紙の本
ノンフィクションの手本
2015/12/17 07:59
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルだけで、内容が解る。虐待。裁判の傍聴を機に、ファミリーホームの取材を開始。再生へと導く医師や里親の努力を紹介する。心の傷ーPTSD。それでも実母の元に帰りたがる子供。ジャーナリズム、ノンフィクションのあり方に大きな指針。
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虐待についてニュースで取り上げられる事件なども多く、虐待防止については多く語られるようになったと思う。けれども虐待被害にあってしまった子供達のその後については、深く知る事はなかった。虐待を受けていた親から離れればそれで安全、終了、と言う事ではない。その後の子供たちへのケアが非常に重要であり、難しい。
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今までにも何冊か、虐待を受けた子供たちについて書かれた本は読んだことがある。
里親が書いたもの、治療者が書いたもの、虐待の被害者本人が書いたもの、そのいずれもあったが、すべてに共通していたのは、人は幼少期に絶対的な庇護を受けて育つことで、初めて人間としての根幹が作られること、それが欠落してもたらされる影響は恐ろしく根深いこと、そして、虐待者の多くが、やはり同時に被虐待児であったということだ。
どこかでこの負の連鎖を断ち切らなければいけない。
深く傷ついた心を癒し、家族の温かさと生きる喜びを知ってほしい、そのために奮闘する、医療者、福祉司、児童養護施設のスタッフ、教師、そして里親の方々。
どんなに悲惨な過去を背負わされた子供でも、適切な援助で、人から大切にされる自分も、人を大切に思える自分も、そして生きていることの幸せも、きっと感じることができる。そう信じたい。
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読んでよかった。虐待の後遺症、思っていた以上だった。脳が変わってしまうなんて…
おかあさん=恐怖、不安などの感情、というすりこみから、こどもたちは自らをどんどんそういう状況に追いやってしまう。これは本当に悲しいこと。
もう一度読む。
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虐待されて死なずに生き残った子供たちのその後を描くノンフィクション。
おもに養子縁組を目的としない里親家庭の話。
この辺の話に興味があってある程度調べている人には物足りない内容。
でも知らせるという点では読みやすくて良いのかも。
虐待されて親から引き離された子供は、まともなおうちにつっこめばまともな子供になれるってわけじゃない。
サバイブしてきた経験が、おだやかな環境での生活を邪魔してしまう。
里親をやるような人たちはちゃんとしたおうちの人だから、そういう子供にどうやって接していいかわからずに悩む。
助けが必要な人にほど救いの手が届かないなかで、「運よく」いい里親にひきとられた子供たちのその後を見ると救われる思いがする。
でも本当は、こうやって福祉に拾われる子供より、誰にも救われずにおうちで生き延びる子供のほうがずっとずっと多いんだよね。
著者は「死亡ニュースにならない、生き残った子供」の存在に気づいてそこにスポットライトをあてようとしたみたいだけど、そのまんま家に居続ける子供は見えているのかな。
そっちも読みたい。
著者紹介を見て「セレブモンスター」とかのタイトルを見て嫌な予感がした。
冒頭の、虐待親を異物として描く描写や「私だったらできない」という言葉で更に嫌な予感。
が、読み進めたら思ったほどひどくはなかった。
取材して人の話を聞いて、聞いたことをゆがめずに記してある。
そんなの当たり前なんだけどできてない「ノンフィクションライター」が多いから安心した。
それでも、著者脳内の一般読者のレベルに合わせたのかもしれないけれど、「知っているつもりだったけどわかっていなかった」という書き方の無知がはげしい。
本当に普通こんなにわかってないものなんだろうか。
興味があるつもりだった人ですらこんなに?本当に?
本当に「世間一般」がここまで無理解ならば、偏見が横行するのも当然だ。
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社会的養護のことを書いた本が増えるのは単純にうれしい、しかも希望が織り込まれたノンフィクションとして。
一方で、1人の書き手として向き合うということと、1人の人間として向き合うということとが、混在するのはもちろんなのだが後者に重きを置いたように(少なくともそう説明しているように)感じられたのだけども、書くならばもっと見つめてほしいと感じた。
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被害者が加害者になってしまう。
虐待が本当の意味で怖いのはこういうことだと思う。
加害者を加害者として責められればどんなにか楽だろう。
虐待児を加害者にしないようにしっかりとしたケアをしなければ。
里親という家族が、傷を癒せる場として全国に広がっていくことを願う。
無条件に子供を愛せるか。
その問いを考え込んでしまうということが不自然なのだという指摘に納得。
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また虐待のケース報告かなぁ・・と思いつつ
「2013年開高健ノンフィクション賞受賞」
これに引き付けられて買ってしまった。
今まであまり取り上げられなかった
被虐待児の保護された「その後」
そこに焦点が当てられていて、
問題の深さに改めて考えさせられた。
保護されたらハッピーエンド、
そんな簡単なことではない とは分かっていたけれど
虐待された子どもの心の傷は想像以上だった
優しい里親さんなど関係者も多い日本でこの状態
とすると、インドなど最貧国の捨てられた子どもたちは
どうやったら傷を癒すことができるのだろうか・・
絶望的になる
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以前見かけたタイトルと装丁が、印象的だった。
数ヶ月後に書店で見かけて思い出して手に取ると、帯には絶賛するコメントがあり、ノンフィクションの賞を受賞したとあるので、図書館で予約して借りた。(3人待ち)
虐待を受けた子ども、支えるファミリーホームの子どもと大人、病院の医師、それぞれから語られる虐待の過去と現在と未来。
五人の子どもの例をおさめ、第11回開高健ノンフィクション賞を受賞した。
著者ははじめに、「私を含めてメディアは、これまで虐待の何を見てきたのだろう。報道するのは、虐待を受けた子どもが死亡した悲惨な事件がほとんどだったのではないか。虐待した親を責め、関係機関を叩き、『なぜ、救えなかったのか』と嘆いてきた。『(子ども虐待は)全体の中で考えていかないと』という臨床現場の思いと、大きくかけ離れていたのではないだろうか。」と書いている。
ここを読んで、久々に、知る義務がある、と思った。
読み進めて、眉間に皺が寄り、ときどき涙が出てきて、「なんで」と思ってしまう。
初めて知ることだらけで、重い。
精神疾患的な病名の虐待もあること(MSBP)、子どもが自分を守るために意識を分断するということ(乖離)、里親の苦悩と愛情、さまざまな養護形態があること(家庭養護・施設養護・家庭的養護)、養護施設に悪質なものがあること、発達障害と虐待は裏表の関係らしいこと、虐待を受けて育った子どもは自分の子どもを虐待してしまうこと……。
読み終えて、私が普通の生活ができていることは、当たり前のことではないのだと実感した。
きちんと教育されたということに今更気づいて、両親に感謝した。
その反面、実は、私はこわくなった。
私は大丈夫だろうか、未来の子どもをきちんと育てられるだろうかと。
最後に。
虐待のニュースがあるたびに、あの子はどうなったのだろう、と思い出すニュースがある。
数年前に虐待されて保護・入院したと報じられた男の子。
母親ときょうだいと暮らしていて、その男の子だけが食事も満足に与えられず、部屋の隅にビニールシートに寝かされたまま、栄養失調で動けず、排泄もそのまま。
たしか、そんなニュースだった。
いま自然と「たしか」と書いてしまう自分の無関心さがこわいので、調べることにする。
今日はもう寝よう。
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虐待を受けている人がいるという事実は、ニュースでもよくみる。しかし、その後の後遺症やどうやって生きているかなどは、あまり語られることはない。
いろんなパターンを盛り込んでいるので、十人十色だということはわかるが、そのひとつひとつをもう少し掘り下げて欲しかった。
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里親さんたちの献身的な養育には頭が下がるばかり。そして、まだ生徒や学生の実子も一緒になって面倒を看ているというにも驚いた。
第4章の「奴隷でもいいから、帰りたい」の明日香ちゃんは不憫で不憫で仕方なかった。客観的にみても里親さんのところにいたほうが幸せな暮らしができるであろうに、それでもなお実母との生活に恋い焦がれてしまうなんて・・・。どうしようもない思いにただ涙が溢れ、里親さんたちの苦悩が切実に伝わってきた。
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髪の毛を洗う、おしりをふく、そういったことが幼少期に教えてもらえないとできない、
考えてみれば当たり前のことだが、本作をよんではじめて気づかされた。
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杉山登志郎医師のお話しは直接伺ったことがあります。今も第一線で子供達のために奮闘されているんですね。
そのほか頭が下がるのは、里子として子供達を預かって家庭を作っている人たち。
もっともっと支援や制度の充実が望まれます。
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虐待は最も卑劣な犯罪だ。特に子どもに対してのそれは、一時の苦しみ、痛みを与えるだけでなく、人生そのものさえも奪う重大な人権の侵害行為だ。
心の傷は目に見えない。言葉でも上手く表現できない子どもたちは、どうやって救いを求めればいいのか。
虐待の記憶から立ち直るのは容易ではない。この本を読めばその一例がわかるだろう。
寄り添うこと。愛すること。あなたは他人にそれができますか。子どもに、それができますか。
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母に(父にもか)感謝しなければならない。
今にして思えば、かなり情緒不安定な幼年期を過ごした(今でもその片鱗は多分に残っているが)。
何とかこの年まで生きて(普通の生活を営んで)こられたのは、両親のおかげなのだと思う
「両親に感謝しなさい」というのは、社会人になってから長じてよく年配の方に言われた言葉だが、そのときは(今でも)、まあ否定はしないがそんなものかなという程度にしか思っていなかった。
しかし、本書に取り上げられている不遇な幼少年期の事例に接すると、本当にその通りだなと思う。
最近、小学校時代の通信簿を読む機会があって、情緒不安定について、家庭環境に問題があるのではないかなどと書かれた教師のコメントに驚いた。
それでもあきらめずにここまで育ててくれた母に感謝。
母はラジオの教育相談をよく聞いていた。