モノ・サピエンス~物質化・単一化していく人類~
著者 岡本裕一朗 (著)
「人間の使い捨て時代が始まった」――体外受精、遺伝子操作、代理母など、九〇年代以降の「超消費社会」に起きた現象を通じて、「パンツをはいたモノ」と化した人類の姿を探る。
モノ・サピエンス~物質化・単一化していく人類~
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著者紹介
岡本裕一朗 (著)
- 略歴
- 1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得。玉川大学文学部教授(哲学、倫理学)。著書に「ポストモダンの思想的根拠」「異議あり!生命・環境倫理学」など。
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俗流若者論スタディーズVol.8 ~現実に立脚しない衒学趣味はもううんざり~
2007/10/02 10:40
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書によれば、1980年代の「ポストモダン」以降、消費社会化が進行して、人間の生命や根源的な価値まで商品化され、流通される存在でしかなくなった。そして今や人間の「使い捨て」の時代であり、フリーターや、いわゆる「援助交際」はその典型例である。また、そのような行動を平然とやる若年層(例えば女子高生)は、上の世代から見れば不道徳かもしれないが、彼らの行動は「超消費社会」においては紛れもなく正しい行動なんだってさ。
ふーん…。で、それで、という感想しか持ち得ないな。だって、本書で提示されている、「ポストモダン」社会=「超消費社会」における新しい「現実」を示すような事実(臓器移植、代理母、「援助交際」、遺伝子など)が、ほとんど怪しげなうわさ話か、そうでなければ新聞記事の無批判な引用しかないから。特に青少年や携帯電話がらみは悲惨の極みだ。すなわち、全編、「~でしょう」「~かもしれません」の乱発。要するに、例示されているものについて、その社会的な位置や量的、質的な広がり、ないし時間的な位相が確定した事項でないにもかかわらず、あたかもそれが「ポストモダン」以降に降ってわいたものとして軽々しく扱われているからだ。
著者が終始一貫して無知なのは、人々のリアリティ(ここでは、「超消費社会」的な状況が人間の根本的なあり方を変えている、ということを数億歩ほど譲って認めることとする)と実際の行動の中間である。それに属するものとして、一つ目には人々の感情や理性、二つ目としては法や規則を挙げることができるが、まず前者についての無知をさらけ出している下りとして、GPSによる監視(第7章冒頭)を挙げることができる。なぜ、子供を監視すべきだという気運が高まったということについて、著者は思いをめぐらせたことがあるだろうか?本書と同時に発売された、浜井浩一と芹沢一也の『犯罪不安社会』(光文社新書)に詳しいが、治安についての不安の扇動とモラル・パニックが記述されているのだが、この背景には明らかに子供の安全に対する(根拠なき)不安の増大がある。それを無視して、人の「モノ化」について饒舌に語られてもねえ…。
後者については、臓器移植をめぐる議論に垣間見ることができる(第4章2項)。著者は「臓器売ります!」という(おそらく)アングラ広告を鵜呑みにして、人間のあり方は臓器まで「モノ化」させてしまった、と書いているけれども、臓器の売買は、「臓器の移植に関する法律」第11条にて禁止されているし、臓器移植についての生命倫理からの議論も参照すべきだろう。
「ポストモダン」社会=「超消費社会」の新しい「現実」を語る!というふれこみなら、客観的な統計や検証を経ないでもいい、とでも思っているのか。でも、それは単なる思いこみだし、自らが「これは異常だ!」と思う事例ばかりかき集めて、さもそれらを繋ぐ「物語」があるかのように論じても、それは衒学趣味でしかならない。いくら理論が優れていても、現実との折り合いがついていなければ、全くの空論でしかないことを著者は知ったほうがいい。
というよりも、とりあえず著者は、本書で極めて不適切な引用をされた、ドリフターズと島倉千代子に謝ったほうがいい。話はそれからだ。
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