったと胸を痛めたそうです。
ラジオの番組で有名だったことも、知りませんでした。
70過ぎてのアメリカ旅行で、着物姿で通し、きれいな英語を喋ると驚かれたり。微笑ましいエピソードも色々。
プリンス・エドワード島には、ついに行かなかったのですね…
機会があったのに延ばしたという、気持ちはわかるような気もします。
しかし、「赤毛のアン」て、ものすごくたくさんの版で出ていたんですね~ちょっと調べたら、感嘆しました。
私は子供の頃からずっと村岡さんの訳で「赤毛のアン」ブックスを読んでいたんですよ。一時はお気に入りのところを暗記しているほどでした。
他の翻訳にも何かしらよさはあると思いますが、いま一つピンと来ないんですよね。
村岡花子は明治26年(1893年)生まれ。昭和43年、75歳で没。
著者は1967年生まれ。
1991年より姉の美枝とともに「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として資料を保存。
この本は、2008年6月発行。
2008年は「赤毛のアン」誕生百周年だったのですね!
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NHK朝ドラを深く知る為に購入。
今、日本は平和であるが、花子さんの生きた人生はそうでなかった。
花子さんの孫娘が描いた、祖母の生涯。
恵理さんもただ者ではないわ〜
これからの「花子とアン」は、もっと深く感情移入出来そうな予感。
'14.04.26読書完了
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『赤毛のアン』の訳者である村岡花子の物語風評伝。
村岡の交流関係も興味深いが、それを用意する東洋英和女学校への入学は、立身出世主義者にして社会主義者の父親なくしてはあり得なかった点が興味深い。(どちらがどっちを生んだかは書かれていな買ったように思うが前者における「教育の機会均等」の主張が後者への道を作ったのかな)
また翻訳家という職業が確立していなかった時代に翻訳で生計を立てることの苦労という論点は、あまり深められてはいないものの面白かった。
児童図書館の先駆者としての顔も初めて知った。
ところで、彼女はカナダには一度も行ったことがなかった。アメリカでさえも死の1年前に初めて訪れたのだった。へええと思ったが、よく分かるような気がする。p370の記述からは、プリンス・エドワード島に行けなかったことが決定的に重要だったことが読み取れる。この世界ではない別の世界としてのプリンス・エドワード島。グリン・ゲイブルス。
本書は物語風なので、臨場感がある一方、地の文がどこまで資料に基づいており、筆者(孫)の解釈が入っているのか微妙に分からないところがある。
(また、村岡の「家庭」の重視の仕方については、若干の気持ち悪さがあるようにも思うが、そこらへんの指摘はない。もっとも、ほとんど考えていない状態で、この話をする意味はないので、とりあえずメモ書きにとどめる。)
そのような点はあるものの、読んで損はすることのない評伝だと思う。
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この時期にこの本をよむというのは、ミーハー以外の何者でもないのだが、赤毛のアンは、小学校高学年の頃に読み、はまり込んだ作品で、戦前、戦後から翻訳家として活動された方々のその思いたるや如何なものであったのであろうということが知りたくて手に取った。
世相を感じ取ることができ、思想も感じることができる評伝で、生き方からも刺激を受ける方でした。
何よりも驚いたのは、パール・バックの『母の肖像』の訳者が村岡花子さんだったということ。読むのにものすごく骨をおった記憶があり、内容は殆ど記憶に無いけれど、母ってたいへんだ…と思い(中学生だったので、感じられるのはその程度)舞台となった国のことを理解に苦しむ国だと思い、重たい小説だと感じたことだけが頭の片隅に残っていますので、赤毛のアンの訳者さんとはどうしてもつながらなかったわけです。
赤毛のアンのシリーズを翻訳して下さった村岡花子さま。どうもありがとうございました。
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村岡花子は少女期にカナダ人宣教師からカトリックの教育を受けてのびのび育っている。一方で、国内文学や明治期のいわゆる少女向けで教育的でない本(ジェーン・エアとか)は読めなかった。色々な窮屈さを自分の胸のうちだけに秘めている部分もあったり。
そんな彼女が寄宿舎の友人や佐々木信綱といった歌人やプロレタリア文学女性作家の影響を受けつつも、自分の道を進んでいく様子が描かれる。読んでいて明るくなれる。孫娘の方が書いた評伝だが、必要以上に肉親に肩入れせず淡々と、センチメンタルにならずに時代背景をしっかり書いていて良かった。
梨木香歩の解説より抜粋。
何よりも花子自身が、軍事色一色の世界の中、心の深いところで、アンの物語を必要としていたのではないか。本書を読んでいると、そのことがひしひしと伝わってくる。狂奔する世界の中で、正気を保つよう彼女を守り続けたのは、ほかならぬ、疎開もせずに彼女が守り続けた蔵書や翻訳作業そのものだったのだ、ということが。「命に代えても」という言葉は、こういう関係性の中で生まれてくるものなのだろう。
クリスチャンであることと、花子の生き方は切り離せないものだった。だが、花子は同じクリスチャンであるはずの母の死に際しては、仏式で送った。生存中は、熱心なクリスチャンであった夫に従い、自分の意見を言わずにいた母であったが、実は仏教に深く傾倒していたことを、花子は知っていたからだ。花子が旧弊な家制度に疑問を持ち続け、女性の社会的地位確立のために働いた原動力の一つには、そういう母の姿もあったのだろう。花子は、母の最期を、家や夫に従属しない個人の姿で送りたかったのだろう。
実際に訳された『赤毛のアン』でいうと、私は松本侑子さん訳のほうが好きだ(シェイクスピア、聖書の引用や『~アン』が書かれた当時の社会背景が注釈されていてモンゴメリ自身の読書体験や境遇がアンに反映されているのがわかるので)。
『アンのゆりかご』は一人の女性翻訳者、キリスト者の評伝として興味深い一冊だった。
2.27~4.27