紙の本
“もし一切が必然であるなら、希望というものはあり得ないであろう。”
2023/03/21 17:22
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投稿者:Toshi - この投稿者のレビュー一覧を見る
20年ほど前に生まれ、インターネットの発展に後押しされる形で、自然科学・社会科学を問わずあらゆる分野を包括しながら急激に進展しつつあるネットワーク科学の開祖の1人であるダンカン・ワッツの本。
社会・歴史・経済・経営・アカデミア・エンターテイメントなど、あらゆる分野での成功や失敗が、単独の組織や個人の才能と努力ではなく、それらが属するネットワークと偶然によってもたらされたものであることを、科学的根拠を用いて証明した本。
著者によれば、未来や過去の出来事はあり得るかもしれない複数の可能性が存在するにも関わらず、ヒトは単一の結末や結果ありきで考えて大きく思い違いをする様だ。
また、そうした結末や結果は相互作用や偶然によってもたらされるのに、単一の人間や組織に原因を見出して、過剰な評価をすることも多々ある。
これらの誤りは日常生活では役に立つものの、社会や経済などの複雑なシステムについて考える際には役に立たない様々なバイアス(後知恵バイアス・生存バイアス・ハロー効果・自己奉仕バイアス等)によるものとのこと。
後半の章では、過去のデータに基づく予測や未来志向的な計画が役に立たないそうした複雑な問題への処方箋として、リアルタイムでの情報収集と現場主義、短いサイクルでの試行錯誤を基本とする帰納的な解決策が実際のケースと共に紹介される。
具体的には、トヨタ生産方式やZARAの販売戦略、インターネット上の膨大なデータやSNSを駆使してリアルタイムで情報収集と統計分析を行い、速いサイクルで修正を繰り返していくクラウドソーシングなどの取り組みが紹介されており、非常に参考になる。
ネットワーク科学は大学時代に少し学んでいたし、偶然の重要性も理解しているが、現代の宗教である個人主義や能力主義の問題点をもっと深掘りして理解したいと考えていた僕にとって最高の良書。
また、政治やビジネス、アカデミアやエンターテイメント等、分野を問わず特定の業界で活躍したい人間は読んでおいて損はない。
紙の本
現代を生きる私たちに必要な複雑系社会学の一部を垣間見られる画期的な書です!
2020/01/23 09:09
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、興味をもって理数分野の様々な教養が身につけられると大人気の「ハヤカワ文庫ノンフィクション<数理を愉しむ>」シリーズの一冊で、社会と経済の偶然のメカニズムということについて目を向けた奇抜かつ驚くべき洞察力をもった書です。具体的に言うと、今の世界は複雑に進行しており、もはや歴史は何の教訓にもならず、専門家の予測も全く当たらない状況になっています。そうした状況では、未来予測なでゃ到底不可能なことなのでしょうか?同書では、「偶然のメカニズム」という概念を提唱し、それを知ることで未来を予測し、より賢明な意思決定が可能になると強調します。これぞ、現代社会を生きる私たちに必要な複雑系社会学の一冊です。
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本書「偶然の科学」を、数ある「常識を疑え系」の一冊として読むことは当然可能だ。そう読んだとしても本書の元は確かにとれる。
オビより
アップルの復活劇は、ジョブズが偉大だったこととは必ずしも関係がない。
VHS対ベータ戦争で敗れたのも、MDの失敗も、ソニーの戦略ミスではない。
給料を上げても、社員の生産性はかならずしも上がらない。
JFK暗殺も9・11も、可能性が多すぎて、事前の予測は不可能。
歴史は繰り返さない。したがって歴史から教訓を得ることはできない。
フェイスブックやツイッターの大流行は、人々のプライバシー観が変わったからではない。
ヒット商品に不可欠とされる「インフルエンサー」は、偶然に決まるため特定できないし、実のところ彼らの影響力も未知数である。
売れ行き予測を立てないアパレルブランド、ZARA。その成功の秘訣とは?
偶然による過失をめぐる倫理的難問。司法はどう裁くべきか?
しかしそれでは本書を読んだことにはならない。それでは著者は読者に詫びなければならないことになる。それはあまりにも忍びない。
まえがき
社会学者の考え方を学ぶのは、物事の仕組みについてのおのれの直感そのものを疑い、場合によってはそれらを完全に捨ててしまうことを学ぶに等しい。だから、この本を読んでも、皆さんが世界についてもう知っていることを再確認する役にしか経たなかったのなら。お詫びする。わたしは自分のつとめを果たせなかったのだから。
本書の原題は"Everything is Obvious* Once You Know the Answer" 「全ては自明--あらかじめ答えを知っているなら」というのは、対偶をとれば "Till you know the answer, nothing is obvious" 、「答えが分からぬうちは、自明なものなどなにもない」となる。
それでは自明ならざるものとはなにか。
人間、つまり社会である。
それを明らかにしていこと、つまり"Science"は、"Social Science"、「社会科学」と呼ぶほかない。
著者はその状況を、まずまえがきで詫びている。
まえがき - ある社会学者の謝罪
社会科学の有用性に疑いの目を向けている人は、少なくない。私も物理学者から社会学者に転身してからというもの、聡明な人物が頭を働かせても解明できなかった世界の問題について社会学は何を語ってくれるのかと、好奇心あふれる部外者から何度も尋ねられた。
しかし、すごいのはここからだ。
だが悲しむべきことに、われわれは経済を運営したりふたつの企業を合併させたり本の売れ行きを予測してたりするよりも、惑星間ロケットの航路を計画するほうがはるかにうまい。それならどうして、ロケット科学はむずかしすぎるように見え、それよりずっとむずかしいと言ってもいい、人間にかかわる問題は単なる常識の問題であるかのように見えるのか。
著者は行間で檄を飛ばしているのである。
「自然科学者達よ、おまえらこそ自分たちにどうにか解ける問題だけ選んで解いているだけの、真に解くべき問題から目を背ける常識の虜囚ではないか」、と。
オビにあるのは、その例題にすぎない。
「社会科学を科学(笑)から本物の科学」にしてみせるという、「社会学党宣言」こそ、本書のコアなのだ。
「はじめに」にあるように、著者は物理学者から社会学に入った。著者を「科学者のなりそこない」ということはこの点で出来ない。そして著者は物理学的に社会を観測することによって、スモールワールド現象を解明した。でもそれはほんのはじまりにすぎない。社会科学が自然科学と同等の科学として常識されるには。
しかしそのためには、社会科学が自然科学と同等に役に立つところを見せなければならない。それが著者を突き動かす力。どうしてニュートン力学で乗物を設計するように、社会という乗物を我々は設計できないのか。
しかしニュートンは社会も何もないところから登場したわけではない。そこに至る前にティコ・ブラーエがいて、コペルニクスがいて、ケプラーがいたのだ。
そう。観測。社会科学に決定的に欠けていたのは、自然科学における最初の一歩だった。だから「たまたま」その学者が目にした現象を「たまたま」その学者が持っている「常識と偏見で料理したもの」が「学説」として流通する。そんな連中をソーカルのように揶揄するのは安価で愉快なことだけど、そろそろそんなことより観測-仮説-立証サイクルを回そうぜ、インターネットのおかげで観測が可能になったのだから。著者はそうシャウトしつつ本書を〆ている。
あとがき
なぜ都市部の貧困や経済発展や公教育といった社会問題の理解に必要な科学が、注目に値しないことになるのか。もっと注目に値するはずだ。必要なツールがないと言い張ることももうできない。望遠鏡の発明が天空の研究に革命をもたらしたように、携帯電話やウェブやインターネットを介したコミュニケーションなどの技術革命も、測定不能なものを測定可能にすることで、われわれの自分自身についての理解や交流の仕方革命をもたらす力がある。
マートンのことばは正しい。社会科学はいまだに自分たちのケプラーを見いだしていない。しかし、アレグザンダー・ポープが人間の適切な研究課題は天上ではなくわれわれの中にあると説いてから三〇〇年後、われわれはようやく自分たちの望遠鏡を手に入れたのである。
「さあ、革命をはじめるとしよう…」。革命家ならぬ一読書家として、せめて本書をおすすめする次第。
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良著でした!
原題は"Everything Is Obvious (Once You Know the Answer)"
『全ての未来は明白だ(答えを見た後ならば)』と言うと当たり前だが、知らず知らずのうちにこんなことにも気づかず、物事を理解した気になっていることがある。
同じ状況を何度も試せるならいいが、現実世界の多くの場合は一度きり。
予測することは本来不可能であることを認めなければいけないんじゃなかろうか。
ナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』や、ダン・アリエリーの著作に似たものを感じる社会派な一作。
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Memo:
p79
「Xが起こったのは人々がそれを望んだからだ。人々がXを望んだとなぜわかるかというと、Xが起こったからだ」
p138
これらは結果そのものがわかってからはじめて組み立てられる主張なので、ほんとうに説明になっているのか、それとも単に事実を述べているだけなのかけっしてわからない。
p141
現実には同じ実験を二回以上おこなうことはけっしてできない。
p143
あと知恵バイアス
p144
サンプリングバイアス
p221
しかし、予測モデルの批判者がよく指摘しているとおり、われわれが重視する結果の多くは、通常時でないからこそわれわれの興味を引く。
p237
経営理論家のヘンリー・ミンツバーグは、従来の戦略計画では、計画者はどうしても未来の予測を立てなければならず、誤りを犯しやすくなるという問題を熟考し、計画者は長期的な戦略動向を予測することよりも、現場の変化に迅速に対応することを優先すべきだとすすめた。
p248
「予測とコントロール」から「測定と対応」への変化は、テクノロジーのみにかかわるのではなく心理にもかかわっている。未来を予測する自分たちの能力はあてにならないと認めてはじめて、わえわれは未来を見いだす方法を受け入れられる。
しかしながら、測定能力を向上させるだけでは、必要な情報が得られない状況も多い。
(測定だけで終わらせるな、実験せよ)
p253
重要になってくる唯一の広告は、境界線上の消費者、つまり製品を買ったが、広告を見ていなければ買わなかった人を動かす広告である。この効果を見極めるには、広告を見る人と見ない人を無作為に決めた実験をおこなうしかない。
p258
学者や研究者が因果関係の細かな点を論じ合うのは結構だが、政治家やビジネスリーダーはしばしば確実性が欠けた状態で行動しなければならない。
p269
自分の心臓を止めることができないのと同じで、常識に基づく直観を抑えることはできない。しかしながら、常識にあまり頼らず、測定可能なものにもっと頼らなければならないと覚えておくことならできる。
p277
ハロー効果(後光効果)
p280
問題は、結果から過程を評価するのがまちがっているということではない。たった一度の結果から過程を評価するのはあてにならないということである。
p287
金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になる
p318
いったいなぜ、そのすべてが説明可能な一連のルールを書き出せるなどとおこがましくも考える者がいるのだろうか。
p329
実社会はそのような法則におそらく支配されていない
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内容はそれなりに面白いのだけど、文章が読みにくくてなかなか頭に入ってこない。読むのにとても難儀した。私はこの手の本が大好きで、『予想通りに不合理』も『明日の幸せを科学する』もガツガツ喰いつきながらよんだというのに、本書はページをめくる指が重かった。というわけで読み終わるまでに一月近くかかってしまった。
青木さんが翻訳したのにおかしいな、、、と思っていたら青木さん違いで、こちらは青木創、あちらは青木薫。な〜んだ。改めて青木薫さんを素晴らしいと思った。
やっと本の中味の話し。
著者は物理学者から転身した社会学者というユニークな立場。「社会科学が科学的であるとはどういうことか」についてとても丁寧に向き合い、それが本書の重要なテーマでもある「認知や判断の根拠としての常識」に見事につながっている。
事前には常識で考えるから間違うのに、事後には常識で考えればそれしかないと思えること。邦訳はあまりよくない。原題の方が著者のテーマを伝えてくれる:
"Everything is obvious, once you know the answer"
「そんなのはじめからわかってたさ(タネ明かしを聞いた後だけど)」。
人工知能の研究からわかったのは、ヒトの認知や判断というは、ものすごく膨大な暗黙のインプットをものすごく大胆に省略しながら処理しているということ。その剪定の仕方にはくせがあって、それが私たちの「常識」を形成しているということ。ふむふむ。そこから抜け出すにはかなり意識的に「反常識(非常識)」を取り入れる必要があるということ。
などなど、読みにくくて大変ですが、ヒトという奇妙な存在の面白さに出会える本でした。
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選択の科学とはまた違った角度だが、社会学が物理学のような華麗な発展を遂げられていない中、近年、インターネット、ソーシャルネットワークの普及により、徐々に実験環境を有効化できそうで有る事がわかる。偶然を科学するには、人的要素における社会学を追求する必要がある。社会学を学ぶのは、面白いかもしれない。
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色々引用したくなる場所が多い本。そして「あー、いるいるそんな人」と言いたくなる本。
未来の予想はできないし、結果に対して後付で理由はいくらでもつけることはできる、と言うことでしょうか。端折り過ぎですが。
「私は分かっている」「私は理解している」と考えている人や、そのようにツイートしている人にこそ読んでもらいたい本。
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「世界の人々から選んだ任意の二人の距離は実はそう遠くはない」というスモール・ワールド理論を提唱した社会学者ダンカン・ワッツが、様々な場面における「常識」の持つ不確かさを説く。
邦題の「偶然の科学」というタイトルは少しわかりにくいと思うが、原題はこうなっている。「Everything is Obvious-Once You Know the Answer」、直訳すれば、全ては明白である-いったん正解を知ってしまえば。この原題のタイトルの方が遥かにわかりやすい。つまり我々は日常生活において、何かしらの判断を毎日行っていくが、その判断を後から振り返る-正解を知っている状態-と、あたかもその判断が自明のことであったかのように錯覚してしまう。このような人間の思考パターンは様々な種類があるが、そうした思考パターンの持つ危険性をダンカン・ワッツは明らかにする。
本書が扱う人間の思考パターンの癖は様々な種類に及んでおり、世界に対する新たな視点を与えてくれる。なおかつ、語り口は極めて平易でユーモアにあふれており、一級の知的興奮を与えてくれる充実した一冊。
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著者は1971年生まれだから私より2歳下だ。最初物理学を学んだようだが、複雑系の系譜を継ぐ「スモールワールド」だかいう学説を提唱し、ネットワーク理論に基づいた社会学者といった立場にあるようだ。
この本は一般読者向けに非常に易しく書かれており、何も難しい話ではないが、新たな視角をもたらしてくれる、実に面白い読み物だった。
「まえがき」で「アメリカ人のおよそ90%は自分が平均より車の運転が上手いとおもっている」という統計を明らかにする。日本人も、おそらく男性では似たような結果になるのではないだろうか。
この例のような自己に関する「錯覚された優秀性」、そして「常識」全般が、人々の認識・判断を絶えず誤らせている。「思い込み」の間違いを、著者ワッツは執拗に指摘してくる。こちらも身に覚えのあることが多く、反省を迫られる。
複雑系で有名な「バタフライ効果」の話、人々のあいだの相互影響作用、インターネットを活用した大規模なリサーチと「実験」。結局だれもただしく結果を「推測」することはできないこと。偶然の条件が重なってできごとが起こり、そのもろもろの影響からさかのぼって、もっぱら論議されること。
かなり刺激的な内容で、読んでいてとても楽しい。
著者はYahooリサーチに携わっていたので、マーケティングの話も後半出てくる。
複雑系に基づくネットワーク社会学、もう少し本格的な本も読んでみたいと思った。
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裏付けのない経験則としての常識を予測・判断に用いる危険性と,予測不可能な世界でどのようにして戦略を立てるべきかを扱った一冊.成功と失敗を分ける要因は偶発的なものであり,もっともらしく見える理由は後からつけられるものに過ぎず,予め何かが成功する理由や要素を知ることは,構造的に不可能である.一方,インターネットの普及により,現時点で何が起こっているか・過去に何が起きたかを,それまででは考えられなかった緻密さで把握したり,あるいは膨大な数の人について,行動や思考の傾向を把握したりすることは可能になってきており,従ってうまい戦略を立てるためには,そのようなツールを利用して現状を正しく把握することが肝要であるとする.
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"人間の社会的行動を科学の目で分析する。そんな一見出来そうもないことに挑んでいるのが本書。
社会科学をアカデミックに学びたくなる。"
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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偶然の科学とあったので読んだが社会学の本でございました.なので「偶然とはなんぞ?」ってな事はあまり探求されておらず,社会学が物理学のような法則を得られないのはこれこれこういう理由ですよってのが綴られておりました.まぁでもフレーム問題とマクロとミクロの絡みなんかは勉強したら楽しいだろうなと思わせてくれたので良しとします.
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世の中は予測可能な事象と不可能な事象がある。
物理学や数学は誰からみても同じ普遍的な法則があって、予測可能な事象ですが実社会は予測不可能な事象で、常識と思っていることでも偶然の結果が殆ど。
したがって現実社会を扱う社会科学系の学問は、普遍的法則を追っかけるのではなく、中範囲の法則や測定と迅速な対応による戦略によって法則を導き出すべきと提言した著作。
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面白かった。
もちろん訳者の方の力もあるだろうが、とても読みやすい。
著者ダンカン・ワッツが説く「スモールワールド」という概念は知っている人も多いと思うが(世界中の人と人の間には平均6人存在する)、この本はそれにも言及しつつ、もっと広く社会学を語っている。
物事には明確な理由がなく、複雑な要因が絡まって結果がある。
常識の脆さ、因果の複雑さ、予測の困難さ、それを一つ一つ説いていく。
自分が認識している世界に対し懐疑的な視点を持ちたいならこの本を読むべきだ。
しかしながら人が常識に頼ったり予測をしたり因果を単純に理解したがるのは、自己防衛でありリスクヘッジだ。
それらが不可能になれば、社会は人にとってもっと耐え難いものになるだろう。
私は常日頃常識を鵜呑みにしないことを心掛けているが、それでも多くの常識に振り回されているし、様々な「当たり前」を何の疑問もなく受け入れている。
そして比較的直感を信じるタイプである。
中でも言及されているが、「悪い計画でも無策よりはまし」だし、何か事があればそれを理解することで自分を落ち着かせる。
これらは生きる知恵なのだ。
ダンカン・ワッツは予測困難な偶然の世界の中で、どうすればよりよく未来を予測ができるのかも説く。
私には結局の所、情報が大切なんだと説いているように見える。
広い世界を知り、統計を元にし、理解すること。盲目にならず、前提を排除し、想像の介入を許さないこと。
本序盤では、ダン・アリエリーが「予想通りに不合理」という著書で述べられた実験のいくかがいくつか見受けられ、その焼き直しなのかな? と正直思った。
しかしながらダンカン・ワッツはただ広範囲に論文を読み、多くの知識があるだけのようだ。読みすすめると参照している研究が他にも多数出てくる。
巻末の脚注も読み応えがあり、仕事が丁寧、あるいは厳密に事実もしくは根拠を提示し論を進めている印象。
不用意な断言はしていないところも、慎重な印象を与える。
バックグランドがかなりユニーク。理論応用力学の博士号を持っており、その後海軍、社会学者。
優秀なんだろうな。