螢の河 源流へ 伊藤桂一作品集
著者 伊藤桂一
苛烈な戦場での日々に、死を凝視しつつ、なお友情、青春が息づく、その刻々を淡々と描いた、直木賞受賞作「螢の河」。堪え難い神経痛と耳鳴りに悩む“ぼく”が山奥での岩魚釣り中、不...
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商品説明
苛烈な戦場での日々に、死を凝視しつつ、なお友情、青春が息づく、その刻々を淡々と描いた、直木賞受賞作「螢の河」。堪え難い神経痛と耳鳴りに悩む“ぼく”が山奥での岩魚釣り中、不意に“生きてゆくこと”を深く認知する名作「源流へ」。「帽子と菜の花」「帰郷」「溯り鮒」「名のない犬」等、詩人の眼が捉えた、戦場、身辺、釣り、動物達との交歓。伊藤桂一の小説世界を開示する珠玉の名篇全10篇。
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銃撃戦に揺れる菜の花を見ていた眼
2011/05/09 00:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
召集されて中国戦線を渡り歩き、それから復員してからの人生、そういった作品群を、本書のように一冊のダイジェストにして読んでしまうのがいいのか悪いのか。作品は作品として割り切ればいいのだろうけど、全体を通しての異様さというのが見えてしまってくる。
戦地ものは、自分以外からの伝聞の話も多いが、そこに兵士としての自分の視点を重ねあわせることで戦場という空間の不思議さを現している。
兵士として7年間を戦場で生き延びた「精鋭」であるという自信、というよりは、そのメカニズムを隅から隅まで、てっぺんから末端まで知り抜いているという余裕、足掻いてもどうにもならないという諦念がもたらすのだろう、静かな、戦場には不似合いにも思える情景を作り出している。クリークを船で渡る行軍、菜の花畑での銃撃戦、それから現地中国人との様々な交流。本書に登場する風景はそのほんの一面でしかないのだろうけど、兵士一人一人の性格によって紡がれる物語は、戦争、戦略、イデオロギーといった大きな枠で決め付けられたりはしない、生活者のドラマであることを示している。
その「精鋭」は、本土に復員して日常生活に戻ると、とたんにぎくしゃくしてしまう。生来の体質か、家族環境と生活苦に彼が適応できなかったのか、兵士体験が彼を変えてしまったのか、そのすべてが当てはまるのだろうが、しかしもっとも大きな問題は文学を志し、それがいつ芽が出るか分からない果てしない貧乏の道であったことだろう。だから、彼が自身で語るように激しい神経痛という業病や気質が、生活の奇妙さや苦しさの根本なのか、文学修行をしている割にはまともな暮らしをしている範疇なのかが、読者にはさっぱり分からないのだ。
だからそういう連続性があると、誰にも分かるはずの無い人生の結論が見えてしまうような錯覚が怖い。
神経痛の苦痛の中で、趣味の釣りに行って、心の潤うところ、世界との一体感を取り戻せるものがあったとか、老年近くになって結婚して犬(狆)を飼ったとか、一つ一つ読むとただの変なオジサンの話である。かといって業病や兵士体験と繋がった話として読むと、もっと奇妙な人の話だ。
かといって戦争ものというのは読んでも(たぶん)書いても歓びが湧くようなものではない、苦い漢方薬のようなもので、その代償には生活の中の甘露が必要なのかもしれない。しかし無数の死者の代弁者となった作者は、戦場におけるストイックさのための文体を手放せなかった。